それは先生に理解できない

南方まいこ

文字の大きさ
3 / 10

03.地雷を踏む俺

しおりを挟む
 
03
 
 街並みはいつもと変わらない。街路樹を見れば、黄金色に変わる木の葉に、昇ったばかりの日の光があたり、季節の移り変わりを感じる。
 人は皆それぞの思惑を胸に乗せ、学校へ登校する人間もいれば会社へ出社する人間もいる。葵のように変態に告白されて悩む人も。

 ――そんなヤツは、俺くらいか…。

 過去これほどまでに、学校へ行くのが嫌だと思ったことは無い。小学校の時だって注射が嫌いだったのにも関わらず、ちゃんと学校へ行き、予防接種も受けた。
 なのに大人になってから、こんなにも学校に行きたくないと思うことになるとは思っても見なかった。
 取りあえず、気をしっかり持ちつつ、教師の威厳を保つことだと久々に強く拳を握った。
 校内に入り職員室へ足を運ぶ、先生方に挨拶を交わし、自分の席に着くと授業の確認をした。
 今日は合同授業も含め、三年に授業が無いことが分かり、少し気が楽になる。いつものように朝礼を終わらせ、ペアを組んでいる藤山ふじやまに今日の授業内容の確認をして教室を出た。

 ――この中庭通るの怖いな。

 ビクビクしながら、この通路を通るのは葵くらいだろう。辺りを慎重に見回しながら通り抜けると教室に入った。
 シンとする教室、挨拶が反響し椅子が様々な音を奏でる。
 正直好きじゃないと、なかなか覚えるのが面倒なのが化合物と元素、その道に進みたいなら分かるが、普通にサラリーマンやOLになるのなら、然程必要ではない分野だと思う。
 このカリキュラムを受けている生徒たちは、皆、理系を活かしたその分野のどれかの道に進みたいと考えているだろう。
 自分は大学で研究員になるか、どうするかで悩んだが、結局は教員を選んだ。もちろん、それは間違いだったと昨日思った。
 まだまだ、未来を選ぶことが出来る一年の生徒を見ながら、将来を間違えないように、決して変態に目を付けられないよう祈るばかりだった――。
 無難に授業を終えると教室を出た。
 授業の間もずっと気になっている、あの変態男のことが、気にしたくも無いのに、それは脳に焼き印でもされたかのように消えてくれない。隣の席にいる金田にそれとなく兎野の話をした。

「あー、兎野は出席日数足りてます?」
「え? そう言えば、ギリギリでしょうね」
「そうですか」

 不思議な顔をしながら、金田が自身の髪の毛をクルっと指で摘まみ口を開く。

「葵先生が兎野の心配なんて、どうかしたんですか?」
「いや、この間、相談に乗ったので…」
「ああ、そう言えばそうでしたね」

 机の教材をパラリとめくり、頭の隅から追いやろうと思えば思うほど、兎野の顔が浮かびあがる。
 葵のことで気まずくなろうが、出席日数が足りなくなろうが関係ないはず。結局、あの日も、よく分からない告白を受けただけで……、とそこまで思い出すと両腕で自分で抱き、ぷるぷると頭を振り頬を横に揺らした。
 
 ――何が従わせるだ、やめやめ、もう考えるな! 

 ふと、チラチラと金田が視線を送って来るのが気になり、視線を受け止めた。

「葵先生、気になってたんですが…、それ、ご自分で切りました?」

 ああ、この不格好な前髪が気になっていたのかと、その視線の理由が分かり、目線を上にあげて自分の前髪を覗いた。
 金田からクスっと鼻を抜ける笑いが聞え、葵は「これ変ですか?」と確認して見た。

「少しだけ、斜めになってますから」

 自分は気にならないが、金田の笑みを見て、整えた方が良さそうだと感じた。
 放課後ハサミを持ってトイレでカットを試みる。職員室の隣にある洗面台の前で改めて前髪を見ると、確かにナナメになっている。 
 だが、一直線に切るのも変じゃないだろうか? どうすべきなのか正解が分からないまま、取りあえず前髪を持ち水で濡らし、真直ぐ切ろうとハサミを構えた所で藤山が呼びに来た。

「葵先生、ご指名ですよ」
「え?」
「あの生徒」
「…まさか、兎野ですか?」

 コクっと頷かれ、ぶるっと寒気がした。
 ハサミを下に置き、深い息を吐くと洗面所で顔を洗った。
 何度洗っても疲れた顔が見える。結局、逃げる術は自分が学校をやめるしかないのだと、葵はあきらめて潔くトイレから出た。

「先生、きて」
「ちょ、っ」
 
 いきなり腕を取られ引っ張られる。葵は思いっきり踏ん張ったが、無駄な体力を使っただけだった。
 化学室のある専門棟と、それを繋ぐ連絡通路の間に、ちょっとした隙間があり、そこへと押し込まれた。
 ズイっと目の前に立ちふさがる男の顔を見上げると、ポスっと葵の肩にバランスのいい顔と頭が落ちて来る。
 教師と生徒がこんな所でこんなことをしてもいいのだろうか? と考えて男同士で良いも悪いも無いか、と葵は考えを改める。

