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第二章:光の国・オーラント
第18話
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「奴隷」 人間としての権利・自由を剥奪されたもの。他人の支配下にて様々な労働などに従事する。だが、この世界において奴隷とは決して人類に限った話ではない――
「ど、奴隷……ですか……?」
クロエが信じられないと言った風に聞いた。彼女自身奴隷という言葉を知らないわけではない。彼女がまだ彼であった頃の世界でも、その歴史において奴隷は存在していた。だが、彼女は認めたくなかったのだ。彼女にとって奴隷とは過ぎ去った負の遺産であり、自身の知覚する世界において存在しないものであったはずなのだから。不思議と、先ほどのギルドにてローレンツに言われた言葉が思い返される。
――綺麗事ばかりじゃあ、やっていけねぇ。この世界はおとぎ話なんかじゃなくて、実在する現実なんだからな――
自分のいる世界は美しいものだ。優しいものだ。そうでないものも有るのだろうが、それらは自分の知らない世界にある。無意識に背けていた世界の醜さを目の当たりにし、信じたくないという気持ちがクロエの心に満ちる。
だが、世界は美しさだけではできていなかった。
「えぇ、奴隷ですわ。国によってその存在を認めているところと認めていないところがありますけど、この国は黙認と言った所のようですわね。国が奴隷を仕入れているわけではありませんけど、奴隷商人の入国やその売買を禁止するわけではないと、ミーナから聞いたことがありますわ。」
サラの言葉が、クロエの前にいる存在を言語規定された物にしてしまう。クロエの世界に奴隷という物が誕生してしまった。「知覚・認知」と言う行為は特別な行為である。知覚し認知することで、対象はその個々人にとって初めて存在たり得るのだ。
今、クロエにとって「世界のどこかにあるけど、自分には関係なかった物」であった奴隷と言う存在が、「今目の前にある世界の不条理」に変わってしまったのだ。
「こ、この人達を……なんとか……できないん、です、か……?」
クロエが絞り出すような声で言った。その言葉はまるで助けを求めるような悲痛な色を感じさせる物だった。
「クロエさん、残念ですけど、私たちではどうしようもできないですわ。無論、ここで彼らの枷を外すことはできますわ。それこそクロエさんの【影創造】であれば、文字通りあっという間ですわね。でも、そうしたところで何にもなりませんわ。奴隷として連れてこられた彼らは、それこそこの国に『商品』として入ってきましたの。それらが逃げ出した――いいえ、紛失してしまったところで、その商品には何の保証もありはしませんの。それこそ余計なお世話、ただのお節介ですわ。」
クロエの手を握るサラの力が強まる。彼女とて本意で言っているわけではない。だが、その言葉はクロエを納得させるため、引いては自信を納得させるための言葉でもあった。
(仕方ないのですわ……世界を変える事なんて出来はしませんもの。でも、息を吐く様に嘘を吐くなんて、私もいろんな意味で大人になってしまったのですわね。)
「さっ、クロエさん戻りましょう? これ以上ここにいてもどうしようもないですわ。博物館に行く時間も無くなってしまいますわよ。」
サラがクロエの手を引いて催促する。だが、クロエは動かなかった。いや、動けなかった。
「で、でも……っ!」
「クロエさん!」
「おやぁ? ここになぁんの用ですかなぁ?」
突然、どこか脂ぎったような、どこかねちっこいような声が飛び込んできた。二人がそちらに振り向くと、そこにはでっぷりと下腹の突き出た中年頃の男が歩いてやって来ていた。
「ヌフフ、おやおやこれはこれは、エルフの方ではありませんかぁ? いやぁ、相変わらずエルフという種は美しいですなぁ。本当に公然と商品にできないのが惜しくて惜しくてたまりませんわい。」
その男はサラをまるで舐るかのように見た。その口から吐かれた言葉は、奇しくも城門で言われた言葉と同じくエルフの美しさを賞賛するものであった。しかし、その言葉からは美しさへの賞賛の念ではなく、もっと即物的な欲望が感じられる。下卑た性欲と、金銭欲である。そのおぞましさにサラは思わずクロエを抱き寄せていた。
すると、その動きでクロエの方に意識が向いたのか、その男がサラ達の方へと近寄ってきた。だが、その途中には奴隷達が座り込んでいる。その男は迂回すると思いきや、進路上の一番手前、うつむいて座っていた亜人の少女を蹴り飛ばした。
「あぅっ! うぅ……」
「あ? 邪魔なんだよ、トロくせぇ。オラッ! 蹴飛ばされたくなきゃあ、さっさとどかんか! それとも何だ? 仕置き部屋に連れ戻されたいのか? ああん?」
