掟破りのキサ

田原更

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六章:掟破りのキサ

23話

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「銀の乙女、月の乙女。太陽を拒みし乙女

 乙女は空から愛する者を呼びぬ

 愛しき人。愛しき人。そなたはいずこへ?

 乙女はいまだ知らず

 愛しき人はすでに去りぬ

 愛しき人は、その罪により、太陽に捧げらる

 乙女の心を捕らえし罪により……」

 エトナは父の前で、自作の詩を朗読した。ダネルは相変わらず、エトナのほうを見ずに本に目を落としていた。そんなことは、エトナには慣れっこだった。

「お父様、いかがかしら?」

 エトナは自信たっぷりに聞いてみせた。

「銀の乙女は、どこの姫だ?」

「遠い異国の姫です」

「愛しき人とは、身分が異なるのだな」

「おわかりになりますか!」

 エトナは椅子に腰掛ける父の背中に飛びついた。

「さすがお父様。そうです。愛しき人はお城の使用人なのです。身分違いの恋をした罪で、太陽神の生け贄に捧げられたのです……」

 言い終えると、エトナは父の背中から離れた。

「それで? お前にもそういう仲の者がいるのか?」

「残念ながら、おりません」

 エトナは頬を膨らませた。

「お父様。私ももう十五です。いつになったら、私のいい人を選んでくださるのですか? 幼い頃から約束していましたでしょう? この領地を治めるだけの器をもつ、素晴らしい人を迎えてくださるって」

 エトナが抗議すると、ダネルは立ち上がった。その目の色は、凍てつく水のように青かった。冷たく、エトナを見下ろしていた。

「何故、私がそれを選ばねばならぬ?」

「お父様? 何をおっしゃるの……?」

 エトナは恐る恐る尋ねた。冷や汗がぽたりとたれた。

「お前は私との約束を破った。そんなお前のために守る約束などない」

「約束? お父様、私、最近何か約束をしていましたか? 身に覚えがありませんが……」

 次の瞬間、エトナの右手に痛みが走った。ダネルが鞭を取り出し、エトナの手の甲を打ったのだ。

「お、お父様……」

 エトナはおびえて後ずさった。ダネルは鞭を持ったまま、エトナに迫ってきた。エトナはぱっと逃げだし、扉に手をかけたが、扉は開かなかった。

「無駄だ。外側から鍵をかけるように命じてある。もう逃げられん」

 ダネルはエトナにじりじりと迫っていた。エトナは恐ろしさでぶるっと震えた。

「お父様。私が何をしたというの! 怖い! 助けて!」

「お前は私を欺いた……キサから、神の名を聞き出そうとしなかった……」

 エトナははっと思い出した。幼い頃に、くだらない願い事を叶えてもらうために、父と約束したことがあった。しかし、それを口にしたら母があまりにも震えるので、気の毒になってそれ以上何も聞けなくなった。それからしばらくの間、このことを父に悟られないよう、ごまかし続けた。やがて父から何も聞かれなくなり、エトナ自身はすっかり忘れてしまったのだ。

「お父様、どうして? どうしてそんなことを聞かなくてはならないの?」

 扉の冷たさを感じながら、エトナは震える声で尋ねた。

「教えてやろう」

 ダネルはゆっくりと語り出した。

「お前の母、キサは、十数年前までこの街近くの山奥に住んでいた、風の民の出身だ。風の民には三百年前に、東からやってきた蛮族を瞬く間に焼き殺したという伝承がある。風の民は恐ろしい火の鳥を呼び出した。乙女五人が神の名を呼ぶだけで、その鳥は現れたという。風の民は自らの行為を悔やみ、四方に散っていった。しかし、万が一のために、神の名を代々引き継ぐことに決めた。現在、その名を……その力を引き継いでいるのが、キサだ」

 エトナは首を振った。

「そんな話、作り話に決まっているわ」

「作り話ではない。事実だ。それを確かめるために、私は今日まで生きてきたのだ。数々の文献をあたり、多くの人々に話を聞いた結果、先程の結論に至ったのだ。お前の詩のように口先だけの薄っぺらな思いで語ったわけではない」

 ダネルは軽蔑の眼差しをエトナに向けた。

「その力を引き継いだ娘は、やがて女児を産み、母となる。そしてその女児が十五になった歳に、新たに能力を引き継ぐというのだ」

「まさか……」

 エトナの足はがたがた震えだした。

「聞くまでもなかろう? お前がその能力を引き継ぐのだ。そのためだけに、お前は生まれてきたのだ」

 エトナはその場に崩れ落ちて、涙声で叫んだ。

「そんな! そんな恐ろしい力、いらない! お母様は、そのために、私を産んだの?」

「違う」

 ダネルはきっぱりと言い放った。

「キサはその運命に抗った。そのために村を逃げ出した。愛する者と出会っても、その子を成すことを最後まで拒んだ。その日から、キサは言葉を失った。呪術師の見立てによると、自身で自身を呪い、言葉を封印したらしい」

「そんな……」

 あまりのことに、エトナはそれ以上言葉を継げなくなった。ダネルは恐ろしい形相をして、エトナのあごを持ち上げた。

「呪うなら私を呪えばいいのに、優しいキサはそうしなかった! お前のせいで、私が愛するキサは口も利けなくなった! だから、お前が引き継げ。キサの力を、お前が引き継ぐのだ!」

 ダネルは腰に下げた短剣を抜き、エトナの手に握らせた。

「キサは強情だ。この短剣を持ってキサに迫れ。そしてこう言え。『お父様から、神の名を聞くように言われた。神の名を引き継げないのなら、この短剣で自害せよと言われた』と」

「お父様! それでは……」

 エトナは父の顔を見た。

「キサの心を壊したのは私だ。だから、いくら恨まれても構わん。お前に力を引き継ぐために、キサが言葉を取り戻したら……たった一度でも、憎しみの言葉でも構わん。私の名を呼んでくれるなら……」

 お父さまは愛によって歪んでいる。そう思うと、エトナの心は氷のように冷え切った。

「お前など、どうなっても構わん。もし失敗したら、死んでもらうからな」

 ダネルはエトナを、まるで汚物でも見るような目で見下ろした。


 エトナは深い絶望の淵にいた。短剣を握りしめたまま歩くエトナをみて、屋敷の使用人たちが悲鳴を上げたが、エトナにはその声も、その姿さえ、何の意味も成さなかった。

 エトナは父を愛していた。博識で、美しい父のことを。

 しかし、父はエトナのことを、愛してはいなかった。

 父が愛したのは、母だけだった。

 エトナは母のことも愛していた。

 でも今は、母が憎いと思った。

 エトナは母がいる部屋の扉を、乱暴に開け放った。
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