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第6章 詩人の故郷にいる詩人
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第6章 親心の風に揺られて
今朝ゴミ捨てのついでにポストを覗いてみると一通のポストカードが届いていた。表表紙は広い草原に牛が一頭こっちをじっと見ている写真で、そこにはマジックペンでメッセージが書かれていた。母親からだった。数日前まで父親と一緒に北海道を旅行していたらしい。羨ましいかぎりだ。ポストカードには北海道旅行の自慢話と、今度じいちゃんの1回忌があるから一度帰ってこいという内容だった。俺の実家というのは富山県富山市にある住宅街の一軒家だった。少し歩けば畑が広がっており、立山が住人を見下ろしていて実にのどかな土地だ。俺は一瞬迷った。実家に帰るというのはどうも苦手で、母親はいいのだが父親に問題がある。俺の父親は昔気質の親父で、汗水流して働くことで人生の意味を見出せしていた。自分の子供の笑顔や芸術には興味がないらしい。それと酒だ。それについては母親も同じで、俺はすっかりきっちりとそのDNAを受け継いでしまったらしい。ありがたいことに俺はそのせいでいろんなものを失ってきたわけだが。まあ俺が生まれつき間抜けだったってことも大きく原因はあった。とにかく俺と父親は生まれたときから分かり合うことはなかった。俺が東京の大学に行くときも、父親はよくお前は東京に飲まれるタイプだ、とか、もうお前の帰って来る家はないと思え、だとかよく言われたもんだ。俺はそれを聞き流せるタイプではなかった。なのでひたすらに喧嘩を繰り返した挙句、一切口を聞かないまま俺は富山を出て行った。親父の言う東京に飲まれに行くってやつだ。実際どうだろう。俺はいま東京に飲まれているのだろうか。酒を飲んでる時は俺が東京を飲んでるという錯覚に陥るが、確かにそれ以外は飲まれているのかもしれない。東京で起きる不可思議な出来事に左右されてばかりだった。どっちにしろ詩と真正面から向き合っている間はそんなことはどうでもよかった。父親のことも。父親に最後にあったのは一年前、父方のじいちゃんが亡くなった時の葬式だった。俺はじいちゃんっ子で、父親に教わらない分いろんな事をじいちゃんから学んだ。本や詩や文学の奥深さもじんちゃんから教わったのだ。一回忌。俺は富山に帰る事にした。
数日後の夜11時、俺は新宿駅の夜行バス乗り場にいた。駅のコンビニで買ったブラックニッカの小ビンを開けてすっと飲み込む。喉がじんじんするのを感じながら新宿駅の人混みを眺めた。人はガヤガヤとよく動き回る。用もないのによく動き回る。こんなに人がごった返しているのに俺はひどい孤独感に襲われていた。誰もが誰もに無関心で、こんなに多くの人間とすれ違っているのに誰1人の顔も思い出せない。俺はもう一度ウイスキーの小ビンを傾けて飲んだ。そしてこの都会から数日でも逃れられる事に喜びを感じていた。夜行バスの名は「キラキラ号」埼玉を過ぎ山梨に入り長野に向かう。それから山を回避して一度新潟の方へ北上してから富山駅に向かう。向こうに着く予定時間は朝の5時30分だった。さあキラキラ号、俺を故郷に連れてってくれ。この胸糞悪い東京から全速で逃げてくれ。お前ならやれるさ、キラキラ号。バスの中はほぼ満員で、共に東京から逃げる老若男女の同志たちが座っていた。しばらくするとバス内にアナウンスがかかり、バスはゆっくりと走りだした。これでしばらくの間は東京にいなくてすむ。本来ならデブ猫のパンダと亀吉も連れてきたかったが彼らも彼らの生活がある。我慢してくれ。皿に大量の餌もあるし、酔っ払いがいない分彼らは彼らでのびのび暮らせるだろう。バスの旅は意外と快適だった。思ったよりも席はゆったりしているし、うるさい奴もいない。驚くほどに静かだった。気になることと言えば、窓がカーテンで隠されており外の景色が見えないことだった。