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単発短編集
貸しつき加湿器
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*
貴族、生きた化石のような連中だ。
奴らは歴史上栄華を極め、力を保持し時代を好きなように作り上げた勝者。だが民主主義、人民平等が掲げられる現代社会においてそんな力ある存在とは発展を疎む障害物でしかなくなった。だが障害物にしては力を持ちすぎていた。
だから奴らは西海岸の小さな街に押しやるように現代から隔離され、
そこで望む過去を生きてくれ、と。
こちらは先進的な社会を作るので、と。
利害だけの話をすれば一致し、貴族の為の街という特別行政区が出来た。だから基本、国民は貴族の街に住みたくないし、貴族もまた、奴らの街から出ない。
だが、時折違うやつもいるらしく、俺の通う首都の警察学校のクラスに1人居た。
そういう、貴族様の街からわざわざ出てきて一般市民の面を被る選択をした奴が。
「またアイツがトップ成績だってよ。凄いねぇ」
「貴族様だろ?金で買ってんに決まってんじゃん」
「はー、有り得な賄賂とか。そーゆーの、まじルピシエ市だけにしてくんねーと困るわ」
「ま、けどくそ教官に媚び売れるだけ才能だよな。俺は無理だわあ」
マリウス・アーサー・バーネット。
それがその貴族の名前だった。成績はいつもトップの優等生で学校内でも名前が通る有名人。
優秀だから、と言うより、貴族だからが正しい。単純に珍しいのだ。
俺自身、貴族という人種をこの年まで見たこと無かったが、古風に伸ばした髪、堅苦しい言葉遣い、やはり異質なオーラを醸し出していた。
そしてもう1つ違うのは、全く他人と口を聞かないという所。話すのは議論の時だけ、下々の連中と話す気は無いとお高くとまっているのか、このクラスの奴は全員、その貴族と会話らしい会話をした事なんてない。
「なあヴァレリー」
わざわざ、同意を求める様に呼ばれるのだから迷惑な話だ。
「馬鹿な奴だよな。そんな金あったら一生遊んでりゃいいのにさ」
「遊ぶつってもあの街クラブとかなくね」
「そーそ、舞踏会とかじゃねーんだ?」
「化石かよ舞踏会は笑うわ」
催促され、それっぽい事を吐いたつもりがこうも尾ひれが付けられたとは。
警察になる前段階に立つ人間同士でも、腫れ物は腫れ物であり時には、今現在静かに席で本を読むその無害な背中を嘲りたい奴もいるのだ。
同じ教室にいるのだから、あの貴族にもこれは聞こえているのだろう、だが奴は全く聞こえないように本を読む手を止めない。
まさしく固まり集まってグダるこちらとは対の存在なのだろう。こんなクラスメイトの構図は、学生時代にも見てきたが、何年経とうと変わらないのは一方的な暴力構図が出来上がってるということ。
こんな奴がゆくゆくは街のお巡りさんと慕われるのか、そう思うと鼻で笑いたくなるが、いちいち未熟なこいつらの陰口を注意する気にもならない。
ガキの遊びに偽善を振りかざす注意は割に合わない。そんな苦労を掛けてやる義理があの貴族の何処にある。
ならどうするか、どうもしなきゃいい。現に本人がそうなのだから。
本当に嫌ならアクションのひとつ見せればいいものを。自分が動かないで他人から救われる事を期待するのもまた、ガキのやること。どうにしろガキに利用される気も俺はない。
この街の法だの憲法だの、社会のしくみをガキが初めて見る絵本の様に読み漁る貴族様にここの先輩から忠告だが、ここはなんでも自己責任。
自身の権利を主張したもの勝ち、他人には不干渉。
それが貴族を押しやった現代が望んだ形だ。
「つーかさアイツの家、成金らしいじゃん?共食いしてでかくなった家って」
