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後編
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「『黒板消しの新規購入を検討してください』……採用、『朝礼を短くしてください』……校長に言え、不採用。『転校生のΩと付き合ってるって本当ですか?』……晴人ォ!なんでお前これ弾かなかった!?クソ中のクソ!便所行きだ!」
生徒用の目安箱に目を通しながら御影は生徒会長としての責務を全うする。その間暇な八雲を含む俺たちは優雅にお茶をしばきながらそれを眺めていた。
「一応会長に向けての質問なので残しておいた方が良いかと思って。下校ギリギリで深く考える暇もありませんでしたし?」
「俺への当てつけなのはよーくわかった。八雲もなんか言っていいんだからな!」
「あはは……」
苦笑いする八雲は本当に良い子だ。こんな目の前にいる人間からの悪意も交わしてしまうなんて。Ωはみんなこうなのだろうか。なのだとしたらαから選ばれる唯一なのも頷ける。
「……あ」
菓子盆に手をかけると中身が空な事に気がついた。思い返せば向こう一ヶ月補充もしていない。
「購買に行ってくる」
「え?何、もう菓子ないの」
「無いから買いに行くんだろうが」
「あ、じゃあボクも一緒に行っていいですか?」
経費の入った財布を掴んで立ち上がると、手を挙げて八雲が立候補する。
「僕と一緒でいいのか?」
「?はい!晴人先輩と一緒がいいです!」
この子は人の悪意がわからない子なのだろうか。
それはまた大変な。彼の今後を勝手に憂いていると、片脇をガッと掴まれる。
「さっ、先輩行きましょ」
「えっ、ちょ、」
無駄に強い力でズルズルと引きずられて生徒会室を出る。ようやく解放されたのは、生徒会室が遠く見えるようになってからだった。
「あ、ごめんなさい、びっくりしましたよね。急に」
「いや……いいのかなって、それだけ」
「いいって、何を?」
「さっきの、嫌味っぽかったろ?いや、嫌味のつもりでやったんだけど……」
覚えがなかったのか数秒、八雲は頭の中を一巡して、思い返した先で笑った。
「先輩、結構小物っぽいですね!あれで嫌がらせのつもりですか?」
「な……っ」
「Ωって生きてるだけであんなん屁でも無いくらいの嫌がらせされるんですよ」
少しお話ししましょうか。八雲は屋上へ続く階段を見つけると、腰を下ろすように指差して自分自身もそこに腰かけた。
「健康診断で引っかかったのは小学4年くらいの時です。早い子は思春期とかになる時ですね。ボクはまぁ、それほど優秀ではなくて、周りに友達が多いだけが取り柄でしたから、当然βだと思っていたんです」
βとΩには性以外に能力的な差は大きく無い。だから大多数が自分をβだと疑わないのだ。
「そしたらΩだったんですよ。勿論、授業でやりましたからΩの怖さはわかってました。でもボク頭が弱かったから、普通に聞かれて答えちゃったんですよね。そしたら次の日から周りがガラリと変わって。あぁボクの今までの人生ってこんな薄っぺらかったんだって思いました」
よくある話だ。メディアが過剰に取り上げる事やそのフェロモンの怖さから一気に周りの交友関係が狭くなることは。だからΩはΩ同士のコミュニティでしか居られないことが多くなる。
「ここだけの話、転校してきたのも前の学校、あっ地元なんですけど。そこでαにレイプされかけて。返り討ちにしましたが、流石に親が心配してここに」
この学校にはΩも少なくはない。それはここが名門校でαが多く玉の輿を狙えるからなのと、Ωが多いが故にトラブル対策に力を入れている事が大きい。彼の両親もそれを視野に入れてここを選んだのだろう。
「だからボクは大丈夫なんです。……それより、先輩が心配で」
「僕が?」
「先輩と会長って付き合ってるんですよね?いきなり生徒会にΩが入って来て気に病んでないかどうか……」
