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桜花
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というわけで、いまや八歳。
自分で言うのも何ですけど、荒れてた時期もありました。
ご温情により、なんとかせん馬にならずには済んだんですけれども戦績のおかげであっちのお誘いは無し。
え、どっちの八歳かって?
あなた、なかなか歴が長いね。
歳がバレるとアレなんですけどヒントはG1が16。
さて、話を戻してどっから話しましょかね?
馬神様と出会ってから夢のような長い長い時間が過ぎて、気が付いたら皐月賞の前だったんですわ。
何が起こったか考えてたら知恵熱が出て、熱発で出走停止。
ダービーに向けて追込みをかけていたら一周目では見逃されていた屈腱炎が発見されてあえなく引退。
それでも命があっただけでも良かったとみんなは泣いてくれた。
そんなこんなでなんとか生産入りは出来たものの、ぶら下げてるのが弥生賞だけではお呼びがかからず、そろそろ気持ちも落ち着いてきたので、今度は乗馬に向けて頑張っているところ。
そんな僕の気持ちも知らずに調教師はぺらぺらを見せてくる。
「なあ、キャストよう、今度の桜花賞どの娘が来ると思う?」
やめてや、4歳(取材当時の数え方で)のグラビアなんて犯罪やん。
こんな時は舌をべろべろしてやる。
これは人をからかう時にするものだ。
人間は脆い。あまりにも。
もし、噛んだり、いなないたりしたらそれだけで大怪我をする。
「お前は賢い。人間の言葉がわかるんやなあ。」
ぺらぺらに付いていた微かなタバコの匂いに思わずフレーメン反応が出る。
人間は上機嫌な時にこんな顔になるらしい。
「お前はほんまに賢い。」
命がある幸せ、もう一度活躍出来るかもしれない喜び。穏やかな時間は過ぎていった。
乗馬では別の名前になったらしいが、キャストの部分は残っていたのでキャストくんと呼ばれた。
でも、血統を残すために一番大切なものは失った。
せめて全弟でも活躍してくれたら良かったけど、そもそも僕が一番出来が良かった。
オリンピックに出た時は弥生賞を取った時くらいに喜んでもらえたし、自分としても一周目のダービーの時くらい緊張した。
こんな幸せがあっても良いと思った。
どこか満たされない気持ちを抱えこんだまま。
サラブレッドとして生まれたからには2つの大きな目標がある。
まずは現役生活で重賞をたくさん勝って自分の強さを示すこと。
次に種牡馬として成功して、一族としての強さを示すこと。
とにかく、生き残って、勝って、生き残れば他のことは大体後からついてくる。
基本的には優勝劣敗のシンプルな世界だ。
そんな世界で弥生賞の後、馬主さんは
「お前とジョッキーさんが勝って無事に戻って来た。これ以上は何もいらん。」
とまで言ってくれた。
馬主さんは一足先にあの幻のダービーを見ていたのかも知れない。
20歳になり、あらゆる勝負事から離された。歳の数えが変わってからどのくらいになるのか、もうわからない。
オリンピック出場の過去を訪ねてくる人も居なくなって久しい。
昔のことを思い出すだけの毎日。
30歳を過ぎたのは間違いない、耳が遠くて、目も霞む。そんなある日のこと。
「俺、今度のダービーで引退するんだわ。その前にお前に挨拶したくてな。」
久しぶりに見た調教師のおっちゃんは予後不良でも不思議はないくらいよろよろだった。
「何十年やってきたけど、お前より面白いやつはおらんかったわ。」
「で、今年の桜花賞どの娘がとったと思う?」
やめてや、僕もうおじいちゃんやで。
それに3歳のグラビアは犯罪やろ。
おっちゃんの見せてくれたぺらぺらにはいつか見た馬神様そっくりの娘がいた。
そして、足元がふわふわして、光で何も見えなくなって……せめてもう一度、ターフを…おもいっきり…走り…たか…ったな。
折りからの驟雨はかろうじて残っていた桜を花筏とした。
注1 せん馬
主に気性が荒いなどの理由で牡馬(オスの馬)の睾丸をとった馬のこと。自身が血を残せなくても強さが証明されれば全弟(注4で後述)が遺伝子を残せるため、やむなく決断されることもある。また、乗馬や馬術では必要とされる能力が違うため、なされることもあるらしい。
注2 熱発
熱が出ること。規定により、レース前の体温が高すぎると出走出来ない。主として馬体の保護及び周囲の感染症対策のため。
注3 屈腱炎(エビ)
競走馬の脚におこる異常のこと。エビのように曲がる見た目からそう呼ばれている。現役のうちに治らないことも多い。多くの名馬の引退の原因ともなっている。
注4 全弟
同じ両親から生まれた弟馬のこと。あえて人間で例えるなら実弟。
注5 重賞
賞金額や格式の特に高いレースのこと。
競馬ではG1>G2> G3で、同グレードの中でも、歴史や経緯、難易度などの理由で賞金額や格式の違いはある。
グレード制の導入は1984年から。
平成19年以降日本競馬が国際標準と統一化され、以降はJPNⅠ、JPNⅡのように表記されることとなる。
ちなみに競輪や競艇にはG1の上のSGが存在する。
注6 種牡馬
現役生活を引退して無事に生産入りの出来たオスの馬だけが辿り着けるチートハーレム状態。しかし、人間で言えば定年過ぎの年金生活状態でも情け容赦なく搾り取られるもう一つの地獄と見る向きもある。
注7 優勝劣敗
強いものが勝ち、弱いものが負ける。
弱肉強食とほぼ同義だが、勝っても別に「食べないよぉ」な時はこちらを使うとベター。
注8 驟雨
夕立のこと。季語としては夏の季語。
自分で言うのも何ですけど、荒れてた時期もありました。
ご温情により、なんとかせん馬にならずには済んだんですけれども戦績のおかげであっちのお誘いは無し。
え、どっちの八歳かって?