男のその言葉に座り込んでいた奴隷達が急いで道を空ける。男は満足そうに頷くとサラに近寄りながらしゃべり出した。
「もしや、それはお嬢さんの奴隷ですかなぁ? 見たところ首輪はしているようですが、キチンとした服装をさせているようですし……愛玩用ですかな! そうでしょう、そうでしょう。うぅむ、確かに美しい。白い髪と、その赤い瞳はよく映える……」
「ヒッ……!」
今まで向けられたことのないような視線を向けられたクロエは心の底から怯えた。目の前の男は恐らく自分よりも弱いだろう。だが、その視線が、まるで物を見るかのようなその視線がクロエの心に多大なる傷を刻み込んでいく。
「ちょっと! クロエさんに何をするんですの!?」
サラが憤ったように声を上げ、男の視線からクロエをかばうように背後に回す。その動作と言葉に男は驚いたように目を見開いた。
「……『さん』? 奴隷にぃ? まぁ、ペットにちゃん付けするような感覚ですかな? うぅむ、最近の流行に疎くて参りましたなぁ。だが、その奴隷は本当に美しい……そうだ!」
男が何かひらめいたような顔で声を上げた。そして、驚くべき言葉を続けた。
「どうでしょう! その奴隷をわしにお売りいただけませんかな? 言い値をお支払いしましょう。何なら、ここにいる奴を一個お付けしたって良い!」
「な! なな、何ですって……?」
サラが信じられないと言った表情で声を上げた。もはや混乱してしまってクロエが奴隷ではないということを言えないですらいる。男はサラの驚きの言葉をどういう風に勘違いしたのかは分からないが、どうやら肯定的な物と受け取ったらしい。馴れ馴れしく近寄ってきては何やらよく分からない言葉を続けている。
だが、その言葉はもはやサラには届いていなかった。
「……まれ。」
「えっ?」
「黙れと言ったのですわ、この下郎!! 私の大切な人を奴隷呼ばわりした上に、挙げ句の果てには売れと抜かすだなんて、その無礼、万死に値しますわ……!!」
そこまで言うと、サラは懐から宝石のような玉を取り出し魔力を込める。すると玉から樹木が伸び、あっという間に弓へと変貌した。それはこの国に入国する前、サラが常に腰に携えていた、木で出来た弓だった。これこそ、魔力を込めることで弓へと変貌するエルフ族の至宝、魔導具「森林の旋風」である。そしてサラは魔力で風の矢を成すと、男に向けて引き絞った。
「ひ、ひぃぃっ!!」
「あの世では、精々慎ましく暮らすことですわね。では、ごきげんよう。」
そう言い残すと、サラは矢を放った。一メートルもない間合い、放たれた矢は刹那の後に男の眉間を貫通するだろう。
だが、刹那の更に間合いの中に、飛び込む一つの影があった。
「――そこまでだ。」
飛び込んできた影はサラの放った矢を素手で握り止めた。そして魔力でできた矢を事もなげに握り消すと、サラ達の方へと向き直る。
それは若い男だった。高い背丈と、どこかあどけなさを残す顔立ちは十分に美男子の範疇だろう。サラサラの金髪が風になびいている。服装はとてもラフな物なのに、その動きはどこにも隙が無いように感じられる。一目で分かる強者であった。
サラはクロエを抱えるとすぐさま距離を取った。そして油断無く次の矢を構える。
「城の目の前で殺人をすることがどれほどマズいことか分からないわけじゃないだろう? 危ない所だったぜ?」
「……どちら様、ですの?」
敵対心と警戒心を隠さず、むしろ突きつけるかのような口調でサラが尋ねる。若い男は苦笑すると両手を挙げて話し出した。
「無理もないが、そう警戒しないでくれ。少なくとも貴女の敵ではないからな。」
そこまで言うとその男は尻餅をついて呆然としている男に向かって話し出した。
「おい、アンタ。このあたりは奴隷売買禁止のはずだぜ。なんでこんな所にいるんだ? 事と次第によっちゃあ、俺の権力総動員でいろんな意味で痛い目見るぜ?」
「ア、アンタは、『光の勇者』か!? わ、わしは何もやっとらん! そこの女に話しかけたら急に矢を放たれたんだ! わしはなんにも悪くないぞ!」
「嘘吐け、どうせあの人が守ってる娘を奴隷と勘違いして売買でも持ちかけたんだろ? 見え見えなんだよ。ところで、俺はちょっとした事情で衛兵に追われててな
。そのうちそいつらが来るぞ。取り調べを受けて困る方はどっちだ?」
「な……!? クッ、クソッ! 覚えてろっ!!」
男はそう吐き捨てると早々に引き上げていった。残されたサラとクロエは呆然とする他ない。
だが、クロエはすぐに我に返ると乱入してきた若い男の顔をマジマジと見つめた。その顔には、どこか見覚えがあったからだ。そのモヤモヤは男が発した次の言葉で確信に変わる。
「おーおー、本当にあんな捨て台詞吐く奴いるんだな。黒衞に借りたラノベの中だけだと思ったぜ。」
(今、ボクの名前を……? しかも、ラノベだって? そんなものこの世界にはないはずだ! それに、この顔……髪の色は違うけど間違いない……こいつは……!)
