浮気な彼と恋したい

南方まいこ

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14.抜け目がない

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 昨晩は、なかなか寝付けず、完璧な寝不足だった。その理由は誠人に言われた一言が、ぐるぐると頭の中を占めていたからだ。

 ――同じ相手は頻繁に抱かないようにしてる、か……。

 それはつまり、他の男を抱いたら、海翔の番が回って来るということで、それまでは、大人しく待ってなきゃいけないわけで……、と複雑な思いが頭の中を渦巻いていた。
 その日、バイトを終えて大学へ向い、講義に出席して点数を稼ぎ、無事に課題の提出を終えると、海翔はサークルの部室へ向かった。

「あー、もー、なんか面倒臭い!」

 扉を開けた瞬間、聞えた声は部長の声だった。びっくりして扉前で立ち尽くした海翔は、近くにいた先輩部員に「何かあったんですか?」と聞けば、例の企業案件に関するラフ案が決まらないらしく、部長が癇癪を起していると教えてもらう。

 ――あー、例のイベントの……。

 大手出版社と大手企業のタイアップ企画なだけあって、部長は絶対に成功させたいと意気込んでいるようだった。
 海翔は部室の片隅に、こっそり座り、「大変そうですねぇ」と他人事のように呟き、書棚にある書道本を手に取った。

「これ渋いなぁ……」

 海翔が思わず呟いた言葉に、隣にいた先輩部員が、うんうん、と顎を縦に揺らしながら、「孔子廟堂碑こうしびょうどうひか、バランスがいいよな」と言う。

「俺は起筆が好みです」
「あ、俺もだな」

 書道オタクと言えばそれまでだが、決して一般人には理解されない話で盛り上がれる自分達は間違いなく『変人か変態』だろう。
 それどころか、このサークルにいる全員、漢字部、かな部、臨書部、などの段位を獲得している猛者ばかりだ。好きな文字の萌えを熱く語り、起筆や終筆に興奮するという『おかしな人』ばかりだ。
 しばらくして「ねぇー、海翔くーん……」と甘えた声で部長が声をかけてくるが、書道本から顔を向けることなく「なんでしょう?」と海翔は答えた。

「何かいいデザインないー?」
「無いですね」
「冷たっ! 何、今日は機嫌悪いの?」
「悪いです」

 良いか悪いかで言えば、悪かった。一人の男のことを考えて眠れないとか、今までの自分からは考えられない事態になっている。それに誠人が夜は自分以外の人間と一緒に過ごしているのかと、考えるだけで苛っとくる。
 そもそも、最初に抱かれてから、かれこれ一ヶ月は経っているのに、海翔の番が回って来ないのも変だ。誠人は二十八歳で性欲も落ち着いてるかも知れないが、こっちは毎日が性欲で溢れている年頃なのだ。

 ――はぁー……、もう誰か誘うか?

 どうせ待ってたって、連絡なんか来ないだろうし、誠人の店に通っても、誘って来ないのだから、無駄なことはしない方がいい。悶々としながら、古典書を眺めた――――。


 バイトや、大学の講義やら、サークルなどで、やることが多すぎて、誠人の店に顔出す時間が取れない日々が続き、海翔の不満は募っていくばかりだった。
 誠人の店に顔を出したからと言って、何も始まらないことくらい分かっていたが、海翔なりに色々思い悩んだ結果、とある場所へ向かうことにした。
 大学から一度家に戻り、自身の持っている服の中から大人っぽい服を選ぶと、目的の場所へ行き、その店の前で気合を入れた。

 以前来た時より、ムーディーな雰囲気が流れているのを見て、思わず尻込みしそうになるが、けれど、ここまで来たのに、収穫なしで帰るのも嫌だった。
 海翔は覚悟を決めて店内へ足を踏み入れ、迷うことなくカウンターへ向かえば、以前来た時と同じ人間がいて少し気が楽になった。
「こんばんは」と声をかけると、柔らかく頬を緩めながらバーテンも、「はい、こんばんは」と返事を返してくれたが、一瞬、おや? という顔をした。
 バーテンに「誠人さんなら来てませんよ?」と言われて、海翔は自分の顔を覚えていてくれたことに頬を緩ませ、誠人を訪ねて来たわけではないことを伝えると、空いてる席に座った。

「オレンジジュースでしたね」
「え?」
「誠人さんから、貴方が店に来た時はジュースを出すように言われてます」
「ちぇっ、抜け目ないな……」

 海翔のぼやきを聞き、くすくす笑うバーテンは、グラスを目の前に置き「お相手をお探しですか?」と聞いて来る。そういう店なのだから、聞かれて当然の言葉だが、自分の目的は他にあったため、頭を左右に振った。
「あの、ちょっと聞きたいことが……」と海翔が口を開いた瞬間、知らない男が隣に座った。
 慣れた仕草でカウンターに座る様子から、常連なのだと感じる。男は酒を注文すると、海翔を見て「一人?」と聞いてくるので「はい」と答えたが、すかさずバーテンが忠告した。

