君に触れたい

むらさきおいも

文字の大きさ
4 / 20

4話 僕に降り注ぐ柔らかい空気

しおりを挟む
ここは彼の寝室なのだろうか…
綺麗に揃った木目の天井をぼぉっと眺めていると、檜の香りが鼻をかすめ、穏やかな気持ちになる…

彼が部屋から出ていくと、ベットの弾力を確かめながら一人ため息をついた。

こんなにふわふわなお布団でゆっくり出来るのは、いつぐらいぶりだろうか…

寝る間もなく、ずっと働いていたせいで食事もろくにしていなかった俺は、今十分すぎるほどにお腹も心も満たされている。

突如として俺の前に現れた和服の彼はめちゃくちゃ優しくて、忘れかけていた穏やかな世界がここにはあった。

だけど、こんな時間が長くは続かない事は自分自信が一番よくわかっている。

あと数時間もしたら俺は借金取りに追われ、また地獄の生活に連れ戻されるんだろう。

こんなぬるま湯に浸かっている暇なんかないんだ。

俺が幸せになる未来なんてないから―――


 ・・・


そして、気を失ったように眠り続け目を覚ました時には、すっかり日も暮れて外は真っ暗になっていた。

慌てて飛び起き当たりを見回すと彼の姿はなく、物書き用のローテーブルには、書き途中のままのパソコンが開いたまま置いてあった。

テーブルの上に無造作に置かれているたくさんの本から1つ拾い上げて他の本と見比べてみると、それらは全て同じ作家のものだった…


「紫雨…優(ゆう)…?」


ペンネームなのか本名なのか分からないけれど、これが彼の名前なんだろう。

興味本意で少し目を通すと、自分が思ってた感じの小説とは違くてかなり官能的な作品のようだった。

冒頭部分に目を通しただけにも関わらず、続きが気になって読み進めていけばすっかりのめり込んでしまい、彼が後ろに立っている事にすら気が付かなかった。


「あーおいくん?」

「ぅわっ、すいませんっ!勝手に読んだりして…っ」

「あぁ、別にいいよ。それより体調どう?」

「はい…さっきよりは…」

「そぉ?なら良かった。もう夜だしそろそろ    お腹空かない?特に用事がないなら夕飯食べて行きなよ」

「あ、いや…さすがにもうそこまでは…」

「別にいいのに…そんな気ぃ使わなくても…俺一人だし、いっぱい作っちゃったから食べて?あと敬語も使わなくていいから…ね?」

「はぃ…あっ、うん…///」


結構強引な彼に押されつつ、申し訳ないなと思いながらも、まだここに居たいって気持ちもあって思わず返事をしてしまった。

あと…もう少しだけ…

テーブルには簡単な男飯。
それでも俺には凄いご馳走で、料理を作れる男の人なんてマジで尊敬する…


「簡単なもんで悪いけど…」

「ううん…料理できるなんて凄いね」

「こんなの料理のうちに入んねぇよ笑」 


先程と同様、二人向き合って座りご飯を食べれば、普通に美味しくて俺が大袈裟にリアクションをすれば彼は照れたように笑った。

着物を着ているせいか少し大人びて見えるけど、歳はいくつくらいなんだろうか…

お箸を持つ手は指の先まで透き通るように白く細くて、眼鏡の奥で瞬くまつ毛は瞳が隠れるくらい長くて綺麗だ…

こんな優しくて大人しそうに見える人があんな凄い作品を書いているなんて…

ふっとさっきまで読んでた作品を思い出した瞬間、思わず目が合ってしまいゴクリと生唾を飲んだ。


「ん?どうした?」

「あ、いや…なんでもない…///」

「あそ?そういやどこまで読んだ?さっきの…」

「えっ///読んでないっ…あんまっ…」    
      
「もしかして嘘つくの苦手?感想聞かせてよ」


ニヤリと笑いながら箸を持つ手とは逆の手で頬杖をつき、俺の顔をジィーっと見つめ、眼鏡の奥の目に捕らえられてゾクッと体が疼く…


「う、うん…凄い…エッチだった…」

「ふふっ、そぉ?なら良かった」

「あーゆーの、書いてるんだ…」

「そっ、俺官能小説書いてんの。俺これでもこの業界ではそれなりに有名よ?」

「そう…なんだ…」

「まぁ読まないよねぇ…君みたいなイケメンに妄想は必要ないもんねぇ?」

「そんな事ねぇよ…現実なんてちっとも面白くない」

「へぇ…」


不思議そうに俺の顔を覗き込みながら食事を口に運ぶ。 

この夕飯を食べ終わってしまえば、俺はまたあのクズみたいな元の生活に戻るしかない。

洗濯していた服もいつの間にか乾き綺麗に畳まれていて、借りてたスエットを脱ぎ着替えればこの家とも彼ともお別れだ。


「ご馳走様でした。色々ありがとう…何のお礼も出来ないけど…」

「いいよ、お礼なんて…」

「あの…一つだけ…」

「ん?なに?」

「名前……ゆう…?」

「あぁ、うん。紫雨はペンネームだけど、ゆうは本名」

「そう…なんだ…」


優さん…その名前の通り優しい人だった。

ずぶ濡れで傷だらけの得体も知れない、見ず知らずの俺を拾ってくれた優しい人…


「それじゃ…俺はこれで…」

「あっ、葵くん」

「ん…?」

「良かったら…また遊びに来てよ」 

「…機会があれば…また」


正直そう言われて嬉しかった。
だけど、また…なんてきっとない。

笑顔で手を振る彼に名残惜しさを感じながらも少しだけ笑みを浮かべ、彼の家を出て自分の住む家へと戻った。

多分、ここに来る事はもう…ないだろう。

そして足取り重く、ただ寝るだけの家にたどり着けば、家の扉の前には張り紙が貼られ、それをいつもの様に剥がし、ドアノブに手をかければ不自然に開く扉に溜息をつく…

部屋の中は服が散らばり、扉や引き出しは全開で荒れ果てていた。

別にこんな事で驚きはしない…

再び溜息をついて足元に散らかった服を片付けながら、薄くなって最早ただの布切れのような敷きっぱなし布団の上に寝転んだ。

いつまた奴らが来るかも分からないこの状況から抜け出すにはとにかく金が必要だ… 

そうだ、ごろごろしてる暇があるなら金を稼ぎに行かなきゃ…

今日の事は忘れて現実に戻る為、頭を切り替えて再び体を起こし、俺は夜の街へと再び歩き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

Sランク冒険者クロードは吸血鬼に愛される

あさざきゆずき
BL
ダンジョンで僕は死にかけていた。傷口から大量に出血していて、もう助かりそうにない。そんなとき、人間とは思えないほど美しくて強い男性が現れた。

ずっと好きだった幼馴染の結婚式に出席する話

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

僕の恋人は、超イケメン!!

BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

処理中です...