「待て待て待て」
まるで当たり前な事のようにサラッと言われたセリフにストップをかける。
「その情報のソースは?!」
「会長ってスキンシップ激しいじゃないですか。で、転校初日に触れられた時、コイツはαだって嫌な感じがして一本背負いしちゃったんですよ。そしたら会長が「俺はアイツと付き合ってるから大丈夫」って。じゃなきゃαとなんか一緒にいません。会長に気にしていただいてるのは会長の周りだと手を出されにくいからです」
「そ、そうなんだ……」
αとΩの同性カップルならまだしも、別性で同性カップルというのは世間では今もまだ良い目で見られていない。それをアイツは。
「だから心配しないでくださいね。勘違いで破局されたなんてなったらボク眠れなくなっちゃいますから」
そうして話は終わったかのように立ち上がると、八雲は座ったままの晴人に手を伸ばす。晴人はそれを素直に手にとって立ち上がった。
「……八雲くんは可愛いのにカッコいいね」
「えっ?!」
若干赤くなった顔を置いて購買へ向かう。直ぐにパタパタと自分を追いかける音が聴こえて、やっぱり良い子だな、なんて思った。
「すごい列でしたね……」
「時間が悪かったね。ごめん」
「いえ……、また一つこの学校について学べました……」
購買の会計には長蛇の列ができていた。金曜日の午後4時。丁度部活が始まるか、部活に入っていない生徒がたまって談笑する時間。購買部では名物「限定ツイン生クリームチョコパン」と言う甘さの暴力のようなパンが限定で登場する。そんなカロリーの塊はどうしてか人気で、茶菓子ひとつ買うにも、その中に一身を投じなければならなかった。
「これだと抜け出してコンビニ行った方が早かったね」
「言えて、ま……す……」
後ろで大きな音がする。
反射的に後ろを向くと、八雲は力が抜けたかのように足から倒れていた。
「八雲?!大丈夫か?」
「……人が多いところに行ったから、どっかのヒート中のΩに誘発されたのかも知れません。とりあえず人の、いない所に連れて行って……」
「わかった!」
とりあえず、と空き教室に八雲を連れ出す。戸惑っている間に八雲は抑制剤を内腿に打ち込んだ。
「……とりあえずは、大丈夫です。鍵、かけてもらえます……?」
晴人は黙って内鍵を閉めた。数秒放たれたフェロモンに反応したαに襲われないようにする為だろう。
「すみません。……でもしばらくは側にいてもらっても大丈夫ですか?」
辛いのだろう。肩に寄りかかる八雲を晴人はそのまま受け入れる。
「あぁ」
気がすむまで幾らでも。
贖罪のつもりと思ってくれていい。今までの代わりとでも言うように、八雲が落ち着くまで晴人はずっと側にいた。
落ち着いた八雲をΩ用のタクシーで帰らせて、自分は生徒会室に戻る。そこには既に御影しかいなかった。
「みんなは?」
「帰らせた。今日は仕事もないしな」
「メール見たか?八雲も帰らせた。僕たちも今日の所は帰ろう」
鞄を持って踵を返そうとすると、椅子が倒れる音がして、後ろから抱きしめられた。
「……っ、何……」
「お前スゲーいい匂いする。何?香水?」
「ちょっ……、なんで勃ってるんだよ……」
首元を嗅がれると擽ったくて堪らない気持ちになる。だが、その香りの理由を思い返して一気に酔いが覚めた。
「……離れて」
「なんで」
「いいから」
腕を振り切ろうとしても、力が強くて離れられない。
「ごめん、無理」
嫌だ。やっぱりそうなるんじゃないか。
αとΩは惹かれ、番う運命なのだ。
「……ははっ」
そこからはされるがままだった。
「あっ……」
パタパタと床に白濁が垂れ落ちる。
Ωのフェロモンに当てられたαの身体に蹂躙されながら、晴人が達したのはもう三度目だった。
『こういう行為』自体は初めてではない。幼馴染なのだ。それこそ機会だけは無駄にある。でもこんな荒々しい手つきではない。動物の交尾のような、はしたないことでは決してなかったはずなのに。
