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オーディンの願い
#28
しおりを挟む朝から雪が降っていることもあり、ガーデンパーティー当日は、かなり冷え込んでいた。
初めて他の屋敷へ行くシャールのことを考えて、色々教えてやることが多そうだな、とオーディンが気を揉んでいると、ようやくエントランスにシャールが現れる。
正装で少し大人っぽくなった装いを見て、自分の胸の鼓動が煩くなり、近付けば普段よりも良い匂いがして、くらりと脳が揺れた。
「行こう」
「うん……」
緊張しているのか、シャールは元気が無く、表情が暗いまま歩き出した。
馬車へ乗る際、エスコートをしようと手を差し出したが、気が付かなかったのか、早々に馬車に乗られてしまい、せっかく出した自分の手も、間抜けな仕草に見えて来る。
オーディンは小さく嘆息しながら、手持無沙汰になった手を握り締めると馬車へ乗り込んだ――。
ノイスン家へ辿り着けば、社交界では常連の見知った顔ばかりで、オーディンの後から付いて来るシャールを遠巻きに眺めている。
公爵が呼び寄せた親戚の子は、爵位を上げたい貴族には恰好の的だ。
自分の娘を押し付け、公爵家へと入り込みたい貴族は両手両足の指が何本あっても足りないだろう。
――この国で公爵の爵位があるのは彼だけだし、当然と言えば当然か……。
後ろから付いて来るシャールを改めて見つめ、あの隣に令嬢が立ち並ぶ姿を想像し、思わず笑いが出そうになる。
令嬢よりも可憐な男が伴侶になるなんて、不幸な話だと思うし、シャールの隣にいるのは自分の方が似合うな、などと思ったりした。
並んで歩くダニエルが「気苦労が増えるね」と周りから注がれる好奇の目を感じ取り、しみじみ言う。
「元はと言えば、お前のせいだけどな……、それで、兄上は何か言ってたか?」
「んー、特別なことは何も言ってなかったけど、ただ公爵の親戚の子だから、興味はある見たいだね」
それに関しては、兄のサイファだけではなく、この国の貴族なら皆が興味を持っているだろう。
けれど、自分が一緒に居ることで、多少は牽制になるし、安易にシャールに近付いてくる者もいないはず、と背後から付いて来るシャールへ目を向ければ、きらきらと瞳を輝かせながら、ノイスン家の屋敷を物珍しそうに見ていた。
「シャール、離れるなよ」
「離れてないよ?」
「っ、近い」
「離れるなって言ったり近いって言ったり、オーディンは難しい」
そう言われて、確かにそれもそうだな、と自分でも納得するが、離れたら心配で寂しいし、近いとドキドキして困るし、と複雑な感情がぐるぐると堂々巡りを始める。
取りあえずシャールに二人の距離を「これくらいだ」と言って決めれば……
「え、でも、いつも唇が……っ」
あれだけ誰にも言ってはいけないと約束した口づけの挨拶を、すんなり暴露しようとするので、慌てて口を塞ぎ「誰にも言うなって言っただろ」と忠告すれば、うんうん、と頭を縦に振り、シャールが嬉しそうに「二人の秘密ね?」と言う。
――……。
シャールがいちいち可愛いせいで、自分の頬が熱を持ち始める。
明日から王宮に戻ることになるし、本当はこんな場所ではなく、一日自分の部屋に閉じ込めたかった……、と急に残念な気分になる。
さっさと挨拶を済ませて屋敷に帰るか、とオーディンが私欲に駆られていると、不意に周りの空気がピンと張り詰めたのを感じ、それだけで誰が来たのか察した。
会場に足を踏み入れた男に対して、会場全体が仰々しい挨拶をし、それが終わると高貴な衣装に身を包んだ男は迷うことなく、こちらへと向かって来る。
「元気そうだねオーディン、何も問題は無いかい?」
「はい、何もありません。お気遣い頂きありがとうございます」
第一王子で、自分の兄であるサイファへと挨拶をしたが、流れるように兄の視線がシャールへと向けられる。
「君がシャールだね」
「初めましてシャールと申します」
じっとシャールを見つめるサイファの目が、妙に癇に障った。
そんな品定めをするような熱の篭った目で、シャールを見るなと言いたくなる。けれど、サイファが興味を抱くのも頷けることだった。
ずっと、誰かに似ていると思っていたが、シャールは兄の初恋の相手である女神によく似ている。当然のようにサイファが神殿の話をし、招待しようとするのを聞き、まずいと思い、その誘いを遮った。
「兄上、シャールは体弱く、あまり外出は出来ませんので、今日も直ぐに屋敷に戻らなくてはいけません。そのお話は公爵様に仰って下さい」
