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「わっ」

部屋の中は思っていたよりも広かった。

それに暑い。

地上の暑さとは違う。
閉じた場所特有のモワ、とした感じとも違って。

春の陽光みたいな、温かい湯みたいな、
どこか心地のいい感触だった。

奥へ進むたびにポ、と壁に備え付けられている魔導式ランプが灯る。

ひとつ、ひとつと火が灯るたびに部屋は明るくなっていく。

それでも最奥が見えない。

「あ、あの、ここ……何なんですか……?」

この場所自体に嫌な感じを覚えたりはしない。
でも、流石に怖くなってくる。

公爵殿下は躊躇うことなく奥へ進み続ける。

「覇王は海の国を制圧し、遠く東の国にまで進軍しようとしました」
「えっ……?」

ふっと呟かれたそれはクランリッツェの昔話だった。

わたしの目の前には壁がある。

どこまでも続いているかのように思える巨大な壁だ。

一面にクランリッツェの昔話――覇王の伝説らしき絵が描かれている。

「彼は強い王でした。賢い王でした。勇敢で、常に正しい王でした。
彼が大陸に現れてからというもの、周辺国は瞬く間に征服されていきました。
……クランリッツェも、そのうちの一つでした」

クランリッツェは大陸の小さな国が始まりなんだ。
故郷で牧師さんから聞いたことがある。

「彼は人間らしい感情というものを持たなかった、
人の営みというものを知らなかった。
その代わりに、卓越した力を持っていたのです。
さて、それは神の采配でしょうか。それとも哀れみだったのでしょうか。
俗人では決して至れぬ才を持った王はやがて、
大陸だけでは収まらず世界そのものを欲するようになりました。
……けれども、王は東方の地へ向かう途中に、惜しくも命を落としてしまいます」
「東の国に行く前に、敵軍にやられて死んじゃったって……」
「ええ。史として残っているのはそういった内容でしょう。
東の国に赴く際に奇襲に遭い、
深手を負った彼は後継となる者に財と国を託したまま静かな眠りについた。
そう。それも正しい。でも本当は少し違います。
……覇王ダグラミスには愛する女性がいたのです。その恋が王を滅ぼした」
「愛する女性……?」
「王にも人の血が流れていたのかもしれませんね。
彼はハイオネシアと呼ばれる女性に恋をしたのです。
透き通るような肌と異国の血の象徴である黒い髪を持つ乙女……
彼女には不思議な力がありました。
王は彼女を欲していたのか、それとも彼女の力を欲していたのか、
彼女は単に魔術に秀でていた方だったのか、天人の類だったのか、
後世の我々にはもはやわかりませんが……
地上で手に入らないものなどない王は
彼女からの拒絶で燃え上がるような執着心を抱くことになります。
何人も縛ることができず、捕らえることもできなかった彼がです。
しかし、王であろうと人の身に過ぎない彼が、
同じく人であるハイオネシアを意のままにできるはずもありません。
自分を愛さないと知った彼は、彼女を無理やりに娶り、妻としました。
それでもハイオネシアの心が彼に向くことはありませんでした。
求めるほどに心を閉ざし、
自分の力を決して貸してはならないと思うようになるのです。
……そして、果てには自刃してしまったのです」

そこまで話し終えると公爵殿下は一呼吸置いて、
わたしへ……正確にいうとわたしの額へ視線を向ける。

「ハイオネシアの亡骸を目にしたダグラミスはその現実を受け入れきれず、
……神に抗ってでも彼女を蘇らせようとしました。
それが神の怒りに触れたのでしょう。
彼女の亡骸に宿っていた力は飛散し、王の支配していた国々を焼き払う炎となったのです。
神は彼の罪を王として償わせ、何よりも欲した彼女の魂を
もう二度と手許に置けないよう、
幾千もの欠片として地に降らせたのです。
このクランリッツェで、女性にのみ現れる聖女の印……
それはハイオネシアの欠片を宿した証だったのだと言われています」

昔話が終わり、わたしに向けられていた視線が壁画へ戻される。

壁に描かれた絵を見上げている目はどこかぼんやりとしていて、
壁画を通して遠い時代に思いを馳せているようだった。

もしかしたら彼は覇王に特別な思い入れがあるのかもしれない。

「あの、公爵殿下はどうしてそのお話をわたしにしてくれたんですか」
「……あなたは覇王ダグラミスをどのように評価しますか?」
「えっ!? え、え~っと……」

質問が返ってきてしまった。
想定していないものだったし、
わたし、意見とか特にないし。口籠ってしまう。

「史学者や神学者のような意見を聞きたいわけではないのです。
思ったことを、ありのまま話してください」

すると彼は優しく促してくる。
本当に素直に言っていいのかな……?

「凄い人なのはよくわかります。クランリッツェのお父さんみたいなものですから。
でも、ハイオネシアのお話が本当なら……」
「本当なら?」
「……かなしい人だなって、思います」

ぴた、って場が静かになる。

公爵殿下は何も言ってくれない。きょとんとした反応だ。

変なこと言った……!?

「う、うそうそっ! ごめんなさい、変なこと言って、
わたし、その、馬鹿だから……ろくなこと言えなくて……」
「いえ」

大慌てで空気を換えようとした。
けれども、わたしの言葉は短い言葉に……それまで聞いたことないような、力強い声色の一言に遮られた。

「……怖がらせてしまいましたか?
怒っているわけでも、否定しているわけでもないのです。
ただ、あなたが何故、悲しいと感じるのか……それを聞いてみたいのです」

公爵殿下は諭すように言ってくる。

わたし、考えていることを人に話すのって得意じゃない。

自分が馬鹿なのはわかっているし、でも笑われたりするのも嫌だから。

けれども、急かしもせずに待ってくれる彼を見ていると、自然と唇が開いていた。

「……覇王ダグラミスは凄く強くて、すっごく偉い人で。
たくさんの国を束ねている王様で、全部を持っていても、
彼の側にいてくれるような人はいなかったんじゃないかなって思います。
一番偉い王様だし、それに戦で強いってことは、奪った分だけ恨まれるってことだから。
誰かと仲良くなることを知らなくて、
ハイオネシアを好きになってもどうしていいのかわからなかったんじゃないかな……。
そうだからって、ダグラミスのしたことが許されるわけじゃないです、
それでも、自分のしたことがきっかけで、好きな人が死んじゃったら……耐えきれないくらい辛いことだろうし、
……悲しい人だなって」

ぽつ、ぽつと感じたままに紡いでいく。

「あなたはダグラミスを哀れむのですか?」
「うー……同情とも、ちょっと違う気がします。
あ、あの、公爵殿下はどう思うんですか、ダグラミスのこと……」
「私は……ですか。
彼がハイオネシアにやったことは間違っていた。そう断言します。
ですが、国というにはあやふやな小国群をまとめ上げた王としての手腕は確かなものだったのではないでしょうか。
力があったが故に溺れ、
クランリッツェ西部……かつて緑の大地と呼ばれていた地の大半が焼かれてしまいましたけどね」

言い終えたあと公爵殿下はちょっと皮肉っぽい微笑を零した。

それから、身体ごとわたしの方へ向き直らせる。

「ところで。あなたからの質問への返事がまだでしたね。
何故、この話をあなたにしたのかですが……」

表情は神妙だった。
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