31 / 118
【7】-1
しおりを挟む
久しぶりに薔薇企画から仕事の依頼が来た。
朝、清正や汀と一緒に家を出て本社に向かうと、打ち合わせ用のブースにサブチーフの井出がひょいと顔を見せた。
「あ。どうもー」
井出は三十五歳の中堅デザイナーで、中肉中背の見事に特徴のない風貌に対して、ノリだけはやたらと軽い独身男である。
作るものもどこまでも軽かった。
細部にまで独特のポップさが貫かれていて、光はその軽さを気に入っていた。井出のデザインにダメを出したことはなく、そのせいかどうか知らないが、井出は光に親切だった。
「悪いねー。淳子さん、例のコンペで頭がいっぱいみたいでー。しばらく僕が担当しまーす」
「内容わかれば、誰でもいいです」
松井が担当していた時も、依頼の指示はほとんどアシスタントに任せていた。今さら誰が打ち合わせに来ても大した違いはない。
ツーシーズン先に当たる秋口からのファブリックや食器類、ハロウィン、クリスマスと続くイベント用の雑貨など、今後の商品展開の概要を一通り聞いた。
その中で、光にデザインを依頼したいものを井出がピックアップした。社内で企画するものとは別のラインになるので、自由に提案してくれると助かると言われて頷いた。
短いやり取りだけで、おおよそのスケジュールを決めていく。
「此花くんが相手だと、ほんと、やりやすいよねぇ」
急に発注担当を任されて、とても苦労しているのだと井出は愚痴を零し始めた。
腹にものを溜めないのも井出の特徴だ。
毒を含む前に吐き出される愚痴にもどこか軽さがあって、聞いていても苦にならない。
言葉に棘があると言われる光からすると、驚異的な能力である。
ひとしきり言いたいことを言うと、今度は噂話を始める。興味はなかったが、席を立つタイミングを掴み損ね、半分、上の空で聞いていた。
「淳子さんさー、忙しいのはコンペ作品のせいだけじゃないんだよねー」
打ち合わせたばかりのデザインについて考えながら、適当に頷いていた。光がろくに聞いていなくても井出は全く気にしないので、ある意味気が楽だった。
「あの人さ、ずっと社長を狙ってたんだけどさ、最近やっと乗り換える相手を見つけたらしいんだよね」
「社長って……、あの社長? 堂上?」
視線を上げて聞くと、「もちろんそうだよ」と井出が頷く。
「淳子さんが入ってきた時さ、えらい美人が来たってんで、みんなけっこう盛り上がったの。でも、もう最初っから、雑魚は眼中にありませんて感じで、社長一直線」
元ミスなんとかで、仕事もできたし、自分に自信があったのだろうと井出は続ける。
井出は松井の一つ先輩で、二人が入社したのは十年以上前のことだ。
会社は今ほど大きくなかったが、当時から堂上は成功した実業家の一人として注目されていた。
「若いし、見た目はいいし、なんだか謎に品があるでしょ。お金も地位もこれからどんどん手に入るし、決まった恋人はいないし、そりゃあすごい人気だったんだよ、うちの社長」
今もそうだけどね、と井出は言い、とにかく近付く女性が後を絶たなかったのだと、当時の堂上について語った。
そして、その中で、松井は一定の地位を掴んでいたのだと言った。
最初は仕事で存在感をアピールし、堂上の視界に入ることに成功すると、女性の部分を前面に押し出すようになり、あっという間にライバルたちを蹴散らしたのだそうだ。
当時から気の強さとプライドの高さはすごかったらしい。
「仕事の上でもプライベートでも親密な感じで、似合いの美男美女のカップルって言われて、ゴールは目前かって噂もあったんだよね」
ところが、堂上のほうには全くその気がなかったのだと井出は肩をすくめる。
「何年経っても、それ以上の進展はなかったんだよねぇ」
結局松井も、他の女性たちと同じで、本人が空回りしていただけだったのだ。
「そこに、此花くんが登場して」
「え、俺?」
朝、清正や汀と一緒に家を出て本社に向かうと、打ち合わせ用のブースにサブチーフの井出がひょいと顔を見せた。
「あ。どうもー」
井出は三十五歳の中堅デザイナーで、中肉中背の見事に特徴のない風貌に対して、ノリだけはやたらと軽い独身男である。
作るものもどこまでも軽かった。
細部にまで独特のポップさが貫かれていて、光はその軽さを気に入っていた。井出のデザインにダメを出したことはなく、そのせいかどうか知らないが、井出は光に親切だった。
「悪いねー。淳子さん、例のコンペで頭がいっぱいみたいでー。しばらく僕が担当しまーす」
「内容わかれば、誰でもいいです」
松井が担当していた時も、依頼の指示はほとんどアシスタントに任せていた。今さら誰が打ち合わせに来ても大した違いはない。
ツーシーズン先に当たる秋口からのファブリックや食器類、ハロウィン、クリスマスと続くイベント用の雑貨など、今後の商品展開の概要を一通り聞いた。
