【完結】花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜

ソニエッタ

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王宮の毒花と森の片隅のお花屋さん

畑と来訪者

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騎士団の塔を出て、裏手の小道を抜けると、草の匂いがふわりと鼻をくすぐった。敷地の端にぽっかりと開いた空き地──いや、そこはもう立派な畑だった。柔らかく耕された土が朝の光を浴びて、ほんのり金色にきらめいている。



「騎士団の若いのに準備は整えてもらったよ。力仕事だけは得意だからね」



 ルーカスの気楽な声に、オルガは目を細めてうなずいた。鍬の入れ方も丁寧で、土の粒が揃っている。足跡ひとつ残さず、ちゃんと気を遣ってくれたらしい。



「ええと……南向きで、風通しもいい。ふむふむ、乾き気味だけど……うん、悪くない。いけるいける」



 そう言いながら、オルガはしゃがみこみ、片手で土をすくい上げる。もう一方の掌をそっとあてがい、目を閉じた。



 途端に、風がぴたりと止んだ。まるで周囲の空気が呼吸をやめ、何かの気配に耳を澄ませているような静けさが落ちる。



「……これは」



 すぐ後ろにいたレオニダスが、思わず息を呑んだ声を漏らした。土の表面がかすかに揺らぎ、そこに目に見えない脈動が感じられる。土が、何かを待っているようだった。



 しばらくして、オルガは目を開けて立ち上がる。



「うん、じゅうぶん。団長、そこの袋、持ってきてもらっていい?」



「これか。種、もう用意してたのか」



「うん、なんかすぐ使う気がしてさ。ほら、準備は大事って言うでしょ?」



 ルーカスが苦笑しながら袋を手渡す。オルガは器用に口を開け、中からつまみ出したのは緑、赤、青──色とりどりの小さな種たち。それを三本の指でつまみ、ひと粒ずつ丁寧に、土へ落としていく。



「これは……魔力草と、体力回復のやつ。それから、魔物が勘違いするやつと──あ、あと普通の花も植えとこうかな」



「……魔物が、勘違い?」



「うん。魔物がね、『あれ?こいつ仲間かな?』って思っちゃうやつ」



 オルガが真顔でそんなことを言うものだから、レオニダスもルーカスも、思わず目を見合わせる。使用する前にもう一度確認した方が良さそうだと、二人とも小さく苦笑した。



 そのとき、風がまた吹き始めた。さらさらと畑を抜けて草を揺らし、空気がやわらかくなる。次の瞬間、蒔かれたばかりの土から、小さな芽がひょこんと顔を出した。



「……もう、発芽してるのか?」



「でしょー。けっこう聞き分けのいい子たちなの」



 オルガの指先から染み出した力が、静かに土へ広がっていく。目には見えないが、確かにそこにある“なにか”が、やさしく畑全体を包み込んでいた。

風の流れが変わり、乾いた革靴の音と気配が、背後から近づく。

レオニダスがいち早く反応し、静かに振り返って礼をとる。ルーカスも顔を上げ、驚いたように目を細めた。



「イオナス殿下、皇太子の弟君だ──」


小声でそうつぶやいて同じく礼の姿勢をとる。視線の先にいたのは、銀糸のような髪に深い藍色の外套をまとった男だった。その後ろに数名の護衛がついている。



 オルガはしゃがんだまま、ひょいと片手を上げる。



「……偉そうな人来た?」



 その手には土がついたままだったが、気にする様子もない。



 イオナスは表情を動かさずに歩み寄る。その目に湛えられた鋭さが、ふと揺らいだ。



「……ああ、すまない。作業中だったか」



「うん。畑モードだから、ちょっと無礼だったらごめなさい」



「構わない。私もまもなく、王族ではなくなる。形式にはこだわらないさ」



 そう言って、彼はゆっくりと頭を下げた。



「甥……エリオットの命を救ってくれて、感謝する。あなたに直接礼を言いたかった」



「ん。どういたしまして。勝手にやっただけだし」



 オルガはのそのそ立ち上がり、手をぱんぱんと払う。



「ルーカス、レオニダス。そんなにかしこまらないでくれ。もうすぐ私も、君たちと同じ“家臣”になる立場だ」



「そうだよねぇ、こんな感じでいいよねぇ」



 レオニダスがこめかみを押さえ、イオナスがふっと目を細める。



「……いい空気だな。こうして静かな場所に来たのは、久しぶりだ」



 そのまま護衛を伴い、彼はゆっくりと去っていった。



 残された畑に、また風が吹く。



「びっくりしたねぇ。偉い人って、突然来るのが好きなのかな」



「驚いたとは思えん態度だったがな」



 レオニダスの皮肉に、オルガがむっと頬を膨らませる。



「……でもさ、顔全然似てないよね?」



「アルデバラン殿下は陛下似だが……イオナス殿下は、側妃の血が色濃いんだろう」



「ふーん……そうなのかなぁ」



 オルガはあまり納得しない顔で、また黙々と土をいじり始めた。





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