「あ、あの……どちら様ですの?」
サラがおずおずと言った様子で話しかけた。若い男は驚いた様子で振り向くと笑顔で話し出した。
「あ、あぁ! すいません、自己紹介もまだだった。どうも、俺の名前はコーガ。『光の勇者』なんて呼ばれてます。いやぁ、エルフの方は初めて見たけど、本当にいるんですね、感激だ!」
「は、はぁ。ど、どうも。私はサラと申しますわ。こちらは旅の同行者のクロエさんですわ。」
「よろしく、クロエちゃん。」
そう言ってコーガは右手を差し出してきた。ギルドでの握手を防いだサラであったが、コーガに危ない所をすくわれた手前か、特に何も言い出せないでいた。
一方のクロエは差し出された右手を少しの間見ていたが、すぐに握り返して笑顔で話しかけた。
「おい、黄河。お前旅行の時に貸した二千円、早く返せよな。」
「おいおい! お前あれは仕方なかっただろ!? 財布をまさかトイレに落とすなんて思いもしねぇし、っていうか今そんな場合じゃな……」
クロエの投げかけた言葉にコーガは途中まで反応したが、次の瞬間には目を見開き額から汗を垂らしながら沈黙してしまった。その顔にはまざまざと「信じられない」という言葉が書かれているかのようだった。
「お、お前……なんでそのことを知ってるんだ……? 俺が転生者だって事は周知の事実だけど、前世のことは姫にしか話していないのに……それを知っていると言うことは、ま、まさか……!!」
コーガの言葉にクロエはニヤリと笑った。そしてコーガが言葉を続けようとしたその時、遠くから複数の声が聞こえてきた。
「ぉーい、おーい! 勇者様ー! どちらにおられるのですかー!?」
「チッ、城の衛兵だ……一緒にいるのを見られると、勿論事情を聞いてくるよな……あぁ、クソッ! 仕方ねぇけど、今日はこれで失礼するぜ! だけど、明日! 明日の昼ぐらいに城に来てくれ! 是非とも聞きたいことがある! 最悪そこのお嬢ちゃんだけでも構わねぇ! これを見せて俺の名前を出せば問題ないはずだ、頼むぜ!」
コーガはそう言い残すと、一枚の紙切れを渡し、目にもとまらぬ早さでかき消えた。残されたクロエとサラはお互いに顔を見合わせた。
「……行ってしまいましたわ……あの方、勇者でしたのね。あの間合いの矢を止めたり、今の速度だったり、油断できそうもないですわ。と言うよりも! なんで私たち、特にクロエさんを指名して城に招待したんですの?」
「それは、恐らく、ボクとアイツが前世での知り合いだからだと思います。たぶんそのことを聞きたいのでしょう。」
「……やっぱり、そうですの?」
「ええ。所々違う所はありましたけど、アイツは間違いなくボクの友人です。」
クロエのことを心配そうに見るサラであったが、タイミング悪く魔力念話が丁度届いた。
『お嬢様、聞こえますか。宿がご用意できました。もうそろそろお帰り願いたいのですが……』
『聞こえていますわ。こちらも報告したいことがありますの。すぐに戻りますわ。場所を教えてくださる?』
ミーナから宿の場所を聞き取り、サラは魔力念話を終えた。そしてクロエの方へと向く。
「クロエさん、宿の用意ができたそうですわ。一旦戻ってミーナとも話し合いましょう?」
「はい……そうですね。」
クロエは頷くとサラと共に歩き出した。その心中は少しの不安と、それよりも大きな期待で満ちていたのであった。
―続く―
「ど、奴隷……ですか……?」
クロエが信じられないと言った風に聞いた。彼女自身奴隷という言葉を知らないわけではない。彼女がまだ彼であった頃の世界でも、その歴史において奴隷は存在していた。だが、彼女は認めたくなかったのだ。彼女にとって奴隷とは過ぎ去った負の遺産であり、自身の知覚する世界において存在しないものであったはずなのだから。不思議と、先ほどのギルドにてローレンツに言われた言葉が思い返される。
――綺麗事ばかりじゃあ、やっていけねぇ。この世界はおとぎ話なんかじゃなくて、実在する現実なんだからな――
自分のいる世界は美しいものだ。優しいものだ。そうでないものも有るのだろうが、それらは自分の知らない世界にある。無意識に背けていた世界の醜さを目の当たりにし、信じたくないという気持ちがクロエの心に満ちる。
