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第二十六話 小枝子への謝罪
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四歳の萌加が「シザン」というものを知った時、どんな顔をしたのだろう。一本目の下の歯が抜けている頃合いだったかもしれない。歯の妖精さんの存在を信じていた自分と重ねて、ミナは想像する。
枕の下に抜けた歯を置いておくと、歯の妖精さんが来てコインを置いていってくれる。
ミナの両親はそう言って、枕の下に百円玉を入れてくれていたものだけれど、萌加のもとには本当に歯の妖精さんが具現化していたのかもしれない。
枕にかかる髪は、柔らかな今の萌加の髪よりもさらに細くたよりなげで、結んだはしから解けてしまうかもしれない。
そんな小さな萌加が、自分の言葉の重さに向き合ったとき、どれだけの苦しみがあっただろう。
ミナは気づくと泣いていた。絆創膏を探していたときに不意に涙は落ちた。
裕太にぶつかられて擦りむいた膝の傷に、ちょうどいい大きさの絆創膏が見つからなくて、二枚を並べて貼ることになった。母親に訊ねれば大きな絆創膏は見つかるかもしれないし、買いに行ってもらえるかもしれない。でも傷について問われたくなかった。
涙が右の頬にだけしみるので、鏡をのぞいてみると、薄く擦った痕がある。顔を洗い、タオルでおさえると、ミナは顔にも絆創膏を貼るべきか迷って、やめた。
顔に貼る絆創膏は、そのつもりがなくても相手を心配させてしまう。自分も心配される立場に安住してしまう。見えるか見えないか程度の傷に、騒がれるほど自分は傷ついていないし、傷つく権利もない。
ミナはまず、あやのに連絡を取るべきだと思った。
弟のタイキの発熱が呪いの影響なのだとしたら、嘘を告白して、嘘つきだと認めてもらうことでその呪いは解けるはずだ。あやのに軽蔑されることを想像すると、恐ろしくてたまらない。だが、そうしてもらわなくてはならない。
あやのに懇願してでも、ミナを軽蔑し、罵倒し、捨ててもらわなくてはならない。それが知らず知らずのうちに害を振りまいてしまっていた、自分の引き受けるべき責だ。
通話のコール音を聞きながら、手がじっとりと湿っていくのを感じる。早く出て欲しい。罰されるなら早く罰されて解放されたいのに、コール音は鳴り続ける。
あやのは出なかった。
通話のコール音は自動的に切断された。嫌な予感がした。
――急に電話してごめん 今無理?
試しにメッセージを送ってみるも、既読にはならない。ミナ達にとってスマホは常に手元にあるものだし、友達からメッセージが届けば取り敢えず開く。通話なら取り敢えず出る。
普段ならば気にならないが、前日にタイキの件を聞いたばかりだ。なにかが起こっているのかもしれない。通知に反応出来ないようななにか――。
ただ待つことが恐ろしく、なにか近しいひとへの謝罪をしなくてはならないという衝動に駆られた。
小枝子だ。と思った。
自宅に戻って落ち着いてはいるものの、ひとが変わったようにぼうっとなってしまった小枝子の呪いを、告白によって解かねばならない。
個人のアイコンをタップ、続いて通話アイコンをタップ。
1コール、2コール、3コール目の途中で小枝子が出た。
「嘘つきのミナちゃん」
一言目がそれだった。
「裕太くんから聞いたよ。最悪の嘘つきで、私のことを呪ったミナちゃん」
静かな声だが、息を吐く音がやたらと混じる。小枝子が憑かれていたときの獣じみた呼吸を思い出させた。
「ごめんなさい。あたしはさえちゃんに二重に悪いことをしました」
「ごめんじゃねえんだよ!」
突然叫ぶ小枝子の後ろ、遠くで母親が駆けつける声と足音が響く。
なんでもないの、ちょっと電話。そう、心配ないから。
通話口を抑えたであろう小枝子のくぐもった声が聞こえる。母親の返答はもう判然としないけれど、べったりと甘い中に娘への恐れを感じさせる声色だけは伝わった。
大丈夫だから、出ていってくれる?
