苺クライシス

江 琉太

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第8話

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あの命拾いした夏以来、私は誘われた飲み会やイベントを、全て断るようになっていた。
 声をかけてくれる人たちに悪意がないのはわかっているが、自分にはうまくこなせないことを、身をもって知ったからだ。協調性を重視して死ぬくらいなら、嫌われてもいいと思った。
 十二月になり、病院主催の忘年会があると聞いた時、さすがにこれは参加しないとまずいと思った。
 忘年会の会場は、大広間の座敷だった。当然ながら上座と下座がある。
 これだけ広い場所なら、下座で同期と一緒に行動して、教授にお酌をする時は同期についていけばよいと少し安心していた。
 幹事がやってきて、ビニール袋の中から一枚紙をとるよう指示された。紙には番号が書いてあった。

「今日はくじで席を決めるから、紙に書いてある番号と一致する座席に座るように」

と言われ、一気に憂鬱になった。
 緊張しながら自分の座席を確認すると、同期に囲まれた席だった。
 思わず「セーフ」と言いかけて、慌てて口をつぐんだ。
 同期の間宮さんが、泣きそうな顔をして私の所へ来た。どうしたのかと、差し出された紙の番号を見ると「1」と書かれていた。
「座席はどこなの」と尋ねると、間宮さんはあたりを気にするように見回した後、「あそこ」と指さした。
それは、同期の集まる席とは離れた上座の端の席だった。

「これは、すごい席を引き当てたね」
「問題は隣に座る人物」

 間宮さんは片手で口元を隠しながら、小声で言った。
 大広間に集まったほとんどの先生たちは、既に着席していたが、間宮さんの座席の隣は、まだ空席のままだった。
 仕事を片付けてからくる先生となれば、指導医かもしくはそれ以上の立場の先生ということになる。
 間宮さんが、私の腕を強くつかんだ。

「吉永さん、本当にお願い。私にはあの席は無理なの。代わってくれない?」

 間宮さんは心から頼んでいることがわかった。私にだって無理だよと思ったが、「わかった」と答え、座席を譲ってあげた。

 宴会が始まり少したっても隣の席は空席のままで、案外ラッキーな席だったのかもしれないと思いながら、私は美味しくご飯を食べた。
 空席の隣には、木村さんというフレンドリーな女性の先輩が座っていた。私は、普段忙しそうで聞くのを遠慮していたことを木村さんに聞いたりして、有意義な時間を過ごしていた。

「遅れました」と宴会場の入り口の方で挨拶して入ってきた先生がいた。楽しく会話していた私と木村さんの間に着席してきたのは、中川さんだった。
 あの海以来、私はイベントにも行かなくなり、研修中に会うこともなかったので、いまだに助けてもらったお礼をきちんと言えていなかった。
 もしかしたら、自分の性格上、その場で無意識に言っていたかもしれないが、改めてお礼を言わなくてはいけない。

 本来ならば、助けてもらった後すぐに、お礼状と品物を持っていくのが礼儀のところを、あの時は自分のことで精いっぱいで、本当に申し訳ありませんでした。
 こう言ってからお礼の言葉を述べよう。お礼状と品物は、時間があいてからでも持っていけたのに、きちんと行動に表せないところは、まだまだ子供っぽいなと反省した。
 頭の中で考えていたことをいざ口に出そうとした時、

「おい、吉永。研修の方は頑張っているのか」

 と、中川さんが話しかけてきた。

「なんとか頑張っています」

 と答えた後、お詫びとお礼などは、木村さんもいる会話の中で脈絡なくする話ではないと思い、様子を見てから改めて話すことにした。

 忘年会が終了し、会場から出たが、何となく帰りづらい空気が漂っていて、狭い道路にうじゃうじゃと人の固まりができていた。
 私は少し離れたところで、間宮さんと一緒になって、上の立場の先生たちが「解散」と指示してくれるのを待っていた。

「本当に助かった。ありがとう」

 と間宮さんは言い、席を押し付けたことを申し訳なさそうにしていた。

「外科の先生たちと話せて楽しかったから、気にしなくていいよ」

 と私は言った。

「二次会はありません」との声が聞こえて、間宮さんとこっそり喜んだ。
 挨拶をすませて間宮さんと一緒に帰ろうとしたら、突然、首根っこ辺りをぐいとつかまれて引っ張られた。
 誰かと思って振り返ると、中川さんだった。中川さんのもう片方の手には、木村さんがつかまえられていた。

「まだ飲むからお前も残れ」

 そう中川さんに言われ、助けを求めようと間宮さんを見ると、彼女は一瞬申し訳なさそうな表情を見せた後、こちらに背を向けてさっさと帰ってしまった。

 諦めて、少人数の二次会に参加した。少し疲れていたのでいつ帰ろうかとタイミングをはかっていたが、なかなか行動にうつせずに愛想笑いばかりしていた。木村さんが見かねたように「今日は帰りましょう」と言ってくれて、解散することになった。

「途中まで一緒に帰ろう」

 と木村さんが言い、二人で話しながら歩いていると、

「夜道は危険だから送るよ」

 と中川さんがついてきた。それから三人で歩いたが、やがて分かれ道にやってきた。

「私の方は家が大通り沿いにあるので心配無用です。木村先生の方を送ってあげてください」

 遠慮のつもりで私がそう言うと、木村さんは少し驚いたような顔をした。

「私のほうこそ大丈夫なので、吉永さんを送ってあげてください」

 しばらくお互いに遠慮しあうような会話が続いた。木村さんは中川さんに送ってもらうのを嫌がっているようだった。こんなやり取りを続けているわけにもいかないので、私は「ではすみませんが、よろしくお願いします」と送ってもらうことにした。

 大通りを歩いている間に、酔っている中川さんに対して何となく嫌な予感がした。
 マンションの前に着いて、私がお礼を言ってエントランスに入ろうとすると、中川さんがついてきた。私は、また何か対処法を間違えたのだろうか。

「絶対に部屋に入れるわけにはいきません」

 と、私は言った。
 中川さんがこんなに無礼な人だとは知らなかったと思いながら、だから同じ外科にいる木村さんは嫌がっていたのかと気づき、何とも言えない気持ちになった。

「吉永が部屋に入れてくれないのなら、俺はどこで寝ればいいんだ」

 と中川さんは言い、私は自分で考えろと思った。
 このように侮辱され、腹が立っていた。一刻も早く帰りたいが、今部屋に入ろうとすれば押入られるかもしれない。中川さんの人を扱う時の力は、人だと思って接しているとは思えないくらい異常に強かった。
 恐怖を感じつつも、どうすればいいのか考えていると、中川さんが「病院の当直室で寝ることにした」と言った。
 安堵した次の瞬間には、「お前も一緒に来い」と腕をつかまれていた。手を離すように求めたが、聞いてもらえなかった。
 病院の方へと引っ張られながら、私は思い出していた。なぜあの夏、海で溺れた時すぐにお礼が言えなかったのか。今みたいに、指と指の間に入り込むような、手のつながれ方をされたからだった。
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