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第二章 侍女長リリス

宮廷の幕間(1)

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「……義兄様! 兄上様、聞いて下さいまし」

 出走馬として宿舎に向かうべく、荷造りを進めるアキニムの肩をリリスは大きく揺らす。
 王宮に召集され、当分の間はエリヴァルの婚約候補者として収監される。

 そんな絶望のような、いや、素晴らしい日々を商家たる我が家で断れるはずもなく、なるべく本でも読んで過ごそうと大量の蔵書の梱包するのが、彼なりに出来る唯一の反抗だった。

「聞かなくてもわかっているよ、愛しい義妹殿。私は種馬としての人生を歩むために、王宮へ赴かなくてはならない。しかも、待っている牝馬は、リリスティンと、エリヴァルイウス王女殿下だ」
「ーーーご存知だったのですね。私まで候補者に巻き込まれるとは思っていませんでしたので、賭け金没収の大損ですわ」

「五万も賭けていたらしいね、美しき我が義妹殿」

 ここぞとばかりに普段は指導をしていたはずの侍女に着飾られ、何やら船のような頭飾りまで乗せられたリリスはガチガチにコルセットの紐を締め付けられたのか、目尻を涙で濡らしつつ解いて欲しそうに義兄の腕に縋る。

「我が家が、先ほど侯爵位を賜ったのは聞いたかい? 僕は、手柄も無しにアキニムウォムに改名だそうだ」
「こ、侯爵位? ルブライト家は普通の商家ですわよ。どんな功績を挙げてもせいぜい男爵か、それに満たない程度で、フォムを冠する程の爵位は……」

「秘匿されていた神官家に繋がる貴族だった、という設定にされたそうだ。父上も頭を悩まされていたよ、このままでは老後は元老院入りの恩給暮らし確定。野心さえ有れば、我が国の大臣にさえ就任出来る」
「わ、私は王族の乳母を目指してただけで、兄上は王弟の軍門入りを志していただけですのに……。これでは、他国に我が家が流行り病を仕組んだと思われてしまいます」

「歴史書に書かれるのは間違いない。だろうね、城下では勤勉な兄妹による美談として、精霊による祝福とか女神のご意志として加筆された詩が奏でられているそうだ。世が世なら、国王陛下によって一族諸共縛り首にされかねないよ」
「何と言いますか、私の出生で兄上や義父にご迷惑をおかけして申し訳ございません……」

 溢れる涙を薄衣で拭いながら、リリスは力なく床に腰を落とす。慌てて背中に手を当てると、嫉妬の嵐が込められたコルセットや装飾品が真っ白な肌に
食い込んでいた。どうやら、この追っ手から逃げ込んでここへ来たようだ。

「別に悪いことばかりではないよ、僕が候補者に選ばれるために策を練らなかったわけではないし、リリスの母君の調査を進んで行ったのも野心からだからね」
「兄上が、どうして協力を……?」
「リリスの事を単なる義妹と思っていたら、こんなゲームには参加しないよ。むしろ役得だとさえ思っているからね」

 困惑するリリスの口元を捉え、意思表示とばかりに指を這わせる。腕の留め金に手を掛けると、余程きつかったのか小さく身体を揺らして、安堵のため息を漏らした。

「……私は、ただの侍女ですのに」
「そう思わない娘が多いから、こうして逃げ回る事になったのだろ? リリスは、宮仕えをするには勿体無いくらいだからね」

 褒められるのに慣れていないのか、リリスは紅潮しながら義兄に身を委ねる。
 駒結びに結い上げられたコルセットの紐が徐々に緩められ、身体が少しずつ楽になっていく。

 あの女官長は、本気で拷問か何かのように結い上げていった。これが令嬢としての正装なら納得がいくものの、斜めによれたきつい縛り方では嫉妬心しか感じられない。
 かつての上司が小間使いとなるのだから、相手のプライドも粉々だろうから、洗礼と思えば仕方のない事だ。

「本気だと思っていないようなら、次は僕がきっちりと締め直すよ。君は、女王にもなれるレディだ。その事に気がつかないのはリリスだけで、他の者はみんな知っている」
「義兄さま、そんな……お戯れを」

 赤く腫れた肌に口付けると、リリスは震えて縮こまる。背中の紐に指を通して緩ませていくと、くすぐったくなってきたのか恥ずかしそうに笑った。

「後は自分で解けるだろ? これ以上は、こちらの自制も効かないよ。婚約者候補殿」
「あ、ありがとうございます義兄様」

 布を肩にかけ、血が流れ出してきた肌をさする。
 単なる気遣いで名乗り出たのか、本当に婚約者として立ったのか義兄の真意は分からないが、家族だと思っていた相手に立ち位置を変えるように言われても、すぐには気持ちが収まらなかった。
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