誰が通るかもわからない教室でなんてナンセンスだ。晴人も、御影もそんな見つかったら停学まがいの行為をするほど馬鹿ではない。だけどそれを馬鹿にするのがαの本能なのだと、今身をもって体験している。
「あ、ぅ……、っ、」
「痛いよな、ごめん、……でもごめん、止まんない」
「うぁ、」
深く突かれた変に疼く。自分も八雲のフェロモンに当てられているかもしれなかった。
あぁ、最悪だ。と晴人は悪態をついた。
自分だけは蚊帳の外だと思っていた。
βだから自分は関係ないと。ヒートもフェロモンも抑制剤が何とかなると。自分は、母親とは違って自分は、αである御影と幸せになれると。
でもこんなの体験しちゃったら無理だ。
御影と八雲は自分と同じ人間ではない。そう完全に認識してしまった。
運命にはやっぱり抗えない。
『別れよう』
そのメールを送ったのはそれからすぐの事だった。
行為が終わって後始末もおざなりに何も言わずに出て行った晴人を御影は止めなかった。
部屋に一人でこもって泣いた。
だって仕方がないじゃないか。これでも彼のことが好きだったのだ。
返信は来ない。御影が家に訪れることもない。
御影も分かったのだろう。どんなに好き合っていても、オメガバース性には逆らえないことを。
(良い匂い、って言ってたし、もしかしたら八雲と御影が運命のつがいなのかな)
『転校初日に触れられた時、コイツはαだって嫌な感じがして』
八雲の言葉を思い出す。
だとしたらやっぱり別れるのが最適解なのだろう。八雲は自分のせいでと、気にかけるかもしれないが、きっと遅かれ早かれこうなっていた。
その日はずっと布団に包まっていた。スマートフォンも一日中鳴ることはなかった。
頭を撫でられるような感覚で、晴人は微睡みから帰ってきた。
「……起こしたか」
「……ッ!御影、なんで」
「いくら連絡しても出なかったから。おばさんもいなかったし合鍵使った」
御影と晴人は恋人以前に幼馴染だ。
会う回数も多い為、お互いの家の合鍵の隠し場所も知っている。それが仇になったかと晴人は苦虫を噛み潰したような感覚に陥った。
「……悪かった。酷いことをしたと思うし、別れるって言われても仕方ないと思う。それでも、頼む。別れないでほしい」
御影はそう言って頭を下げて詫びた。
「……関係ないよ。ずっと、いつ別れようかと考えてた」
「なんで……ッ」
「運命の番、ってあるじゃない」
出会った瞬間からわかるらしいそれには抗えない。それはこの目で見てきた。両親の仲が実際の所、当時どうだったかはわからない。もしかしたら仲が良かったのは水面下だけだったのかもしれない。それでも、運命の番のせいで壊れた家族は存在するのだ。
「御影も一応はαだからさ、きっといるんだよ。運命の番ってやつ。そしたら付き合ってる僕はどうなる?」
「そんなの都市伝説だ、現れるわけがない」
「あるよ。教えてやろっか。お前と会う前、八雲が他のΩに充てられてヒートになったんだ。その香りが僕に移ったからああなった。実際、お前は僕じゃなくて八雲のフェロモンに充てられて発情したんだよ」
「………」
「お前もきっと父さんみたいに僕を捨てる。……そんなの耐えられるわけないだろ」
御影は何も言わなかった。
いつも気丈で、一投げれば十返ってくる男が何も。それが晴人を妙にイラつかせる。別れ話を持ちかけたのは自分の方だというのに。
「なんで何も言わないんだよ?!運命なんか糞食らえって言ってくれよ!なんでこんな時だけ普通の奴面するんだよ!α様なんだろ?!どうにかしてくれよ……」
「……今のお前にそんなこと言えるわけないだろ。オメガバースには逆らえないって、身を以て知った直後なんだから」
絞り出された言葉は晴人の胸に重くのしかかる。
情緒不安定の女かよ、と自虐する。
どんな言葉が欲しいのか、自分でもわからないのだ。別れたい、別れたくない、一緒にいたい、裏切られたくない。
お互いに黙り込む空白の時間が続く。
口火を切ったのは御影の方だった。
