掟破りのキサ

田原更

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二章:服従という名の抵抗

6話

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 アイサが風の神の名を口にして、ウィッサの継承の儀式があって、村のすぐ側まで麓の人間がやってきて、キサが身投げしようとした、長い長い一日が明けた。

 昨晩から、村長やその息子を筆頭にした男衆はずっと話し合いをしているらしい。もし、麓の人間が村までやってきたらどうするか、話し合っているのだろう。キサは怖かった。男衆が、キサに、いざという時はその力を使え、と命じるかもしれないからだ。キサは布団を被っておびえていた。

 おびえているキサに……いや、村全体にさらなる事態が迫った。馬のいななきとともに、どすどすという重い靴音が聞こえた。続いて、男の怒鳴り声がした。

「この村の長を呼べ! この村には何人村人がいる? 一人残らず集めて、整列しろ!」

 早くしろ! という怒鳴り声が続いた。幼い子の泣き声が響きわたった。キサは弱々しい手で布団をどけ、立ち上がった。

「急いで出ないと、みんながいじめられてしまう……」

「お前は出なくていい」

 アイサはきっぱりと言い放った。いつも薪割りで使っている斧を持って、土間の真ん中で怖い顔をして立っていた。

「母さん、どうするつもりなの?」

「もし……」

 アイサはキサのほうを一瞬振り返ったが、すぐに家の外のほうへ向き直った。

「もし、お前を狙う奴がいたら、これでそいつらを倒す」

 キサの背中が粟立った。風の民は平和を愛する民だ。暴力など、もってのほかだ。村の外の人たちは、すぐにけんかをしたり、子どもを鞭で打って躾けたり、弱い者をいじめたりするそうだが、風の民の中にそんな人はいない。キサが小さい頃、面白がって小さな虫をいじめて遊んでいたら、アイサが怖い顔をしてキサを叱ったのだ。

「ジェ・バーサ! イニ・ビティ。ジェゾロ、イ・ゼズート!」

 風の民の言葉で子どもを叱るときは、親が本当に怒っているときだ。「お前は悪い子だ! 火の神様がお怒りだ。お前の右手に火が落ちてくるよ!」という常套句だ。キサは恐ろしくて、泣いて許しを請うたものだ。虫をいじめることさえ許さなかったアイサが、いざとなれば人を殺すと言っているのだ。

「母さん、やめて。そんなことをしたら、風の民ではなくなってしまうわ」

 そんなことをしたら、風の民ではなくなってしまう。これも悪事をとがめる常套句だ。

「かまわないよ! 私は命に代えても、お前を守らないといけないんだ!」

 ひょっとして、母さんは、昨日の罪滅ぼしをしようとしているのではないか、と思うと、キサは自分の心に黒い気持ちがおこったことについて、ますます後悔した。

「とにかく、やめて」

 キサはアイサの背中に抱きついた。広くて大きな背中だった。重い宿命を一手に背負い、女手一つで娘を育て上げた、立派な女の背中だった。

 そうこうしているうちに、キサの家の戸が開かれた。入ってきたのは、麓の人間ではなく村長だった。村長は斧を持って立っているアイサを見て、こほん、と咳払いをした。

「アイサよ、落ち着け。麓の連中も、今すぐ我々をどうこうしようというつもりでもあるまい。これから、連中の代表と話をするのじゃ。ところで、キサ。昨日、お前が見かけたのは、あかがね色の長い髪と青い目を持った若い男かの?」

 キサは頷いた。村長はやれやれとばかりに長いため息をついた。

「アイサ、キサ。お前たちも広場に出るんじゃ」

「そんな! キサを奴らの前に出したら、どんな目に遭うか!」

 アイサは憤慨した。

「落ちつけと言っておろう! 奴らからすれば、誰が神の名を知る者かわかるわけがない。隠していたらかえって怪しまれる。キサは昨日奴らに顔を見られたのじゃからな。よいか、アイサ。お前はわしの娘で、薪割り職人。奴らに何か聞かれたら、そう答えろ。キサや、お前はわしの孫で、生まれつき身体が弱いから、外に出ずにお針子の手伝いをしている、と答えるんじゃ。昨日はどうして外にいたのか、と聞かれたら、少しだけ日の光を浴びに外へ出た、と答えろ」

