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皐月
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薫風香るどこまでも続く草原、故郷の景色とは違う楽園。
その中に馬神様はいた。
僕、もうおじいちゃんなんだけどすごく良い匂いがする。
牡馬を狂わせる最高に仕上がった牝馬の香り。
「ハードキャステング、聡明で絶大な魔力を持ち、ダービーすら制することの出来るあなたの力が必要なのです。馬のいない異世界を救って欲しいのです。」
「なんで、人間に頼まんのですか?」
「私の姿を見てわかりませんか?」
「なるほど。」
「私の望みを叶えてくれたらあなた方の悲願、ダービーどころか三冠馬にすらなり得る運命を約束しましょう。さらに、努力次第で距離適性を伸ばせるようにします。」
ダービーと聞いて心がざらざらする。
永らく忘れていた、否、思い出さないように意識していたゲートインの感触。
勝負の前の火花のちかちか。
パドックのざわめきと身を削る緊張感。
そして、目の前に誰も存在しない栄光ある閃光。
「それどころか、無事に帰って来れたならリーディングサイアーすら夢じゃないですよ。」
遠い夢のリーディングサイアーもいいけど、馬神様から漂う最高に仕上がった牝馬の香りはちょっと良くない。
馬神様の見た目はまだ幼いのに、いけない気持ちになりそう。
「いきなり異世界と言われても困るでしょうから、あなたが一番強かった時の肉体に加えて、あなたが今まで生きてきた中で見聞きした物事を理解する能力と向こうでの成人男性の常識を授けます。」
もう一度、あのライバルたちに走って勝つチャンスが貰えるなら選択の余地はなかった。
もし、日本に帰れないにしてももう一度だけでも思いっきり走れるのならば賭けてみる価値はあった。
そして、馬神様の導きのままに光のトンネルの中を駆けて行った。
一完歩ごとに身体が体躯が気持ちが心が若く、一番強かった頃に近づいて行く。
しかも、今度は更なる成長も約束されている!
僕は…否、ワシは今ならどこまでも走って行ける。
今度こそ、出るからには必ず無事に勝って帰る。
しばらく走っていると柔らかい膜のようなところを抜けて草いきれのする場所に出た。
馬神様と会った場所と少し似ている。
「お師匠様?」
頭の中に声がする。
「あなたがお師匠様最後の?」
「追われています。どうか助けてください。」
よくわからないが目の前の人間は助けた方が良いのだろうか。
迷っていたら何かが飛んできた。
ふわふわしてるけど当たると多分痛い。
「乗るんじゃ。」
「わかりました。お師匠様の召喚獣様。」
「お師匠様とか召喚獣様とかはようわからんけど、ワシは天下のサラブレッド三歳馬、走りにはちっと自信がある。」
「サラブレッド??」
こっちに来た時には、蹄鉄こそなかったものの、装鞍もされ、ほぼ完全装備だった。裸馬ではカッコがつかない。
馬という存在は人と協力することでお互いの能力が跳ね上がる。
それに、鞍にさえ跨らせれば、鞍上が誰じゃろうが関係ない。
「手綱をしっかり握って落ちんなよ。」
ハミをとって走り出す。
鞍上が下手くそだから手綱が絞られるが、強い意志で無視して走る。
今がどうなっているか、ここが何処か、鞍上が誰か、そんなことは何も関係なかった。
ただひとつのシンプルな気持ち。
「やっぱり、ワシ走りたいんじゃ。」
1ハロン15秒ほどで無理なく流す。少なくとも、人間の脚ではついて来れないはず。
しばらく距離を取って、鞍上にナビをさせる。並足で30分ほど歩いたらどうやら安全な場所に着いたらしい。
「助かりました。召喚獣様。」
「僕はアリマー、偉大なる召喚術師ジェイラの最後の一等弟子にして半端者。そして、最も寵愛を受けた者と言われています。」
有馬か。そこまで生きてなかったな。
まあ、出走出来たところでぼろぼろだろうけど。