思い立った様に口を開いた馬鹿は、俺に募金してくねーかなーと続けてヘラヘラ笑う。どうせカツアゲの事だ、本当に危害を与えたら法的に加害者になる。言い逃れできないってのに。
救われないガキへの哀れさをため息が出る。
「共食いねぇ」
他人をつついて出る埃を食い優越感に浸ってる事かあ?とは言わないが。
そいつは嬉嬉として説明し出す。
「前にこっちでもニュースなってたやつだよ。ウィンザーってでかい貴族が全滅したって話。でそん時アイツがそこの遺産くっそ貰って…」
「なあ」
遮るように発せられた聞き覚えのない声に、その場の誰もが正面を振り向いた。勿論俺も。
俺達の前に仁王立ちしたそいつは、真っ赤な双眸に冷ややかな感情をのせていた。
本にしか落ちる事の無かったその視線が、目の前でこちらを貫いている。
あのマリウスだ。
「え?なに」困惑を笑って隠しながら1人が答える。
その男に赤い視線が流れる様子を俺は静かに眺めていた。
なにか現状が変わりそうな気配に少し口元がニヤけたが、だが奴が初めてクラスメートに話しかけた言葉とは、首を傾げたくなるものだった。
「この部屋に加湿器はないのか」
「は?……ねーけど」
「そうか」
えーなに、怖いんだけど
まじのヤベー奴じゃん
本人を前にして囁かれる悪態を、俺ですら思った。
支離滅裂な人間程、理解し難く異質で気味が悪いものは無い。
だからマリウスが胸ポケットに手を突っ込んだ時は、何をしだすか予測もつかず、銃でも出てきて逆上した奴に皆殺しにされるのかと思った。
だが出てきたのはもっと支離滅裂なもの、そのままポイと投げられ足元に転がってきたのは、紐で括られ丸められた札束だった。
「俺はまだこの街に疎くてな、悪いがこの金で買ってきては貰えないか」
「なにを?ふっ、加湿器?」
「ああ、明日に用意してくれればいい。頼めるか」
「別にいいけど」
「ならそうしてくれ」
そう言い残し、大金を俺達に投げ捨てた奴は、くるりと背を向けると教室を出ていった。
本を抱えるその背中は小さく、しっぽを巻いて逃げ帰るとはこの事を言うのだろう。
肩透かしもいい所だった。
居なくなったのを見計らってから間もなくして、1人が金を拾い上げ数え始めた。数えても数えても終わらない束に歓喜の声が上がって、
何する?何買う?何処に行く?
いやいや、そんなのより!
騒ぎ始めるまでには時間がかからなかった。
数分前に成績を買収したなんて愚痴っていた事をすすっかり忘れ、こいつら買収されてやがる。
金でしか解決出来ない方も、金で舞い上がる方も、やっぱり何奴も此奴もくだらない。
緩んでいたはずの口はもう、ため息が出て仕方がなかった。
*
翌日、いつもより早く登校してやると、ガランとした教室は想像通り一つの席だけ埋まっていた。
窓側の席でマリウスは朝日を浴びながら、昨日の放課後と変わらない姿勢で本を読んでいた。
いつもなら気にも止めない景色の一環だが今日は違う、一直線に奴の席に向かいビニールの買い物袋を卓上に置いた。
「お前、アイツらが加湿器買ってきてくれると本当に思ってたのか?」
マリウスは何も言わず、本のページを捲る。昨日あの馬鹿らに屈したくせに冷静を装うなんて。
今更すぎるんだよ。
神経が逆撫でられた。
「なんで加湿器が欲しいのか知らねーけど。俺さ、お前は賢い奴だって思ってたのに、金渡して見逃してくださいってのは正直ガッカリだわ。もうちょっと考えらんねえのかよ」
「あんなのは撒き餌だ、俺に意見したいのなら少しは考えてから言葉にしろ」
ピシャリと言い放ったマリウスは、本を強く閉じた。
そして射抜いてきたのは昨日のように冷めた感情を浮かばせる視線だ。間近で見たその威圧的な目力には、
同級とはいえ、
昨日の負け犬とはいえ強がりを吐いているとはいえ、
自然と怯んでいる自分がいる。これが貴族の持ちうるなにかなのだろうか。
ムカついた苛立ちは舌打ちとなった。
