あんたが気にもとめない詩人の人生

瀧山 歩ら歩ら

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第5章 愛に飢えた女たち

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部屋で書きかけの短編の続きを書いていると携帯の電話が鳴った。昔から電話が鳴ると嫌な予感がする。その予感は大抵当たる。電話に出ると相手は大学時代の友達の一馬だった。
「よお、久しぶり、善太郎」
「おう、久しぶり、一馬。今忙しいんだ」
「何だよ冷たいなあ!仕事か?」
「まあ、そんな感じだよ」この短編がいつか金に化けた時のことを想像しながら答えた。
「そっか、まあ深くは聞かない事にするよ。そんで今日の夜なんだけどさ、空いてる?高円寺のライブハウスで俺のバンドのライブがあるんだけど見に来ない?」
「まだバンドやってたのか。行ったら楽しいんだろうなあ。でも今は気分じゃないんだよ。金もないし。それに高円寺も行きたくない」
「何だよもう。ほんと相変わらず冷めてるよなあ善太郎は。ライブは無料でいいからさ。な。酒もおごるよ!実は今俺のバンド事務所から声がかかっててよ。金になりそうなんだよ。だから来てみろって!な!リストに入れとくぞ!じゃあな!」
ああ、やっぱり嫌な予感は当たった。でも俺はただ酒を飲める事に魅力を感じて行く事にした。全くこの短編はいつになったら完成するのか。一馬という男は俺の大学時代のバンド仲間だった。俺がベースで奴がギターボーカル。奴はその頃流行っている曲をやりたがっていたのに対して俺はずっと昔のロックをやりたがった。ブルーハーツにRC、ビートルズにピストルズ。結果は俺の惨敗だった。いつも一馬のやりたい曲をやらされていた。多数決とかいうくだらない民主主義に飲み込まれたんだ。それに奴には女のファンが大勢いた。まあ顔がよかったんだな。ただそれだけだ。女たちは俺に見向きもせずに一馬の後を追っかけていた。多感な10代のガキの俺にはそれがこたえた。俺は女にモテたいという気持ちから昔のロックを諦めた。今考えると虫酸が走るような話だ。その後すぐに俺はそのバンドを辞めて気の合う奴らとバンドを組んで遊びまわったが、相変わらず女は寄って来なかった。しかし思い出すだけで笑えてくようなあの仲間たちは本当に最高な奴らだった。心の底から。
高円寺のライブハウスの前に着くといろんな格好をした人たちがガヤガヤと騒いでいた。髪の毛が赤いやつ、黄色のやつ、青のやつ、顔中にピアスの女やタトゥーだらけの男。そこでは同い年ぐらいの若い連中が体を改造して笑っていた。何だか不思議な気分になる。この人たちは俺と同じように飯を食べるんだろうか、どんな本を読むんだろうか、はたして眠るんだろうか、どんな思想や人生の持論を持っているんだろうか。俺はとにかく落ち着かなくなり階段を降りて中に入った。すると中のステージでは1人の女性がいびつに見えるほど大きなアコースティックギターを抱えて話していた。胸元はかなりはだけていて、かなり短いジーンズのミニスカートを履いていた。薄暗闇の照明の中で彼女の声が聞こえる。SNSがどうとか、元彼がどうとか、女性差別がどうとか、セックスがどうとか、俺は何の感情もないままカウンターでビールを頼んだ。やっと彼女の話が終わり曲に入ると、3分ぐらいで曲は終わり、また5分ぐらいさっきのつづきを喋り始めた。曲の歌詞には病みというワードとくそったれというワードが頻繁に聞こえてきた。俺はその間一馬のツケでビールを飲みまくった。人間には飲まなきゃやってられないシーンがたくさんある。そして彼女は歌い終えて袖に引っ込んで行った。その後に出てきたバンドたちのことはほとんど覚えていない。一馬のバンドもひっくるめて。確か隣の女たちが一馬のバンドを見て何度となくエモいだとか何だとか言っていた。エモい。俺もエモくなってみたいものだ。よく意味は知らないが。全バンドが終わると軽快なBGMがホールに響き、改造された人たちは各々盛り上がり始めた。俺はジントニックの3杯目あたりから気持ち悪くなり、トイレに行ったが男と女が熱烈なキスをしていて入れなかった。俺はごったがえす階段を登り外に出て裏のゴミ置き場で吐いた。久しぶりのライブハウスはなかなかきついものがある。部屋に引きこもって亀と猫に話しかけながら言葉で遊んでいる俺には刺激が強すぎたようだ。俺は少しだけすっきりした気分で夜風に当たり煙草を吸っていると、女の泣く声が聞こえてきた。俺はタバコを消して立ち上がりその方向にフラフラ歩いていくと、さっき1人で歌っていた彼女がシクシク泣いていた。まいったな。ほんとに困るんだ、こういうシチュエーションは。俺はそう思いながら彼女の隣に座り話しかけた。
「こんばんわ。どうしたのこんな裏路地で泣いて」黙っている。彼女の長袖のシャツがめくれて細い腕が見えた。おまけに何本かのミミズ腫れも。「1人にして欲しかったら俺は行くよ。もう少し飲みたい」
