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第二章 ツギハギ(37)
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大きな物音とともに、世界を闇に包んだ瞼越しに灯りが差し込む。
強い光ではない。ぼんやりとした薄明かり程度の鈍い光である。
沖田はことの次第を確認するために、視界の遮りを持ち上げると、体が横に投げ飛ばされた。
髪が数十本、抜けたような音が耳を掠め、握っていたさとりの手が離れていく。
頭部に加えられていた苦痛からの解放。
沖田の体は跳ね上がり畳に横たわる。
体の側面に衝撃と痛みが走るが、永遠を感じた先ほどの痛みほどではなかった。
肩を押さえながら体を起こすと、廊下側の襖が部屋の中に転がっている。
それは、はめ直したところで利用できないほど破損が激しくあった。
特に真ん中は、ぽっかり穴が空いている。
誰かが蹴倒したような襖の側に、さとりがうめきながら倒れている。
拭い去れない恐怖の中で、沖田は目を見張る。
何故そうなったのか。
本来、襖があるべき位置へ目を向ける。中と外の仕切りが取り払われたそこは、にび色の光が差し込んでいる。休む間もなく降りしきる雪が、月光を纏い空から地上に舞い降りる。
そんな雪景色を背景に佇んでいた者が、かかげていた足をゆっくりと下ろした。
左手に携えられた刀。
その柄にぶら下がる二生りの鈴。
外に晒された白い肌は雪をもしのぎ、垂らされた黒く長い髪は濡れたように月明かりを受けて光っている。
鈴音……。
童の心がその名を呼んだ。
見慣れた少し不格好な着物と袴でなく、体に似つかわしい大きさの着物を着た鈴音が部屋へ足を踏み入れる。
その度に、鈴が音を鳴らす。
ひどく傷んだ着物は、沖田の知った着物とはまた違ったみっともなさを感じさせた。
出す言葉もなく、彼は鈴音の動きを視線で追う。
着崩れた裾から覗く生白い足は、沖田に向けて進められている。
その途中に転がるさとりの腹部を迷うことなく踏みつけると、さとりは悲鳴を上げた。
妖物は腹部を抱えのたうつ。
鈴音の足はさとりなどお構いなしに沖田の方へ寄ると、すぐに屈み込んだ。
足と同じ、色の白い陶器のような手が彼の肩に乗せられる。
「おい、大丈夫か。」
冷たい手だった。
冬の寒さに凍えた冷たさではない。血の通りを忘れてしまったような、そんな冷たさだった。
それなのに。
沖田が怖々顔を上げると、眉尻の下がった最も人間らしい表情がこちらに向けられている。
女子らしい華奢な肩が小さく上下し、呼吸も少し乱れている。
鈴音は何も答えず、ただじっとこちらを見つめる沖田に、「おい。」と呼び掛け肩をそっと揺すった。
「もう大丈夫だから。」
鈴音の言葉のすぐ後に、がさっと畳に何かが擦れる音がした。
気にしながらも転がしたままにしておいたそれを、彼女は慌てて振り返る。
さとりが背中を丸め、左右に引かれるように体を揺らしては、廊下の方へ向かっていくところであった。
ここで逃したら長引くだけだ。
脇に置いていた刀に手をかけると、二つの鈴が身を打ち合う。
沖田を残し鈴音がさとりを追おうとした時、小さな嘔吐きと畳が水に抵抗した時の音がした。
再びさとりから目を離すと、小さな手で口元を覆った沖田が伏せ気味にいる。
酸い臭いがかおった。
よく見れば沖田の指の合間から、逆流した胃の中身が伝い落ち、着物と畳を汚している。
恐怖と安堵が反発し、童の体から溢れ出たのだろう。
妖力が遠退いていくのが背中越しに分かる。知能が足りず、陽動や痛みに弱く学習能力もさほどない。
戦う相手としては、赤子の手をひねる程度のものである。
生まれて初めて妖物と対峙したものでなければ何の問題もない。
その程度の相手であるため、鈴音にとってはさとりなど目ではなかった。
だからこそ痛みに苦しみ逃げる背を追い、すぐにでも全てを終わらせたい気持ちでいた。
手間といえるほどの時は食わない。瞬き数回の間に片付けられる自信がある。
だが……。
鈴音は目の前の幼子を見つめる。
肩を小刻みに震わせ、鼻を啜り、胃から駆けでそうになるものを一身で堪えようとしている小さな背。
どちらが優先なのか。
彼女にすれば天秤に掛けるまでもない。
鈴音は、背後のさとりを一瞥し沖田に向き直った。
再び嘔吐きとともに、溢れた吐瀉物が辺りに飛散する。
これは心の不調だけが原因ではない。
「障気あたりか。」
さとりという妖怪の妖力を近くで長く浴び過ぎたのだ。大した妖怪ではないため、長時間近くにいたからといって、本来何かしらの影響は受けにくいのであるが、そうでない者も中にはいる。
感受性が強い者、霊力が強くあるが何の鍛錬も積んでいない者、または霊力が極端に弱すぎる者。
そうして、心に大きな不調を抱えている者。
彼らは些細な妖力であっても何かしらの痛手を受けやすい。
勿論、例外もあるため極希に該当しない者も出てはくるが、多くの場合はこれにあてはまる。
