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第3章 酔いどれ回想録
しおりを挟む俺は部屋の壁にぶら下げてある時計の秒針を見つめていた。チクッチクッチクッ ぴったり昼の11時59分になった。よしっ、ビールタイムだ。別に11時59分に決まってビールを飲むってわけじゃない。飲み始める時間は日によって違う。ただ午前中のうちにビールの缶を開ける音を聞くのが俺は好きだったのだ。誰ひとりとして傷つけないこの罪悪感。ただただ最高である。俺はむくりとソファーベッドから立つとテレビのコンセントをひっこ抜いた。それから携帯の電源を落とした。携帯の画面が寂しそうに暗くなる。ざまあみやがれ!そしてまたソファーベッドに戻りビールをすすって煙草に火をつける。ふうと一息つくと自然と笑みがこぼれてきた。誰もこのひと時を邪魔できないぜ。外も初夏の快晴だ。窓を開け放ち虫たちを迎え入れよう。ようこそ俺の家へ。みんな生きているんだもんな。すると1匹の蚊が入ってきた。いらしゃい。蚊はアホみたいに天井をぷらぷらしてから俺の腕に舞い降りてきた。俺は話しかけることにした。
「やあ、ミスターモスキート。こんにちは。外は暑かったろ。ここで涼んでいきなよ。俺の血はどうだ?健康か不健康か。わかったら教えてくれ。この前君のお母さんかお兄さんを叩き潰してしまったよ。あのことは謝るよ。シラフだったんだ」
蚊は満足そうにしながらまた天井をぷらぷらしに行った。ふと雑に積まれた本の中にヘミングウェイの老人と海を見つけた。これはいつ買ったんだろう。本の裏に100円のシールが貼られていた。こんな優雅な午後は寝っ転がってビールを飲みながら昔の本を読むのがいいと決まっている。確実に全てを忘れられて幸福感を感じることができるのだ。そして一番のみそは昔の本であること。まあこれは俺の完全な趣味だが。本と酒は本当に合う。煙草ももちろん。コーヒーとパン。ステーキとワイン。男と女なんかよりも似合うものがこの世界には溢れかえっている。ヘミングウェイを読み終わる頃、机には11缶の空き缶が並べられていた。外はまだ明るく、時計を見ると4時をすぎていた。視線を感じる。厳しく突き刺さる視線。亀吉の水槽の影から猫のパンダちゃんが俺を睨んでいた。ふと亀吉に視線をずらすと亀吉も俺を睨んでいた。俺はふたりに言った。
「そうか。そうか。睨まないでくれ。頼む。俺が悪かったんだ」
俺はキャットフードと煮干しをそれぞれの手で掴み、サランラップに包んでいた俺の分の魚肉ソーセージをくわえて2人の元へ向かった。まだ睨んでいる。
「よし!待ちに待った飯だ!諸君!さぞ腹が減っていることだろう。心ゆくまで食べてくれ」
俺の口には柔らかい魚肉のソーセージがはいってくるはずだった。魚肉ソーセージの運命はそうと決まっていた。しかし違った。俺の口に入ってきたのはキャットフードだ!ふと亀吉をみるとピンク色の物体を噛みちぎっている!パンダ!思った通り煮干しを食らいついていた。パンダが煮干しを。この部屋にいる俺以外の生物たちはみんな満足していた。俺はそれでもキャットフードを食べる手は休めなかった。俺は完全に酔っ払っていた。いつものことだ。俺は酔うと段違いに負けず嫌いになる傾向がある。だから決して好きではない人間や得体のしれないアーティストとか呼ばれているやつや芸術学校に通っている連中とは極力飲まないようにしている。そういう団体からは逃げてきたしいい思い出がなかった。昔一度だけ友人に連れられて日大芸術学部の連中と飲んだことがある。いかにもアーティスト気取りの男が酔って俺に話しかけてきた。
「君はどんな音楽を聴くんだい?」
「ああ、まあディランとか、その辺の時代のやつかな。君は?」
「僕はクラシックしか聴かないよ!ロックやフォークなんて!ボブディランってあれでしょ?作家でしょ?」
「くそったれ」
その後の記憶は覚えていない。そのまま帰ったか、彼を帰らしたか、曖昧だ。酔うことについて少しゆっくり考えようと思ったことは何度もある。しかしいつもバカバカしくなってやめてしまう。だってそだろう。今でもバカバカしいと思っている。おかしな話だ。酔っ払うのが好きなくせに酔っ払うことについて深く考えようとしないなんて。まあいろんな物事は深く考えすぎるとそのまま沼に吸い込まれちまう可能性がある。そのいい例が恋と金だ。本物の恋は甘く考える事が許されないし。金も軽く考える事は出来ない。どちらも快楽だがね。結局一番いいのは部屋にこもって酔っ払ったもんが勝ちということ。(吉田拓郎がそんなこと言ってたっけ)誰にも迷惑かけずにね。携帯の電源が入っていると話はまた良くない方へ行ってしまうのだけど…。そんなことを考えながら俺はまだキャットフードをつまみに12本目のビールをすすっている。ボリボリッボリボリっ 味になれるとなかなかいけるもんだ。
「ねえねえ善太郎くん。それぐらいにしといたらどうかな」亀吉が俺に言った。ような気がした。
「嫌だね。俺は誰よりも優れた詩人なんだ。だから悩みや苦しみも人一倍あるんだよ。それをどうにかこうにか言葉にして表してるんだ。そのためには酒が必要なんだよ」俺は大学ノートに意味のない言葉を適当に書きなぐりながら亀吉に返した。
「悩みや苦しみはみんな持っているものよ。善太郎くん。その悩みや苦しみをそのまま言葉にしてもだめ。それはただの愚痴になってしまう」
「そうだよー善兄い。でも善兄いの気持ちも僕わかるよ。いろんなものが怖いと何かにすがりたくもなるよね」デブ猫のパンダは布団に寝っ転がりながらそう言った。
「ああ、なんだかわからなくなってきたよ。なんのために書くのかも誰に書いてるのかも」
「いいのよ誰のためじゃなくても。自分のためで」
「そうそう」寝っ転がりながらパンダが言う。
思いがけない亀吉のその言葉で俺は全てが解決したような気がした。何をくよくよしていたんだろう。何を自惚れていたんだろう。別に何かを書いたことで金が欲しいわけじゃない。そら俺ら3人の飯代ぐらい稼げたらいい気分だろう。しかし何事もまだ始まっちゃいなかった。とにかく俺は表現者として書き続けるしかなかった。ピカソが絵を描いたように、ディランが歌ったように、コーエン兄弟がメガホンを取ったよに、ヘミングウェイが海と老人を書いたように、俺も書き続けることを選ぶと決めた。そして俺は泣いた。お決まりのパターンだ。泣きながら亀吉を水槽から出して寝ているデブ猫のパンダを持ち上げて抱き寄せた。さぞ鬱陶しかったろうぜ。その後俺はトイレに吐きに行った。うなだれていると腕に蚊が止まってきたが、ほっとくことにした。
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