苺クライシス

江 琉太

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第7話

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 いつの間にかセミの鳴く季節になっていた。
 朝のカンファレンスを終えて、研修医用の部屋で同期の人たちと談笑していると、誰からともなく休日に海で遊ぶ案が浮上した。
 気乗りしなかったので断ろうと思い、適当な理由を考えていたところ、じゃんけんで幹事役に決まってしまった。
 同期だけで出かけるつもりでいたら、いつの間にか誰かが指導医にまで話したようで、結局十五人くらいの大人数で行くことになった。

 浜辺に設置されたタープテントの下で、体育座りをしながらみんなを眺めた。
 女の子たちは水着で波打ち際を駆けて回り、男たちはそれぞれのスタイルで気にしないふりをしながら、女の子たちを見ている。
 幼い頃から好きだった動物番組で、よく紹介されていた生き物の求愛行動を思い出した。
 多くの動物は、オスがメスに求愛行動をしてメスが受け入れることでカップルが成立する。
 だが、人を含めた霊長類は、オスからメスにアピールするのはもちろんだが、逆にメスからオスにアピールすることもある。
 今、女の子たちは、裸に近い格好で自分の魅力をアピールしている。男たちはそれを受けて、自分が行動を仕掛けるべき相手は誰なのか考えている。
 こんな風に私に見られていると知ったら、みんな怒るだろうな。
 水着の女の子が一人、こちらに向かって歩いてきた。同期の鈴木さんだ。

「萌は水着に着替えないの?」

 赤らんだ顔の汗をぬぐいながら、鈴木さんが聞いてきた。

「私は泳げないから、水着自体持ってきてないの」
「萌は、裏切り者なのよね」

 何の約束もしていないから裏切られたと言われる筋合いはない。
 心の中で呟きながら、首をかしげてとぼけて見せた。
 不躾に人を傷つけるようなことを言う鈴木さんのことが嫌いだった。
 彼女からしてみたら、先輩を含めた男たちの前で水着になるのは、期待に応えるという意味で、礼儀の一つなのだと思っているのかもしれない。私に対して協調性がないと言いたいのだろう。
 でも、私はしないのではなくて、できない。彼女に対して申し訳ないと思うべきなのかは知らないけど、できないものはできない。

 一緒に来た先輩の一人が、バナナボートに乗ろうと誘ってきた。
「萌も一緒に行こう」鈴木さんは私の手を引っ張った。
 確かに、海まで来ておいて一人だけ浜辺で過ごしているのも、雰囲気を乱す存在なのでまずいと思う気持ちもあった。鈴木さんが私に声かけしてくれているのも、一種の気づかいなのだということを、私もわかっていた。
 断れずにバナナボートの乗り場までついていくと、既にライフジャケットを着たライダーたちがバナナボートにまたがっていて、先導するボートが発進するのを待っていた。
 バナナボートの最後尾の席が一つ空いていて、「誰かもう一人乗りたい人はいないか」と声が聞こえた。
「吉永さん、今日来てから何も楽しんでないから、乗って」と誰かに後押しされた。
「本当に無理だから」という私の言葉は、全く理解してもらえず、私は強引にバナナボートに乗せられた。ライフジャケットは着ていなかった。
 先導するボートが急発進し、私はバナナボートのロープに全力でつかまった。少し慣れてきたと思った時だ。ボートを運転するおじさんが、何のサービスなのかは知らないが、スピードを保ったまま急カーブを曲がるようにして、ボートの進行方向を変えた。
 それにつられるようにしてバナナボートは振り回され、最後尾にいた私はその遠心力を受けて、思いっきり海中へと放り投げられた。

 海の中は暗かった。方向感覚を失い、泳ごうにもどこへ向かってよいのかわからなかった。
 息苦しさを感じながら、脳裏に焼き付いている運転手のおじさんの背中を思った。
 あの男のちょっとしたいたずら心によって、私は今死のうとしているのか。
 そう思うと、死んでも死にきれない。もっと自分を貫いておけば、バナナボートに乗らずにすんだものを。自分自身を守り切れなかったのは、私の責任だと結論付けるしかない。
 体の力が抜けかけた時、肩をつかまれた。強い力で引っ張られ、助かるのかもしれないと感じた瞬間、無我夢中でその手にしがみついていた。

 光あふれる海面に顔を出せた時、大きく呼吸ができた時、私は生きていることのありがたみを全身で感じていた。
 でも、先ほど味わった死への恐怖を体が覚えており、太陽熱で温められた海水につかりながら、私は小刻みに震えていた。
 死ななくてすんだのは誰のおかげなのだろう。
 ようやく命の恩人を確認する心の余裕が生まれ、しがみついている相手を見上げると、外科の指導医をしている中川さんだった。
 中川さんは、私を引っ張りながらボートの方へと泳いでいった。小さく見えるボートの上では、おじさんが立ち上がり、心配そうにあたりを見回していた。

「だいじょうぶかあ」

 こちらに向かっておじさんが叫んだ。中川さんが無事を知らせるように合図を送ると、「そっちまで迎えに行くから、待っていろ」とおじさんは大声で言った。
 おじさんが助けに来るまで、しばらく私と中川さんは海に浮かんでいた。
 まだお礼を言っていなかったことに気付き、言葉を発しようとした時、違和感を覚えた。
 海中にある私の手を、中川さんは恋人同士がつなぐような形に変えていた。
 どういうことなのかと混乱しているうちにボートが来て、結局お礼は言えなかった。
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