「はい……」

 キサは声を震わせながら頷いた。アイサは口を一文字に結んで頷いた。


 キサはアイサにもたれかかるようにして広場に向かった。広場では村人全員が座らされていた。老人も、若者も、女子どもも、みなおびえているようだ。

「これで全員か?」

 銅色の長い髪をした青い目の若くて美しい男が村長に声をかけた。

「そうじゃ。これで村の者すべてを連れてきた」

「全部で何人だ」

「そうですな……一、二、三、四、五、二、二、三、四、五、三、二……」

 村長はわざとまどろっこしい数え方をした。

「もうよい。二百五十人といったところだろう」

 男は淡々とした口調で言った。

「単刀直入に言おう。私はお前たちから税を取りにきた。意味がわかるか?」

 村人数人が息をのんだ。キサは意味がよくわからないものの、大変なことが起きたのは理解できた。

「我々から、税を……? いったい、どういうことでしょう」

 村長が探るように言った。

「お前たちは、三百年ほど前からここに住み着いているようだが、三百年間、我々に銅貨一枚たりとも税を納めていない。この山も我々の土地だ。我々の土地で暮らすなら、税を納めよ」

「はて? それはおかしな話でございますな。麓の民は、我々がここに移り住んでから百年後に町を作ったと聞いておりますが。先に住んでいたのは我々でございます。しかし、我々は、先に住んでいたからといって、あなた方から金品を取り上げてはございません。何故今さら、税を納めよなどとおっしゃるのです?」

 村長は上目遣いに男を見た。お互いに、探り合うような目つきになった。

「治める者が代わった。それだけの理由だ。今までこの地域を治めていた領主は、王への反逆を企てたとして死罪になった。代わりに、都から私が派遣された。私は前の領主とは違って、お前たちを恐れてはいない。もう一度言う。これからは我々に税を納めよ。断るというのなら我々にも考えがある」

 村人たちはざわめきだした。

「静かにせよ!」

 村長が一喝すると、村人たちはすぐに口をつぐんだ。

「ほお。随分と統率が取れているようだな。我が軍もこれくらい統率が取れていれば、先の戦も苦労することはなかっただろうな」

 男がそう言うと、兵士たちはどことなく気まずそうな顔をした。

「して、我々をどうするおつもりで?」

 村長は礼儀正しく、しかし、強い口調で男に尋ねた。

「もし、税を納めぬと言うのならば、男たちは全員捕らえる。再び戦になれば、最前線で兵役にあたってもらおうか。残った女子どもには山を下りてもらう。麓の街で暮らしていくには、何が必要か、もちろん、わかるだろうな」

 男は淡々とした口調で言った。この人には心があるのだろうか、と、キサは疑問に思った。

「どちらにせよ、税から逃れることはできぬ、と、おっしゃるのですな」

 村長の声は冷静だった。しかし、握りしめた手は怒りで震えていた。村長の息子を筆頭とした男衆も、村での商売を取り仕切る女たちも、怒りで唇を震わせていた。

 キサの唇も震えていた。怒りではなく恐怖心からだ。皆が自分に期待しているのではないか、と思うと、怖かった。

(風の民は、人殺しなど許されない。兵役……戦に行ってしまったら、もう、風の民ではなくなってしまう。だけど、ここでこの人たちを殺したら、やっぱり風の民ではなくなってしまう。みんな、私に何を望んでいるの? 母さんもおかしくなってしまったし、私はどうすればいいの?)

 キサの目に、涙が浮かんできた。涙は地面に落ち、小さな虫が慌てて逃げていった。

(逃げ出してしまいたい……)

 涙はいくつも目からあふれて、地面にしみた。
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