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第2章 現代詩人の苦悩 コーヒーショップにて
しおりを挟む俺はめずらしく朝のうちに起きて駅の方へと向かった。少しは気分が晴れていたのだ。外は春の終わりと初夏が手を繋いで散歩しているような気温。なかなかいいもんだ。9時ごろコーヒーショップに入るとすでに2人組の爺さんとひとりの婆さんがコーヒーやらサンドウィッチやらをゆっくりともぐもぐ噛んでいた。さすがなもんだ。この荻窪には爺さんと婆さんしか住んでいない説が最近俺の頭ん中には浮上している。少子高齢化のど真ん中。それが荻窪だ。俺は券売機でホットコーヒーのチケットを買いカウンターのお姉さんに渡すとバイトのお姉さんは俺を珍しそうな顔でジロジロと見た。若者が珍しいんだろうよ。俺の頭ん中にあるいくつかの説の一つで愚かな無知で目立ちたがりの日本の若者は高円寺に収納されている説がある。まあそれは置いといて… 俺は窓側のカウンターに座り通りゆく人間の皆様方をコーヒーをすすりながら眺めた。老人。老人。若者。老人。女と服を着た犬。服を着た女。服を着た老人。下を向いて歩く少年。スマホ…スマホ…スマホ…やばいと俺は思った。いつもの嫌な心地の悪い感情が脳みその隅っこであがいている。外を見るのはやめよう。俺は何日もの間リーバイスのジーンズのポケットに押し込められていた手のひらサイズのメモ帳と鉛筆を取り出して開いた。そこにはあれこれ書いてある。この小さな世界のあれこれが。
12月5日 人間とそれ以外
時として人は人を殺す。時として人は虫を殺す。時として虫は虫を殺す。虫はじっと何かを待っている。人間はじっと爆弾を待っている。津波によって生み出される核爆弾の破裂を待っている。時として人は鳥を食べる。時として鳥は虫を食べる。時として人は鳥に憧れる。魚に憧れる。水槽を優雅に泳ぐ亀に憧れる。ずっと暇そうにしている猫に憧れる。人間以外の生き物に憧れる。しかし人間以外の生き物は人間だけには憧れたことがない。昔から今。この先永遠に。便所に群がるハエたちも。
1月7日 運命の人とかいうもの
あなたが運命の人とかいうものだとしたら私はあなた以外の人とも寝るでしょう。
あなたが運命の人とかいうものではないのなら私はあなたとしか寝ないでしょう。
運命の人に何をしたって、運命を共にする運命なのだから。
3月28日 幸福によく似たものがドアををノックした
ドンドン。真夜中。ドンドン。誰だい? 俺だよ。幸福だ。寒いから入れておくれよ。 なんだ幸福か。珍しいじゃないかこんな時間に。 起こしたかな? いやいや君ならかまわないんだよ。 ありがとう。ちょっと近くで飲んでてね。 そうなんだね。 ところでリアムの新譜を聴いたかい? うん聴いたよ。バンドのサウンドがなかなかよかったね。 そうだよね。俺はノエルのソロよりもいいと思うな。 どっこいどっこいだよ。 そうだね。 もうこんな時間だ。そろそろ仕事にいかないと。 そうかい。仕事なのに起こしてしまってすまないね。 いいんだよ君なら。ゆっくりくつろいでっておくれ。じゃあ行ってきます。 行ってらっしゃい。バタン。
俺はメモ帳を閉じてコーヒーを飲み干してからお代わりしに立った。いつの間にやら婆さんが3人に増えている。そして3人ともスマホに夢中だった。かぶりついている。孫に操作を教わったんだろうか。知ったこっちゃない。お姉さんからコーヒーをもらってカウンターに戻ると俺の席から右にふたつずれた席に爺さんふたり組が座っていた。いつも思うんだがなんで爺さんや婆さんは気がついたらすぐ近くにいるんだ?そのふたり組のうちひとりはハゲ頭でヒゲを蓄えていて太っている。もうひとりは痩せていてぴっちりオールバックにしていた。ふたりとも見事ないい服を着ている。下は革靴に濃いめのジーンズ(おそらくリーバイスではない)上はシワひとつない黒のタートルネック。なんとふたりともほぼ同じ格好だ。待ち合わせた時気まずかったろうぜ。俺は7年前に買ったブルースブラザーズのTシャツにボロのリーバイスだった。これじゃあコーヒーショップの前を歩いてる奴らにこちらが現代のやる気のない若者、こちらがよく働いてきた立派な紳士たちと紹介してるみたいじゃないか。ショウウィンドウってやつか。俺はまたメモ帳を開いて意味もなく鉛筆をカウンターにコツコツしていると、俺側に座っていた太ってる爺さんが話しかけてきた。
「こんにちは。それは何?何を書いているの?何?何?何?」俺の手元を覗き込んできたのでサッと隠した。
「あ、こんにちは。いや、ちょっと考え事を」
「ふーんそうかそうかあ。天気いいもんなあ。聞いていいのかわかんないけどさあ、それっていい悩み事?悪い悩み事?」