小枝子の言葉に、なにやら曖昧にこたえる声がして、足音は遠ざかっていった。
ドアの閉まる音がクリアに聞こえて、通話口から手を離したのが分かる。すう、はあ、深呼吸の音がミナの耳元で響いた。
「最低の嘘つきだし、友達だと思っていたのに裏切られた気分」
「あたしが全部悪いんです。ごめんなさい。ごめんなさいじゃ済まないかもしれないけど、謝ることしか出来なくて。でもあたしを嘘つきだって言ってくれたから、良かった。もえの話の通りなら、きっとこれからさえちゃんの呪いは消えるから」
「どうせ、先に陰口言った私も悪いって思ってるでしょ。それに、結局はもえちゃんに騙されたって思ってるでしょ。本当の軽蔑って、そんな態度の人には与えられないよ」
小枝子の正論はいつでもミナを苛立たせてきたが、このたびの正論にミナは安堵を覚えた。いつもの小枝子に近づいている気がしたし、正しくミナのずるさを指摘して、断罪しようとしてくれている。
「ありがとう。あたしを本当に軽蔑しようとしてくれてありがとう」
「変なの。もう、切るね。許せないと思うよ。一生とは言わないよ。軽々しく言葉は使わないし、心は変わるからね。でもいまの私の気持ちとしては、許せないだろうなって思う」
切り際になにか、別れの言葉が聞こえた。じゃあね、とか、またね、とかでは無いことだけが分かった。
枕の下に抜けた歯を置いておくと、歯の妖精さんが来てコインを置いていってくれる。
ミナの両親はそう言って、枕の下に百円玉を入れてくれていたものだけれど、萌加のもとには本当に歯の妖精さんが具現化していたのかもしれない。
枕にかかる髪は、柔らかな今の萌加の髪よりもさらに細くたよりなげで、結んだはしから解けてしまうかもしれない。
そんな小さな萌加が、自分の言葉の重さに向き合ったとき、どれだけの苦しみがあっただろう。
ミナは気づくと泣いていた。絆創膏を探していたときに不意に涙は落ちた。
裕太にぶつかられて擦りむいた膝の傷に、ちょうどいい大きさの絆創膏が見つからなくて、二枚を並べて貼ることになった。母親に訊ねれば大きな絆創膏は見つかるかもしれないし、買いに行ってもらえるかもしれない。でも傷について問われたくなかった。
涙が右の頬にだけしみるので、鏡をのぞいてみると、薄く擦った痕がある。顔を洗い、タオルでおさえると、ミナは顔にも絆創膏を貼るべきか迷って、やめた。
顔に貼る絆創膏は、そのつもりがなくても相手を心配させてしまう。自分も心配される立場に安住してしまう。見えるか見えないか程度の傷に、騒がれるほど自分は傷ついていないし、傷つく権利もない。
ミナはまず、あやのに連絡を取るべきだと思った。
弟のタイキの発熱が呪いの影響なのだとしたら、嘘を告白して、嘘つきだと認めてもらうことでその呪いは解けるはずだ。あやのに軽蔑されることを想像すると、恐ろしくてたまらない。だが、そうしてもらわなくてはならない。
あやのに懇願してでも、ミナを軽蔑し、罵倒し、捨ててもらわなくてはならない。それが知らず知らずのうちに害を振りまいてしまっていた、自分の引き受けるべき責だ。
通話のコール音を聞きながら、手がじっとりと湿っていくのを感じる。早く出て欲しい。罰されるなら早く罰されて解放されたいのに、コール音は鳴り続ける。
あやのは出なかった。
通話のコール音は自動的に切断された。嫌な予感がした。
――急に電話してごめん 今無理?
試しにメッセージを送ってみるも、既読にはならない。ミナ達にとってスマホは常に手元にあるものだし、友達からメッセージが届けば取り敢えず開く。通話なら取り敢えず出る。
普段ならば気にならないが、前日にタイキの件を聞いたばかりだ。なにかが起こっているのかもしれない。通知に反応出来ないようななにか――。
ただ待つことが恐ろしく、なにか近しいひとへの謝罪をしなくてはならないという衝動に駆られた。
小枝子だ。と思った。
自宅に戻って落ち着いてはいるものの、ひとが変わったようにぼうっとなってしまった小枝子の呪いを、告白によって解かねばならない。
個人のアイコンをタップ、続いて通話アイコンをタップ。
1コール、2コール、3コール目の途中で小枝子が出た。
「嘘つきのミナちゃん」
一言目がそれだった。
「裕太くんから聞いたよ。最悪の嘘つきで、私のことを呪ったミナちゃん」
静かな声だが、息を吐く音がやたらと混じる。小枝子が憑かれていたときの獣じみた呼吸を思い出させた。
「ごめんなさい。あたしはさえちゃんに二重に悪いことをしました」
「ごめんじゃねえんだよ!」
突然叫ぶ小枝子の後ろ、遠くで母親が駆けつける声と足音が響く。
なんでもないの、ちょっと電話。そう、心配ないから。
通話口を抑えたであろう小枝子のくぐもった声が聞こえる。母親の返答はもう判然としないけれど、べったりと甘い中に娘への恐れを感じさせる声色だけは伝わった。
大丈夫だから、出ていってくれる?
小枝子の言葉に、なにやら曖昧にこたえる声がして、足音は遠ざかっていった。
ドアの閉まる音がクリアに聞こえて、通話口から手を離したのが分かる。すう、はあ、深呼吸の音がミナの耳元で響いた。
「最低の嘘つきだし、友達だと思っていたのに裏切られた気分」
「あたしが全部悪いんです。ごめんなさい。ごめんなさいじゃ済まないかもしれないけど、謝ることしか出来なくて。でもあたしを嘘つきだって言ってくれたから、良かった。もえの話の通りなら、きっとこれからさえちゃんの呪いは消えるから」
「どうせ、先に陰口言った私も悪いって思ってるでしょ。それに、結局はもえちゃんに騙されたって思ってるでしょ。本当の軽蔑って、そんな態度の人には与えられないよ」
小枝子の正論はいつでもミナを苛立たせてきたが、このたびの正論にミナは安堵を覚えた。いつもの小枝子に近づいている気がしたし、正しくミナのずるさを指摘して、断罪しようとしてくれている。
「ありがとう。あたしを本当に軽蔑しようとしてくれてありがとう」
「変なの。もう、切るね。許せないと思うよ。一生とは言わないよ。軽々しく言葉は使わないし、心は変わるからね。でもいまの私の気持ちとしては、許せないだろうなって思う」
切り際になにか、別れの言葉が聞こえた。じゃあね、とか、またね、とかでは無いことだけが分かった。
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