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22話 田原小鳩の閉じた世界

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 Side:田原小鳩

 小説を書いてみようと思ったのは、父の葬式で喪主として最後の挨拶をしたときだった。
 突然の事故で、彼は死んだ。当時の僕はまだ三十歳だった。
 
「尊敬してやまない父でした」
 
 用意していた言葉ではあったが実際に口にしようという瞬間に、僕の内側から強烈に湧き上がってきたのだ。ああ僕は本当に、父が好きで、父を尊敬していて、父の背中とそれから書斎のスケベな本を見て育ってきたんだって。
 僕と父だけの世界で良かった。
 でもその世界から父は消えてしまった。僕の世界には僕だけになってしまったのだ。
「尊敬してやまない父でした」と言葉に出したときに、その実感が現実として僕の体にぴったりくっついて、剥がれなくなった。

 僕は僕のことが好きじゃないし、僕の外側の世界も好きじゃない。
 父が居る世界が好きだった。だから父を取り込んで、僕と父の世界を継続しようとした。
 
 そんなわけで書き始めたのは、勿論、父の影響を大いにうけた作品だ。つまり、官能小説と呼ばれるらしいジャンルだ。
 一人でずっと書き続けていた。読む人は居ない。でもそれで十分だった。
 書いていると、死んだ父と一緒に居られたから。

 小説を書き始めて二年目のある日のこと。ほんとうに、あれは魔が差したと言っていいと思うが、小説を誰かに見せた方がいいような気がした。僕の世界は、父から受け継いだ小説を通じて、少しだけ外に開かれたのだ。
 思えば父も小説で外界と繋がっているような人だった。
 父と一緒に書いているようなものだったから、これは父の意志なんだろうと思った。

 そんなわけで僕は、慣れないインターネットで公募情報を集めたウェブサイトを見つけた。
 長い話を書いたことのない僕は、短編で募集しているうち、テーマが特に定められていない応募先を探した。
 そこで見つけたのが、リリンの短編賞だったというわけだ。
 募集はオールジャンルだし、規定枚数も少ないし、短編に限れば年に三回も募集しているという、その情報だけで僕はリリンに送ることに決めた。
 父の蔵書にあり、父も本を出していた、おふらんす書房のポポン文庫と響きが似ていたために勘違いしたのもある。
 
 初めての投稿の時、筆名を入力する欄になってふと手が止まった。
 本名の田原小鳩は好きではないし、僕が書き上げたという実感はいまいち無い。
 そういえば、と思い出したのは父の筆名だ。父は武蔵野小次郎を名乗っていた。
 そこからの連想で、名字は巌流島と決まった。武蔵と小次郎の決闘の逸話は有名だ。
 名前は、弱々しい小鳩から、強そうでめでたそうな喜鶴に。
 投稿者・巌流島喜鶴の誕生だった。

「まあ、それがセクハラになったわけだけど」

 コップの表面が水滴だらけになった、ぬるいアイスコーヒーを飲んで独り言を呟いた。
 手についた水を短パンで拭うも、手の湿りは取り切れない。アイデアを書き留めていくノートのページがうねっていく。
 
 ・淫魔養成学園に入学してしまった少女の話
 ・妖刀を使う少年に、下着に取り憑いたタコの霊を払ってもらう女の子の話
 ・生徒会長の縦ロールのお嬢様が実はドMの学園の王子を副会長にして椅子にする話
 ・四神の力を持つ四姉妹が、謎の奇病セックスゾンビの謎を追う話
 
 湧き出るアイデアを、ボールペンで紙にガリガリと刻み込むみたいにしていく瞬間、いつも、初めて小説を書いた日の気持ちを思い出す。
 自分の中にあったのか、外からやってきたのか、それとも父が僕にくれたものなのか。
 曖昧に溶けていく瞬間が好きなんだ。

「誰に見てもらえなくても、書いている僕と読んでいる僕が居る限り一人じゃない」

 でも。と筆が止まった。
 外に――リリンに――出したらそれは、『違う』と言われたんだ。迷惑ですらあったんだ。
 僕らが、僕と父が、違うとされたんだ。
 そう思うと、ボールペンを握る手に力が入らなくなった。
 
 ため息をひとつついて、残り少ないアイスコーヒーを一気にあおる。
 借りた本の山の背表紙、きれいなエメラルドグリーンを眺めながら、僕は目を閉じた。
 いつの間にか日は落ちかけていて、部屋は薄暗い。
 照明をつけるのも、おっくうだった。
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