苺クライシス

江 琉太

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第14話

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 数か月がたち、十二月になっていた。休日の昼間、例の星空を見上げた公園に、私は藤木君を呼び出した。たまに連絡はあったけど、会うのはずいぶんと久しぶりだった。

「急に呼び出してごめんね」

 私がそう言うと、藤木君は何かを警戒しているような顔をした。

「別れよう」

 私は藤木君の目を真っすぐ見つめた。

「それ、死ぬほど聞き飽きた」

 藤木君は吐き捨てるように言った。
「死」と言う言葉は、彼から何度も繰り出された脅し文句の一つで、子供だった私は本当に怯えたこともあった。でも、今は違う。

「死について考えてみたんだけど」私はゆっくりと話し始めた。

「生と死は反対のものだと捉えがちだけど、実は共存するものだと思う。なぜなら私たちを細胞の集合体としてみると、常に一部の細胞は死んでいくし、また新たに細胞が生まれてもいるから。細胞が死ぬ一方で、新しい細胞が生まれ続けているのだから、藤木君は死ななくても死んでいるし、同時に生まれ変わっているともいえると思う」

 私はちらりと藤木君を見た。思った通り、無反応だ。
「それから」と私は続けた。

「善と悪だって人の中で共存していると思う。善人や悪人は存在しない。なるべく良心に従って行動しようとするけど、人は置かれた状況によって、やむを得ずに悪事をはたらくこともある。私たちはいつも正直ではいられないよね。誰だって嘘をつく」

 そう言ってから、私は藤木君を見つめた。彼は目を泳がせて、明らかに動揺していた。何か隠し事があるようだ。隠す必要なんてないのに。

「色で言うと、紅白にあたるのかな。美術の授業で習う赤の補色は緑だけど、私たちってさ、真っ赤な色の赤ちゃんから始まって、血の気の失せた白い屍で終わるよね。今の私たちは、赤から白へ向かうグラデーションの中に存在しているともいえるのかも」

 眉をひそめ、訳が分からないといった表情の藤木君を横目に、私は「話が飛躍するけど」と断りを入れて話を続けた。

「地球は、表面の水と内部の火という反対のものが、大地を介して共存している星だと思う。そう考えると、世界で対立している国々も、間に大地の役割をする国々を介することで、争うことなく共存できると思う」

 藤木君に目を向けると、彼は怪訝な顔をしたまま固まっていた。いつかの私もこんな顔をしていたのだろうか。

「今までありがとう。さよなら」

 私はその場を去った。

 院内を一人で移動していた時、ガラス張りの渡り廊下を通りかかった。何気なく外を見やると、珍しく雪が降っていた。建物の屋根や塀、そして地面がうっすらと白く染まり、いつもより美しく見えた。背後からぽんと肩をたたかれ、振り返ると木村さんだった。

「お疲れ」木村さんが言った。
「お疲れ様です」私は答えた。
「詳しくは聞かないけど、大変そうだね」

 木村さんは、同情を寄せる素振りをした。外科の指導医や教授との関係について言っているのだろう。今さら、誰にも話す気はない。私は苦笑いしてみせた。

「吉永さんが石崎教授に呼び出されてるって話がまわると、私の隣の席の先生が不機嫌になるの。この間なんか、急にデスクの前の壁に向かって思い切りペンを投げつけてさ。隣でものすごくびっくりしたんだから」

 木村さんは笑った。木村さんの隣の席は、おそらく中川さんだろう。私は力なく愛想笑いをしてみせた。

「まあ、頑張って」

 木村さんは、もう一度私の肩をぽんとたたいて去っていった。

 石崎教授からの呼び出しは続いていた。私は次年度からの勤務先の内定を承諾した上で、教授と最後の「世間話」に臨んだ。

「吉永さん、いい加減に僕の気持ちを考えてくれないかな」石崎教授が言った。
「先生のことを考えるのは、ご家族であり、私ではありません」

「妻はただのパートナーで、仕事上の付き合いみたいなものなんだよ。僕には君のような人がいてくれたら幸せなんだ。わかってくれないかな。そう、僕が今書いている論文があるんだけどね。君にその気があるなら、共著という形で出すこともできるよ」

 教授は周りが見えていないようだ。そんなおかしな論文を、誰が読むのだろうか。

「石崎先生、お断りします。そのようなことは私にはまったく意味のないことです」

 私の発言を聞いた石崎教授は黙り込んだ。そして、怒りに満ちた目でこちらを見た。

「僕は君のことを誤解していたようだね。君は、人の気持ちを理解できない人だから」

 石崎教授は口の端を歪めて笑った。
「人の気持ちを理解できない人だから」という言葉には、主に二つの意味が込められているのだろう。
 一つは、自分の気持ちが受け入れてもらえないことへの不満。もう一つは、だから男に騙されるという嘲りの気持ち。確かに、教授がこんな人だと始めはわからなかった。でも、今はわかる。手に取るように。
 私は石崎教授の脅しと挑発をまったく気にしないというように、にっこり微笑んだ。

「先生は人をコントロールできると思いますか」私は尋ねた。
「できると思うよ。それなりの力がいるけどね」

 そう答えた時の石崎教授は、これまで見た中で最も傲慢な顔つきをした。ようやく本性を見ることができた。
 私は、微笑みを絶やすことなく軽やかに言った。

「先生、人をコントロールすることはできませんよ。本人はコントロールしているつもりでも、相手はとっくに気づいていて、逆にコントロールされていることだってあると思いますよ。本来、人は人をコントロールしてはいけない。できると思っているのは、ただの思い上がりですよ」

 石崎教授は、どの感情を表に出したらいいのか迷っているような顔をしていたが、すぐにぎこちない笑顔を作ってこう言った。

「ぼ、ぼくは、吉永さんだってコントロールしてみせる」

 ほら、ひっかかった。本人を目の前にしてそれを言ったら駄目でしょう。
 教授の恥ずかしい意思表明を、私は心の中で笑っていた。満足した私は、ようやく真顔に戻って言った。

「石崎先生に、私は絶対にコントロールできませんよ」

「それでは」と言い、教授室から出たら胸がすっきりしていた。誰もいない廊下で、小さくスキップした。
 でも、あと一人残っている。最後まで気を引き締めて臨まなくてはいけない。
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