「兎野、俺の気持ちとか考えた事あるのか? こんな勝手な行動ばかりして、まずは俺に承諾を取ってからだろ」
「わかった」
「あと、ああ、そのーなんだ」

 ――自ら地雷を踏むのか……。

「従わせるとか抱くとか、そういうのはちょっとな」
「出来ればシたい、いい?」
「…いい……。っわけない!」

 しおらしく言われ、うっかり頷きそうになった自分にグーパンチをしたくなる。

「どうすればいい?」
「どうすればって、そんなこと言われてもな」
「先生が俺を好きになったら? そうすれば、したがってひざまずく?」

 凄い男だと感じた。
 普通、こんな発言を口に出せば、引かれるかも知れないと考えて発言を躊躇するのに、堂々と宣言出来る精神力と、怯まないこの態度に思わず敬意を表したくなる。
 
「兎野は……俺のこと好きじゃないんだろ…?」

 溜息と同時に、そんな言葉を兎野に改めて言う。彼はコクっと頷くと――、

「好きとは違う」

 葵は肩を竦め、だろうなと肯定の言葉の代わりに、細々と溜息を吐いた。
 だいたい好きだと思う相手に、そんな発言出来るわけがないのだ。葵は兎野を見つめ否定の言葉を口にした。

「兎野? 俺ゲイじゃないって言ったぞ」
「問題ない、好きになってもらえたら、そこはクリアできるから」
「お前が俺を好きじゃないのに、俺がお前を好きになったら俺は可哀想だろ」
「そうでもない、こんな不思議な感情誰にも抱かない」

 そよそよと流れる風、辺りは下校を知らせるようにシンと静まり返っている。そして目の前の男子生徒は、涼し気な顔を見せながら、教師に向かって変態発言を繰り返す。
 実際、一般的な男子の頭の中はソレやアレで埋め尽くされている。それが変態か変態でないかの差、発言するかしないかだ。
 葵は大きく息を吸い込み、最終確認をすることにした。

「確認なんだが…、お前は本当にどうしたい?」
「取りあえず、従わ…、ん、好きになってもらいたい」

 ――今、明らかに従わせたいって言いそうになっただろ!

「俺、SMとか無理だ……」
「先生、いやらしい」
「お、お前が言うなよ! だいたい従わせるって、そういう感じだろ?」
「ん……、違うと思う」

 取りあえず、変態発言がSMのような感情を持って言っているわけでは無いことが確認出来ただけでも良かった。
 いや、良くは無いが、考えてみれば、自分が兎野を好きになる可能性はゼロに等しい、それなら――、

「わかった。お前を好きになれば従う」
「……本当に!?」
「約束するよ、だから今後、勝手な行動はしないで欲しい。必ず俺に承諾を取ってからだ」
「了解」

 これで平和に過ごせると葵は安堵した。
 そう、安堵したのだが、何故かここは人気のない化学室の隣にある準備室で、目の前には――、

「先生、危ないからじっとしてよ」
「……はい」

 兎野が前髪をカットしてくれていた。
 髪が濡れていたのを問われ、前髪が不格好だから切ろうとした所で兎野に呼び出されたと説明をした。
 それならと兎野がカットをしてくれることになったが、本当に任せていいのだろうかと不安で仕方ない。
 化学室には色々と便利な物がある。ビニールシートに、ハサミに、鏡、髪を切るくらいの些細な物ならあっと言う間に揃う。
 葵は兎野にぐるぐる巻きにされ、はたから見れば事件でも起きたのかと思われそうな格好だ。

 ――もちろん俺が死体役…?

「痛っ」
「ごめん、髪の毛目に入ったかな」
「たぶん……」

 少しだけ不安に思いながら目を瞑り、カットが終わるのを待った。ハサミを持つ手が止まると。 

「こんなもんか」

 満足そうに兎野がそう言うと、ビニールシートを解きパタパタと髪を床に落とした。
 掃除道具を持ちテキパキと床に散らばった髪を纏め、兎野は自身のカバンから取り出したノートを破り、それに散髪した髪を包んだ。

「そこのゴミ箱に捨てていいぞ?」
「わかった」

 そう言いながら兎野は葵の目の前に立った。
 長身の彼から見下ろされると、まるで下僕にでもなった気分にさせられ、咄嗟に横を向き目を逸らすと、兎野から、「照れてる…?」と聞かれる。

「違う、怖いんだよ」
「なんで?」
「なんでって、そりゃ、お前の方が背も高いし、見下ろされるのは好きじゃない」
「あー、その顔だめ、怯えないでよオレの理性が飛ぶ」
「変な気起こすなよ?」

