あんたが気にもとめない詩人の人生

瀧山 歩ら歩ら

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第7章 友人の訪れ

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今日はどんより雲で日光が隠れているにも関わらず暑い。俺はコンビニで様々な支払いを済ませてから、ビールを1缶買って飲みながら家に歩いていた。汗がひとつ、またひとつと俺の目の横を通り過ぎていく。日光が無い時に暑いというのは目の前に酒があるのに飲めない状況と似ている。こういう状況下にいる時は決まって気分は落ち込んでいて、悲しい事によく詩は浮かんでこない。詩をむりやり考えながらアパートの部屋に着くと目の前に飛び込んできたのは惨劇だった。日雇いで稼いだ金で買ったジャックダニエルの瓶が割れている。濃い茶色の床には濃い茶色の液体が広がっていて、瓶の破片が散らばっていた。なんて事だ。まだ何口かしか飲んでいなかったジャックダニエルの死骸を見てから、辺りを見回した。犯人はわかっていた。犯人は俺のソファーベッドにどんと腰を掛けて座っていて、前足を舐めてはあくびをしていた。俺は彼のその平然としていられる神経を疑いながら、恐る恐る話しかけた。
「パンダくん。ただいま。このジャックダニエルを殺害したのは誰かな?」デブ猫のパンダは黙って前足を舐めている。
「俺がどんな思いをして働いたか分かるかな。一回考えてみてほしい。君はそうやって毎日毎日寝て過ごしているけど、俺はそういう訳には行かないんだ。たまには身を粉にして働く事もある。そうやって稼いだ金で買ったジャックダニエルなんだ。それをお前は殺しやがった」デブ猫のパンダは数回に分けてあくびをした。
「分かった分かった。もういいんだ。俺が悪かったんだな。ごめんよ。きっと地震かなんかがあって倒れたんだろうな」
俺はぶつぶつと文句を垂れながら瓶の死骸を拾い集めていた。その時部屋のベルが鳴ったと同時にドアが開いた。そこには大学時代からの友人のカンタが顔を覗かせていた。
「お前誰と話してたの?」カンタは不思議そうにこちらを見ていた。
「いや、別に」俺は顔が赤くなるのを感じながら答えた。
カンタという男は絵描き志望で、大学時代から奇妙な絵ばかり描いていた。ある日俺が大学のキャンパスを歩いていると、中庭に缶チューハイを片手に絵を描いてるカンタを見つけた。俺の手にも缶チューハイがあり、シンパシーを感じながらカンタに近づいた。背後からカンタ越しに絵を覗いてみると、そこには中庭と全く関係のない女の裸の絵が描かれていた。その女は右手で子宮のあたりを押さえており、左手はピースマークを高々と上げていた。足は少し膝を曲げてクロスしている。背景は虚しい黒と青に塗られていた。俺はカンタの隣に座り、黙って缶チューハイをカンタの前に出した。カンタは少し驚いた様子だったがすぐに真顔に戻り、自分の缶チューハイを掴んで俺の缶チューハイにぶつけた。その頃のカンタは完全に狂っていた。俺らは中庭で絵や詩や芸術について語り合い、缶チューハイを飲み終えてからカンタの絵を片付けさせて近くの居酒屋に向かった。居酒屋についてからも俺とカンタは喋りまくった。お互いのありとあらゆる知識をさらけ出しては相手の知識を吸収しようとした。お互いにこれだけ理解してくれる相手がいなかったのだ。俺たちはどれだけ相手を驚かすような事を言えるか競う様に喋った。夜中の12時を過ぎようとしている時、隣の席にいた30代ぐらいの男が話しかけてきた。
「なんか熱い事話してるねお兄さんたち。学生さん?俺たちも混ぜてくれよ」男は金髪のウェーブした髪を気にしながら言った。男の目前の席には化粧の濃い女が座っており、にやにや顔で俺らを見ていた。
