マトリックズ:ルピシエ市警察署 特殊魔薬取締班のクズ達

衣更月 浅葱

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単発短編集

死んだら終わりと彼の口は今日も言う

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ふと目が覚める事がある。
夢を見もせず、なんのタイミングでかも知らないが。

薄暗い部屋を、窓から射し込む月明かりだけがぼんやり照らしている。それがどうしてか俺を不安にさせるのだ。
何か大切なものを置いてきてしまった喪失感だったり、
このままではいけないと、何かに追われ急くような焦燥感だったり、
そして、そこに置いてきてそのままにしている事への罪悪感までもが積まれて重なる。
そういった感情が生を浪費しているような気さえ呼び起こして、酷く心を乱すのだ。

原因は分かっている、ただの気のせいだなんてことくらい。


「…アレン」

呼ばれてふと振り返ると、頑なにソファーで寝ると譲らなかった彼女が、むくりと起き出していた。寝言をたまに言う彼女の事だから、寝ぼけているのかとも思ったが、今回はバッチリと目が合う。

「喉が乾いたの。頼まれてくれない?」
「…それで起きたのですか?」

ええ、と頷き彼女は言う。

「だから一杯頂戴」なんて。

嘘つきな人だ。
寝ぼけているナターシャさんとは、本来目が合わないものなのだから。


ベッドを降りて靴を履き、キッチンのコンロに火をつける。鍋に火をかけ部屋に戻って来た時には、ナターシャさんは身体を起こし毛布をかき集めて座っていた。

「ソファー、寝苦しくはないんですか?」
「そこそこよ。大きさも丁度いいし、言う程の不満はないわ。アンタからしたらサイズ違いだろうけどね」

肩を竦めて笑う彼女は、
「だから代わろうなんて言わない方が身のためよ」と察したように付け足した。

「では一緒に寝ませんか?」と言うと、
「エマに小言言われる覚悟は出来てるの?」と。

小言、か……。
昔一度エマに酷く怒られた事がある。
説教、というより人間性を疑われたという方が正しいのかもしれないが。

今回の様に部屋にベッドが1つしかなかった時のこと。身長だとか先輩だとかで有無も言わせず譲られたベッドが居心地悪く、この提案をエマに持ちかけた事があったのだ。一緒にベッドを使わないかと、そしたらエマもソファーで寝なくて済むと思ったのだが、

そしたら酷い有様だった。
下心を疑われ、なら同性と寝れるのになんの差が?と聞けば常識を説かれる。だったら異性として見た事はないと言えば、それもそれで怒られる。

その上でまたナターシャさんと寝たと知られれば、小言では済まないだろう……。

「いいえ、もう懲りましたよ」

そう言えば、クスクス、笑い声。
皮肉を言う時もよく、彼女は片眉を上げて楽しそうに笑う。色の少ない夜の部屋を彩どるような、子気味良い声で笑うのだ。


一度キッチンに戻り、彼女にせがまれた紅茶を用意しソファーの前のテーブルにティーセットを並べてやる。ポットの紅茶を注いでから、カップを彼女の前に置いた。
一口飲んだ彼女はいつも、少し綻んだ顔をする。
この瞬間が好きだった。

その感想は聞かずとも分かった。

「美味しいんでしょう」
「面白い聞き方ね」
「違うんですか?」
「ええそうよ、美味しいわ」

世界で2番目にね、と彼女はそう言う。
この順位は俺が彼女の下につき、紅茶を用意し始めた頃から全く変わる事が無かった。

美味しい、店より美味しい、何処よりも美味しい、なんて言葉を並び立てる割にはこの順位である。

増してや夜中に用意させてこれなのだから、きっと一生1番に成り代わることなどないのだろう。
だが薄々気づいていた。変わりようがないのだ、と。

彼女の1番目とは"思い出"の中の味で、本当の味以上の価値がある。替えなんてきかないのだ。
だからこその圧倒的な1番。俺のものと比べられる事すらない。
だが少し思う所はある。