いつの間にか考え事から悩み事に変換させられていた。まあ、どっちも対して変わんないよな。そのことは時間がある時にでも考えよう。
「んん、どうですかねえ。時には悪い考え事かもしれませんね」詩を考えることはいい考え事なのか?悪い考え事なのか?第一なぜ俺は詩を書くんだ?あまり意識したことがなかった。ひとつわかるのはいつも詩を書く時俺は気分が乗っていない時ってことだった。まあ考えてみれば当たり前のことだった。親友の結婚式の最中に詩を書こうとは思わない。一日中遊び倒して夜ベッドに入り楽しかったワンシーンを思い出しながら夢と現実の心地のいい暗闇の中をさまよっている時にわざわざ起きて明かりをつけて詩を書こうとは思わない。いつも詩を書く時は眠れない時だ。
「時にはねえ。ふーん。面白いことを言う子だ」2人の紳士は笑った。
「仕事は何をしているの?あ、ごめんね、色々聞いてしまって。年寄りは若者と話したがるもんなんだよ」
「今は何も。この前まで友人の店でバーテンダーをしてたんですけどね。今はたまたま、何も」
「あららら。何もときたかあ。じゃあ今は次の仕事を色々探してるところなんだねえ。まあゆっくり探してもいいと思う。自分のやりたいことをね。いいと思う。いいと思うけどもお、早いに越したことはないわなあ」
「うんうん。早いに越したこたあない」痩せてる紳士が言った。人生の先輩方特有の最後に若者をあせらすワードをぶち込む必殺技だ。今の思想がまるで分かってない。今の若者の思想ってなんだ?俺もまるで分かってない。分かってたまるか。
「そうですねえ。色々もがいてはいるんですけどね。色々と」
「色々と?色々って何?何?何?」
「まあ、色々と」
「色々じゃわかんないよおおじさんたち。言ってごらん?悩んでるんだろう?」
「悩みなら聞くよおじさんたち」痩せてる紳士が言う。
「いやまあ悩んでるわけじゃないんですけど」
「んじゃあ何よお。あ、ほらなんかさ、夢とかないの?夢。夢中になってることとかさあ。バンド?バンドマン?」
「いやいや、まあ一応物書きを少々」
「物書きって君、随分古い言い方だねえ。そうなんだそうなんだあ。なかなかいい趣味じゃないの」太った紳士は笑いながら言った。
「物語とか?詩とか?」痩せてる紳士が後に続いた。
「まあ、そんなとこです」
「あ、そうなんだあ。そんな若者初めて会ったよ。小説や詩なんて年寄りが書くものだとばっか思っていたよ。思い込みが激しくていかん」太った紳士は言う。
「普段は何を読むのかな?まさか三島由紀夫なんて読まないよねえ今時の子は。ぼくらの時代はよく読んだものだよ。太宰も読んだし芥川もねえ」
「今の子たちは何を読むんだい?孫がこの前うちに遊びきた時はライトなんとかってのを読んでいたなあ」
「あ、アニメの女の子が描いてあるやつかい?」と痩せている紳士。
「あ、そうそう!」
「うちの息子も読んでいたよ!流行っているんだねえ」
「うんうん、君もたくさん本を読んで色々書いたらいいさ。見かけによらず渋いんだねえ君。ところでそれは金になるのかい?」
ああ、もう勘弁してくれ紳士たちよ。そら珍しいかもしれない。今時詩なんて。確かに俺の周りに詩や小説を書いてる奴なんていないし職場で言えばバカにされた。ネットで俺と同じ二十歳そこそこのやつが書いてるのを見てもどれもアニメがどうとかゲームがどうとか異次元がどうとかファンタジーがどうとかでうんざりするものばかりだ。確かにそれが日本の現代若者文化の流行にがっちりはまっているのは確かだ。ボブディランの言う通り時代は移り変わって行くからさ。だがどれだけ時代が移り変わろうとリアルは常に俺らのすぐそばにいるんだ。遠くの土地で機関銃の弾の入れ方を教わる少年も、アメリカの代表と北朝鮮の代表の小学生じみた喧嘩も、胃の中が宇宙空間のように何も入っていない貧しい人も、酔っ払いだらけの留置所も、校舎裏でいきがる太ったガキどももそれに怯えるか弱い男の子も、大人の男に怯える小さな女の子も。みんなリアルで俺らのすぐそばにいるはずなんだ。SNSのつぶやきを詩と勘違いする馬鹿もいればSNSのそのひねくれた言葉の世界によって葬られた男の子や女の子もいる。俺は静かに紳士に答えた。
「金にはなりません。多分一生。なんとか家賃と飯代と酒代だけ稼いで生きていきます。多分一生。じゃあ俺はいきます。よい一日を」
我ながら紳士らしい挨拶が最後にできたぞ。俺はボロジーンズとTシャツの紳士になったのだ。そう自分だけ思い込んでいればいいのだ。帰り道、無性に亀吉とパンダの顔が見たくなった。愛しい生意気なあいつら。帰ったらふたりにコーヒーショップでのことを話そう。いや、やめよう。たわいのない話をして、それから何かを書こう。何でもいい。
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