「でも、やるのとやらないのは違うと思う」
「は……?」
「Ωのフェロモンに反応するのはαの本能だ。だから、お前を不安にさせることも多いかもしれない。でもお前が俺を好きでいてくれる限り、俺はαである俺に逆らい続けたい」
しっかりと目線を合わせて、誓うように。御影は晴人にそう答えた。
「……本気で言ってる?」
「こんな時に冗談なんて言わない」
「……じゃあ、証明して」
そうして御影はベッドの上に身体を移すと、晴人に近づきそのままキスをした。
啄ばむようなものではなく、舌を絡めた甘い口づけ。
「……ふ、ぁ、……っ、」
もうΩのフェロモンは残っていないと思うが、劣情はそのままに御影は何度も水音を立てる。
「……やりなおすよ。αとしてじゃなくて、恋人として、させて」
「うん……」
そうしてまた、二人はキスをしたのだった。
「先輩!この間は大変っ!ご迷惑をおかけしました!」
あれから八雲は暫く休み、やっとヒートが終わったからと生徒会室を訪れると、思い切り90°で頭を下げた。
「いや、いいよ。体調は大丈夫?」
「はい。もうご迷惑をかけることもないと思います。つがいが出来たので」
「は?!」
了承を取ってチョーカーに隠れた首元を確認すると、確かに噛み跡が残っていた。
「えっ……そんな……、いつのまに」
「前々から話は出てたんです。でもまぁ生きていく上で面倒ですし、えいっと」
「そんな軽い気持ちで?!」
驚く晴人を他所に八雲は笑顔を見せる。
「先輩は、あの後会長とどうでしたか?」
「どうでしたって……」
「こっちも忙しいって言うのに鬼のように連絡きたんですよ。先輩と連絡がつかないって」
アイツは拡声器か何かか。
「それは本当にごめん……」
「いえ、いいんです。それに……」
廊下から質量のある大きな足音が聞こえる。
その主はこの生徒会室に向かってきていた。
「やっぱりみんなが幸せになるのが一番ですから」
言うことは沢山ある。プライバシーの事だとか、後輩に迷惑かけるなだとか。
どれから話そうか、晴人は頭の中で考えながら愛おしい恋人が現れる時を待った。
生徒用の目安箱に目を通しながら御影は生徒会長としての責務を全うする。その間暇な八雲を含む俺たちは優雅にお茶をしばきながらそれを眺めていた。
「一応会長に向けての質問なので残しておいた方が良いかと思って。下校ギリギリで深く考える暇もありませんでしたし?」
「俺への当てつけなのはよーくわかった。八雲もなんか言っていいんだからな!」
「あはは……」
苦笑いする八雲は本当に良い子だ。こんな目の前にいる人間からの悪意も交わしてしまうなんて。Ωはみんなこうなのだろうか。なのだとしたらαから選ばれる唯一なのも頷ける。
「……あ」
菓子盆に手をかけると中身が空な事に気がついた。思い返せば向こう一ヶ月補充もしていない。
「購買に行ってくる」
「え?何、もう菓子ないの」
「無いから買いに行くんだろうが」
「あ、じゃあボクも一緒に行っていいですか?」
経費の入った財布を掴んで立ち上がると、手を挙げて八雲が立候補する。
「僕と一緒でいいのか?」
「?はい!晴人先輩と一緒がいいです!」
この子は人の悪意がわからない子なのだろうか。
それはまた大変な。彼の今後を勝手に憂いていると、片脇をガッと掴まれる。
「さっ、先輩行きましょ」
「えっ、ちょ、」
無駄に強い力でズルズルと引きずられて生徒会室を出る。ようやく解放されたのは、生徒会室が遠く見えるようになってからだった。
「あ、ごめんなさい、びっくりしましたよね。急に」
「いや……いいのかなって、それだけ」
「いいって、何を?」
「さっきの、嫌味っぽかったろ?いや、嫌味のつもりでやったんだけど……」
覚えがなかったのか数秒、八雲は頭の中を一巡して、思い返した先で笑った。
「先輩、結構小物っぽいですね!あれで嫌がらせのつもりですか?」
「な……っ」
「Ωって生きてるだけであんなん屁でも無いくらいの嫌がらせされるんですよ」