「改めて、ワシはハードキャステング(hard casting)至って普通の青鹿毛三歳馬、得意なことは走ること、ちょっとした自慢は命を賭ければダービーだってとれることじゃな。」
「ダービー……わかりませんが、偉大なる召喚獣であるハードキャステング様が身命を賭して取るに値するものなのですね。」
「ああっと、そんなにかしこまらんでもキャストでええよ。」
「わかったよ、キャスト。」
「こんボケがっ。せめて"さん"くらいつけろやい。」
「申し訳ありません、わかりましたキャスト様。」
「それでよろしい。」
落ち着いてよくよく見るとアリマーという若僧はまだメイクデビュー前の文字通り青二歳に思えるような風体だった。
こんな子どもを追うのがなんなのかはわからないが、とりあえず今日生き残るのに大事なことを教えようと思った。
「まずは、安全な乗馬と下馬の方法じゃが……」
この馬の存在しない世界における騎兵という概念の誕生、まさにその瞬間である。
注1 三冠馬
一般的に日本では三歳牡馬の皐月賞、日本ダービー、菊花賞の三冠を取った馬を指す。2021年皐月賞前までにセントライトをはじめ8頭が記録されている。
注2 リーディングサイアー
もう一つの馬生である繁殖として、最も優れた成績を残すと貰える賞。子どもたちがいっぱい稼いでくれると貰える。
注3 一完歩
馬の脚は4本なので、普通に走ると四拍子になる。その一周及び一周した時の距離。 例:一完歩が2.5m
注4 ハミ
馬が咥えている両脇に手綱が装着されている金具。ボクシングのマウスピースのような役割をするが、嫌がる馬もいる。
気合いを入れて走る時にはぐっと噛んでハミをとる。
注5 手綱が絞られる
普通は減速したい時に手綱を絞る。
注6 ハロン
おそらく競馬以外では使わない用語、1ハロンは220ヤードだが、慣用的に200mとして使われている。
furlongを由来として紹介する本もあるが、作者の考えとしては要検証。
用例:上がり3ハロンが35秒
注7 青鹿毛
黒々とした鹿毛。フジキセキ、マンハッタンカフェなどが青鹿毛として登録されている。
注8 メイクデビュー
2008年以降、新馬戦をメイクデビューと改称した。
その中に馬神様はいた。
僕、もうおじいちゃんなんだけどすごく良い匂いがする。
牡馬を狂わせる最高に仕上がった牝馬の香り。
「ハードキャステング、聡明で絶大な魔力を持ち、ダービーすら制することの出来るあなたの力が必要なのです。馬のいない異世界を救って欲しいのです。」
「なんで、人間に頼まんのですか?」
「私の姿を見てわかりませんか?」
「なるほど。」
「私の望みを叶えてくれたらあなた方の悲願、ダービーどころか三冠馬にすらなり得る運命を約束しましょう。さらに、努力次第で距離適性を伸ばせるようにします。」
ダービーと聞いて心がざらざらする。
永らく忘れていた、否、思い出さないように意識していたゲートインの感触。
勝負の前の火花のちかちか。
パドックのざわめきと身を削る緊張感。
そして、目の前に誰も存在しない栄光ある閃光。
「それどころか、無事に帰って来れたならリーディングサイアーすら夢じゃないですよ。」
遠い夢のリーディングサイアーもいいけど、馬神様から漂う最高に仕上がった牝馬の香りはちょっと良くない。
馬神様の見た目はまだ幼いのに、いけない気持ちになりそう。
「いきなり異世界と言われても困るでしょうから、あなたが一番強かった時の肉体に加えて、あなたが今まで生きてきた中で見聞きした物事を理解する能力と向こうでの成人男性の常識を授けます。」
もう一度、あのライバルたちに走って勝つチャンスが貰えるなら選択の余地はなかった。
もし、日本に帰れないにしてももう一度だけでも思いっきり走れるのならば賭けてみる価値はあった。
そして、馬神様の導きのままに光のトンネルの中を駆けて行った。
一完歩ごとに身体が体躯が気持ちが心が若く、一番強かった頃に近づいて行く。
しかも、今度は更なる成長も約束されている!