その中で、光にデザインを依頼したいものを井出がピックアップした。社内で企画するものとは別のラインになるので、自由に提案してくれると助かると言われて頷いた。
短いやり取りだけで、おおよそのスケジュールを決めていく。
「此花くんが相手だと、ほんと、やりやすいよねぇ」
急に発注担当を任されて、とても苦労しているのだと井出は愚痴を零し始めた。
腹にものを溜めないのも井出の特徴だ。
毒を含む前に吐き出される愚痴にもどこか軽さがあって、聞いていても苦にならない。
言葉に棘があると言われる光からすると、驚異的な能力である。
ひとしきり言いたいことを言うと、今度は噂話を始める。興味はなかったが、席を立つタイミングを掴み損ね、半分、上の空で聞いていた。
「淳子さんさー、忙しいのはコンペ作品のせいだけじゃないんだよねー」
打ち合わせたばかりのデザインについて考えながら、適当に頷いていた。光がろくに聞いていなくても井出は全く気にしないので、ある意味気が楽だった。
「あの人さ、ずっと社長を狙ってたんだけどさ、最近やっと乗り換える相手を見つけたらしいんだよね」
「社長って……、あの社長? 堂上?」
視線を上げて聞くと、「もちろんそうだよ」と井出が頷く。
「淳子さんが入ってきた時さ、えらい美人が来たってんで、みんなけっこう盛り上がったの。でも、もう最初っから、雑魚は眼中にありませんて感じで、社長一直線」
元ミスなんとかで、仕事もできたし、自分に自信があったのだろうと井出は続ける。
井出は松井の一つ先輩で、二人が入社したのは十年以上前のことだ。
会社は今ほど大きくなかったが、当時から堂上は成功した実業家の一人として注目されていた。
「若いし、見た目はいいし、なんだか謎に品があるでしょ。お金も地位もこれからどんどん手に入るし、決まった恋人はいないし、そりゃあすごい人気だったんだよ、うちの社長」
今もそうだけどね、と井出は言い、とにかく近付く女性が後を絶たなかったのだと、当時の堂上について語った。
そして、その中で、松井は一定の地位を掴んでいたのだと言った。
最初は仕事で存在感をアピールし、堂上の視界に入ることに成功すると、女性の部分を前面に押し出すようになり、あっという間にライバルたちを蹴散らしたのだそうだ。
当時から気の強さとプライドの高さはすごかったらしい。
「仕事の上でもプライベートでも親密な感じで、似合いの美男美女のカップルって言われて、ゴールは目前かって噂もあったんだよね」
ところが、堂上のほうには全くその気がなかったのだと井出は肩をすくめる。
「何年経っても、それ以上の進展はなかったんだよねぇ」
結局松井も、他の女性たちと同じで、本人が空回りしていただけだったのだ。
「そこに、此花くんが登場して」
「え、俺?」
0
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―
無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」
卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。
一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。
選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。
本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。
愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。
※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。
※本作は織理受けのハーレム形式です。
※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる
七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。
だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。
そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。
唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。
優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。
穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。
――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる