掟破りのキサ

田原更

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六章:掟破りのキサ

24話

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 短剣を握ったまま部屋の入り口で立ち尽くすエトナを見て、キサの世話係のレアが悲鳴を上げた。

「レア、お母様に話があるの。出ていってちょうだい。邪魔すると刺すわよ」

「エ、エトナお嬢さま、一体何が……」

「出ていって!」

 エトナは大声を出した。部屋の奥からキサが現れた。いつものように縫い物をしていたらしい。キサは夢中になると、人の声すら耳に入らなくなる。だからエトナが乱暴に戸を開けたのも、レアを脅かしたのも、気づいていなかったようだ。キサは、短剣を持ったエトナに動揺する様子は見せなかった。キサはレアに、外に出るよう促した。

「奥さま。誰か人を呼んでまいります!」

 キサを奥さまと呼ぶのは、長年世話をしているレアだけだ。キサはレアの目をじっと見つめて、首を横に振った。

「ですが、奥さま……」

 うろたえるレアに対して、キサは、大丈夫、と言わんばかりに頷いた。レアはそろりと部屋を出て行った。

 エトナは短剣を自身の首に近づけた。キサはやっと口を動かした。でも、その唇の動きは、「何をするの」でも「だめ」でも「やめなさい」でもなかった。ただ、キサはとても悲しそうな顔をしていた。

「お母様……私、死ねって言われたのよ……」

 エトナが震える声でつぶやくと、キサはまた口を動かした。その唇の動きは、「誰に」でも「どうして」でも「何故」でもなかった。

「お父様は、私のことを愛していなかったの。お父様が愛しているのはお母様だけなの。お父様は、一度でいいから、お母様に名前を呼んでほしいんですって」

 エトナはさらに強い力で、短剣を握りしめた。

「そのためには、私がどうなろうと構わないって! 私が死んだって構わないって!」

 キサは目を見開いた。

「私に、この短剣で自害せよっておっしゃったのよ! お母様から神の名前を聞き出すことができなかったら!」

 キサは震え、まるで陸にあがった魚のように口をぱくぱくさせた。

「お母様」

 エトナは首元に近づけた両手をだらりと垂らし、どこか甘えるような声を出した。

「ねえ、お願い。神様の名前を教えて? そうすれば、私、生きていられるのよ?」

 キサは首を振った。エトナはとろりとした口調で話を続けた。

「お母様? 私はそのために生まれてきたんでしょう? 知っているのよ。お父様から聞いたから。お母様たちは風の民。三百年前に、東の蛮族どもを瞬く間に焼き殺した、恐ろしい火の鳥を呼び出したのだと。それを呼ぶための神の名前を、娘たちがずっと引き継いできたのだと。それが、お母様なんでしょう? お母様は、お祖母様からその名を引き継いで、生まれた娘にその名前を引き継ぐはずだったって」

 キサはうつむいた。エトナはさらに続けた。

「お母様? 私、知っているのよ。お母様は、本当は私のことを産みたくなかったって」

 キサは激しく首を振った。エトナは短剣を母のほうに向け、叫んだ。

「嘘をつかないで! お母様はお父様のことを愛していたって! でも、愛するお父様を拒んだって! お母様、私は産まれてきてはいけなかったの? 私の命が芽生えたその日に自身を呪ってしまうほど、お母様は私を望んでいなかったの?」

 キサは涙を流した。涙を流して、首を横に振り続けていた。

「お母様……私もお父様と同じように、一度でいいから、お母様に名前を呼んでほしかった。エトナ、って呼んでほしかった。でも、もういいわ。そんなことより、神様の名前を教えて」

 エトナは短剣を左手に持ち替え、キサに向かって右手を差し出した。何故、右手を差し出したのか、エトナにもわからなかった。ただ、自分に流れる血が、そうせよと言ったのだ。