それと3時間もするとけつがかち割れるように痛くなってきた。まあそれは我慢するしかなかった。俺は全然寝付けなかった。目をつぶってはみるものの、色々と考え込んでしまう。昔のこと、学生時代のこと、元恋人のこと、実家のこと、親のこと、じいちゃんの死に目にあったときのこと、何時間こうして考えていただろう。気づけばカーテンの隙間から少しだけ白い光が漏れてきていた。寝ていたような寝ていなかったような時間は過ぎ、ついに俺は富山に帰ってきた。東京からの脱出に成功したのだ。よくやったキラキラ号。6月のわりに富山は寒かった。ぼーっと駅の喫煙所でタバコを吸っていると、軽の車が一台ロータリーに入ってきた。見覚えのある車。母親が車の中から俺に手をふっている。俺は車の助手席に乗り込んだ。
「おかえり。あんた元気だった?」母親が嬉しそうに言った。
「まあ元気な時もあるよ」
「そう、まあこっちでしばらくゆっくりしていったらいいっちゃ」
俺の母親はかなり理解がある人で、俺の無謀な夢についても黙って応援してくれている。いちいち仕事はどうとかは聞いてこなかった。母親自体がかなりの自由人なのだった。富山の景色は変わらずに鮮やかな緑を一面に放っていた。20分ぐらい車を走らせて実家に到着した。まだ朝の6時過ぎなのに父親はソファーに座ってコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。そうか、今日は日曜日か。いや、日曜日はゆっくり寝ているもんだろう。俺は帰ってくる時間を間違えたと思ったが、いつかは顔を合わすのだから仕方ないと思い直した。ただいまと一言言って、俺は冷蔵庫に向かい一本ビールを取り出して開けた。コップに注いですすっていると、父親が俺に向かって言った。
「おい、朝から何飲んでんだ?」
「ビール」
父親はため息混じりに言った。
「お前は何にも成長してないな。その感じじゃあどうせ仕事もしてないんだろう」
「ああ、してないよ」
「勝手にしろ」父親はまた新聞に目を戻した。想像はしていたが最悪な幕開けだった。それから俺は何本かビールを飲んだ後に夕食までぐっすりと眠った。
起きると5つ上の姉が帰ってきていた。この姉というのは昔から俺をいじめる事に快感を覚えており、小さい頃はよく泣かされていた。俺は姉の影に隠れる事しか出来ず、時には男勝りな姉にガキ大将から守ってもらう事もあった。男勝りは今も健全らしい。
「やっと起きたの。久しぶり。ほら、ハンバーグだよ、早く食べな」姉がビールを飲みながら言った。食卓には父親、母親、姉の3人が座ってハンバーグを食べていた。米はない。その代わりにあるのはビール瓶が数本とワインが2本おいてあった。飲んべえ家族め。俺も席についてビールを注いだ。
「あんた、まだ作家志望なの?」姉が言った。
「ああ、書いてるよ。色々」
「もうそろそろやめたほうがいいんじゃない?母さんいつもあんたのこと心配してんだから。どうせあんたの小説なんてつまんないだろうし」笑いながら姉は言った。俺は無視してハンバーグを口に運んだ。
「そんなことないわよきっと。この子小さい頃から面白い感性持ってるんだから。きっとうまくいくはずっちゃ」母親は言った。
「フォローをありがとう」俺がそう言うとすかさず姉が言った。
「えーそうかなあ、あんたにそんな感性あったかなあ」と言った。まったく、相変わらず可愛げのない姉だ。久しぶりに弟に会ってその態度か。弟とは一生涯弟らしい。父親はその間一言も話さずに黙々とワインを飲んでいた。
次の日、無事に一回忌が自宅で行われた。いろんな親戚の人たちが来ていて、午前中はお坊さんと拝み昼からは豪勢な飯と酒を飲んだ。そこに来ていたのは大半が歳をとっている人たちで、高齢化の渦は荻窪だけの話ではないと実感した。飲み会は夕方を越して夜まで続いた。じいちゃんのいろんな思い出話を聞くのはとても楽しかった。俺がタバコを吸いに玄関を出ると、玄関前には煙草を吹かしている老人がいた。亡くなったじいちゃんの弟の千兄いさんだった。手にはビールの缶が握られている。千兄いさんは元左官屋で、中学を卒業してから最近までバリバリ働いていた。最近は体の調子が悪いらしく、家で奥さんとゆったりとした時間を過ごしているらしい。手は職人特有のゴツゴツした手で、煙草がよく似合う。
