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秋、プロローグ。

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 お見合いは相手からお断りされた。

 普通やる気のない男が来ればまあそうなるわな、と独り言ちる。

 相手に興味も持たない、返答も適当、目は死んでる、姿勢は悪い、顔もたいして良くはない。良いところが家柄しかないが、その家の者も厄介と来たら完全に地雷案件としてお断りするだろう。今回のお相手は良い判断をしたと思う。ウチに嫁いだらその先は奴隷だ。

 ホテルのラウンジのよく磨かれた窓ガラスに映る自分を見る。

 美容院帰りの茶色の髪は少し長めに整えられているが、肌の手入れを普段していないからか古い人形を無理やり磨いたようなチグハグ感を感じる。いつの間に仕立てたのかわからないスーツも似合わない。元々長年スーツを着ない生活をしていたからか、はたまた自分の顔つきがおそらく母の趣味の服に合わないのか、着られている感じがどうも拭えない。

 童話にシンデレラってあるけどアイツすげーんだな、なんでラウンジを出て、外の風を浴びながら歩く。魔法で外見だけ整えて王子様をゲットするなんて、普段から所作や仕草、心が素晴らしいくらい綺麗だったのだろう。残念ながら染衣は数年、薄給庶民を満喫していたし、男現場で人目を気にしたことなんてなかったので付け焼き刃のドレスアップじゃ高貴なお方を捕まえられなかった。

 ちなみに母親は彼女の返答に大層ご立腹で「貴方がきちんとしないから」と言い捨てタクシーで染衣を置いて帰った。なので、染衣はどこかもわからない京都の町にひとり残され、少ない財布の中身と充電の切れそうなスマートフォンだけを持ってよくわからない場所をうろつく羽目になった。

 一応省エネモードのスマートフォンが家までのルートを教えてくれるが、そこそこ遠い。歩いて帰るなど狂気のレベルだった。
 
 とりあえずタクシーを呼んで、家まで行ってもらって、家の誰かに金を出してもらおう。こんな強制イベントに自分の金を出したくない。
 
 京都には東京に匹敵するほどタクシーが通っていて、普通は捕まらないそうだ。

 こういう時アプリは助かる。時間はかかるが、何とか呼ぶことができた。
 
 気分転換にコンビニでマカロンを買って道路を見ながら食べた。
 
 東京にいた時はふたつ入りのマカロンを彼と一緒に食べた。締め切りデッドラインで、エナジードリンクが何本も並んで、シナリオライターなのにスプリクト周りもやらされて、ふたりで呻き声を上げながら納品して、甘いものが好きな彼のために帰り道のコンビニ前で徹夜のテンションで食べた。

 あの時は美味しかったのに、今は何の味もしない。

「……ん?」

 目の前が騒がしい。なんだろうと少し寄ってみると、タクシーの運転手と小学六年生くらいだろうか、車椅子に乗った男の子とその母親であろう、メイクが濃くて金髪の、随分若く見える服装の母親であろう女性が口論をしていた。

「だから謝ってるじゃないですか! どうしたいんです!?」

「誠意を見せろって言ってん! 誠意! こっちは人ひとり轢いて加害者になるとこやったんやぞ!」

「それは……! 飛び出したうちの子が悪いですけど……」

 トラブルの様だ。絡んでいるのは個人タクシーの運転手か。

 もう少し近づいてみる。人がかなり集まっていて、母親は強気の姿勢だがよく見れば今にも泣きそうで震えている。子どもの方は下を向いていて見えないが、少し気になるものが見えた。

 ーーアレ、ウチの会社のストラップだ。しかもオレの担当キャラ。

 子供の鞄には「ホワイトスピカ」の限定ストラップが付いていた。箱買い特典の限定キャラだ。担当したのは自分で、はじめての仕事だったから気合を入れたキャラだ。

 なんとなく、なんとなくだ。魔が差したと言ってもいい。

 染衣は目の前のコンビニの中に飛び込みATMに走る。退職金が振り込まれている。こんなものはいらなかった。仕事を、物語を書かせてくれればよかったのに。

 足りなければまた下ろせばいいかととりあえず十万を引き出し、人ごみに戻りかき分ける。

 まだ「誠意を」と唾を飛ばしながら叫んでいる運転手に話しかけた。

「すみません」

「ああ!?」

 運転手もいきなり知らない男から声をかけられて困惑するかと思ったが別にそんなことは無かった。まさかのこちらにも強気の姿勢だ。警察とか呼ばれて恐喝扱いにならないのだろうか。でも悪いのは親子の方の様だから、無敵なのか。

「あの、すみません。彼女らの身内なんですけど、これで足りますか?」

 コンビニの封筒を手渡す。運転手はにやりと蛇のように笑い、中身を確認すると急に上機嫌になった。

「わかればええ」

 運転手はいそいそと車に戻ると、もう用はないと言う様にその場を去った。

 さて。

「大丈夫ですか?」

 ガラの悪い運転手から解放されてほっとしたのか、座り込んでしまっていた母親に手を差し伸べる。彼女は本当に信じていいのか、よくわからない人間に戸惑いながらもその手を取った。子どもの方はまだ下を向いたまま顔も見せてくれず、車椅子に座ったままだった。
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