「言っとくけど、加湿器なんて誰も買っては来ないぜ。お前が渡した金で昨日、アイツらは遊び呆けたんでな。好きなもん食ってクラブで夜通し酒飲んで遊んで、貴族様ありがとーってさ」
「奴らが物を買わせるのに不適任な事くらい簡単に分かる。金の味を覚えさせるのが狙いだ」
「ああ覚えただろうよ。何しても足りねー足りねー言う連中なんでね、あんな大金ぽんと渡せる貴族様には今日なんて直接せびりに来るだろうよ」
「なら好都合だ。その為の投資だからな」
マリウスは顔色一つ変えずに言った。
「成績上位5名は三級犯罪に限り逮捕権が認められているのは該当者のお前も知っているだろう。それを利用させてもらう」
「は?」
唖然としたのは俺の方だった。
三級犯罪とは事件性の低い犯罪を指す。
アイツらが今日この後、この貴族にするだろうカツアゲは恐喝罪に当たる。そして恐喝罪とは三級犯罪に分類されるとは、この缶詰状態の学校で耳が腐るほど聞いた警察官としての基礎知識だ。
ということは、首席のコイツはまさか、
「逮捕して、警察に突き出す」
マリウスは断言した。
「はあ??」
色々頭を巡った言葉はどこへやら、口から盛れたのは意味すらなさないものだった。
恐らく、撒き餌と言う以上マリウスは同級に犯罪、つまりカツアゲを促していたことになる。
カツアゲする方も救いようのない加害者だが、それを裏で操るコイツも悪人のそれだ。
だと言うのにこの貴族は、素知らぬ顔でさも逮捕し、逮捕の正当性を認められれば、警察学校の卒業過程を満たしたとして、飛び級で即警官入りを果たすというわけだ。
同級を蹴り落として自身の経歴に泊を付ける、そんなシナリオをこの貴族は作り上げ、そして実行したのだ。
「……お前、情とかねぇのかよ」
「同情はする。法ばかりに守られたせいで秩序とモラルの欠けた人間に育ってしまったのは、なにも彼らだけの責任とは言えないだろうしな」
だが、とマリウスは続ける。同情しているのは口だけだろう。軽蔑しているような口ぶりだ。
「だが俺も当主でな。言われっぱなしでは当主として従者に顔向けが出来ない。だがこの街には個人間での解決が、果し合いの決闘が認められていないという。
であれば、法治国家らしく法で勝負させてもらうしかないだろう。だから奴らには法律で定められた加害者になってもらう必要があるんだ」
「お前タチ悪ーな。喋んねえし急に加湿器とか言うからフツーに頭おかしい奴だと思ってたのにさ。
いや、おかしいよな、仲間逮捕するとか言ってんだから」
「貴族を仲間と見なさないのはお前達だろうが」
「お前達って、おいまさか俺も逮捕するつもりか?俺はお前のことおかしいと思うけど気に入りはしたんだぜ?正直あの連中が警察官とか、世も末だし構わねーけどさ。そこに俺を一緒にするってのは困るな。これでもお前の次には優秀なんだぜ」
「そんな言葉を連ねれば免罪符になるとでも思っているのか?俺は仲間だなんだと都合のいい時ばかり群れていたくせに即座に切り捨てる薄情な人間は、大嫌いなんだ。反吐が出る程にな」
「薄情だあ?お前との約束守ってやったのに」
「約束だと?薄情な奴は記憶も希薄なのか?」
その袋開けてみろよ、と買い物袋を指差した。
怪訝そうなマリウスは、俺が机にそれを置いた事を今気づいた風で。壊れ物かはたまた奇妙な物を触るかの様に慎重に、恐る恐るビニール袋の中に手を突っ込む。
箱の中身はなんだろな、でもやっているつもりか。
口答えは早いくせに、さっさとしろよ……。
「なんだこれは」
コップと、
水と
ペーパー加湿器、
袋の中身を机に並べるマリウスは怪訝そうに俺を見上げてくる。昨日100均で買ってきたものだが、貴族様には些か難しすぎたらしい。
「そのコップに水入れて、その紙みてぇなの入れんだよ。そーすると加湿器になる」
「本当か?」
「ああ、知らないけど。そー書いてあるし、そーなんじゃね?」