「おお、善太郎くん。東京はどうよ」千兄いさんが俺に言った。
「まあ正直、もう東京はあんまり好きじゃなくなりましたね。人間だらけで、建物だってみんな嘘っぱちですよ」俺は煙草に火をつけた。
「そうなんかあ、わしも東京嫌いじゃ。そういえば、善太郎くんは作家志望らしいね。素晴らしいじゃないか」
「いえいえ、素晴らしいなんて、全然です。金にはならないですし」
「いいや、素晴らしいんだよ。自分の意見があると言うことは。実はね、わしも若い時から詩を書くのが趣味でね、あんまり恥ずかしいんで人には言ってなかったんだよ。でも後悔しているよ。もっと世界中の人たちに発信しておけばよかったなあ。今でもたまに書くんだけどね。」夜風が涼しく、遠くの方の山から滝が落ちて岩に当たる音が聞こえてくる。「善太郎くんはどうして詩を書くようになったんだい?」
「どうして…どうしてでしょう。昔から本が好きで、それで…気がつけば書いてました。よく寝る時に頭が言葉でいっぱいになって寝れなくなってしまうんですよ。それで、詩や小説に書き出している感じですかね」俺は言葉に詰まった。千兄さんが詩人だった事に驚いているのもあるが、俺は詩人を前に話した事が無かった。しかも俺が生まれてくるはるか前から詩を書き続けているなんて。80歳を超えた詩人の目でそんな事を聞かれると俺の詩の小ささを意識してしまう。俺はただただ愚痴や不平不満を書いていただけなんじゃないだろうか。
「なるほどねえ、詩を書くには十分すぎる理由よの」
「千兄いさんはなんで書こうと思ったんです?」
「わしは忘れたい事が多かったんだよ。若い頃から。他の人にはどうって事はない物事だったんだろうがね。わしにはこの世界がどうも難解で」千兄いさんはビールをゴクリと飲んだ。「詩人に大切な事は経験よ。いろんな人と会って、傷つく事。笑う事。恥を恐るな」
「恥を恐れるな…」
「そう。これからも東京に飲まれながら書いていくんだよ。決して愛と優しさを忘れたらいけないよ。そうすれば善太郎くんの言葉で世界が変わるからね」
俺は黙った。言葉に詰まるという事ではなく、俺は静かに詩人の言葉に聞き入っていた。その言葉は山から聞こえてくる美しい滝の音のように俺の頭に入ってきた。千兄いさんは靴の裏で煙草の火を消すと、「さて」と言って玄関から中に入っていった。俺は新しい煙草に火をつけてゆっくりと吸って静かに煙を吐いた。鈴虫が近くにいる。一瞬昨日の新宿駅の人混みが浮かんで消えた。俺にはまだまだやる事が残っている。あの東京で。俺は気がすむまで東京に日本に世界に言葉を吐き捨てて生きていこうと思った。そして明日の深夜バスでアパートに帰る事にした。深夜バスの名前はキラキラ号。俺を東京まで運んでくれ。
次の日、飲んべえ家族に別れを告げて深夜バスに乗り込んだ。珍しく父親も駅まで見送りにきていた。キラキラ号でケツを痛くしながら朝方新宿駅に着くと、二日前と変わらずに人々は忙しく動き回っていた。朝方の酔っ払い。始発待ちのギャル。そこに山はなかった。
アパートに着くとデブ猫のパンダがお出迎えをしてくれた。のそのそとやってきて俺の足元をぐるぐるしている。俺はパンダを持ち上げて亀吉のところに抱いて行った。亀吉はバタバタと俺に何かを訴えている。腹減ったか、おかえりか、そんなような事を言っていた。俺は亀吉の煮干しをあげると、パンダのキャットフードの皿を見た。あんだけ山盛りにしていたキャットフードが無くなっている。この愛おしいデブ猫め。俺は冷蔵庫からビールを取って飲んだ。ソファーベッドに腰かけ煙草に火をつけて富山の景色を思い出した。それと富山に住む詩人の顔を。ふと見るとパンダがキャットフードの袋を漁っていた。この愛しいデブ猫め。