「いや、今はこいつともっと話したいんで。すいませんね」カンタが言った。カンタのクールな態度に俺は俄然カンタに興味を持った。
「まあそう言うなって。なんか絵がどうとか作家がどうとかって聞こえてきたけど、そんなんどうでもよくてさ、夢なんて絶対叶わないわけだろ?もっと遊んだ方がいいよ若いんだからさ」男はそう言うと目の前の酒を飲み干した。だいぶ酔っ払っている。俺もカンタもだいぶ飲んでいて、次にそいつが絡んできたら言い返そうと俺は思っていた。だがその出番はなく、次の瞬間にはカンタが男の胸ぐらを掴み上げて立たせ、自分の顔を男の顔にぐっと近づけた。カンタの身長はおそらく180cm後半でかなりのデカさだった。男はおそらく160cmぐらいの小男でカンタを見上げていた。カンタは鼻息を荒くしながら男を睨み、男は震えながらカンタを見上げ、女は叫び店員の何人かが慌てて走ってきた。俺はその光景を見ながらウーロン杯の濃い目をすすっていた。結局俺とカンタは店を追い出され、夜中の学生街をふらついた足で朝までさまよい互いの家に帰っていった。それ以来カンタとは喧嘩と爆笑を繰り返して過ごしてきた。カンタは俺より先に9ヶ月で大学を辞め、一度はスーパーに就職したがクビになり今では俺と似たり寄ったりの生活をしていた。

「嘘つけ。誰かと話してただろ。廊下まで聞こえてきたぞお前の声」カンタはドアを閉めながら言った。
「独り言だよ。今日はどうした。来る時は連絡ぐらい入れてくれ」
「駄目だ。この前携帯止められたんだ。もうただの薄っぺらい板だよこんなもん」
「ざまあみろだな」俺は笑いながら言った。
「お前こそなんだこのざまは。酔っ払ってるのか?」カンタは床に散らばるジャックダニエルを見ながら言った。
「いや、いろんなハプニングがあってね。ビール飲むか?」
「もらうよ」カンタは俺の冷蔵庫を開けてビールを取り出しゴクゴクと飲み始めた。一瞬のうちにビールは無くなり、カンタはもう一本取り出すとすすりながらソファーベットに腰をかけた。デブ猫のパンダを抱き寄せてじゃれあっている。そのうちにカンタはパンダの股を広げさせて、パンダの睾丸を軽い力でデコピンし始めた。カンタの口角はニヤニヤと右に上がり、嬉しそうにビールを飲んでいる。パンダはまんざらでもない顔でカンタにもたれ掛け、気持ちよさそうに目をつぶっている。このプレーはカンタがうちにやって来た時まず最初に行われるのである。亀吉はいつもそのプレーを羨ましそうに眺めていた。完全に狂っている。デブ猫のパンダはそれに飽きると亀吉の隣に行って自慢げに眠りについた。たわいもない会話はいつもその後だ。
「最近書けてるか?」カンタが3本目のビールを取り出しながら行った。
「いいや。全然ダメだ。この前派遣のバイトに行ったっきり何にもやる気が起きなくてね」ジャックダニエルの死骸を全部片付けてから、俺はソファーベッドのカンタの横に腰をおろした。2人ともビールを飲んでいる。俺が言った事は本当だった。久しぶりに派遣のバイトに行ったらそこはガラス工場で、ベルトコンベアから流れてくる小瓶をひたすら手に取り上げて横の箱に入れていくというなんとも阿保な仕事だった。作業中は何も考えずに死んだ心で黙々と仕事をこなしていればいいのだが、何よりも厳しいのが休憩時間の控室だった。あの知らないもの同士のよそよそしさが俺をイライラさせた。そして3時の休憩の時には俺以外の派遣の奴らはみんな友達同士になっていた。朝のよそよそしさは無くなり、奴らはガヤガヤと喋りまくっていた。俺は1人で缶コーヒーをすすりながらイヤホンをつけて音楽を適当に流し始めた。ああいう状況は精神に悪い。帰る頃には俺の精神はズタボロになっていて、疎外感と孤独感を連れて金を受け取りアパートに帰って行った。それからというもの何も手につかなかった。