だが、世界は美しさだけではできていなかった。
「えぇ、奴隷ですわ。国によってその存在を認めているところと認めていないところがありますけど、この国は黙認と言った所のようですわね。国が奴隷を仕入れているわけではありませんけど、奴隷商人の入国やその売買を禁止するわけではないと、ミーナから聞いたことがありますわ。」
サラの言葉が、クロエの前にいる存在を言語規定された物にしてしまう。クロエの世界に奴隷という物が誕生してしまった。「知覚・認知」と言う行為は特別な行為である。知覚し認知することで、対象はその個々人にとって初めて存在たり得るのだ。
今、クロエにとって「世界のどこかにあるけど、自分には関係なかった物」であった奴隷と言う存在が、「今目の前にある世界の不条理」に変わってしまったのだ。
「こ、この人達を……なんとか……できないん、です、か……?」
クロエが絞り出すような声で言った。その言葉はまるで助けを求めるような悲痛な色を感じさせる物だった。
「クロエさん、残念ですけど、私たちではどうしようもできないですわ。無論、ここで彼らの枷を外すことはできますわ。それこそクロエさんの【影創造】であれば、文字通りあっという間ですわね。でも、そうしたところで何にもなりませんわ。奴隷として連れてこられた彼らは、それこそこの国に『商品』として入ってきましたの。それらが逃げ出した――いいえ、紛失してしまったところで、その商品には何の保証もありはしませんの。それこそ余計なお世話、ただのお節介ですわ。」
クロエの手を握るサラの力が強まる。彼女とて本意で言っているわけではない。だが、その言葉はクロエを納得させるため、引いては自信を納得させるための言葉でもあった。
(仕方ないのですわ……世界を変える事なんて出来はしませんもの。でも、息を吐く様に嘘を吐くなんて、私もいろんな意味で大人になってしまったのですわね。)
「さっ、クロエさん戻りましょう? これ以上ここにいてもどうしようもないですわ。博物館に行く時間も無くなってしまいますわよ。」
サラがクロエの手を引いて催促する。だが、クロエは動かなかった。いや、動けなかった。
「で、でも……っ!」
「クロエさん!」
「おやぁ? ここになぁんの用ですかなぁ?」
突然、どこか脂ぎったような、どこかねちっこいような声が飛び込んできた。二人がそちらに振り向くと、そこにはでっぷりと下腹の突き出た中年頃の男が歩いてやって来ていた。
「ヌフフ、おやおやこれはこれは、エルフの方ではありませんかぁ? いやぁ、相変わらずエルフという種は美しいですなぁ。本当に公然と商品にできないのが惜しくて惜しくてたまりませんわい。」
その男はサラをまるで舐るかのように見た。その口から吐かれた言葉は、奇しくも城門で言われた言葉と同じくエルフの美しさを賞賛するものであった。しかし、その言葉からは美しさへの賞賛の念ではなく、もっと即物的な欲望が感じられる。下卑た性欲と、金銭欲である。そのおぞましさにサラは思わずクロエを抱き寄せていた。
すると、その動きでクロエの方に意識が向いたのか、その男がサラ達の方へと近寄ってきた。だが、その途中には奴隷達が座り込んでいる。その男は迂回すると思いきや、進路上の一番手前、うつむいて座っていた亜人の少女を蹴り飛ばした。
「あぅっ! うぅ……」
「あ? 邪魔なんだよ、トロくせぇ。オラッ! 蹴飛ばされたくなきゃあ、さっさとどかんか! それとも何だ? 仕置き部屋に連れ戻されたいのか? ああん?」
男のその言葉に座り込んでいた奴隷達が急いで道を空ける。男は満足そうに頷くとサラに近寄りながらしゃべり出した。
「もしや、それはお嬢さんの奴隷ですかなぁ? 見たところ首輪はしているようですが、キチンとした服装をさせているようですし……愛玩用ですかな! そうでしょう、そうでしょう。うぅむ、確かに美しい。白い髪と、その赤い瞳はよく映える……」
「ヒッ……!」
今まで向けられたことのないような視線を向けられたクロエは心の底から怯えた。目の前の男は恐らく自分よりも弱いだろう。だが、その視線が、まるで物を見るかのようなその視線がクロエの心に多大なる傷を刻み込んでいく。
「ちょっと! クロエさんに何をするんですの!?」