今朝ゴミ捨てのついでにポストを覗いてみると一通のポストカードが届いていた。表表紙は広い草原に牛が一頭こっちをじっと見ている写真で、そこにはマジックペンでメッセージが書かれていた。母親からだった。数日前まで父親と一緒に北海道を旅行していたらしい。羨ましいかぎりだ。ポストカードには北海道旅行の自慢話と、今度じいちゃんの1回忌があるから一度帰ってこいという内容だった。俺の実家というのは富山県富山市にある住宅街の一軒家だった。少し歩けば畑が広がっており、立山が住人を見下ろしていて実にのどかな土地だ。俺は一瞬迷った。実家に帰るというのはどうも苦手で、母親はいいのだが父親に問題がある。俺の父親は昔気質の親父で、汗水流して働くことで人生の意味を見出せしていた。自分の子供の笑顔や芸術には興味がないらしい。それと酒だ。それについては母親も同じで、俺はすっかりきっちりとそのDNAを受け継いでしまったらしい。ありがたいことに俺はそのせいでいろんなものを失ってきたわけだが。まあ俺が生まれつき間抜けだったってことも大きく原因はあった。とにかく俺と父親は生まれたときから分かり合うことはなかった。俺が東京の大学に行くときも、父親はよくお前は東京に飲まれるタイプだ、とか、もうお前の帰って来る家はないと思え、だとかよく言われたもんだ。俺はそれを聞き流せるタイプではなかった。なのでひたすらに喧嘩を繰り返した挙句、一切口を聞かないまま俺は富山を出て行った。親父の言う東京に飲まれに行くってやつだ。実際どうだろう。俺はいま東京に飲まれているのだろうか。酒を飲んでる時は俺が東京を飲んでるという錯覚に陥るが、確かにそれ以外は飲まれているのかもしれない。東京で起きる不可思議な出来事に左右されてばかりだった。どっちにしろ詩と真正面から向き合っている間はそんなことはどうでもよかった。父親のことも。父親に最後にあったのは一年前、父方のじいちゃんが亡くなった時の葬式だった。俺はじいちゃんっ子で、父親に教わらない分いろんな事をじいちゃんから学んだ。本や詩や文学の奥深さもじんちゃんから教わったのだ。一回忌。俺は富山に帰る事にした。
数日後の夜11時、俺は新宿駅の夜行バス乗り場にいた。駅のコンビニで買ったブラックニッカの小ビンを開けてすっと飲み込む。喉がじんじんするのを感じながら新宿駅の人混みを眺めた。人はガヤガヤとよく動き回る。用もないのによく動き回る。こんなに人がごった返しているのに俺はひどい孤独感に襲われていた。誰もが誰もに無関心で、こんなに多くの人間とすれ違っているのに誰1人の顔も思い出せない。俺はもう一度ウイスキーの小ビンを傾けて飲んだ。そしてこの都会から数日でも逃れられる事に喜びを感じていた。夜行バスの名は「キラキラ号」埼玉を過ぎ山梨に入り長野に向かう。それから山を回避して一度新潟の方へ北上してから富山駅に向かう。向こうに着く予定時間は朝の5時30分だった。さあキラキラ号、俺を故郷に連れてってくれ。この胸糞悪い東京から全速で逃げてくれ。お前ならやれるさ、キラキラ号。バスの中はほぼ満員で、共に東京から逃げる老若男女の同志たちが座っていた。しばらくするとバス内にアナウンスがかかり、バスはゆっくりと走りだした。これでしばらくの間は東京にいなくてすむ。本来ならデブ猫のパンダと亀吉も連れてきたかったが彼らも彼らの生活がある。我慢してくれ。皿に大量の餌もあるし、酔っ払いがいない分彼らは彼らでのびのび暮らせるだろう。バスの旅は意外と快適だった。思ったよりも席はゆったりしているし、うるさい奴もいない。驚くほどに静かだった。気になることと言えば、窓がカーテンで隠されており外の景色が見えないことだった。それと3時間もするとけつがかち割れるように痛くなってきた。まあそれは我慢するしかなかった。俺は全然寝付けなかった。目をつぶってはみるものの、色々と考え込んでしまう。