「そうか、そいつはまずいなあ。俺もお前も書くものは違えど書く手を休めてる暇は無いはずだぞ」カンタが真剣な顔で言った。
「わかってるさ。知ってるよ。だけど今は休憩だ。少しゆっくりと旅にでも出てみるか」
「旅か。まあ正直言うと、実は俺もここ数日絵を描く手が止まってるんだよ。心の奥から湧いてくるものが無くてね。ぐおおっと」
「ならどっか田舎に遊びに行くか」
「そうするか。田舎ってどこだ?」
「都心以外だよ」
「ならここは?荻窪」
「田舎じゃない」
「都心でもないだろうが」
カンタがそう言ってから誰も話さなくなった。ただ部屋に亀吉が泳いで手に水が当たる音だけが響いていた。俺はビールを取りに立った。
「ならまず関東を出てみないか」カンタが言った。
「どこだ?西か東か」俺はカンタの隣に座ってビールを開けた。
「そうだな、西だ。方言がある場所がいい。標準語は聞き飽きたしイライラしてくるんだ」
「いいな。西の海があるとこだ」
「というと、大阪か?」
「大阪かあ…悩みどころだな。ゆっくりはできないんじゃないか?」
「確かにな。なら広島だ」
「なんで?」
「なんで?原爆ドームがあるからに決まってるだろう。言ったことあるか?」
「いやない」
「なら行くべきだ。日本人として。お前なら詩人として」
俺は思い浮かべた。原爆ドームの事を。戦場を。昔教科書で見た凛々しい少年兵隊の姿を。広島の緑に包まれた田園風景を。そして広島の海を。
「いいかもしれないな。今の俺たちには必要なことかもしれない。こんな貧しい表現者にこそ歴史は味方してくれんだろうぜ」俺は言った。
「よし。行くか。広島。あの地でとことん酔っ払おう」
「おう。まずはここで酔っ払おう」
「おう。乾杯」
「乾杯」
俺たちはビールの缶をぶつけた。あの頃大学の中庭で缶をぶつけたように。カンタは絵描きで、俺は物書き。バランスのとれた関係だった。しかし問題なのは、俺たちが会うたびにこういう会話を繰り返しているという事だった。どこかに思いを馳せては語り合う。そのくせそれを実行した試しが無かった。酒で景気をつけて、酒が切れれば落ち込み、現実的になり、外に出ようとしない。俺たちに必要なのは広島行きのチケットと、金と、酒と、駅に向かう気持ちと自分の足だった。そしてその条件が2人して満たされる事はなかなか無かった。おそらく今回の広島も行かずじまいだろう。なんと情けない。それをカンタも分かっていたはずだった。しかし、この会話が何よりも楽しいということもカンタは分かっていた。いろんな土地を夢見ては思いを馳せ、2人で酒を飲みながら語り合う。その現実逃避に塗れた会話が何よりも2人の幸福だ。
外は暗くなり、カンタは計1ダースのビールを胃袋に流し込んで寝てしまった。とんだ酒飲みだ。俺はボーっとした頭で宙を見ていた。まだ思いを馳せていた。いつか物書きで金がもらえたら広島の海沿いに小さな家を建てよう。それから亀吉の水槽ももっと大きなものにしよう。デブ猫のパンダには仲間を増やしてやろう。いらないと言われればやめよう。カンタを家によんで自慢してやろう。母さんを呼んで美味いもの食わしてやろう。好きな事を好きなだけしよう。急にパンダが俺の膝に飛び乗ってきた。俺はパンダを撫でながらまた思いを馳せ始めた。そのうちにゆっくりと、ゆっくりと視界は狭くなり、俺は思いを馳せながら眠りについていった。朝起きた時にはカンタは帰っていなくなっていた。気付けばカンタと共に俺の心の傷もなくなっていて、俺は紙とペンを引き出しから引っ張り出した。カリカリと鉛筆の音が響く。すると、昨日カンタが積み上げた空き缶のタワーが大きな音を立てて崩れた。一瞬この部屋にいる生き物全員がビクッと固まった。カンタめ。俺はそう呟いてまた鉛筆を手に取った。
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