なら仮に俺が死んだとしたらどうなるのだろう。
思い出の土俵で比べられる存在になったら、俺は1番になるのだろうか。
そう考えた事があったが馬鹿らしくてやめた。

死んだら終わりなのだから。
評価されようと死者に感情なんてなく、そもそも死後の出来事なんて知る由すらない。だから何番だろうとこの生を終えた時点で、俺には関係の無い話となる。
死とは無だ。

……だから焦るのだろうか。
目覚めて感じる喪失感に罪悪感に焦燥感、これは死を意識しているのだろうか。
仕事上、死を予感する事は幾つもあり、その数だけ生を勝ち取ってきた。だが考えようによっては、どこか1つ間違えていれば今頃死んでいたのかもしれない。

俺も、…この人も。


「ねえ、何か心配事?」

特にこのまま寝ようとも思えず椅子に腰掛けると、なにかを悟ったのかナターシャさんはそう問うてきた。
答える前に逃げ口を封じられる。

「普段ならさっさと寝るでしょ?」と彼女は続けるのだ。

ずるい人だ。

「起きていてはいけませんか?」
「いいわよ。でも私が聞いてるのはさっさと寝るし、そもそも起こしたくても起きないアンタが起きてる理由」
「……ナターシャさんが喉が渇いて起きたワケではない事、最初から存じていました」
「アンタが起きたから起きたの。ねえ、何かあった?」

寝れなかったかと聞かれると違う。
寝ていたのに突き動かされる様に目が覚めたのだ。でもそれは悪夢を見たワケでもなければ、なにか理由があったワケでもない。全て気の迷いから始まった事で、根拠の無い不安なんだから。

押し黙っていると、彼女に顔を覗き込まれる。

「なんなのよ」
「なんでもありません」
「嘘つきはキライなの。叩いちゃいそうだわ」
「はあ……正気ですか」
「だから早く、聞かせて頂戴」
「……聞いて、笑いませんか」
「ええ。笑う前に打つでしょうからね」

真顔で言ってのける。
そして手が構えられるのだから、冗談じゃない。

「分かりましたから…」と彼女の手を掴んで下ろさせた。

「なら早く言って」

じいっと食い入るような目で待たれては、とても言い難い……。
そもそも迷いのない彼女にこんな事は言うべきことではないだろう。バツの悪さも相まって、彼女の目から逃げるように、視線は下がって行く。

「………死ぬのが怖いんです」
「……そう」

彼女の強気につった眉は様子を変え、降下し、下がっていた。そして申し訳なさそうに言うのだ。

「悪かったわ。アンタに危ない橋渡らせて。
 もし司法取引の事で断れないと思ってるなら、そんなの気にしないで頂戴。イヤならイヤって言っていいのよ」

ああ、そういう事か。
いえ、と否定を付け足し訂正する。

「違います、貴女の事ですよ」

すると小首を傾げるのだから、

「俺でなく、ナターシャさんが死ぬのが怖いんです」

すると、パチパチと。オリーブ色の目が瞬きそして、ふっ!とナターシャさんは噴き出した。

は?と聞き返したくなる。

「笑わないと、仰ったのは嘘でしたか?俺は嘘が好きだとでもお思いで?」
「あはは、ごめんなさいね。だって!」

これには頭の筋がピキと浮き立つようだった。
彼女は笑わないと言った。その結果がこれか?
笑う所か噴き出しクスクス肩を震わせて…爆笑もいいところである。

許せない……

「ねえ、アレン?」

不服なこちらに気づいてか、ナターシャさんはポンポンと、宥めるように俺の足を叩いてくる。
なんて扱いだろう。駄々でも捏ねていると思われているのだろうか。これは正当な怒りだと言うのに。

はあ……、ため息は自然とこぼれ落ちた。

「ねえってば」
「……なんです」
「私はいつか死ぬわ。仕方ないじゃない、人間なんだから。アンタが危険なコトをしないように私は采配出来るけど、どうすれば自分が死なないかなんて、そんなの分かりっこないわ」
「その割には死を予感させる事ばかりするではありませんか」
「そう?」
「ええ!無茶をしなければいいんです。自分の身を優先してください」
「難しいコト言うのね」
「何故」
「私の行動基準に安全か、なんてのはないからよ」
「貴女の事なんて今更聞かなくても存じています。ただ、何故そう努めてくれないのかと……」

