上 下
6 / 8

魔女修行の始まり

しおりを挟む
 そして翌日。
 パルマの寝顔を見て心を癒されながら起きたあとは、パルマの魔女修行を始めていく。
 と、いってもまずはここで暮らす上に必要なことからだ。
 朝の水汲みから始まり、料理の作り方。家にある危ないもの、壊れやすい物の説明。
 日常生活ができるようになってからは私の仕事に関連することを。

 それは1人でできる肌や髪、爪の手入れだ。女の子には必要な技術。
 ……まぁパルマは男の子だけれど、覚えておいて損はないし。それに私の仕事である化粧品のテストやメイクの練習としても必要なこと。

 だから、女の子の服装や仕草を教えるのは何も間違ってはいないの! ちょっとだけ罪悪感があるけど、これは必要なことだから!!
 いつか、これらの知識も役に立つにし。それに嫌がらず、積極的に覚えようとするのは嬉しい。元が男の子だからか、女性側の礼儀作法とダンスには手間取っているようだけれど。
 勉強熱心なパルマに私は感心し、同時に与えた休憩時間にまで私と一緒にいて仕事を覚えようとするのは困る。

 私が魔女見習いだった頃は、遊んでいた時間のほうが多かったのに。
 それとあまり外出しないのと動物素材を嫌がるのも問題だ。
 私以外の人とも交流を持って社交性を身に着けてもらいたいけど、これは言ってやらせるものではないし。
 どうすればパルマにとって変な苦労をさせず、育てていけるかという子育ての苦しみと楽しみを実感しながら、私とパルマの日々は過ぎていった。

 そんな家での作業と、家の裏手にある畑の世話をさせて2週間が過ぎた頃。
 私は以前より考えていた、遠くに行こうとしないパルマを無理矢理でない感じに連れていくことと、動物は無為に殺しているだけじゃないということ。
 それにパルマにとって大事なことを一緒にやる計画をそろそろ実行しようかと考え、よく晴れた日の夜から翌日早朝への狩猟準備をしていた。

 目的は薬に使う雄鹿の袋角の採取だ。
 魔女なのに猟師みたいなことをするのは高品質の材料を確実に手に入れるためで、そのためには自分で獲るのが一番だということで200年と少し前に弓の技術を師匠から習得した。
 早朝に起きて暗いうちから朝食を食べたあとに、私たちはパンと水を入れたリュックサックに、私だけ弓矢とノコギリを持って出かける。
 それと狩猟がうまくできたあとに使う、パルマ自身の匂いがついたハンカチを持たせた。

 目指す場所は家から少し離れた、森のやや深い場所にある小さな湖。
 そこへ移動するときは走ったりせず、大きな声も出さずに歩いていく。湖に着いたあとはパルマを見晴らしの良い、けれども湖から離れた距離で草を使って身を隠せる場所で待つように言う。
 私は普段から鹿たちが使っている水飲み場近くの、風下となるような場所を選んで背が高い草が密集している場所に身を伏せる。
 あとは待つだけだ。そう、ひたすら鹿が来るまで寝ずに待つ。聞こえるのはそよ風で葉っぱがこすれる音、水面が陸にぶつかってパチャパチャとたてる軽い音だけ。

 そうして朝日が出てきても、ずっと静かに待っていると不意に遠くから草がこすれる音が聞こえる。その方向へ視線を向けると、草の隙間から鹿が3頭現れた。オスが1頭にメスが2頭だ。
 3頭は警戒しながら、呼吸音が聞こえるほどの近さの場所で順番に水を飲み始める。それを見た私はゆっくり膝立ちになると同時に弓矢を構え、矢を放つ。
 その矢はオス鹿の首へと当たるとすぐに倒れ、メスは逃げていく。
 私は矢を弓へとつがえながら近づくと、首に矢を貫通させた鹿は即死していた。
 狩りの成功だ。

「パルマ、終わったから来なさい」

 一安心のため息をついた私は、パルマに声をかけたあとに弓矢を置くと、のこぎりを取り出す。
 切り取るのはオス鹿の袋角だ。生え変わったばかりの丸く柔らかい鹿の角は薬となる。
 拳ふたつ分の小さな角をノコギリで切り取っているとパルマが近寄ってくるが、私からは少し距離を取って立ち止まる。
 その表情は悲しそうでどこか私を責めているような。

 それを見てしまうと、私は逃げたくなる気持ちを抑えて言い訳を考えていく。
 普段から肉を食べているなら殺す必要性がわかるでしょう、食べる肉は全部が家畜のように飼育されているわけじゃない、というのを言っても感情では理解してくれないかもしれない。
 もし今のがきっかけで嫌われたらどうしようかと考えると、魔女の修行として師匠に崖から落とされた時よりも怖い。