あなた、なかなか歴が長いね。
歳がバレるとアレなんですけどヒントはG1が16。
さて、話を戻してどっから話しましょかね?
馬神様と出会ってから夢のような長い長い時間が過ぎて、気が付いたら皐月賞の前だったんですわ。
何が起こったか考えてたら知恵熱が出て、熱発で出走停止。
ダービーに向けて追込みをかけていたら一周目では見逃されていた屈腱炎が発見されてあえなく引退。
それでも命があっただけでも良かったとみんなは泣いてくれた。
そんなこんなでなんとか生産入りは出来たものの、ぶら下げてるのが弥生賞だけではお呼びがかからず、そろそろ気持ちも落ち着いてきたので、今度は乗馬に向けて頑張っているところ。
そんな僕の気持ちも知らずに調教師はぺらぺらを見せてくる。
「なあ、キャストよう、今度の桜花賞どの娘が来ると思う?」
やめてや、4歳(取材当時の数え方で)のグラビアなんて犯罪やん。
こんな時は舌をべろべろしてやる。
これは人をからかう時にするものだ。
人間は脆い。あまりにも。
もし、噛んだり、いなないたりしたらそれだけで大怪我をする。
「お前は賢い。人間の言葉がわかるんやなあ。」
ぺらぺらに付いていた微かなタバコの匂いに思わずフレーメン反応が出る。
人間は上機嫌な時にこんな顔になるらしい。
「お前はほんまに賢い。」
命がある幸せ、もう一度活躍出来るかもしれない喜び。穏やかな時間は過ぎていった。
乗馬では別の名前になったらしいが、キャストの部分は残っていたのでキャストくんと呼ばれた。
でも、血統を残すために一番大切なものは失った。
せめて全弟でも活躍してくれたら良かったけど、そもそも僕が一番出来が良かった。
オリンピックに出た時は弥生賞を取った時くらいに喜んでもらえたし、自分としても一周目のダービーの時くらい緊張した。
こんな幸せがあっても良いと思った。
どこか満たされない気持ちを抱えこんだまま。
サラブレッドとして生まれたからには2つの大きな目標がある。
まずは現役生活で重賞をたくさん勝って自分の強さを示すこと。
次に種牡馬として成功して、一族としての強さを示すこと。
とにかく、生き残って、勝って、生き残れば他のことは大体後からついてくる。
基本的には優勝劣敗のシンプルな世界だ。
そんな世界で弥生賞の後、馬主さんは
「お前とジョッキーさんが勝って無事に戻って来た。これ以上は何もいらん。」
とまで言ってくれた。
馬主さんは一足先にあの幻のダービーを見ていたのかも知れない。
20歳になり、あらゆる勝負事から離された。歳の数えが変わってからどのくらいになるのか、もうわからない。
オリンピック出場の過去を訪ねてくる人も居なくなって久しい。
昔のことを思い出すだけの毎日。
30歳を過ぎたのは間違いない、耳が遠くて、目も霞む。そんなある日のこと。
「俺、今度のダービーで引退するんだわ。その前にお前に挨拶したくてな。」
久しぶりに見た調教師のおっちゃんは予後不良でも不思議はないくらいよろよろだった。
「何十年やってきたけど、お前より面白いやつはおらんかったわ。」
「で、今年の桜花賞どの娘がとったと思う?」
やめてや、僕もうおじいちゃんやで。
それに3歳のグラビアは犯罪やろ。
おっちゃんの見せてくれたぺらぺらにはいつか見た馬神様そっくりの娘がいた。
そして、足元がふわふわして、光で何も見えなくなって……せめてもう一度、ターフを…おもいっきり…走り…たか…ったな。
折りからの驟雨はかろうじて残っていた桜を花筏とした。
注1 せん馬
主に気性が荒いなどの理由で牡馬(オスの馬)の睾丸をとった馬のこと。自身が血を残せなくても強さが証明されれば全弟(注4で後述)が遺伝子を残せるため、やむなく決断されることもある。また、乗馬や馬術では必要とされる能力が違うため、なされることもあるらしい。
注2 熱発
熱が出ること。規定により、レース前の体温が高すぎると出走出来ない。主として馬体の保護及び周囲の感染症対策のため。
注3 屈腱炎(エビ)
競走馬の脚におこる異常のこと。エビのように曲がる見た目からそう呼ばれている。現役のうちに治らないことも多い。多くの名馬の引退の原因ともなっている。
注4 全弟
同じ両親から生まれた弟馬のこと。あえて人間で例えるなら実弟。
注5 重賞
賞金額や格式の特に高いレースのこと。
競馬ではG1>G2> G3で、同グレードの中でも、歴史や経緯、難易度などの理由で賞金額や格式の違いはある。
グレード制の導入は1984年から。
平成19年以降日本競馬が国際標準と統一化され、以降はJPNⅠ、JPNⅡのように表記されることとなる。
ちなみに競輪や競艇にはG1の上のSGが存在する。
注6 種牡馬
現役生活を引退して無事に生産入りの出来たオスの馬だけが辿り着けるチートハーレム状態。しかし、人間で言えば定年過ぎの年金生活状態でも情け容赦なく搾り取られるもう一つの地獄と見る向きもある。
注7 優勝劣敗
強いものが勝ち、弱いものが負ける。
弱肉強食とほぼ同義だが、勝っても別に「食べないよぉ」な時はこちらを使うとベター。
注8 驟雨
夕立のこと。季語としては夏の季語。
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