苺クライシス

江 琉太

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第11話

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 週末に万里子とランチに出かけた。

「萌ちゃん、不憫すぎるよ」

 私の話をひと通り聞いた万里子が、ため息を漏らした。

「笑ってくれていいから。こんなどうしようもない話、もう笑うしかないよ」
「そりゃ聞く分には、藤木の勘違いとかちょっと面白いけど、萌ちゃんは辛いでしょう」

 万里子は私を思いやるように、顔を覗き込んだ。
 辛い。自分の気持ちをまるで無視されて事が進行するのは誰だって納得がいかない。

「人ってさ、似たもの同士が集まるっていうけど、私にはなんであんな人が寄ってくるんだろう。実は私もそういう人なのかなって不安になる」

 出会う人に対してはできるだけ誠実に対応しているはずなのに、不誠実な男に言い寄られるのはなぜだろう。ずっと考えてきたが、答えが見つからなかった。

「萌ちゃんの場合は、拒否しているのに無理やりでしょう。相手にする必要ないよ」

 万里子はいつも正論を言ってくれる。万里子がいてくれて本当に良かった。人は一人では生きていけないとしみじみ感じた。

「自分の話ばかりしてごめんね。万里子は最近どうなの?」

 せっかく万里子と一緒に過ごしているのだから楽しまなくては。私は話題を変えた。

「最近、ちょっと気になる人ができたんだけど」万里子は勿体を付けてみせた。

「こんな暗い話より、万里子の幸せな話を聞かせてください。心を清めたいんです」

 私が手を合わせて懇願するようにふざけると、万里子は「よろしい」と笑い、話し始めた。

「出会いはSNSなんだけど、顔がドストライクでさ。話も合う気がするし。今度会うことになったんだけど、写真見る?」

 万里子が面食いなのは知っていたが、これは危険な気がした。

「万里子、それ大丈夫なの? やめたほうがよくない?」
「大丈夫だよ。みんなやってるし」

 他人のことはわかっても、自分のこととなるとわからないというのが人なのかもしれない。もっと自分のことを俯瞰しないと、この状況は打破できないと思った。

 午前中からマナーモードの携帯が何度も震え、着信履歴には中川さんの名前が既に五件並んでいた。話が通じる相手ではないと知ったので、放置することにした。
 夕方、帰宅するとマンションのエントランスに中川さんが立っていた。

「なんで電話に出ないの」
「理由を言わないとわかりませんか」

 突然の訪問に、私は動揺していた。冷静に考えれば、このタイミングでエントランスのオートロックを解錠することは危険だとわかったはずだ。
 でも、私は疲れていてとにかく部屋に入りたかった。その気持ちが判断力を鈍らせた。
 素早く中川さんの傍を通り過ぎて、オートロックを解錠し、マンションの階段を駆け上がり、私は部屋へ入ろうとした。
 部屋の扉を最小限に開き、自分の体を滑り込ませて閉めたと思った途端、扉の隙間に中川さんの肘が入り込んできた。てこの要領で扉を開けて、中川さんは無理やり部屋に入ってきた。

「これ以上入ってきたら、絶対に許さない」

 私は目に力を入れて睨みつけた。疲れと怒りで視界が滲んだ。

「話がしたかっただけだ。玄関でいいから」

 中川さんは何もしないからというように両手を開いてこちらに見せた。

「俺、お前のことが好きだ。今日、須田にも話した」

 須田さんは形成外科の特任助教で、中川さんの同期だった。

「話したって何を?」

 嫌な予感がして、胸が締め付けられるようにきりきり痛んだ。

「お前と付き合うことにしたって。そしたらあいつ『君は結婚しているじゃないか』って言うんだよ。でも、好きになったのは仕方ないだろ。わかるだろうって言ったらさ、『僕は聞かなかったことにする。今後一切その話は僕にしないでくれ』って言われた」