「駄目ですよ。誠人さんのお気に入りです」
「あ、まじか……」

 苦い顔をして酒だけ受け取ると、男は後ろに居る集まりへ溶け込んだ。それを見届けたあと、海翔はバーテンに「俺、誠人さんと付き合ってるわけじゃないですよ?」と告げる。

「知ってますよ。けど、今夜の相手を探しに来た訳でも無いのでしょう?」
「まあ、そうですけど……」

 バーテンは肩を揺らしながら「それで、ご用件は?」と聞いて来る。改めて聞かれると困ってしまうが、最近、誠人は来たのかと聞いて見た。

「ここ最近は、お見えになってませんね」
「そうなんだ……」

 それなら違うバーに行ってるのだろう。それに近頃は、普通にネットでも相手を見つけられるし、わざわざバーに出向くまでもない。
 けれど、誠人のような大人の男なら酒を飲みながら、じっくりと相手の品定めをしてから誘うのではと思った。
 誠人が、他の男を口説く姿など見たくないが、自分に向けられるなら、どれだけ心地良いかを想像して、ぼーっとする。

「あの、誠人さんって振られることってあるんですか?」
「んー、私が知る限り、滅多にありませんね――」

 バーテンが話を続ける前に、また誰かが横に座った。

「あらら、来たんだ?」

 徹がニマーっと口を広げて、海翔の顔を覗き込んで来る。
 それを見て、「うっかりしてた……」と海翔は心の中で呟いたつもりが、声に出していたようで、徹に「何が?」と聞かれる。

「誠人さんのことを調べに来たのに、徹さんの存在をすっかり忘れてた。会いたくなかったのに……」
「君って、結構ずけずけ物言うのな」

 そう言って徹は酒の注文をしながら苦笑する。
 確かにちょっと言い過ぎたかも知れないと思った。けれど、会いたく無かったのは事実だった。海翔は横に座った徹の顔を覗き込むと。

「あの、ここに来たこと誠人さんに内緒にしてくれる?」
「大丈夫、言わないよ。俺は敵に塩を送るタイプじゃないからね。それに、どうせ誠人とは上手くいかないだろうから」

 何で、そんなこと分かるんだ! と言いたかったが、それだと、まるっきり海翔だけが誠人を求めているようで、惨めだったので口を噤んた。
 
「今日はどう?」と、徹は口の端を上げながら、親指と人差し指で海翔の耳を摘まんで引っ張った。「何が?」と言いながら、海翔は彼に摘ままれた耳の手を払い除ける。

「今夜のお相手」
「徹さんって意外と諦め悪い大人だね。でも、試して見ようかな……」
「お、本当に?」
「うん、でも今日じゃないよ」

 徹の眉が、くっと上がり「……振られた時のキープなんて生意気だな」と言う。そんなつもりは無かったが、実際はそうなるのかも知れない。
 楽しそうな顔を見せる徹はこちらを見て、「で、誠人の何が知りたいの?」と聞いて来る。それが分からないから困っているのにと、海翔は眉を寄せながら「全部」と答えた。

「あーあー、やっぱ先に食っておけば良かったな」
「ん? 何で急に食べ物の話……」
「いいの、いいの、けど何で本人に聞かない? 知りたいことがあるなら、本人に聞けば良いのに」

 正論を言われて海翔は、言葉に詰まる。「何か、聞き難い」と俯いて返事をすれば「何が?」と徹に聞かれて、また言葉に詰まった。

「だって、今まで、どのくらいの期間で相手を誘ってたとか……、あと、どういう人がタイプとか、あと……」
「はいはい、ストップ。つまり、好きになったってことか」
「ち、違う! 好きじゃなくて、誠人さんのことを知りたいだけだ」
「……それを、世間では――」

 その先の言葉を聞きたくなくて、海翔は席を立ち、「ごちそうさまでした!」と金をカウンターに置いた。
 呆気に取られている徹の顔を睨むと、海翔は慌てて外へ飛び出した。徹が言うように、誠人に聞けばいいだけなのに、何故か聞けないと思った。
 それは、あの日……、言われたからだ『同じ相手は頻繁に抱かない』と、あそこまでハッキリと言われたら、それ以上食い下がれない。
『抱かない』と言われて、ダメージを食らったばかりなのに、いつ自分の番が回って来るの? とか、自分のことをどう思っている? とか、とてもじゃないが聞けるわけが無かった。
 海翔が期待している言葉と違うことを言われるのが怖いし、それを聞いたら終わりそうで嫌だった。いつになく弱気な自分に落ち込みながら、その日は大人しく家路についた――――。
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