ふうん、と益々怪訝そうなマリウスだったが、ふと取扱説明書に視線を戻せば、さながら爆弾処理でもするかのように真面目で神妙な顔をしながら、コップの中に小さな加湿器を作り上げた。
本当にこれで加湿効果があるのかは知らないが。
マリウスは再び俺を見上げると、出来たぞと言わんばかりに片眉を上げた。鼻につきはするのだが、その顔は少し満足気にも見えて。
「ふっ……なんなんだよ」
「いや、礼を言う。口実だったとはいえお前に手間をかけさせたのは俺だ。有難くいただこう」
面食らった。
なんとも意外な返し。計算高く悪どい奴だが礼は言えるらしい。
「まさか本当に加湿器を買ってこいなんて馬鹿げた願いを聞き届ける馬鹿正直者が居たとは思わなかったからな」
口は悪いが。
鼻で笑って、前の席の椅子を引き腰掛けた。無意識だったが個人としてコイツ自身に興味を持ったのはこの瞬間だったと思う。
「なあマリウス、どうせ今期は俺とお前ぐらいしか優秀じゃないんだ。いがみ合ってたって今後生き苦しくなるだけだろ?加湿器の貸しって事でこれからも一つ仲良くしようぜ?」
「おかしいな。俺は何もしていないし、そもそも加湿器代の金は俺が払ったんだが」
「あのなぁ、人件費っつーのがここにはあるんだよ分かるか?物の代金だけじゃ人は動かねぇの」
「……人件費ぐらい何処にだってある」
あの後、なぜ加湿器を求めたのか聞いた。すると奴はキョトンとこう言ってきた。
「使うも何も、空調管理がなっていないから気になっていただけだ。この学校は湿度を保たせないのか?」
「ああ、そー。貴族様の学校は過保護なんだな。ま、どーせたかが100均だからあんま期待すんなよ。詐欺とか言われてもこっち、困るんで」
「ああ、値段が均一の店か。計算が出来ない市民用の店かと思っていたが、こうも便利な物も置いているんだな」
「は?」
「100ドルなら構わん。いい買い物をしたな」
「まじかよ」
貴族、生きた化石のような連中だ。
奴らは歴史上栄華を極め、力を保持し時代を好きなように作り上げた勝者。だが民主主義、人民平等が掲げられる現代社会においてそんな力ある存在とは発展を疎む障害物でしかなくなった。だが障害物にしては力を持ちすぎていた。
だから奴らは西海岸の小さな街に押しやるように現代から隔離され、
そこで望む過去を生きてくれ、と。
こちらは先進的な社会を作るので、と。
利害だけの話をすれば一致し、貴族の為の街という特別行政区が出来た。だから基本、国民は貴族の街に住みたくないし、貴族もまた、奴らの街から出ない。
だが、時折違うやつもいるらしく、俺の通う首都の警察学校のクラスに1人居た。
そういう、貴族様の街からわざわざ出てきて一般市民の面を被る選択をした奴が。
「またアイツがトップ成績だってよ。凄いねぇ」
「貴族様だろ?金で買ってんに決まってんじゃん」
「はー、有り得な賄賂とか。そーゆーの、まじルピシエ市だけにしてくんねーと困るわ」
「ま、けどくそ教官に媚び売れるだけ才能だよな。俺は無理だわあ」
マリウス・アーサー・バーネット。
それがその貴族の名前だった。成績はいつもトップの優等生で学校内でも名前が通る有名人。
優秀だから、と言うより、貴族だからが正しい。単純に珍しいのだ。
俺自身、貴族という人種をこの年まで見たこと無かったが、古風に伸ばした髪、堅苦しい言葉遣い、やはり異質なオーラを醸し出していた。
そしてもう1つ違うのは、全く他人と口を聞かないという所。話すのは議論の時だけ、下々の連中と話す気は無いとお高くとまっているのか、このクラスの奴は全員、その貴族と会話らしい会話をした事なんてない。
「なあヴァレリー」
わざわざ、同意を求める様に呼ばれるのだから迷惑な話だ。
「馬鹿な奴だよな。そんな金あったら一生遊んでりゃいいのにさ」
「遊ぶつってもあの街クラブとかなくね」
「そーそ、舞踏会とかじゃねーんだ?」
「化石かよ舞踏会は笑うわ」
催促され、それっぽい事を吐いたつもりがこうも尾ひれが付けられたとは。
警察になる前段階に立つ人間同士でも、腫れ物は腫れ物であり時には、今現在静かに席で本を読むその無害な背中を嘲りたい奴もいるのだ。
同じ教室にいるのだから、あの貴族にもこれは聞こえているのだろう、だが奴は全く聞こえないように本を読む手を止めない。
まさしく固まり集まってグダるこちらとは対の存在なのだろう。こんなクラスメイトの構図は、学生時代にも見てきたが、何年経とうと変わらないのは一方的な暴力構図が出来上がってるということ。
こんな奴がゆくゆくは街のお巡りさんと慕われるのか、そう思うと鼻で笑いたくなるが、いちいち未熟なこいつらの陰口を注意する気にもならない。
ガキの遊びに偽善を振りかざす注意は割に合わない。そんな苦労を掛けてやる義理があの貴族の何処にある。
ならどうするか、どうもしなきゃいい。現に本人がそうなのだから。
本当に嫌ならアクションのひとつ見せればいいものを。自分が動かないで他人から救われる事を期待するのもまた、ガキのやること。どうにしろガキに利用される気も俺はない。
この街の法だの憲法だの、社会のしくみをガキが初めて見る絵本の様に読み漁る貴族様にここの先輩から忠告だが、ここはなんでも自己責任。
自身の権利を主張したもの勝ち、他人には不干渉。
それが貴族を押しやった現代が望んだ形だ。
「つーかさアイツの家、成金らしいじゃん?共食いしてでかくなった家って」
思い立った様に口を開いた馬鹿は、俺に募金してくねーかなーと続けてヘラヘラ笑う。どうせカツアゲの事だ、本当に危害を与えたら法的に加害者になる。言い逃れできないってのに。
救われないガキへの哀れさをため息が出る。
「共食いねぇ」
他人をつついて出る埃を食い優越感に浸ってる事かあ?とは言わないが。
そいつは嬉嬉として説明し出す。
「前にこっちでもニュースなってたやつだよ。ウィンザーってでかい貴族が全滅したって話。でそん時アイツがそこの遺産くっそ貰って…」
「なあ」
遮るように発せられた聞き覚えのない声に、その場の誰もが正面を振り向いた。勿論俺も。
俺達の前に仁王立ちしたそいつは、真っ赤な双眸に冷ややかな感情をのせていた。
本にしか落ちる事の無かったその視線が、目の前でこちらを貫いている。
あのマリウスだ。
「え?なに」困惑を笑って隠しながら1人が答える。
その男に赤い視線が流れる様子を俺は静かに眺めていた。
なにか現状が変わりそうな気配に少し口元がニヤけたが、だが奴が初めてクラスメートに話しかけた言葉とは、首を傾げたくなるものだった。
「この部屋に加湿器はないのか」
「は?……ねーけど」
「そうか」
えーなに、怖いんだけど
まじのヤベー奴じゃん
本人を前にして囁かれる悪態を、俺ですら思った。
支離滅裂な人間程、理解し難く異質で気味が悪いものは無い。
だからマリウスが胸ポケットに手を突っ込んだ時は、何をしだすか予測もつかず、銃でも出てきて逆上した奴に皆殺しにされるのかと思った。
だが出てきたのはもっと支離滅裂なもの、そのままポイと投げられ足元に転がってきたのは、紐で括られ丸められた札束だった。
「俺はまだこの街に疎くてな、悪いがこの金で買ってきては貰えないか」
「なにを?ふっ、加湿器?」
「ああ、明日に用意してくれればいい。頼めるか」
「別にいいけど」
「ならそうしてくれ」
そう言い残し、大金を俺達に投げ捨てた奴は、くるりと背を向けると教室を出ていった。
本を抱えるその背中は小さく、しっぽを巻いて逃げ帰るとはこの事を言うのだろう。
肩透かしもいい所だった。
居なくなったのを見計らってから間もなくして、1人が金を拾い上げ数え始めた。数えても数えても終わらない束に歓喜の声が上がって、
何する?何買う?何処に行く?