 私は脱力して床に座り込んでいた。また、嘘の噂を流された。付き合うなんて話はしたことがないし、するわけもない。なぜこうも堂々と嘘をつけるのだろうか。
 私が嘘をつくのは、身を守るためにどうしようもない時くらいだけど、この人はどういう思考回路の持ち主なのか。ここで考えることを放棄したら、また以前の繰り返しになってしまう。
 私は自分を俯瞰してみた。すると、ここは相手の気持ちを考えるのではなく、早急に手を打ってしまわなければいけない局面にきていることがわかった。
 そこで「私は付き合わない」とだけ伝え、中川さんに帰ってもらってから、彼を懲らしめる策を考えることにした。

 夕食を作ったものの、食べられる気分じゃなかった。ベランダに出て、澄み切った夜空を見上げると、いくつかの星が小さく瞬いていた。
 あの星のどこかに、誰か同じような考えを持つ生き物はいないものか。
 私は夜空を眺めながら、世界をリンゴに見立てて作られた物語や、小さな王子様が自分の星へと帰っていくまでのお話を思い出していた。
 彼らがさらけ出した孤独感は、存命中に解消されたのだろうか。頭を空っぽにして、ふうと息を吐き出した。星が笑ってくれているような気がして、少しだけ元気が出た。

私は思い切って、今までやったことのない対処法をしようと考えた。それは、中川さんの上司に相談することだった。
 研修医というまだまだこれからの時期に、不倫や愛人といったレッテルを貼られることだけは避けたい。
 しかし、自分の立場はあまりに弱い。彼が逆らえないところから対処してもらおうと考えた。
 中川さんの上司は、石崎教授という比較的話しやすい雰囲気の先生だった。
 研修医の中の一人から、突然こんな聞き苦しいような話を相談されたら、気分を害するだろう。もしかしたら信じてもらえない可能性だってある。
 しかし、それ以外の解決方法を私は思いつくことができなかった。

 石崎教授の個室の扉の前で、目を閉じて深呼吸をしてから扉をたたいた。中から教授の声で「どうぞ」と聞こえた。
 私は覚悟を決めた。

「失礼します」
「珍しいですね。どうしました?」

 指を組んだ手を机の上に乗せ、石崎教授はにこやかな表情で、私に椅子に座るようすすめた。

「突然で、大変申し訳ありません。ご相談させて頂きたいことがあります」
「どうぞ。なんでしょう?」

 話したいことが喉元まできているのに、なかなか口から出せなかった。その告白は、私にとって恥であり、大人なのに自分で物事を解決できないと認めるものだった。

「中川先生のことです」

 名前を口にした瞬間から、涙があふれてきた。きちんと説明しなければいけないのに、涙をこらえようとすると喉が絞まったようになって、声が出せなかった。
 なんとかこれまでの経緯を話した後、とにかく普通に研修生活を送りたいと伝えた。
 石崎教授は黙って聞いていた。話が終わった後、沈黙が流れた。教授は何かを考えているようだったが、涙で視界が遮られてよく見えなかった。

「僕から中川に話しておくから、君は何も心配せずにこれまで通り努力を続けなさい」

と言われて、ようやく安心した。

 数日後に中川さんから電話がかかってきた。

「お前、自分だけ楽になりやがって」

と中川さんに言われ、私は怒っていた。
 望んでもいない不倫関係に引きずり込まれるなど、あってはいけないことだ。なぜ、あれだけはっきりと拒絶しているのに、わからないのだろうか。もしかしてツンデレなどと都合よく解釈されているのだろうか。
 いずれにせよ、もう私には関係のないことだ。思い切って石崎教授に相談してよかったと思った。
 ただ、一点だけ気になることがあった。話を聞き終わった後の、教授の沈黙が妙に頭の中で引っかかっていた。
 私は、中川さんに教授が何を話していたのかを聞いてみた。

「『君みたいな指導医の立場で、愛人を作ろうなんて早い。僕みたいな立場ならまだ許されるだろうけど』って言ってた」

 相談する相手を見極めずに話してしまったことを後悔した。
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