サラが憤ったように声を上げ、男の視線からクロエをかばうように背後に回す。その動作と言葉に男は驚いたように目を見開いた。
「……『さん』? 奴隷にぃ? まぁ、ペットにちゃん付けするような感覚ですかな? うぅむ、最近の流行に疎くて参りましたなぁ。だが、その奴隷は本当に美しい……そうだ!」
男が何かひらめいたような顔で声を上げた。そして、驚くべき言葉を続けた。
「どうでしょう! その奴隷をわしにお売りいただけませんかな? 言い値をお支払いしましょう。何なら、ここにいる奴を一個お付けしたって良い!」
「な! なな、何ですって……?」
サラが信じられないと言った表情で声を上げた。もはや混乱してしまってクロエが奴隷ではないということを言えないですらいる。男はサラの驚きの言葉をどういう風に勘違いしたのかは分からないが、どうやら肯定的な物と受け取ったらしい。馴れ馴れしく近寄ってきては何やらよく分からない言葉を続けている。
だが、その言葉はもはやサラには届いていなかった。
「……まれ。」
「えっ?」
「黙れと言ったのですわ、この下郎!! 私の大切な人を奴隷呼ばわりした上に、挙げ句の果てには売れと抜かすだなんて、その無礼、万死に値しますわ……!!」
そこまで言うと、サラは懐から宝石のような玉を取り出し魔力を込める。すると玉から樹木が伸び、あっという間に弓へと変貌した。それはこの国に入国する前、サラが常に腰に携えていた、木で出来た弓だった。これこそ、魔力を込めることで弓へと変貌するエルフ族の至宝、魔導具「森林の旋風」である。そしてサラは魔力で風の矢を成すと、男に向けて引き絞った。
「ひ、ひぃぃっ!!」
「あの世では、精々慎ましく暮らすことですわね。では、ごきげんよう。」
そう言い残すと、サラは矢を放った。一メートルもない間合い、放たれた矢は刹那の後に男の眉間を貫通するだろう。
だが、刹那の更に間合いの中に、飛び込む一つの影があった。
「――そこまでだ。」
飛び込んできた影はサラの放った矢を素手で握り止めた。そして魔力でできた矢を事もなげに握り消すと、サラ達の方へと向き直る。
それは若い男だった。高い背丈と、どこかあどけなさを残す顔立ちは十分に美男子の範疇だろう。サラサラの金髪が風になびいている。服装はとてもラフな物なのに、その動きはどこにも隙が無いように感じられる。一目で分かる強者であった。
サラはクロエを抱えるとすぐさま距離を取った。そして油断無く次の矢を構える。
「城の目の前で殺人をすることがどれほどマズいことか分からないわけじゃないだろう? 危ない所だったぜ?」
「……どちら様、ですの?」
敵対心と警戒心を隠さず、むしろ突きつけるかのような口調でサラが尋ねる。若い男は苦笑すると両手を挙げて話し出した。
「無理もないが、そう警戒しないでくれ。少なくとも貴女の敵ではないからな。」
そこまで言うとその男は尻餅をついて呆然としている男に向かって話し出した。
「おい、アンタ。このあたりは奴隷売買禁止のはずだぜ。なんでこんな所にいるんだ? 事と次第によっちゃあ、俺の権力総動員でいろんな意味で痛い目見るぜ?」
「ア、アンタは、『光の勇者』か!? わ、わしは何もやっとらん! そこの女に話しかけたら急に矢を放たれたんだ! わしはなんにも悪くないぞ!」
「嘘吐け、どうせあの人が守ってる娘を奴隷と勘違いして売買でも持ちかけたんだろ? 見え見えなんだよ。ところで、俺はちょっとした事情で衛兵に追われててな
。そのうちそいつらが来るぞ。取り調べを受けて困る方はどっちだ?」
「な……!? クッ、クソッ! 覚えてろっ!!」
男はそう吐き捨てると早々に引き上げていった。残されたサラとクロエは呆然とする他ない。
だが、クロエはすぐに我に返ると乱入してきた若い男の顔をマジマジと見つめた。その顔には、どこか見覚えがあったからだ。そのモヤモヤは男が発した次の言葉で確信に変わる。
「おーおー、本当にあんな捨て台詞吐く奴いるんだな。黒衞に借りたラノベの中だけだと思ったぜ。」
(今、ボクの名前を……? しかも、ラノベだって? そんなものこの世界にはないはずだ! それに、この顔……髪の色は違うけど間違いない……こいつは……!)