少しお話ししましょうか。八雲は屋上へ続く階段を見つけると、腰を下ろすように指差して自分自身もそこに腰かけた。
「健康診断で引っかかったのは小学4年くらいの時です。早い子は思春期とかになる時ですね。ボクはまぁ、それほど優秀ではなくて、周りに友達が多いだけが取り柄でしたから、当然βだと思っていたんです」
βとΩには性以外に能力的な差は大きく無い。だから大多数が自分をβだと疑わないのだ。
「そしたらΩだったんですよ。勿論、授業でやりましたからΩの怖さはわかってました。でもボク頭が弱かったから、普通に聞かれて答えちゃったんですよね。そしたら次の日から周りがガラリと変わって。あぁボクの今までの人生ってこんな薄っぺらかったんだって思いました」
よくある話だ。メディアが過剰に取り上げる事やそのフェロモンの怖さから一気に周りの交友関係が狭くなることは。だからΩはΩ同士のコミュニティでしか居られないことが多くなる。
「ここだけの話、転校してきたのも前の学校、あっ地元なんですけど。そこでαにレイプされかけて。返り討ちにしましたが、流石に親が心配してここに」
この学校にはΩも少なくはない。それはここが名門校でαが多く玉の輿を狙えるからなのと、Ωが多いが故にトラブル対策に力を入れている事が大きい。彼の両親もそれを視野に入れてここを選んだのだろう。
「だからボクは大丈夫なんです。……それより、先輩が心配で」
「僕が?」
「先輩と会長って付き合ってるんですよね?いきなり生徒会にΩが入って来て気に病んでないかどうか……」
「待て待て待て」
まるで当たり前な事のようにサラッと言われたセリフにストップをかける。
「その情報のソースは?!」
「会長ってスキンシップ激しいじゃないですか。で、転校初日に触れられた時、コイツはαだって嫌な感じがして一本背負いしちゃったんですよ。そしたら会長が「俺はアイツと付き合ってるから大丈夫」って。じゃなきゃαとなんか一緒にいません。会長に気にしていただいてるのは会長の周りだと手を出されにくいからです」
「そ、そうなんだ……」
αとΩの同性カップルならまだしも、別性で同性カップルというのは世間では今もまだ良い目で見られていない。それをアイツは。
「だから心配しないでくださいね。勘違いで破局されたなんてなったらボク眠れなくなっちゃいますから」
そうして話は終わったかのように立ち上がると、八雲は座ったままの晴人に手を伸ばす。晴人はそれを素直に手にとって立ち上がった。
「……八雲くんは可愛いのにカッコいいね」
「えっ?!」
若干赤くなった顔を置いて購買へ向かう。直ぐにパタパタと自分を追いかける音が聴こえて、やっぱり良い子だな、なんて思った。
「すごい列でしたね……」
「時間が悪かったね。ごめん」
「いえ……、また一つこの学校について学べました……」
購買の会計には長蛇の列ができていた。金曜日の午後4時。丁度部活が始まるか、部活に入っていない生徒がたまって談笑する時間。購買部では名物「限定ツイン生クリームチョコパン」と言う甘さの暴力のようなパンが限定で登場する。そんなカロリーの塊はどうしてか人気で、茶菓子ひとつ買うにも、その中に一身を投じなければならなかった。
「これだと抜け出してコンビニ行った方が早かったね」
「言えて、ま……す……」
後ろで大きな音がする。
反射的に後ろを向くと、八雲は力が抜けたかのように足から倒れていた。
「八雲?!大丈夫か?」
「……人が多いところに行ったから、どっかのヒート中のΩに誘発されたのかも知れません。とりあえず人の、いない所に連れて行って……」
「わかった!」
とりあえず、と空き教室に八雲を連れ出す。戸惑っている間に八雲は抑制剤を内腿に打ち込んだ。
「……とりあえずは、大丈夫です。鍵、かけてもらえます……?」
晴人は黙って内鍵を閉めた。数秒放たれたフェロモンに反応したαに襲われないようにする為だろう。
