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第1章 詩人と亀と猫の暮らし
しおりを挟む昼頃目がさめるとまず初めに亀と目があった。名は亀吉。かっこメスである。俺が小学校に入学した頃叔父さんに買ってもらった亀。今じゃすっかりぶくぶく太って甘やかされた私立学校のガキみたいだ。なあ、飯をくれよ。やっと起きたかこの怠け者くん。亀吉は俺に確かにそう言った。他の人間がどう言うかは置いといて。俺は二日酔いの重たい体と脳みそをベッドから無理やりひっぺがして亀吉の煮干しをとりにいった。その間亀吉は俺を見張っている。背中でわかるんだ。煮干しを亀吉の頭上に落とすとそのでっかい図体でカラカラになった小魚ちゃんにかぶりついた。まったくかわいいやつだ。俺はその足のままポットで水を沸かしインスタントコーヒーを入れタバコに火をつけ煙をはく。ふと昨晩のワンシーンが頭をよぎった。高円寺の薄汚い居酒屋で騒ぐバンドマンたち。その瞬間急に吐き気が襲ってきた。俺は一目散に狭っ苦しいユニットバスに駆け込んで吐いた。そう、ここは狭っ苦しいったらありゃしない。部屋の奥で亀吉のあざ笑う声が聞こえてきた。まあ、いいさ。このアパートで俺がすることと言ったら大体決まっている。まず人間の最低限必要なこと。寝る。食う。寝る。排泄。マスかき。飲む。ぼうっとする。過去を思い出して眠れなくなる。生クリームほど甘い夢を描く。煙草を吸う。吐く。本を読む。レコードを回す。ノスタルジーに浸る。詩を書く。愛について考える。そしてまたあれこれを思い出して落ち込む。人間の最低限とはこんなとこだろう。くそ。外は雨だ。雨は大嫌いだ。特に物事に左右されやすい俺みたいなタイプの人間はその日どんよりしかしない。気分が乗らないので亀吉に話しかけることにした。よくやるんだ。おかしいか?
「おはよう。亀吉ちゃん。煮干しはお口にあったかな?」
「おはよう。善太郎くん。そろそろ煮干しをやめてくれない?」
「お口に合わなかった?」
「いやいやいや!最初は噛みごたえもあってよかったんだけどね、その、言いにくいんだけど、もう何年も煮干しだとさ、ほら…」
「なんだよどうしたんだよ。もう俺ら20年近く一緒にいるだろ?言ってごらんよ」
「わかったよ。言うね。カルシウムの過剰摂取でさ、甲羅が大きくなりすぎて可愛く見えないのよ…」
「そうかな?まあ多少大きく見えるかもしれないけどそのぐらいがいいんじゃないかな。男目線で言うとね」俺の手元にあるのはいつの間にかコーヒーからビールに変わっていた。
「違うの。この前善太郎くんがテレビをつけっぱなしにして出かけたときに見たんだけど、井之頭公園の女の子たちはもっとシュッとしたスタイルだったの…」
「んーそうなのかあ、そしたらこう考えるのはどうかな。もし亀吉ちゃんが大きいワニだとして」
「私がワニ?」
「そう。ワニ。大きい甲羅と小さい甲羅のどっちの方が食べやすい?」
「んーまあ、小さい甲羅かな」
「そう。小さい甲羅は狙われやすいんだよ。井之頭公園の亀たちなんてあと半年もしたらみんなワニに食われちまうぞ!あそこには全長10メートルのワニがいるんだ。だけど井之頭公園のみんなは煮干しがないから甲羅は小さいまま。かわいそうだね。そんでわずかなカルシウムを奪い合うんだ。そこで貧富は生まれる。だけど最後はみんなワニに食われちまうんだ。貧富ひっくるめて丸ごと。ワニの腹の中まで貧富は付きまとってくるだろうが。そして何より俺ら人間からしたら亀の甲羅は大きい方がかっこいいんだ。とても魅力的だよその甲羅は」
「ありがとう善太郎くん。とても嬉しい。私被害妄想がひどいから…」