 でもこれは薬を作る私や、将来同じような仕事をやってもらうパルマにとって必要なことで、そのうちパルマ自身にもやってもらうことだ。
 パルマは怖がっている様子で、表情はなくしたまま私と向かい合っている。

「生え変わる今の時期だけに取れる角は薬になるの。これがあれば、病気の症状を改善させることができるのよ。
 本当は角だけ取れればいいけど、暴れて危ないし角がなくなると弱って死にやすくなるの」
「……そう。それで……肉のほうはどうする? 角だけ取って必要ないから捨てる?」

 パルマは私が角をリュックサックに入れる姿を見ながら、肉を取って運ぶ道具がないのを気にして文句を言うような目つきになっている。
 そんな不満顔は見ることが少ないから、こういうのもかわいいなぁと思うが今は真面目な場面だ。表情をゆるめないように気をつけ、ちょっとのあいだ目をつむってから思考を再開する。
 世の中には角や皮が儲かるからとそれだけのために自然のことを考えずに無差別で殺す人もいるが、私は違う。
 そう否定するよりも先に思ったのは、パルマが優しい子でよかったということ。

「いいえ。角以外はパルマのために使うのよ?」
「ボクのため?」

 怪しく感じているパルマのために、彼の手を取って鹿の方を見たまま後ろ向きに5歩ほど歩いて手を離す。
 深呼吸をし、魔法を使うための言葉を口にする。

「風の精霊よ。この森を守りし森の主、彼がいる場所を我に示せ!」

 手のひらを水平に伸ばして大きな声で声を出すと、私を中心に風がぐるぐると回り始める。風があたりにある葉っぱや砂を巻き込み、視界を覆うぐらいの量になると右前方の方向へ葉っぱや砂が飛んでいく。
 それらは湖を越え、もっと森の奥を指し示したところで地面へと落ちて魔法が終わる。 
 森の主に用があるから、声の届く範囲にいればいいなと思いながら両手で口元をかこんで大声を出していく。

「癒しの魔女、シエナが主さまに用があって来ました! 魔女シエナは弟子を取り、その報告です!」

 大声を出したことでちょっと喉を痛めながらも、パルマの前に行き、普段から持っているように言いつけていた物をもらうために手を差し出す。

「ハンカチを渡してちょうだい」
「いいけど、何に使うの?」
「これからパルマが森に出かけた時に使う、お守りのために使うのよ」

 受け取ったハンカチを鹿の死体の隣に置き、風で飛ばされないよう小さな石を乗せる。
 次にやることは足早にその場を立ち去ることだ。
 森の主は気分屋で、時々じゃれあいと称して私にケンカを売ってくるから。逃げるのも戦うのもすごい大変。
 困っている時には助けてくれたりもする狼さんなんだけれど、気分屋なのがちょっとだけ面倒だ。

 パルマを連れ、湖から早足で離れて森の中に入ると後ろのほうから何かが落ちた重い音が聞こえる。
 その音が気になったパルマは足を止めて振り返るけど、私は慌てて手を引っ張って茂みへと身を伏せる。そこからちょっとだけ身を乗り出して見るようにと無言で指差し、一緒に森の主の姿を見る。

 そこには大きなのが1頭と標準的な大きさの狼が3頭いた。
 そのうちの1頭は森の主。草の隙間から見えたのは光で宝石のように輝く明るい銀色の体毛をした狼だ。大きさはまわりにいる普通の狼より4倍ほど大きく見える。その普通の大きさの狼は子供かしら。 
 どことなく優しい目で鹿肉を食べるのを見ているから。そう思った途端、森の主である大きい狼はパルマのハンカチを口にくわえると静かにこちらを見つめてくる。
 風下にいるから匂いがわからないはずなのに居場所がわかるのは、さすが森の主といったところね。

 見つめあっていると少し恐怖感が出てくるけど、パルマだけはじっと目で見つめあっていた。
 それから狼たちの食事が終わって森の主たちがいなくなった頃、ようやく恐怖感がなくなった私はパルマを連れて家へと帰る。
 帰ってからのパルマはどこか気分がよく、話を聞くとようやく魔女っぽい、今までいた場所とは違う、別世界の空気を感じられたことが嬉しかったみたい。

 ……時々、規模が大きい魔法を使って喜ばせてあげようかしら?
 そんな日のように、私は弟子であるパルマのことを日々考え、一緒に笑いあって食事をする賑やかで楽しい生活を送っていく。
しおりを挟む

処理中です...