「すみません。……でもしばらくは側にいてもらっても大丈夫ですか?」
辛いのだろう。肩に寄りかかる八雲を晴人はそのまま受け入れる。
「あぁ」
気がすむまで幾らでも。
贖罪のつもりと思ってくれていい。今までの代わりとでも言うように、八雲が落ち着くまで晴人はずっと側にいた。
落ち着いた八雲をΩ用のタクシーで帰らせて、自分は生徒会室に戻る。そこには既に御影しかいなかった。
「みんなは?」
「帰らせた。今日は仕事もないしな」
「メール見たか?八雲も帰らせた。僕たちも今日の所は帰ろう」
鞄を持って踵を返そうとすると、椅子が倒れる音がして、後ろから抱きしめられた。
「……っ、何……」
「お前スゲーいい匂いする。何?香水?」
「ちょっ……、なんで勃ってるんだよ……」
首元を嗅がれると擽ったくて堪らない気持ちになる。だが、その香りの理由を思い返して一気に酔いが覚めた。
「……離れて」
「なんで」
「いいから」
腕を振り切ろうとしても、力が強くて離れられない。
「ごめん、無理」
嫌だ。やっぱりそうなるんじゃないか。
αとΩは惹かれ、番う運命なのだ。
「……ははっ」
そこからはされるがままだった。
「あっ……」
パタパタと床に白濁が垂れ落ちる。
Ωのフェロモンに当てられたαの身体に蹂躙されながら、晴人が達したのはもう三度目だった。
『こういう行為』自体は初めてではない。幼馴染なのだ。それこそ機会だけは無駄にある。でもこんな荒々しい手つきではない。動物の交尾のような、はしたないことでは決してなかったはずなのに。
誰が通るかもわからない教室でなんてナンセンスだ。晴人も、御影もそんな見つかったら停学まがいの行為をするほど馬鹿ではない。だけどそれを馬鹿にするのがαの本能なのだと、今身をもって体験している。
「あ、ぅ……、っ、」
「痛いよな、ごめん、……でもごめん、止まんない」
「うぁ、」
深く突かれた変に疼く。自分も八雲のフェロモンに当てられているかもしれなかった。
あぁ、最悪だ。と晴人は悪態をついた。
自分だけは蚊帳の外だと思っていた。
βだから自分は関係ないと。ヒートもフェロモンも抑制剤が何とかなると。自分は、母親とは違って自分は、αである御影と幸せになれると。
でもこんなの体験しちゃったら無理だ。
御影と八雲は自分と同じ人間ではない。そう完全に認識してしまった。
運命にはやっぱり抗えない。
『別れよう』
そのメールを送ったのはそれからすぐの事だった。
行為が終わって後始末もおざなりに何も言わずに出て行った晴人を御影は止めなかった。
部屋に一人でこもって泣いた。
だって仕方がないじゃないか。これでも彼のことが好きだったのだ。
返信は来ない。御影が家に訪れることもない。
御影も分かったのだろう。どんなに好き合っていても、オメガバース性には逆らえないことを。
(良い匂い、って言ってたし、もしかしたら八雲と御影が運命のつがいなのかな)
『転校初日に触れられた時、コイツはαだって嫌な感じがして』
八雲の言葉を思い出す。
だとしたらやっぱり別れるのが最適解なのだろう。八雲は自分のせいでと、気にかけるかもしれないが、きっと遅かれ早かれこうなっていた。
その日はずっと布団に包まっていた。スマートフォンも一日中鳴ることはなかった。
頭を撫でられるような感覚で、晴人は微睡みから帰ってきた。
「……起こしたか」
「……ッ!御影、なんで」
「いくら連絡しても出なかったから。おばさんもいなかったし合鍵使った」
御影と晴人は恋人以前に幼馴染だ。
会う回数も多い為、お互いの家の合鍵の隠し場所も知っている。それが仇になったかと晴人は苦虫を噛み潰したような感覚に陥った。
「……悪かった。酷いことをしたと思うし、別れるって言われても仕方ないと思う。それでも、頼む。別れないでほしい」
御影はそう言って頭を下げて詫びた。
「……関係ないよ。ずっと、いつ別れようかと考えてた」
「なんで……ッ」