昔のこと、学生時代のこと、元恋人のこと、実家のこと、親のこと、じいちゃんの死に目にあったときのこと、何時間こうして考えていただろう。気づけばカーテンの隙間から少しだけ白い光が漏れてきていた。寝ていたような寝ていなかったような時間は過ぎ、ついに俺は富山に帰ってきた。東京からの脱出に成功したのだ。よくやったキラキラ号。6月のわりに富山は寒かった。ぼーっと駅の喫煙所でタバコを吸っていると、軽の車が一台ロータリーに入ってきた。見覚えのある車。母親が車の中から俺に手をふっている。俺は車の助手席に乗り込んだ。
「おかえり。あんた元気だった?」母親が嬉しそうに言った。
「まあ元気な時もあるよ」
「そう、まあこっちでしばらくゆっくりしていったらいいっちゃ」
俺の母親はかなり理解がある人で、俺の無謀な夢についても黙って応援してくれている。いちいち仕事はどうとかは聞いてこなかった。母親自体がかなりの自由人なのだった。富山の景色は変わらずに鮮やかな緑を一面に放っていた。20分ぐらい車を走らせて実家に到着した。まだ朝の6時過ぎなのに父親はソファーに座ってコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。そうか、今日は日曜日か。いや、日曜日はゆっくり寝ているもんだろう。俺は帰ってくる時間を間違えたと思ったが、いつかは顔を合わすのだから仕方ないと思い直した。ただいまと一言言って、俺は冷蔵庫に向かい一本ビールを取り出して開けた。コップに注いですすっていると、父親が俺に向かって言った。
「おい、朝から何飲んでんだ?」
「ビール」
父親はため息混じりに言った。
「お前は何にも成長してないな。その感じじゃあどうせ仕事もしてないんだろう」
「ああ、してないよ」
「勝手にしろ」父親はまた新聞に目を戻した。想像はしていたが最悪な幕開けだった。それから俺は何本かビールを飲んだ後に夕食までぐっすりと眠った。
起きると5つ上の姉が帰ってきていた。この姉というのは昔から俺をいじめる事に快感を覚えており、小さい頃はよく泣かされていた。俺は姉の影に隠れる事しか出来ず、時には男勝りな姉にガキ大将から守ってもらう事もあった。男勝りは今も健全らしい。
「やっと起きたの。久しぶり。ほら、ハンバーグだよ、早く食べな」姉がビールを飲みながら言った。食卓には父親、母親、姉の3人が座ってハンバーグを食べていた。米はない。その代わりにあるのはビール瓶が数本とワインが2本おいてあった。飲んべえ家族め。俺も席についてビールを注いだ。
「あんた、まだ作家志望なの?」姉が言った。
「ああ、書いてるよ。色々」
「もうそろそろやめたほうがいいんじゃない?母さんいつもあんたのこと心配してんだから。どうせあんたの小説なんてつまんないだろうし」笑いながら姉は言った。俺は無視してハンバーグを口に運んだ。
「そんなことないわよきっと。この子小さい頃から面白い感性持ってるんだから。きっとうまくいくはずっちゃ」母親は言った。
「フォローをありがとう」俺がそう言うとすかさず姉が言った。
「えーそうかなあ、あんたにそんな感性あったかなあ」と言った。まったく、相変わらず可愛げのない姉だ。久しぶりに弟に会ってその態度か。弟とは一生涯弟らしい。父親はその間一言も話さずに黙々とワインを飲んでいた。
次の日、無事に一回忌が自宅で行われた。いろんな親戚の人たちが来ていて、午前中はお坊さんと拝み昼からは豪勢な飯と酒を飲んだ。そこに来ていたのは大半が歳をとっている人たちで、高齢化の渦は荻窪だけの話ではないと実感した。飲み会は夕方を越して夜まで続いた。じいちゃんのいろんな思い出話を聞くのはとても楽しかった。俺がタバコを吸いに玄関を出ると、玄関前には煙草を吹かしている老人がいた。亡くなったじいちゃんの弟の千兄いさんだった。手にはビールの缶が握られている。千兄いさんは元左官屋で、中学を卒業してから最近までバリバリ働いていた。最近は体の調子が悪いらしく、家で奥さんとゆったりとした時間を過ごしているらしい。手は職人特有のゴツゴツした手で、煙草がよく似合う。
