茜空に咲く彼岸花

沖方菊野

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第一章 ヒトダスケ(3)

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 それから、どれ程の時が流れたのだろう。店内には、近藤と覇王の二人しか客は残っていない。話し声は一切せず、店の奥から食器を洗う、かちゃかちゃという音が響いているだけである。沈黙という重苦しい空気が漂う二人の間では、そんな騒音ですら、ちょうど良い和らぎの音であった。

 近藤は、かさつく喉を潤すため、酒を飲もうと徳利を持ち上げる。手にかかる重さから、中に酒が入っていないことが分かる。
 心頼みに、徳利を軽く揺すってはみたものの、やはり酒は残っていなかった。
 その様子を見ていた覇王は、自身の残りの酒を、何も言わずに近藤の盃に注ぐ。

「あ、いや、これはすまないなぁ。
でも、良いのか?」
「気にすんなって。
どうせ、帰ったら飲み直すつもりだからよ。」
 酒が零れないように、慎重盃を口元まで運びながら、近藤は床几に視線を移す。そこには、覇王が飲み散らかした幾本もの徳利が、その身を横たわらせている。

「どうした?」
「なっ何でもない!
大丈夫だ。」
 本当のところ、まだ飲みたりないのか、と尋ねたい気持ちが無い訳ではなかったが、近藤は何となく触れないでおくことにした。

「やっぱり、不服か?
男と飲むってのは。」
「そんなことはないさ。」
 再び訪れた沈黙の後、覇王は自嘲気味に笑みながら、呟いた。
「なら、俺が人じゃねぇからか?
俺が、人間じゃないから、気味が悪くて話したくなくなったのか?」
 覇王が、呟き終わるのと同じくらいに、目の前の床几が大きな音を立てて跳ね上がった。
 その原因は、近藤が、床几に激しく拳を打ち付け、立ち上がったからだ。そして、息つく間もなく、近藤の怒声が炸裂する。

「違う‼
それは断じて違う!
君が、人間だからとか、そうじゃないとか、そんなことは全く気になどしていない‼
気味など悪くないぞ‼」
 顔を真っ赤にさせ、声を上げ終わると、型で息をしながら覇王を見つめる。
「わっ……分かったよ……。
落ち着けよ、びっくりすんだろうが……。
急にデカい声、出すなよな。」
 口から飛び出してしまうのではないかと思うほど、踊っている心臓を、覇王は胸の上から撫で下ろす。

 すまない、と腰を下ろしては、近藤もまた自分自身を落ち着けるために、胸に手をあて呼吸を整える。
「確かに、君が人間でないと知った時は、驚いたよ。
それはもう、とてつもなく驚いたさ。
だが、気味が悪いとか、そういうことは一切思っていない。
自分でも、不思議に感じるくらい、思っていないんだ。
ただ、少し、図々しいことを考えてしまっていてだな。」

「あのさ、あんたさ。」
「ん?
なんだ?」
「変な、変な奴だな。」
 そっぽを向きつつ、覇王はポツリと漏らす。
「あのだな、聞き取れなかったんで、もう一度、言ってはくれぬか?」
「何でもねぇよ。
つか、聞こえねぇように言ったんだし。
それより、図々しいことって何だよ?」
「いや、初対面の君に、頼みごとなどして良いものか……。」
 近藤が話終える前に、覇王は床几に身を乗り出し、「言ってみろって。引き受けてやれることかは、分かんねぇけど、聞いてみることはできっからよ。な!言っちまえよ。近藤のおっさん!」と、人懐っこい笑みを向ける。
 その顔を見つめ、近藤は声を上げて笑った。そんな突然の笑いに、覇王は目をまん丸くし、首を傾げている。

「あーいや、すまない。
気を悪くしてしまったなら、許してくれ。
別に、君の顔が変だったとかで、笑った訳ではないんだ。
なに、隊にな、総司というのがいてな、それにも似たような顔で、なにかとねだられているんで、つい思い出してしまって。
だから、気にしないでくれ。」
「はぁ?
何の話か知んねぇけど、呑気だなぁ、近藤のおっさんは。」
「いやぁ、俺の悪い癖でなぁ。
というか、君から見たら、俺はおっさんになるのか。」