「運命の番、ってあるじゃない」
出会った瞬間からわかるらしいそれには抗えない。それはこの目で見てきた。両親の仲が実際の所、当時どうだったかはわからない。もしかしたら仲が良かったのは水面下だけだったのかもしれない。それでも、運命の番のせいで壊れた家族は存在するのだ。
「御影も一応はαだからさ、きっといるんだよ。運命の番ってやつ。そしたら付き合ってる僕はどうなる?」
「そんなの都市伝説だ、現れるわけがない」
「あるよ。教えてやろっか。お前と会う前、八雲が他のΩに充てられてヒートになったんだ。その香りが僕に移ったからああなった。実際、お前は僕じゃなくて八雲のフェロモンに充てられて発情したんだよ」
「………」
「お前もきっと父さんみたいに僕を捨てる。……そんなの耐えられるわけないだろ」
御影は何も言わなかった。
いつも気丈で、一投げれば十返ってくる男が何も。それが晴人を妙にイラつかせる。別れ話を持ちかけたのは自分の方だというのに。
「なんで何も言わないんだよ?!運命なんか糞食らえって言ってくれよ!なんでこんな時だけ普通の奴面するんだよ!α様なんだろ?!どうにかしてくれよ……」
「……今のお前にそんなこと言えるわけないだろ。オメガバースには逆らえないって、身を以て知った直後なんだから」
絞り出された言葉は晴人の胸に重くのしかかる。
情緒不安定の女かよ、と自虐する。
どんな言葉が欲しいのか、自分でもわからないのだ。別れたい、別れたくない、一緒にいたい、裏切られたくない。
お互いに黙り込む空白の時間が続く。
口火を切ったのは御影の方だった。
「でも、やるのとやらないのは違うと思う」
「は……?」
「Ωのフェロモンに反応するのはαの本能だ。だから、お前を不安にさせることも多いかもしれない。でもお前が俺を好きでいてくれる限り、俺はαである俺に逆らい続けたい」
しっかりと目線を合わせて、誓うように。御影は晴人にそう答えた。
「……本気で言ってる?」
「こんな時に冗談なんて言わない」
「……じゃあ、証明して」
そうして御影はベッドの上に身体を移すと、晴人に近づきそのままキスをした。
啄ばむようなものではなく、舌を絡めた甘い口づけ。
「……ふ、ぁ、……っ、」
もうΩのフェロモンは残っていないと思うが、劣情はそのままに御影は何度も水音を立てる。
「……やりなおすよ。αとしてじゃなくて、恋人として、させて」
「うん……」
そうしてまた、二人はキスをしたのだった。
「先輩!この間は大変っ!ご迷惑をおかけしました!」
あれから八雲は暫く休み、やっとヒートが終わったからと生徒会室を訪れると、思い切り90°で頭を下げた。
「いや、いいよ。体調は大丈夫?」
「はい。もうご迷惑をかけることもないと思います。つがいが出来たので」
「は?!」
了承を取ってチョーカーに隠れた首元を確認すると、確かに噛み跡が残っていた。
「えっ……そんな……、いつのまに」
「前々から話は出てたんです。でもまぁ生きていく上で面倒ですし、えいっと」
「そんな軽い気持ちで?!」
驚く晴人を他所に八雲は笑顔を見せる。
「先輩は、あの後会長とどうでしたか?」
「どうでしたって……」
「こっちも忙しいって言うのに鬼のように連絡きたんですよ。先輩と連絡がつかないって」
アイツは拡声器か何かか。
「それは本当にごめん……」
「いえ、いいんです。それに……」
廊下から質量のある大きな足音が聞こえる。
その主はこの生徒会室に向かってきていた。
「やっぱりみんなが幸せになるのが一番ですから」
言うことは沢山ある。プライバシーの事だとか、後輩に迷惑かけるなだとか。
どれから話そうか、晴人は頭の中で考えながら愛おしい恋人が現れる時を待った。
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少し切ない感じだったので
長編で2人の甘々を読みたいのと
八雲CPのストーリーも読んでみたいです