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馬車が国境近くの宿場町に差し掛かった頃、後方から馬を飛ばしてくる一団があった。
「止まれ! ヴァン・クロムウェル公爵家からの伝令である!」
鋭い声に、馬車が急停車する。
その衝撃で私の体が前のめりになった瞬間、向かいに座っていたカイル様の手が、さっと私の肩を支えた。
「……怪我はありませんか、エリシア様」
「はい! カイル様の素早い反応のおかげで、心臓の鼓動が早まった程度で済みましたわ!」
「それは怪我ではなく、ただの動悸です。……降りてください。公爵家からの正式な通達のようです」
カイル様に促され、私は馬車の外へと足を踏み出した。
そこに立っていたのは、かつて私の実家で執事を務めていた初老の男、ベイツだった。
彼は冷徹な瞳で私を見下ろすと、仰々しく巻物を広げた。
「エリシア・ヴァン・クロムウェル。貴殿を本日付で公爵家より除名し、王国の籍からも抹消する。これは公爵閣下の……父上からの最後のご温情である」
周囲にいた野次馬たちが、ひそひそと囁き合う。
『公爵令嬢が平民に堕ちた』というスキャンダラスなニュースは、瞬く間に広がっていく。
「……左様ですか。分かりましたわ」
私のあまりに淡々とした返答に、ベイツは拍子抜けしたような顔をした。
「……泣き喚かないのですか? 貴殿はもう、家という盾を失ったのですよ。着の身着のままで、二度と王都の土を踏むことも許されないというのに」
「ええ。ですが、盾を失った代わりに『自由』を手に入れましたもの。カイル様、聞きましたか? 私は今、ただの『エリシア』になりましたわ!」
私は隣に立つカイル様を振り返り、満面の笑みを浮かべた。
「これで、身分違いだなんて気にする必要もありません。私はただの一人の女として、あなたを全力で追いかけ回すことができます。なんて素晴らしい日かしら!」
「……エリシア様。いえ、エリシア。今はそのような冗談を言っている場合では……」
カイル様が困ったように眉を寄せる。
けれど、彼は私のことを初めて呼び捨てにしてくれた。
(あ、今、魂が天に召されそう……!)
「ベイツ、報告は以上かしら? もしそうなら、早く王都へ帰って王子に伝えてちょうだい。『私は今、最高に幸せだ』って」
「……っ。強情な方だ。せいぜい、辺境の泥水でも啜って後悔するがいい」
ベイツは吐き捨てるように言うと、馬に跨り、来た道を去っていった。
一瞬にしてすべてを失ったはずの私を、カイル様が複雑な表情で見つめている。
「……あなたは、本当に後悔していないのですか? 戻りたくても、もう戻れないのですよ」
「カイル様。私は嘘をつくのが嫌いなんです」
私は一歩、彼との距離を詰めた。
「公爵令嬢としての私は、死にました。でも、あなたの騎士道精神に惚れ込んだこの私は、今もここで生きています。むしろ、これまでで一番、生命力に溢れている気がしますわ」
カイル様は深く、深いため息をついた。
その溜息さえも、涼やかな風のように私の耳をくすぐる。
「……やれやれ。あなたの護衛任務は、修道院に届けるまで続く予定ですが。……この先、私の胃が持つかどうか自信がなくなってきました」
「まあ! でしたら私が毎日、愛の言葉という名の特効薬を処方して差し上げますわね!」
「……遠慮しておきます。……さあ、出発です。平民になったのなら、これからはもう少し質素な馬車になりますよ」
「カイル様と一緒なら、荷車でも構いませんわ!」
私は軽やかな足取りで、新しい馬車へと乗り込んだ。
背後でカイル様が「……本当に、信じられん令嬢だ」と呟くのが聞こえた。
その声には、先ほどまでの「憐れみ」ではなく、確かな「呆れ」と、ほんの少しの「興味」が混じっているのを、私は聞き逃さなかった。
「止まれ! ヴァン・クロムウェル公爵家からの伝令である!」
鋭い声に、馬車が急停車する。
その衝撃で私の体が前のめりになった瞬間、向かいに座っていたカイル様の手が、さっと私の肩を支えた。
「……怪我はありませんか、エリシア様」
「はい! カイル様の素早い反応のおかげで、心臓の鼓動が早まった程度で済みましたわ!」
「それは怪我ではなく、ただの動悸です。……降りてください。公爵家からの正式な通達のようです」
カイル様に促され、私は馬車の外へと足を踏み出した。
そこに立っていたのは、かつて私の実家で執事を務めていた初老の男、ベイツだった。
彼は冷徹な瞳で私を見下ろすと、仰々しく巻物を広げた。
「エリシア・ヴァン・クロムウェル。貴殿を本日付で公爵家より除名し、王国の籍からも抹消する。これは公爵閣下の……父上からの最後のご温情である」
周囲にいた野次馬たちが、ひそひそと囁き合う。
『公爵令嬢が平民に堕ちた』というスキャンダラスなニュースは、瞬く間に広がっていく。
「……左様ですか。分かりましたわ」
私のあまりに淡々とした返答に、ベイツは拍子抜けしたような顔をした。
「……泣き喚かないのですか? 貴殿はもう、家という盾を失ったのですよ。着の身着のままで、二度と王都の土を踏むことも許されないというのに」
「ええ。ですが、盾を失った代わりに『自由』を手に入れましたもの。カイル様、聞きましたか? 私は今、ただの『エリシア』になりましたわ!」
私は隣に立つカイル様を振り返り、満面の笑みを浮かべた。
「これで、身分違いだなんて気にする必要もありません。私はただの一人の女として、あなたを全力で追いかけ回すことができます。なんて素晴らしい日かしら!」
「……エリシア様。いえ、エリシア。今はそのような冗談を言っている場合では……」
カイル様が困ったように眉を寄せる。
けれど、彼は私のことを初めて呼び捨てにしてくれた。
(あ、今、魂が天に召されそう……!)
「ベイツ、報告は以上かしら? もしそうなら、早く王都へ帰って王子に伝えてちょうだい。『私は今、最高に幸せだ』って」
「……っ。強情な方だ。せいぜい、辺境の泥水でも啜って後悔するがいい」
ベイツは吐き捨てるように言うと、馬に跨り、来た道を去っていった。
一瞬にしてすべてを失ったはずの私を、カイル様が複雑な表情で見つめている。
「……あなたは、本当に後悔していないのですか? 戻りたくても、もう戻れないのですよ」
「カイル様。私は嘘をつくのが嫌いなんです」
私は一歩、彼との距離を詰めた。
「公爵令嬢としての私は、死にました。でも、あなたの騎士道精神に惚れ込んだこの私は、今もここで生きています。むしろ、これまでで一番、生命力に溢れている気がしますわ」
カイル様は深く、深いため息をついた。
その溜息さえも、涼やかな風のように私の耳をくすぐる。
「……やれやれ。あなたの護衛任務は、修道院に届けるまで続く予定ですが。……この先、私の胃が持つかどうか自信がなくなってきました」
「まあ! でしたら私が毎日、愛の言葉という名の特効薬を処方して差し上げますわね!」
「……遠慮しておきます。……さあ、出発です。平民になったのなら、これからはもう少し質素な馬車になりますよ」
「カイル様と一緒なら、荷車でも構いませんわ!」
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背後でカイル様が「……本当に、信じられん令嬢だ」と呟くのが聞こえた。
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↑3/31 見通しが甘くてすみません。ちょっとだけのびます。
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