「教えて! 神様の名前を教えて!」

 エトナは母に迫った。それでもキサは首を横に振った。

「このままじゃ、私は死なないといけないのよ! いいえ、お父様に殺されるわ」

 エトナはキサの右手を乱暴につかんだ。

「愛するお母様に拒絶されて、愛するお父様に殺される! こんな地獄が、他にある? 私、お母様が憎いわ。お母様を恨むわ。お母様を呪ってやる!」

 エトナは涙を流し、キサの右手から自身の右手を離した。そして、キサに向けて真っ直ぐ右腕を伸ばした。

 キサは震える右腕を伸ばし、エトナの右の手のひらに何か文字を書こうとした。手の動きが止まった。キサはゆっくり唇を動かした。

「あ……あ……う……」

 絞り出したような声が出てきた。キサは天を仰ぎ見て、大きく唇を動かした。

「エトナ!」

 エトナは生まれて初めて母から名前を呼ばれた。エトナは目を見開き、左手に持った短剣を両手に持ち替えた。

「どうして神様の名を教えてくれないの! どうして助けてくれないの!」

 エトナは短剣を振りかざした。

「今さら名前を呼んだって、もう遅いのよ!」

 エトナは鬼のような形相をして、短剣を、母の胸めがけて振り下ろした。

 血が飛んだ。美しく化粧を施されたエトナの頬に、真っ赤な染みがついた。

「ジェ・キ・ダーサ……」

 そう言いながら、キサは倒れていった。床に赤いしみが広がった。

「今、なんて言ったの! 答えてよ!」

 エトナは倒れた母の身体を揺すった。しかし、返事はなかった。

「お母様なんか、大嫌い!」

 エトナは大声で叫んだ。


 次の瞬間。

 どこからか強い風が吹いてきた。

 その風は部屋の窓を一瞬で粉々にした。

 エトナは立ち上がって窓辺を見た。

 鳥がいた。

 風をまとった、巨大な鳥がいた。

 鳥は背中にエトナを乗せ、天に向かって昇っていった。

 エトナは鳥の背中で、気を失った。


「娘よ……娘よ……」

 誰かがエトナを呼んでいた。人とは思えないような、荘厳な声だった。

 エトナは目を開けた。そこは、地面の代わりに雲が広がる、この世のものとは思えないような場所だった。

「私……死んだの? お父様に、殺されたの?」

 エトナの目に涙が浮かんできた。

「違う……」

 どこかから聞こえる荘厳な声の主を探して、エトナはあたりをきょろきょろと見回したが、誰もいなかった。

「お前は、殺したのだ。あの女を……我に背いた、掟破りのキサを」

 エトナは両の手を見つめた。確かに、人の肉を切り裂いた感覚が残っていた。

「よくやった。褒美として、我の側女にしてやろう」

 声の主が現れた。銀色の髪の毛に、緑色の瞳。たくましい体つきをした、美しい男だった。

「あなた様は……?」

 エトナは恐る恐る口を開いた。

「我は、風の神。名は、エトナ」

「エトナ、ですって……」

 エトナは天を仰いだ。

「では、お母様は、私に神様の名を教えてくれたっていうの? 神様を呼んで、私を助けてくれたっていうの!」

 エトナは再び、両の手のひらを見つめた。やはり、人の肉を切り裂いた感覚が残っていた。

「そんな……私はこの手で、お母様を殺してしまった!」

 エトナはひざから崩れ落ち、両の目を覆い、涙を流した。

「お母様、お母様!」

 嘆き悲しみ、後悔するエトナの頭を、風の神エトナが優しくなでた。不思議と、エトナの涙が止まった。

「もう悲しむことはない。お前に新しい名を授けてやる。エルウジュ。風の足下に侍る娘、という意味だ」

「エルウジュ?」

 そう口にすると、エトナの両の手のひらの感覚がなくなっていった。

「そうだ。エルウジュ。よい名だろう? しかし、少し言いにくいな。そうだ。我が母ウツヌが我が名の一部を取ったことにあやかって、お前の名前の一文字を、私が預かろう。そうだ、お前はエルジュ。先程よりよい名前になった」

「エルジュ」

 そう口にすると、エトナの心は、すっかり、風の神エトナの虜となってしまった。

「ダージャ」

 自然と、唇が言葉を紡いだ。

「エルジュ」

 風の神とその側女は抱き合った。二人は熱い、熱い口づけをかわした。


 こうして、エトナという名前の娘は人の心を失い、新たな神の一員となった。
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