 クスっと笑うと、すっと目の前にしゃがみ葵を見上げてくる。

「じゃあ、これならいい?」

 柔らかな微笑みを見せ手を掴まれると、それはそれで何か違う気分になる。葵はサっと手を振り払い、「カットありがとな」と御礼を言った。
 兎野は小さく返事をし、片足を付いていた腰を上げ立ち上がる。
 距離にして1メートルほどだろうか、視線が絡むと彼の目線が葵の唇へと移動し、次は首筋辺りに移動した。
 そして更に下がりワイシャツの釦を見つめられ、まるで、それは――
 
 ――変な感じがする…脱がされているみたいだ…。

 仮に、彼の思考が単純にワイシャツの値段はいくらだろう? と考えていたとしても、兎野レベルの男に見つめられれば、それなりに胸が高鳴ってくる。
 若い肌とそれに見合う美貌を持ち、高校生とはいえ、しっかりと整った骨格を持った立派な男だと思えた。
 兎野の視線がスっと更に下へと移動すると、その視線にドキドキと羞恥が込み上げて来る。明らかにその目は股を見つめている。何故そんな所を見つめるのかと、問いたいのに問えない。

 ――目を逸らそう、こっちの気が変になる。
 
  兎野から視線を逸らし、横へ歩きで出入り口まで移動した。
 いつまでも私用で学校の備品や部屋を使うのは気が引けるし、葵はさっさと外へと出ることにした。

「それじゃ、気を付けて帰るんだぞ」
「待って、これから、休みの日はデートしてほしい」
「……は?」
「学校で毎回絡まれるよりいいでしょ」

 確かに、確かに、確かに……、そうだが、兎野が言ってることは分かるんだが、万が一と言うこともある。
 それは情が移り兎野を好きになる可能性が0%から1%に変わるかも知れないと言う可能性。

「いや、1%なら問題ないか?」
「ん? 何の話?」

 ――ああ、俺の馬鹿、うっかり心の声がぁ……。

「いや、デートって生徒と二人でいる所を見られるのはちょっとな」
「先生の家なら問題ない」
「大問題だ!」

 何されるか分かったもんじゃない。二人きりなんかになれるわけがない。絶対にダメだと伝えると、兎野はカクっと頭を下に向け。

「デートくらいして欲しいな。じゃないと、で勉強が手に付かなくなって留年する可能性も出てくる。いいのかな? で優秀な生徒が人生を踏み外すんだよ? もし留年が決まったら、俺は声を大にして言う。こんなことになったのは間違いなくだって…」

 ペロリと舌を出しているような幻覚が見える。本当に残念で仕方ない。どうして、その優秀な頭脳をくだらない悪知恵に使うのだろうか? と、大きな溜息を吐くと葵は覚悟を決め口を開いた。

「分かった。けど家はダメだ」
「仕方ないな。いいよ。じゃあデート何処行くか決めておいて」
「俺が決めるのか?」
「え、俺が決めていいなら」
「いや、俺が決める!」

 とりあえず、今日の所はこれで帰ると言い、兎野は帰って行った。
 葵は職員室に戻ると、兎野に腕を引っ張られ、拉致される所を見ていた藤山が心配そうに声をかけてくる。
 
「さっき、どうしたんですか?」
「なんか、あの生徒悩んでいる見たいです」

 葵はそう答えるしかなかった。自分、狙われているんですと言ったらどうなるのか? 白い目で見られ、妄想もいい加減にしなさい、と厳重注意を受けそうだ。
 ふと、金田がこちらに視線を向けると、両手をパンと自身の胸のあたりで合わせ。

「前髪整えたんですね。いいじゃないですか。似合ってますよー」
「ありがとうございます」

 兎野に切ってもらった前髪は高評価を得た。何でも出来る男なんだな、と能力の高い男に若干のジェラシーを感じる。
 そして冷静に考えた。兎野は葵を従わせたい≒抱きたいと宣言し、自分は兎野を好きになったら、従い≒抱かれると言う図式で間違いないのだろうか?
 
 ――いや、何で、俺が抱かれる前提なんだ。

 それに関しては嵩原の助言で解決しているが、仮に葵が兎野を好きになったら、初めての相手がアイツ? と自分の中で何かが引っ掛かる。
 とにかく、よく分からない状況へと、どんどん悪化していく現状に葵は困惑するばかりだった――――。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―

無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」 卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。 一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。 選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。 本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。 愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。 ※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。 ※本作は織理受けのハーレム形式です。 ※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

Sランク冒険者クロードは吸血鬼に愛される

あさざきゆずき
BL
ダンジョンで僕は死にかけていた。傷口から大量に出血していて、もう助かりそうにない。そんなとき、人間とは思えないほど美しくて強い男性が現れた。

【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話

日向汐
BL
「好きです」 「…手離せよ」 「いやだ、」 じっと見つめてくる眼力に気圧される。 ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26) 閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、 一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨ 短期でサクッと読める完結作です♡ ぜひぜひ ゆるりとお楽しみください☻* ・───────────・ 🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧 ❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21 ・───────────・ 応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪) なにとぞ、よしなに♡ ・───────────・

処理中です...