オーディンはやんわり、公爵の許可なく招待は受けられないと伝えたが、このまま、この場所に居ればサイファは隙を見て神殿の話を持ち掛けそうだと思い、咄嗟の判断でシャールを抱き抱え「気分が優れないようなので連れて行きます」と言葉を残し、その場を去った。
待合に使われる部屋へ連れて行くと、シャールが不思議な顔をしながら、疑問を口にする。
「オーディン、僕、気分悪くないよ?」
「分かってるよ」
あのままだと、サイファの招待を受け取ることになるし、公爵に迷惑がかかるとシャールに説明すれば、すんなりと納得したようだった。
――神殿か……
シャールを見つめれば、確かに女神に似てるとは思うが、女神の方がもっと人間ばなれしていたような気がした。
オーディンも幼かった頃に一度見ただけで、はっきりと覚えているわけではないが、サイファがぽーっと、魂が抜けたように女神を見つめていた表情だけはよく覚えている。
考え事をしていると、ツンとシャールの手がオーディンの上着の裾を引っ張る。
「オーディン……、僕、ガイルの屋敷に帰りたい」
「そうだな、分かった。ちょっと待っててくれ」
ダニエルへ帰ることを伝えに会場へ戻ったが、何処へ行ってしまったのか、彼の姿は会場にはなかった。
代わりにサイファに呼び留められ、面倒な話をされそうだと思ったが、仕方なくオーディンは歩みを止めた。
「帰るのかい?」
「はい、シャールの具合がよくありませんので」
「具合ねぇ、そうだ、オーディンからもお願いしてくれないか?」
「何をですか?」
「シャールを神殿へ連れて行くことだよ」
どうして、サイファはそんなことに拘っているのだろう? 確かにシャールは女神に似ているが、過去が読めるわけでもないし……、と普段の無邪気なシャールの姿が思い浮かび、オーディンはくすりと微笑した。
その様子を見ていた兄の表情が曇り、口を尖らせる。
「……何がおかしい」
「いいえ」
横目でこちらを見るとサイファは「まあ……、いいか」と会場から立ち去って行く。意外とあっさり身を引くサイファを不思議に思いながら、オーディンはガーデン会場の横にある立食へ向かい、ダニエルの姿を探したが、そこにも彼の姿は無かった。
仕方なく執事へ退席の申し出をすれば「それでは馬車の準備をさせて頂きます」と執事は従者へと指示を出してくれた。
オーディンはついでに「ダニエルが何処にいるか分かりますか?」と執事に尋ねて見る。
「私は見ておりませんが、お見かけしたら、ご報告させて頂きます」
「宜しくお願いします」
執事に言付けをし、取りあえず待合室へと戻って見れば、そこにシャールの姿はなく、何処へ行ったのかと室内を見渡した。
――勝手に歩き回るなって言ったのに……。
一瞬そんなことを考えたが、シャールは勝手に歩き回ったりしないはずだと、直ぐに考えを改める。
オーディンは慌てて待合室を出て、近くにいる使用人に声をかけた。
「待合から知人が退室したようなので、何処へ行ったか教えて欲しい」
「申し訳ありません、私は見ておりません」
「貴女はここにずっと居たのだろうか?」
「はい、居りました。あ……、いえ少しだけこの場所を離れました」
ここに居たと言ったり、少し離れたと言ったり、様子がおかしいと感じる。
普通、待合付近で待機する使用人は誰が来たのか、そして帰ったのかを覚えておくことが仕事なのに、そんな適当な仕事をする使用人をノイスン家が雇っているとは思えなかった。
「……正直に言ってもらいたい、俺はダニエルの友人である前に、この国の第二王子だ」
警告するように第二王子であることを告げると、視線が泳いだ。
その視線の先に、執事に呼び止められているダニエルの姿が見え、オーディンは、その場を離れると彼へと歩みを進めた。
「ダニエル、シャールがいない」
「あー、何処か散歩に行ったのかな」
「シャールは、俺の約束を守らずに勝手に何処かに行ったりしない」
「んー……、そう」
「ダニエル!」
ただの勘だった。
ほんの少しの表情の沈み、眉が数ミリ下がっただけの事だったが、何か知っていると感じた。
「本当のことを言え」
「オーディン……、少し落ち着いて、今この会場には誰も逆らえない人物が一人いる」
「……っだったら兄上は何処だ」
「だから、落ち着いて! サイファ殿下はシャールと二人で、ゆっくり話をしたいと言ったんだよ」
「話をするのに何処かへ連れ込む必要があるのか?」
オーディンはダニエルが来た方面にある部屋全ての扉を開け、シャールの姿を探した。
早く見つけないと何をされるか分からない、そんな恐怖と怒りで頭の血が沸騰しそうになる。後から追いかけて来たダニエルの言葉も耳には入らず、そこら中を駆け回った。
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