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【11】-2
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その日を境に、清正の帰りが遅くなった。
引継ぎなどで忙しいらしく、朝も一人で先に出かける。
汀と公園に行く日が増えて、それだけでどっと疲れきってしまう光は、清正の帰りを待たずに寝落ちする日が続いた。
月末近くなった頃、「やっと引継ぎ、なんとかなりそう」と清正が言い、とりあえず朝だけは普通に出ていくようになった。三人で一緒に出かける習慣も復活した。
駅までの道を並んで歩きながら、「おふくろ、春まで向こうにいるって」と清正が言った。
「あったかくなったら、一度戻ってきて荷物を整理するって、昨日、連絡があった」
「ずっとあっちに住むってこと?」
「ああ。新幹線代出すから、汀を連れて遊びに来いとか言ってた」
本当に決めたのだ。
思ったより早い決断だった。
十分ほどで駅に着いた。階段を上り、開店前の花屋のシャッターの前を通り、すでに人が並んでいるパン屋と弁当屋の前を通り過ぎて改札を抜ける。
なるべく混んでいない後ろの車両に乗るために、長いホームを三人で歩いた。
「光、今度の木曜日、汀を駅まで連れてきてくれるか?」
「木曜日?」
「ああ。汀の誕生日だろ。朱里が会いたいって言うんだ」
一日付で異動になる清正は、確実に休みが取れるかわからないらしい。
「いいよ。駅に連れてくればいいのか?」
「階段上がってすぐのところに花屋があるだろ。あの前で朱里が待ってる。汀がわかるから」
汀の小さな手を握りしめて「わかった」と頷いた。
汀は『かみさわ』と駅名が書かれた白い板を熱心に見ていた。二つ目の文字を指差して「み……」と小さく呟いた。
「え? すごいじゃん」
光が頭を撫でると、汀は二コリを笑って顔を見あげてきた。続けて「さ」を指差して「き」と言った。
「惜しい。それは『さ』だな。サトちゃんの『さ』な」
A駅で降りる時「今日のお迎え、俺が行くわ」と清正が言った。
早く帰れるらしく、表情が明るかった。
最近の清正は、ずいぶんすっきりした顔をしている。
もともとどんよりしていたとか、暗かったとかいうわけではないが、何か悪い憑き物が落ちたように、なんというか、爽やかだ。
仕事の迷いが消えたせいだろうか。
人混みに消えてゆく、まわりより頭一つ背の高い後ろ姿を見送って、ふと唇に手を当てた。
トクンと、心臓が小さく鳴る。
さすがに今度のキスは夢ではなかった。けれど、どうして清正がキスをしたのかがかわからなかった。
恋愛経験がなさすぎて、自分の性癖を判断するのは難しいが、清正がヘテロなのは知っている。
同性との経験はないと明言していたし、結婚もしていた。
汀という子どももいる。
清正はゲイではない。
なのに、どうして……。
唇に、まだ感触が残っているような気がする。冗談や悪戯でしたなら絶対に許さないぞと思い、そう思うそばから泣きたくなった。
やはりまだ、考えるのはよそう。
光は心に蓋をした。
「ひかゆちゃん?」
汀に手を引かれて、はっとした。
「あ、悪い。行こう」
保育所のある四階まで上がり、混雑するエレベーターホールに立って汀を見送る。入口に向かって駆けていく小さな背中を確かめ、邪魔にならなるのを避けて、早々に下りのエレベーターに乗り込んだ。
引継ぎなどで忙しいらしく、朝も一人で先に出かける。
汀と公園に行く日が増えて、それだけでどっと疲れきってしまう光は、清正の帰りを待たずに寝落ちする日が続いた。
月末近くなった頃、「やっと引継ぎ、なんとかなりそう」と清正が言い、とりあえず朝だけは普通に出ていくようになった。三人で一緒に出かける習慣も復活した。
駅までの道を並んで歩きながら、「おふくろ、春まで向こうにいるって」と清正が言った。
「あったかくなったら、一度戻ってきて荷物を整理するって、昨日、連絡があった」
「ずっとあっちに住むってこと?」
「ああ。新幹線代出すから、汀を連れて遊びに来いとか言ってた」
本当に決めたのだ。
思ったより早い決断だった。
十分ほどで駅に着いた。階段を上り、開店前の花屋のシャッターの前を通り、すでに人が並んでいるパン屋と弁当屋の前を通り過ぎて改札を抜ける。
なるべく混んでいない後ろの車両に乗るために、長いホームを三人で歩いた。
「光、今度の木曜日、汀を駅まで連れてきてくれるか?」
「木曜日?」
「ああ。汀の誕生日だろ。朱里が会いたいって言うんだ」
一日付で異動になる清正は、確実に休みが取れるかわからないらしい。
「いいよ。駅に連れてくればいいのか?」
「階段上がってすぐのところに花屋があるだろ。あの前で朱里が待ってる。汀がわかるから」
汀の小さな手を握りしめて「わかった」と頷いた。
汀は『かみさわ』と駅名が書かれた白い板を熱心に見ていた。二つ目の文字を指差して「み……」と小さく呟いた。
「え? すごいじゃん」
光が頭を撫でると、汀は二コリを笑って顔を見あげてきた。続けて「さ」を指差して「き」と言った。
「惜しい。それは『さ』だな。サトちゃんの『さ』な」
A駅で降りる時「今日のお迎え、俺が行くわ」と清正が言った。
早く帰れるらしく、表情が明るかった。
最近の清正は、ずいぶんすっきりした顔をしている。
もともとどんよりしていたとか、暗かったとかいうわけではないが、何か悪い憑き物が落ちたように、なんというか、爽やかだ。
仕事の迷いが消えたせいだろうか。
人混みに消えてゆく、まわりより頭一つ背の高い後ろ姿を見送って、ふと唇に手を当てた。
トクンと、心臓が小さく鳴る。
さすがに今度のキスは夢ではなかった。けれど、どうして清正がキスをしたのかがかわからなかった。
恋愛経験がなさすぎて、自分の性癖を判断するのは難しいが、清正がヘテロなのは知っている。
同性との経験はないと明言していたし、結婚もしていた。
汀という子どももいる。
清正はゲイではない。
なのに、どうして……。
唇に、まだ感触が残っているような気がする。冗談や悪戯でしたなら絶対に許さないぞと思い、そう思うそばから泣きたくなった。
やはりまだ、考えるのはよそう。
光は心に蓋をした。
「ひかゆちゃん?」
汀に手を引かれて、はっとした。
「あ、悪い。行こう」
保育所のある四階まで上がり、混雑するエレベーターホールに立って汀を見送る。入口に向かって駆けていく小さな背中を確かめ、邪魔にならなるのを避けて、早々に下りのエレベーターに乗り込んだ。
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