だがそれすらも理由は何となく分かっていた。
義務感、使命感、そういったものが彼女の中には確かにある。身勝手に生きているくせして、その行動原理とは他人にあるのだ。理由は結局他人の為。
利己的にも保身的にも動いてくれやしない。

皆のため、他人のため、少なくとも彼女にはその意識がある。
だから、危険な事だろうと自分の命を顧みてくれない。

「俺のお願いだと言っても、聞いてはもらえないんですか」
「守れる保証のないお願いだもの。アンタにウソついたら、誠意に欠けるでしょ?」
「……気をつけると、そう仰ってくださればいいんです」
「アンタは気をつけただけじゃ気が済まないわ」
「ナターシャさん…」
「ねえアレン、分かってくれるでしょ?」

前に、彼女に聞かれたことがある。

"私もアンタも、なんの為に生まれたと思う?"、と。

"親に望まれたからでしょう"

そう答えた俺に、ナターシャさんは笑って言った。

"アナタってホント、愛されてたのね"
"でも私は違う"

"確かに親に望まれて産まれたわ。でも、そこに私である理由はなかったのよ。跡取り娘が生まれた意味はあるけれど、私っていう人格が生まれた意味なんてないの"
"でも生まれた意味がなくても、私が生きる意味なら私が自分で作れると思わない?"

だから、彼女はその生きる意味を全うしたいのだと言った。でないと身体が生きていても死んだも同然だと。だから危険だなんていうのは、行動基準にないのだ。

それではまるで、死ぬ為に作ったような意味だと思った。生きる意味を死ぬ意義にするのはおかしいではないか。
そんなの、理解出来るワケがない。

「…どんなに無様だっていいじゃないですか。」
「アレン…」
「ナターシャさん、死んだらそこで終わりなんですよ!」

ピシャリと、水を打ったようだった。
今の今まで間髪入れずに口を開きあって、紡ぎぶつけ合っていたのにピタリと、ナターシャさんはそれを止めたのだ。
減らず口の彼女が、何も言わずにじいとこちらを見つめるだけ。

夜の静けさが急に戻ってくる。忘れていた寒さも感じ初めて、色すら失われていくようだった。
暗がりの部屋、月明かりだけが照らしている夜更け。

我に返るには十分な時間で、視線を逸らすには充分なバツの悪さだった。水を打ったはずなのに、それを頭から被ったのは自分の様だった。


「馬鹿な事を言いました。寝ます」


椅子から立ち上がり、その場を退いて彼女に譲られたベッドに寝転ぶ。
人が居なくなってしばらく、もう冷えた毛布を掛け直しながら、本当に馬鹿だったと改めて思った。

ここで起きた時、何を思った。
時間が残されていない焦燥感も、過去に戻れない喪失感も、選択を誤った罪悪感も、全て気のせいだと、そう自覚していたくせに。
それをこうも世に吐き出すとは馬鹿馬鹿しい。
忘れてしまいたい、さっさと明日にしてしまおう。

毛布を被って横になった。

「おやすみなさい」
「ねえ、アレン」

……何故寝ると言ってからやっとその、一文字に結ばれていた口は開くのだろう。
うんざりはした。

「結構です、何も言わなくとも。今のも全て気の迷いだと自覚しましたので」
「別に死にたいなんて私は少しも思ってないのよ。だからアンタが心配してくれたなら、ありがとうって言おうと思ったの」
「……」

心配、なのだろうか。
勿論、ナターシャさんが怪我を負ったら心配だ。

でもこれはきっとエゴなのだろう。
ナターシャさんの考えを踏みにじってまで生に固着して欲しいのは、自分が傷つきたくないからだ。
不安になるのは彼女の死、の先。置いていかれ彼女のいない後の事を考えるからだ。
だから焦るのだろう。この時間が長く続かないかもしれない、と。

でも、

「ナターシャさん…ただの少しでも長く傍に居させてください」

願わくば、俺の紅茶が貴女の世界で1番になるまで。
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