いやいや、そんなのより!
騒ぎ始めるまでには時間がかからなかった。
数分前に成績を買収したなんて愚痴っていた事をすすっかり忘れ、こいつら買収されてやがる。
金でしか解決出来ない方も、金で舞い上がる方も、やっぱり何奴も此奴もくだらない。
緩んでいたはずの口はもう、ため息が出て仕方がなかった。
*
翌日、いつもより早く登校してやると、ガランとした教室は想像通り一つの席だけ埋まっていた。
窓側の席でマリウスは朝日を浴びながら、昨日の放課後と変わらない姿勢で本を読んでいた。
いつもなら気にも止めない景色の一環だが今日は違う、一直線に奴の席に向かいビニールの買い物袋を卓上に置いた。
「お前、アイツらが加湿器買ってきてくれると本当に思ってたのか?」
マリウスは何も言わず、本のページを捲る。昨日あの馬鹿らに屈したくせに冷静を装うなんて。
今更すぎるんだよ。
神経が逆撫でられた。
「なんで加湿器が欲しいのか知らねーけど。俺さ、お前は賢い奴だって思ってたのに、金渡して見逃してくださいってのは正直ガッカリだわ。もうちょっと考えらんねえのかよ」
「あんなのは撒き餌だ、俺に意見したいのなら少しは考えてから言葉にしろ」
ピシャリと言い放ったマリウスは、本を強く閉じた。
そして射抜いてきたのは昨日のように冷めた感情を浮かばせる視線だ。間近で見たその威圧的な目力には、
同級とはいえ、
昨日の負け犬とはいえ強がりを吐いているとはいえ、
自然と怯んでいる自分がいる。これが貴族の持ちうるなにかなのだろうか。
ムカついた苛立ちは舌打ちとなった。
「言っとくけど、加湿器なんて誰も買っては来ないぜ。お前が渡した金で昨日、アイツらは遊び呆けたんでな。好きなもん食ってクラブで夜通し酒飲んで遊んで、貴族様ありがとーってさ」
「奴らが物を買わせるのに不適任な事くらい簡単に分かる。金の味を覚えさせるのが狙いだ」
「ああ覚えただろうよ。何しても足りねー足りねー言う連中なんでね、あんな大金ぽんと渡せる貴族様には今日なんて直接せびりに来るだろうよ」
「なら好都合だ。その為の投資だからな」
マリウスは顔色一つ変えずに言った。
「成績上位5名は三級犯罪に限り逮捕権が認められているのは該当者のお前も知っているだろう。それを利用させてもらう」
「は?」
唖然としたのは俺の方だった。
三級犯罪とは事件性の低い犯罪を指す。
アイツらが今日この後、この貴族にするだろうカツアゲは恐喝罪に当たる。そして恐喝罪とは三級犯罪に分類されるとは、この缶詰状態の学校で耳が腐るほど聞いた警察官としての基礎知識だ。
ということは、首席のコイツはまさか、
「逮捕して、警察に突き出す」
マリウスは断言した。
「はあ??」
色々頭を巡った言葉はどこへやら、口から盛れたのは意味すらなさないものだった。
恐らく、撒き餌と言う以上マリウスは同級に犯罪、つまりカツアゲを促していたことになる。
カツアゲする方も救いようのない加害者だが、それを裏で操るコイツも悪人のそれだ。
だと言うのにこの貴族は、素知らぬ顔でさも逮捕し、逮捕の正当性を認められれば、警察学校の卒業過程を満たしたとして、飛び級で即警官入りを果たすというわけだ。
同級を蹴り落として自身の経歴に泊を付ける、そんなシナリオをこの貴族は作り上げ、そして実行したのだ。
「……お前、情とかねぇのかよ」
「同情はする。法ばかりに守られたせいで秩序とモラルの欠けた人間に育ってしまったのは、なにも彼らだけの責任とは言えないだろうしな」
だが、とマリウスは続ける。同情しているのは口だけだろう。軽蔑しているような口ぶりだ。
「だが俺も当主でな。言われっぱなしでは当主として従者に顔向けが出来ない。だがこの街には個人間での解決が、果し合いの決闘が認められていないという。