 切なそうな顔で肩を落とす、儚くちっぽけな人間を、諭すように覇王は優しく言葉を発する。
「何だ、気にしてんのか?
でもよ、気にしたって仕方ねぇだろ。
どーにもならないことなんだからよ。
いいか、お前ら人間も、動物も、この世に存在するモンは全て、老いる運命(さだめ)を持つ。
それが例え、動くことも話すこともしない盃や床几であってもな。
だから、気にしたってしゃーねぇの、どうにもなんねぇし、抗っちゃ駄目なんだよ。
なんせ、運命(さだめ)だからな。
「……君は、難しいことを簡単に言ってのけるなぁ。
俺より、年が若いとは思えなんだ。」
 その言葉を鼻で笑い、覇王は当たり前だろうと、頭の後ろで手を組んだ。
「おっさんより、俺は長く生きてんだ。
その分、くぐって来た修羅場も、積んできた経験も桁が違うの。
若く見えるのなんざ、見た目だけで実際は、爺さんだよ、爺さん。
見てくれなんてものは、術でどうとでもできんだから、俺達みてぇのは。
上っ面ばっかで判断しすぎな、おっさん。
それより、話戻そうや。
頼みってなんだよ。」
「あっ、あぁ、そうだな。
話すが、怒らないでくれよ?
言ってもいいと言ったのは、君なんだからな。
で、頼みというのは……入隊して欲しいんだ。我ら、新選組に。」

 覇王は、目の前に座る大真面目な顔の男をぽかんと見つめた。
 彼にとって、新選組に入隊するということは、願ったり叶ったりという状況であったからだ。何故なら、この覇王という男が近藤に近づいた目的がそれであったから。
 正確に言えば、入隊までは望んおらず、ただ新選組と交流を深め、幕府及び討幕派の人間が、どのように妖物などを利用しているのかを聞き出し、金儲けに繋げようとしていただけなのであるが。
ただ、こうも簡単に、自分の思い通り以上のことが起こるとは考えていなかった覇王は、呆気に取られてしまう。

(普通、初対面の奴に、そんなこと頼むか?信用し過ぎというか、馬鹿にもほどがあるぜ。こいつ、どこまでお人好しなんだよ。)
何も言わずに黙り込む覇王を、不安げな顔で近藤は見つめる。その視線に気が付き、少し険しい表情を繕いながら、覇王は口を開く。
「入隊して。何をすればいい?」
「例えば、我々が退治というか、立ち向かえないような妖なんかがでた時は、君に力を貸してもらったり、そういう俺達が知らない知識を授けてもらったりだな。
けど、いずれも君が出来る範囲で手伝ってくれたらいいんだ。
……やはり、駄目か?」

「……いいぜ、手伝ってやっても。」
「なっ!
本当か!」
「ただし、ただしだ。
悪いが俺は御免だ。
そういう、集団っつーの?
んなもんに縛られんのは好きじゃねぇんだ。だから、俺の知ってる良い奴を紹介してやるよ。
安心しな、口と見た目の汚さは異常だが、性格は悪くねぇ奴だから、そいつを入隊させてやるぜ。」

「えっ⁉
君以外にも、それほどまでに詳しい者がいるのか?」
「あのさぁ…あんた、この国に、いや、この世界にどれ程の奴がいると思ってんの?
その中で、俺だけがそういうことに詳しいって、俺、仏と崇められても良くね?
まぁ、俺は人間じゃねぇんだけど。
大体、お前らを困らせてる、妖なんかを使ってる奴らだって、そういう知識があっから、ンなことができてんだっての。
それを忘れてるぜ、あんたって奴は。」
「そう言えば、そうだった……。」
「頼むぜ、もっとしっかりしろよ、近藤のおっさん。」
 覇王は、そう言いながら、おもむろに席を立ち上がる。そして、懐から金を取り出し、床几に置いた。

「じゃ、俺帰るわ。」
 草履を履き、店を出て行こうとする覇王を、近藤は慌てて呼び止める。
「は、覇王君‼
ちょっ、さっきの話は……。」
 店の引き戸に手をかけた覇王は、振り返ることなく、問に答えた。
「分かってるって、俺に任せろ。
明日の朝には、ちゃーんと、新選組の屯所にそいつを連れてくからよ。
じゃな、気を付けて帰れ、近藤のおっさん。」
 背を向けたまま手を振り、覇王は店から出て行った。
 一人残された近藤は、床几に置かれている金に目をやり、そうして気が付く。覇王が置いていった金額には、自身の飲み代も含まれていることを。

 「で、今日の朝、覇王君がその人を連れて来てくれるとのことだから、皆にこうして、集まってもらったんだ。」
 近藤の話を聞き終えた土方は、頭痛がする額に手をあてた。座っているのに感じる膝下からの脱力感で、このまま寝転がり、広間の天井を仰ぎたい気持ちになるのであった。
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