きっと、こいつは……。
弱った沖田の体が驚かないように、微々たる祓いの霊力を流しながら、鈴音はその背を撫でた。
強い光ではない。ぼんやりとした薄明かり程度の鈍い光である。
沖田はことの次第を確認するために、視界の遮りを持ち上げると、体が横に投げ飛ばされた。
髪が数十本、抜けたような音が耳を掠め、握っていたさとりの手が離れていく。
頭部に加えられていた苦痛からの解放。
沖田の体は跳ね上がり畳に横たわる。
体の側面に衝撃と痛みが走るが、永遠を感じた先ほどの痛みほどではなかった。
肩を押さえながら体を起こすと、廊下側の襖が部屋の中に転がっている。
それは、はめ直したところで利用できないほど破損が激しくあった。
特に真ん中は、ぽっかり穴が空いている。
誰かが蹴倒したような襖の側に、さとりがうめきながら倒れている。
拭い去れない恐怖の中で、沖田は目を見張る。
何故そうなったのか。
本来、襖があるべき位置へ目を向ける。中と外の仕切りが取り払われたそこは、にび色の光が差し込んでいる。休む間もなく降りしきる雪が、月光を纏い空から地上に舞い降りる。
そんな雪景色を背景に佇んでいた者が、かかげていた足をゆっくりと下ろした。
左手に携えられた刀。
その柄にぶら下がる二生りの鈴。
外に晒された白い肌は雪をもしのぎ、垂らされた黒く長い髪は濡れたように月明かりを受けて光っている。
鈴音……。
童の心がその名を呼んだ。
見慣れた少し不格好な着物と袴でなく、体に似つかわしい大きさの着物を着た鈴音が部屋へ足を踏み入れる。
その度に、鈴が音を鳴らす。
ひどく傷んだ着物は、沖田の知った着物とはまた違ったみっともなさを感じさせた。
出す言葉もなく、彼は鈴音の動きを視線で追う。
着崩れた裾から覗く生白い足は、沖田に向けて進められている。
その途中に転がるさとりの腹部を迷うことなく踏みつけると、さとりは悲鳴を上げた。
妖物は腹部を抱えのたうつ。
鈴音の足はさとりなどお構いなしに沖田の方へ寄ると、すぐに屈み込んだ。
足と同じ、色の白い陶器のような手が彼の肩に乗せられる。
「おい、大丈夫か。」
冷たい手だった。
冬の寒さに凍えた冷たさではない。血の通りを忘れてしまったような、そんな冷たさだった。
それなのに。
沖田が怖々顔を上げると、眉尻の下がった最も人間らしい表情がこちらに向けられている。
女子らしい華奢な肩が小さく上下し、呼吸も少し乱れている。
鈴音は何も答えず、ただじっとこちらを見つめる沖田に、「おい。」と呼び掛け肩をそっと揺すった。
「もう大丈夫だから。」
鈴音の言葉のすぐ後に、がさっと畳に何かが擦れる音がした。
気にしながらも転がしたままにしておいたそれを、彼女は慌てて振り返る。
さとりが背中を丸め、左右に引かれるように体を揺らしては、廊下の方へ向かっていくところであった。
ここで逃したら長引くだけだ。
脇に置いていた刀に手をかけると、二つの鈴が身を打ち合う。
沖田を残し鈴音がさとりを追おうとした時、小さな嘔吐きと畳が水に抵抗した時の音がした。
再びさとりから目を離すと、小さな手で口元を覆った沖田が伏せ気味にいる。
酸い臭いがかおった。
よく見れば沖田の指の合間から、逆流した胃の中身が伝い落ち、着物と畳を汚している。
恐怖と安堵が反発し、童の体から溢れ出たのだろう。
妖力が遠退いていくのが背中越しに分かる。知能が足りず、陽動や痛みに弱く学習能力もさほどない。
戦う相手としては、赤子の手をひねる程度のものである。
生まれて初めて妖物と対峙したものでなければ何の問題もない。
その程度の相手であるため、鈴音にとってはさとりなど目ではなかった。
だからこそ痛みに苦しみ逃げる背を追い、すぐにでも全てを終わらせたい気持ちでいた。
手間といえるほどの時は食わない。瞬き数回の間に片付けられる自信がある。
だが……。
鈴音は目の前の幼子を見つめる。
肩を小刻みに震わせ、鼻を啜り、胃から駆けでそうになるものを一身で堪えようとしている小さな背。
どちらが優先なのか。
彼女にすれば天秤に掛けるまでもない。
鈴音は、背後のさとりを一瞥し沖田に向き直った。
再び嘔吐きとともに、溢れた吐瀉物が辺りに飛散する。
これは心の不調だけが原因ではない。
「障気あたりか。」
さとりという妖怪の妖力を近くで長く浴び過ぎたのだ。大した妖怪ではないため、長時間近くにいたからといって、本来何かしらの影響は受けにくいのであるが、そうでない者も中にはいる。
感受性が強い者、霊力が強くあるが何の鍛錬も積んでいない者、または霊力が極端に弱すぎる者。
そうして、心に大きな不調を抱えている者。
彼らは些細な妖力であっても何かしらの痛手を受けやすい。
勿論、例外もあるため極希に該当しない者も出てはくるが、多くの場合はこれにあてはまる。
きっと、こいつは……。
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