であれば、法治国家らしく法で勝負させてもらうしかないだろう。だから奴らには法律で定められた加害者になってもらう必要があるんだ」
「お前タチ悪ーな。喋んねえし急に加湿器とか言うからフツーに頭おかしい奴だと思ってたのにさ。
いや、おかしいよな、仲間逮捕するとか言ってんだから」
「貴族を仲間と見なさないのはお前達だろうが」
「お前達って、おいまさか俺も逮捕するつもりか?俺はお前のことおかしいと思うけど気に入りはしたんだぜ?正直あの連中が警察官とか、世も末だし構わねーけどさ。そこに俺を一緒にするってのは困るな。これでもお前の次には優秀なんだぜ」
「そんな言葉を連ねれば免罪符になるとでも思っているのか?俺は仲間だなんだと都合のいい時ばかり群れていたくせに即座に切り捨てる薄情な人間は、大嫌いなんだ。反吐が出る程にな」
「薄情だあ?お前との約束守ってやったのに」
「約束だと?薄情な奴は記憶も希薄なのか?」
その袋開けてみろよ、と買い物袋を指差した。
怪訝そうなマリウスは、俺が机にそれを置いた事を今気づいた風で。壊れ物かはたまた奇妙な物を触るかの様に慎重に、恐る恐るビニール袋の中に手を突っ込む。
箱の中身はなんだろな、でもやっているつもりか。
口答えは早いくせに、さっさとしろよ……。
「なんだこれは」
コップと、
水と
ペーパー加湿器、
袋の中身を机に並べるマリウスは怪訝そうに俺を見上げてくる。昨日100均で買ってきたものだが、貴族様には些か難しすぎたらしい。
「そのコップに水入れて、その紙みてぇなの入れんだよ。そーすると加湿器になる」
「本当か?」
「ああ、知らないけど。そー書いてあるし、そーなんじゃね?」
ふうん、と益々怪訝そうなマリウスだったが、ふと取扱説明書に視線を戻せば、さながら爆弾処理でもするかのように真面目で神妙な顔をしながら、コップの中に小さな加湿器を作り上げた。
本当にこれで加湿効果があるのかは知らないが。
マリウスは再び俺を見上げると、出来たぞと言わんばかりに片眉を上げた。鼻につきはするのだが、その顔は少し満足気にも見えて。
「ふっ……なんなんだよ」
「いや、礼を言う。口実だったとはいえお前に手間をかけさせたのは俺だ。有難くいただこう」
面食らった。
なんとも意外な返し。計算高く悪どい奴だが礼は言えるらしい。
「まさか本当に加湿器を買ってこいなんて馬鹿げた願いを聞き届ける馬鹿正直者が居たとは思わなかったからな」
口は悪いが。
鼻で笑って、前の席の椅子を引き腰掛けた。無意識だったが個人としてコイツ自身に興味を持ったのはこの瞬間だったと思う。
「なあマリウス、どうせ今期は俺とお前ぐらいしか優秀じゃないんだ。いがみ合ってたって今後生き苦しくなるだけだろ?加湿器の貸しって事でこれからも一つ仲良くしようぜ?」
「おかしいな。俺は何もしていないし、そもそも加湿器代の金は俺が払ったんだが」
「あのなぁ、人件費っつーのがここにはあるんだよ分かるか?物の代金だけじゃ人は動かねぇの」
「……人件費ぐらい何処にだってある」
あの後、なぜ加湿器を求めたのか聞いた。すると奴はキョトンとこう言ってきた。
「使うも何も、空調管理がなっていないから気になっていただけだ。この学校は湿度を保たせないのか?」
「ああ、そー。貴族様の学校は過保護なんだな。ま、どーせたかが100均だからあんま期待すんなよ。詐欺とか言われてもこっち、困るんで」
「ああ、値段が均一の店か。計算が出来ない市民用の店かと思っていたが、こうも便利な物も置いているんだな」
「は?」
「100ドルなら構わん。いい買い物をしたな」
「まじかよ」
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