「あ、あの……どちら様ですの?」
サラがおずおずと言った様子で話しかけた。若い男は驚いた様子で振り向くと笑顔で話し出した。
「あ、あぁ! すいません、自己紹介もまだだった。どうも、俺の名前はコーガ。『光の勇者』なんて呼ばれてます。いやぁ、エルフの方は初めて見たけど、本当にいるんですね、感激だ!」
「は、はぁ。ど、どうも。私はサラと申しますわ。こちらは旅の同行者のクロエさんですわ。」
「よろしく、クロエちゃん。」
そう言ってコーガは右手を差し出してきた。ギルドでの握手を防いだサラであったが、コーガに危ない所をすくわれた手前か、特に何も言い出せないでいた。
一方のクロエは差し出された右手を少しの間見ていたが、すぐに握り返して笑顔で話しかけた。
「おい、黄河。お前旅行の時に貸した二千円、早く返せよな。」
「おいおい! お前あれは仕方なかっただろ!? 財布をまさかトイレに落とすなんて思いもしねぇし、っていうか今そんな場合じゃな……」
クロエの投げかけた言葉にコーガは途中まで反応したが、次の瞬間には目を見開き額から汗を垂らしながら沈黙してしまった。その顔にはまざまざと「信じられない」という言葉が書かれているかのようだった。
「お、お前……なんでそのことを知ってるんだ……? 俺が転生者だって事は周知の事実だけど、前世のことは姫にしか話していないのに……それを知っていると言うことは、ま、まさか……!!」
コーガの言葉にクロエはニヤリと笑った。そしてコーガが言葉を続けようとしたその時、遠くから複数の声が聞こえてきた。
「ぉーい、おーい! 勇者様ー! どちらにおられるのですかー!?」
「チッ、城の衛兵だ……一緒にいるのを見られると、勿論事情を聞いてくるよな……あぁ、クソッ! 仕方ねぇけど、今日はこれで失礼するぜ! だけど、明日! 明日の昼ぐらいに城に来てくれ! 是非とも聞きたいことがある! 最悪そこのお嬢ちゃんだけでも構わねぇ! これを見せて俺の名前を出せば問題ないはずだ、頼むぜ!」
コーガはそう言い残すと、一枚の紙切れを渡し、目にもとまらぬ早さでかき消えた。残されたクロエとサラはお互いに顔を見合わせた。
「……行ってしまいましたわ……あの方、勇者でしたのね。あの間合いの矢を止めたり、今の速度だったり、油断できそうもないですわ。と言うよりも! なんで私たち、特にクロエさんを指名して城に招待したんですの?」
「それは、恐らく、ボクとアイツが前世での知り合いだからだと思います。たぶんそのことを聞きたいのでしょう。」
「……やっぱり、そうですの?」
「ええ。所々違う所はありましたけど、アイツは間違いなくボクの友人です。」
クロエのことを心配そうに見るサラであったが、タイミング悪く魔力念話が丁度届いた。
『お嬢様、聞こえますか。宿がご用意できました。もうそろそろお帰り願いたいのですが……』
『聞こえていますわ。こちらも報告したいことがありますの。すぐに戻りますわ。場所を教えてくださる?』
ミーナから宿の場所を聞き取り、サラは魔力念話を終えた。そしてクロエの方へと向く。
「クロエさん、宿の用意ができたそうですわ。一旦戻ってミーナとも話し合いましょう?」
「はい……そうですね。」
クロエは頷くとサラと共に歩き出した。その心中は少しの不安と、それよりも大きな期待で満ちていたのであった。
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