僕は…否、ワシは今ならどこまでも走って行ける。
今度こそ、出るからには必ず無事に勝って帰る。
しばらく走っていると柔らかい膜のようなところを抜けて草いきれのする場所に出た。
馬神様と会った場所と少し似ている。
「お師匠様?」
頭の中に声がする。
「あなたがお師匠様最後の?」
「追われています。どうか助けてください。」
よくわからないが目の前の人間は助けた方が良いのだろうか。
迷っていたら何かが飛んできた。
ふわふわしてるけど当たると多分痛い。
「乗るんじゃ。」
「わかりました。お師匠様の召喚獣様。」
「お師匠様とか召喚獣様とかはようわからんけど、ワシは天下のサラブレッド三歳馬、走りにはちっと自信がある。」
「サラブレッド??」
こっちに来た時には、蹄鉄こそなかったものの、装鞍もされ、ほぼ完全装備だった。裸馬ではカッコがつかない。
馬という存在は人と協力することでお互いの能力が跳ね上がる。
それに、鞍にさえ跨らせれば、鞍上が誰じゃろうが関係ない。
「手綱をしっかり握って落ちんなよ。」
ハミをとって走り出す。
鞍上が下手くそだから手綱が絞られるが、強い意志で無視して走る。
今がどうなっているか、ここが何処か、鞍上が誰か、そんなことは何も関係なかった。
ただひとつのシンプルな気持ち。
「やっぱり、ワシ走りたいんじゃ。」
1ハロン15秒ほどで無理なく流す。少なくとも、人間の脚ではついて来れないはず。
しばらく距離を取って、鞍上にナビをさせる。並足で30分ほど歩いたらどうやら安全な場所に着いたらしい。
「助かりました。召喚獣様。」
「僕はアリマー、偉大なる召喚術師ジェイラの最後の一等弟子にして半端者。そして、最も寵愛を受けた者と言われています。」
有馬か。そこまで生きてなかったな。
まあ、出走出来たところでぼろぼろだろうけど。
「改めて、ワシはハードキャステング(hard casting)至って普通の青鹿毛三歳馬、得意なことは走ること、ちょっとした自慢は命を賭ければダービーだってとれることじゃな。」
「ダービー……わかりませんが、偉大なる召喚獣であるハードキャステング様が身命を賭して取るに値するものなのですね。」
「ああっと、そんなにかしこまらんでもキャストでええよ。」
「わかったよ、キャスト。」
「こんボケがっ。せめて"さん"くらいつけろやい。」
「申し訳ありません、わかりましたキャスト様。」
「それでよろしい。」
落ち着いてよくよく見るとアリマーという若僧はまだメイクデビュー前の文字通り青二歳に思えるような風体だった。
こんな子どもを追うのがなんなのかはわからないが、とりあえず今日生き残るのに大事なことを教えようと思った。
「まずは、安全な乗馬と下馬の方法じゃが……」
この馬の存在しない世界における騎兵という概念の誕生、まさにその瞬間である。
注1 三冠馬
一般的に日本では三歳牡馬の皐月賞、日本ダービー、菊花賞の三冠を取った馬を指す。2021年皐月賞前までにセントライトをはじめ8頭が記録されている。
注2 リーディングサイアー
もう一つの馬生である繁殖として、最も優れた成績を残すと貰える賞。子どもたちがいっぱい稼いでくれると貰える。
注3 一完歩
馬の脚は4本なので、普通に走ると四拍子になる。その一周及び一周した時の距離。 例:一完歩が2.5m
注4 ハミ
馬が咥えている両脇に手綱が装着されている金具。ボクシングのマウスピースのような役割をするが、嫌がる馬もいる。
気合いを入れて走る時にはぐっと噛んでハミをとる。
注5 手綱が絞られる
普通は減速したい時に手綱を絞る。
注6 ハロン
おそらく競馬以外では使わない用語、1ハロンは220ヤードだが、慣用的に200mとして使われている。
furlongを由来として紹介する本もあるが、作者の考えとしては要検証。
用例:上がり3ハロンが35秒
注7 青鹿毛
黒々とした鹿毛。フジキセキ、マンハッタンカフェなどが青鹿毛として登録されている。
注8 メイクデビュー
2008年以降、新馬戦をメイクデビューと改称した。
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