「おお、善太郎くん。東京はどうよ」千兄いさんが俺に言った。
「まあ正直、もう東京はあんまり好きじゃなくなりましたね。人間だらけで、建物だってみんな嘘っぱちですよ」俺は煙草に火をつけた。
「そうなんかあ、わしも東京嫌いじゃ。そういえば、善太郎くんは作家志望らしいね。素晴らしいじゃないか」
「いえいえ、素晴らしいなんて、全然です。金にはならないですし」
「いいや、素晴らしいんだよ。自分の意見があると言うことは。実はね、わしも若い時から詩を書くのが趣味でね、あんまり恥ずかしいんで人には言ってなかったんだよ。でも後悔しているよ。もっと世界中の人たちに発信しておけばよかったなあ。今でもたまに書くんだけどね。」夜風が涼しく、遠くの方の山から滝が落ちて岩に当たる音が聞こえてくる。「善太郎くんはどうして詩を書くようになったんだい?」
「どうして…どうしてでしょう。昔から本が好きで、それで…気がつけば書いてました。よく寝る時に頭が言葉でいっぱいになって寝れなくなってしまうんですよ。それで、詩や小説に書き出している感じですかね」俺は言葉に詰まった。千兄さんが詩人だった事に驚いているのもあるが、俺は詩人を前に話した事が無かった。しかも俺が生まれてくるはるか前から詩を書き続けているなんて。80歳を超えた詩人の目でそんな事を聞かれると俺の詩の小ささを意識してしまう。俺はただただ愚痴や不平不満を書いていただけなんじゃないだろうか。
「なるほどねえ、詩を書くには十分すぎる理由よの」
「千兄いさんはなんで書こうと思ったんです?」
「わしは忘れたい事が多かったんだよ。若い頃から。他の人にはどうって事はない物事だったんだろうがね。わしにはこの世界がどうも難解で」千兄いさんはビールをゴクリと飲んだ。「詩人に大切な事は経験よ。いろんな人と会って、傷つく事。笑う事。恥を恐るな」
「恥を恐れるな…」
「そう。これからも東京に飲まれながら書いていくんだよ。決して愛と優しさを忘れたらいけないよ。そうすれば善太郎くんの言葉で世界が変わるからね」
俺は黙った。言葉に詰まるという事ではなく、俺は静かに詩人の言葉に聞き入っていた。その言葉は山から聞こえてくる美しい滝の音のように俺の頭に入ってきた。千兄いさんは靴の裏で煙草の火を消すと、「さて」と言って玄関から中に入っていった。俺は新しい煙草に火をつけてゆっくりと吸って静かに煙を吐いた。鈴虫が近くにいる。一瞬昨日の新宿駅の人混みが浮かんで消えた。俺にはまだまだやる事が残っている。あの東京で。俺は気がすむまで東京に日本に世界に言葉を吐き捨てて生きていこうと思った。そして明日の深夜バスでアパートに帰る事にした。深夜バスの名前はキラキラ号。俺を東京まで運んでくれ。
次の日、飲んべえ家族に別れを告げて深夜バスに乗り込んだ。珍しく父親も駅まで見送りにきていた。キラキラ号でケツを痛くしながら朝方新宿駅に着くと、二日前と変わらずに人々は忙しく動き回っていた。朝方の酔っ払い。始発待ちのギャル。そこに山はなかった。
アパートに着くとデブ猫のパンダがお出迎えをしてくれた。のそのそとやってきて俺の足元をぐるぐるしている。俺はパンダを持ち上げて亀吉のところに抱いて行った。亀吉はバタバタと俺に何かを訴えている。腹減ったか、おかえりか、そんなような事を言っていた。俺は亀吉の煮干しをあげると、パンダのキャットフードの皿を見た。あんだけ山盛りにしていたキャットフードが無くなっている。この愛おしいデブ猫め。俺は冷蔵庫からビールを取って飲んだ。ソファーベッドに腰かけ煙草に火をつけて富山の景色を思い出した。それと富山に住む詩人の顔を。ふと見るとパンダがキャットフードの袋を漁っていた。この愛しいデブ猫め。
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