すると彼女は急に俺の腕を掴んで言った。
「行かないで!1人にしないで!」俺の腕を掴んだままの彼女から強烈な酒の匂いがした。これは俺より飲んでいる。ほんとにまいるよ…俺が泣きたいぐらいだ。女の気持ちなんか理解できるはずがない。人の気持ちも理解できない俺が。女に優しくするってどういう事なんだ?女について考えると憂鬱になってしまう。だが人としてここで俺が泣きだすのはどうもおかしい。そしてこんな時にかぎって言葉が出て来なかった。詩なんて実用性のないただの言葉のカテゴリにすぎなかったのかもしれないと一瞬思ったがすぐにやめた。
「飲みすぎだなこりゃ。水を買ってくるよ」
「行かないでって」彼女が言った。が、俺は腕を振りほどいて近くの自販機に行き水を買った。その水を彼女のとこに持っていくと彼女は黙ってそれを一気に飲んだ。
「ありがとう」彼女は前を向いたまま礼を言った。
「君の歌聴いたよ。俺には何にも響かなかった。でもおそらく同じ境遇の女の子には響いたんじゃないかな。それと頭の弱い男にも」
「別にそれでもいいの。もうどうだっていい。もう疲れた。何で男は勝手に先に行っちゃうの。私の気持ちを考えないで、いくらでも代わりはいると思ってる」
「どうだろうね。俺にはさっぱりだよ。俺は女は男をいくらでも代わりがいると思ってるって思うけどね。男と女の戦いはずっと続いていくんだよ。悲しいことに」
「戦い。おもしろい言い方するのね。確かに戦争みたいかも。少しだけ」
「振られたの?」
「そんな感じ。彼はモテる人なの。そんで女の子みんなに優しいの。彼女である私以外には。私に優しくする時は決まってセックスがしたい時だけ」
「そういうのって吐き気がするよ」
「本当にそう思うの?あんたもどうせそうなんでしょ!」
「そうヒステリックになるなよ。俺も前に男に対して病んだ考えの子と付き合ったことがあってさ、その子は異常なほどに俺を好きでいてくれてたんだ。俺も愛してたよ。愛してたっていう言い方はくさいのかな。まあそれで、俺も女は苦手な方だったからその子とばっか遊んでたんだけど、その子は違った。その子は俺の気をもっと引こうとしてか分からないけど、いろんな男とベタベタ話していたんだ。わざと俺に見えるようにね。俺はどんどん闇にのめり込んでいったけど、彼女には何も言わなかった。その代わりどんどん距離をおくようになったんだ。彼女からの電話も出ないし、遊びも断り続けた。話しても他の男友達の話ばかりだからね。その結果高円寺のバンドマンのやつの家に泊りに行くようになったんだ。その話をそのバンドのメンバーからたまたま聞いて俺は身を引いたよ。あっさりしてたけど傷は思ったより深かった。彼女も泣いて謝っていたけど俺は無視したんだ。言葉が何一つ喉から出て来なかったからね」俺は酒のせいでこんなに話してしまったことを少し後悔した。彼女は俺が話している間ずっと俺の顔を覗き込んでいた。彼女の涙はもう止まっていて、俺の腕を掴んだままだった。彼女も俺もその後何も話さず、ただただお互いの腕を絡ませていた。しばらくして彼女が言った。
「一人暮らし?」
「そうだよ」
「今日泊めて。一晩中あなたの話聞かせて。もっと楽しい話。きっとあなたの話す楽しい話は笑えて面白いんだろうね」
「いいよ。泊りに来なよ。君は見る目がある。俺の楽しい方の話を聞かせてあげるよ。俺の愉快な友達の話とか、あ、そうだ、うちには猫と亀がいるんだよ。きっとあいつらも君を慰めてくれるよ。傷ついた人間には優しいやつらなんだ」
「本当に?すごく楽しみ。これが人生の転機になるといいな。ちょっと下にギター取ってくるね。少しだけ待ってて。絶対待っててね」
そう言うと彼女は腕を優しくほどいてライブハウスの入り口に走って行った。俺はぼんやりしながら彼女の後ろ姿を眺めた。人生の転機か。人生の転機が2人の人生に一気にやって来る。これが恋なのかもしれないと考えながら彼女を目で追っていると、入口から一馬が出て来て彼女と鉢合わせた。何やら彼女に話しているが聞こえない。しばらく見ているとどうやら2人は口論をしているようだ。一馬の周りには女が4、5人いて、彼女を睨んでいる。そのうち彼女は泣き出して、一馬は彼女の頭を撫でだした。そしてそのまま2人でライブハウスの地下に降りて行った。一瞬中のBGMと酔っ払いの騒ぎ声が聞こえてきた。俺は彼女が残したペットボトルの水を飲み干して、煙草に火をつけてしばらくぼんやり座っていると、視界がはっきりしてきた。初夏の夜風が気持ちよく俺を撫でて行く。俺はよいせと腰をあげて立ち上がった。頭がガンガンする。安いジンだ。俺は高円寺のネオンを一切見ずに、改造された人々の顔を一切見ずに、駅へ歩き始めた。人生について考えながら。男と女について。人生の転機について。彼女のいくつかのミミズ腫れについて。彼女について。歩きながら考えた。しかし翌朝ベッドで目を覚ました時にはほとんどの事を忘れていた。
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