惑いの森と勿忘の花

有村朔

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第二章

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「ヤナギ…春太だって悪気があったわけじゃないんだから、いい加減許してあげたらどうだ?」

宥めるように言うハクにいつもであれば素直に従うヤナギだが、今度ばかりは「それは無理」の一点張りだった。
一夜明けてもヤナギの機嫌は直る気配がない。雪帆のこともあるのであまり悠長に構えているわけにもいかず、仕方なく二人と一匹は旅支度をして家を出た。

「いいか、お前は絶対に俺の前を歩け。手が届くような距離には近付くな。いいな!」

ヤナギは念押しに念押しを重ね、春太はただそれに頷き続けた。
ようやく気が済んだのか、ヤナギは春太のことなど知らないと言わんばかりにハクの方に振り返る。

「師匠、もう仕舞っていいか?」
「ああ、頼むよ」

仕舞うとはなんのことだろうか。
春太が見つめる先で、ヤナギは片手を上げて、手のひらをコテージの方に向けた。
すると次の瞬間、つい今しがたまで居住していたはずのそれがヤナギの手のひらにずずずと吸い込まれていく。

「えっなに今の…」

春太が声をあげた時にはもうコテージは跡形もなく消えていた。

「嘘…なくなっちゃった…」

唖然とする春太にヤナギは違うと言って手のひらを開いてみせた。

「なくなったわけじゃねえ。ここにある」

ヤナギの手のひらに乗っていたのは小さな木のキューブのようだった。
春太が思わず手を伸ばそうとすると、ヤナギがさっと身を引いた。

「おまえな、さっき言ったこともう忘れたのか?」
「え?あっ…ごめん」

春太は思い出したように一歩後退する。

「ったく」
「まあまあ、いいからほら二人とも、そろそろ出発するよ。暗くなる前に進めるところまで進んでおきたいし」

ハクに促され、ようやく三人は森の中に歩みを進めるのだった。

***

初めてこの森に足を踏み入れた時にも春太は悪寒のようなものを感じていた。
単純に外気温として寒いというより、体の内側から熱が引いていくような感覚に襲われるのだ。
森の奥部へ近付けば近付くほど、その感覚は強くなった。

「寒いな…」

春太が呟くと、後ろからバサリと何かが被せられた。

「うわっなに!?」

焦って手に取ってみると、それはヤナギの着ていた上着だった。

「ヤナギ?」
「お前、異界臭えんだよ。匂いにつられて変なのが寄ってきてもめんどくせぇ。それ被ってれば少しはマシだろ」
「でもヤナギ寒いんじゃ」
「はあ?寒かねぇよ。誰かさんと違って俺はそんなにやわじゃねぇ」

まだほんのわずかな時間とはいえ、共に過ごす時間の中で、春太にもなんとなくヤナギの人となりは見えてきていた。
当たりも言葉もキツいけれど、ヤナギの行動原理はとかく他人に優しい。
今だって、本人は否定するのだろうが、春太を気遣っての行為に違いなかった。

「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうヤナギ」

振り返ると嬉しそうにヤナギの耳がぴくりと動いた。別にぃと言いながらもやっぱり気にかけてくれる不器用な優しさが春太には嬉しかった。

(よかった。完全に嫌われたわけじゃなかったんだ)

そう、ほっと胸を撫で下ろした時だった。

何か、ゾッとするような気配を背後に感じた。

-おや、良い匂いがすると思ったら、人間がいるねぇ。

少し高めのねっとりとした嫌な声だった。
それが耳元のあたりから聞こえ、春太はひっと息を飲みその場に凍りつく。

ちょうどヤナギは近くの茂みでした物音に意識を向けていて、春太から一瞬目を逸らしていた。

だから最初に春太の異変に気付いたのはハクだった。
春太の足音が止まったことでハクが振り返る。

「どうした?春太」

その声にようやくヤナギも春太の方に目を遣り、瞬時に凍りついた。

「あの…ハクさん、なんか今声が」

そう言って振り返ろうとする春太にヤナギは手を伸ばした。

「ダメだ春太!今振り返っちゃ…!!」

ヤナギの制止の声はすんでのところで間に合わなかった。

「え?」という春太の声とニヤリと暗闇に浮かぶ不気味な口元。
それが、ヤナギの目の前でふっと消えた。

ヤナギの手は宙を掠め、そのままバランスを崩して膝をつく。
そうして本来なら間にいるはずの春太が忽然と姿を消したことで、ヤナギとハクの目が合った。

「…どうして、こんなところに魔物がいるんだ」

ハクは唖然としたままそう呟いた。
ヤナギも同じで、動揺をかくせず地面に座り込んでいる。

「春太…」

伸ばした手は、届かなかった。
あと少しというところで春太は闇にのまれてしまった。

「…ナギ!おい、ヤナギ!!」

ハクに呼ばれてヤナギはハッと我にかえる。

「ぼうっとしてる暇はない。急いであとを追わないと、間に合わなくなるぞ」

ハクは今にも駆け出そうとしている。
そうだ、今はなによりも時間との勝負だ。こんなところで悄然としている場合ではない。

春太を攫っていったものー
一瞬だけ見えたその姿をヤナギは知っていた。
あれはこの森に棲む魔物だ。

夢魔の一種である奴は、喪失感や罪悪感、寂しいという感情を眠りの中で呼び起こす。そして夢の中で一言でも「消えたい」とか「死にたい」という言葉を口にしてしまった場合、そのまま体を乗っ取られて殺されてしまう。

(クソッ…よりにもよって相性最悪じゃねえかよ…!!)

ヤナギはほんの僅かでも気を逸らしてしまった自分を悔いた。
春太を自分の前に歩かせたのも、上着を貸してやったのも、すべてはこの森の魔物から春太を守るためだった。
それなのに。

ーありがとう、ヤナギ。

最後に見た春太の笑顔がよみがえる。

(頼むから、せめて俺が行くまで持ち堪えてくれ…!!)

ヤナギはグッと歯を食いしばり、全速力で駆け出した。




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