「どういたしまして。俺もそうだよ。もう6年ぐらい悩まされてる。」くそいまいましい被害妄想…
10分間沈黙がつづいた。その日の会話はそのまま無かった。
翌日昼頃、また目が覚めた。またである。今度は初めにグレーと白の猫のケツの穴と目が合った。勘弁してほしかったがしょうがない。うちの愛猫だ。どうやら俺が寝ている間を狙って俺の顔面にクソでもしようとしたのだろう。ひねくれた愛情表現ってやつだ。こちらもまたぶくぶくとよく太っている。(ガリガリなのは俺だけじゃないか!)その重い猫の体を、ケツの穴を俺の顔からひっぺがした後に今度は俺の体をベッドからひっぺがした。猫の名はパンダ。何も言わないでくれ。わかってるよ。遠くにいる俺の母親が名付けたんだ。俺じゃない。決して。パンダとは亀吉よりも日が浅い。2年前俺がコンビニの夜勤をしていた頃、よく店の駐車場でサボっていた。店には太った相方がいて彼は年中大汗をかきながらパチスロの雑誌を読んでいた。俺が店にアルバイトで入ったときには彼はいて、クビになるときもそいつはいた。無口な男だった。俺がどれだけサボろうと遅刻しようと酔っ払ってバイトに来ようと何も言わず汗をかいている男だった。その間2、3度会話をしたことがある。俺はその日連チャンで夜勤だった。1日目が終わり朝7時にアパートに着くとそのまま夜のバイトの時間まで飲んでしまった。酔っ払った状態で店に着くと俺は彼ににこう言った。
「ねえ、パチンコで当たったらビールおごってくれない?」
すると彼は静かに答えた。
「いいよ。その代わり君の書いている本が売れたら僕に酒をおごってくれ」
なんてことだ。サボっている間に俺のメモ帳を見られたと俺は思った。
「みんなは嫌いだろうけど僕は好きだよ。君の詩」雑誌を眺めたまま汗を拭って彼は言った。その時俺は久しぶりに人間に心を許した。後の何回かの会話は覚えていない。愛しのパンダに話を戻そう。俺が駐車場で煙草を吸っていると視線を感じた。人間の嫌な視線じゃなくそれ以外の命あるものの視線を。ふと駐車場に止まっている一台の車の下を見ると子猫がこちらを見ていた。怯えている。俺は猫アレルギーで昔から猫が嫌いだったが、何気無しに口笛で呼んでみるとよろよろと車から出てきて俺のほうへ歩いてきた。かなり痩せている。俺は店に戻って廃棄になった大量の食べ物の中からあんぱんを一つ掴んで駐車場に戻った。子猫は俺を待っていた。あんぱんをちぎってあげるとむしゃむしゃと食べだした。その時俺は革命家チェ・ゲバラの気持ちが少しわかったのだ。俺がチェで、この子猫がキューバ市民。この子猫を脅かす全ての世界や物事や生き物がアメリカである。これは俺のおごりなのかもしれかったし、子猫がチェで俺がキューバ市民かもしれなかった。どちらにせよその日からお互いを強く求めるようになった。俺はバイトがない日も駐車場に行き、捨てるはずの大量の食べ物からパンやらなんやらをかっぱらって子猫にあげた。子猫は腹がいっぱいになっても俺の肩に登ってきた。無償で懐いてくれているのである。これほど幸せを感じることない。人は何かに代償を求める。時には礼も言わずに無言で奪い去ってゆく。だがそんなことはどうでもいい。この子猫をうちに入れようと決めた。居心地が悪ければまた駐車場に、自分のいるべき場所に帰ればいい。そうして2年後、ぶくぶく太ったパンダちゃんはついさっき俺の顔面にケツの穴を向けて何かしらを表現しようとしていた。ひねくれた愛情であってほしいと俺は強く願う。そしてくしゃみをした。
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