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8話 二胡
しおりを挟むこの部屋には三人の侍女がいるが、あとの二人は期待したように目をキラキラさせてこちらを見ている。
いや、別に俺は二胡が上手いわけじゃない。小さな頃から習っていたから、二胡の演奏が趣味なだけだ。腕前だったらランイェンの方がずっと上だった。
そういえばランイェンはどうしているだろう。まだ俺を探しているだろうか。謹慎が解けて外に出たら俺は連れ去られた後、となるわけだが。また怒り狂ってないといいけどな。
「スイ兄貴もどうしてるかな……」
ぽつりと呟きながら格子窓を開けた。窓の外には広い蓮の池が広がっている。夜空の月に向かって薄紅の蕾を伸ばしているさまは、とても幻想的で美しかった。
「ユエ様、二胡をお持ちしました!」
先ほどの侍女が戻ってきて、満面の笑みを浮かべ俺に二胡を差し出した。……しかし俺はそれに手を伸ばすのを一瞬ためらってしまった。
ツヤツヤとした黒檀で作られているその二胡は、胴体や棹にすばらしい龍の彫刻がされている。張られた蛇皮も品質の良い物だと一目でわかった。商人の息子である俺がこの価値をわからないわけがない。趣味で奏でるだけの、手すさびの演奏で触れていいものにはとても見えなかった。
「そ……それは誰の楽器なんだ」
「殿下がユエ様のためにご用意されていたものです」
「……殿下が?」
俺の趣味が二胡だと誰から聞いたのだろう。不思議に思って眉を寄せていると、廊下がザワッと騒がしくなった。先触れらしき使者があわてた様子で現れ、こちらに頭を下げてくる。しかしその後ろにはもうティエンユー殿下が立っていた。
殿下、それ先触れの意味ありますか。
「シャオユエ! 二胡を演奏すると聞いた」
「……はい、確かに……そうなのですが」
どうにも期待され過ぎているこの状況、どうにかしたい。
侍女の持っていた二胡は殿下の手に渡り、窓辺にいる俺の元に運ばれてきた。さあ、と促されて手に取ったがどうにも狼狽えてしまう。
「殿下、なぜ俺に二胡を用意したんですか」
「もう一度聞きたかったからだ」
しっかりと手に持たされてしまった楽器をチラと見てから、殿下に視線を戻す。もう一度と言われても俺には一度目の記憶がない。
不思議に思って首を傾げていると殿下は俺の足元に膝をつき右膝に頭を乗せてきた。幼児が母に引っ付いているような姿勢に驚いて立ち上がりかけると、そのままぐっと力を入れて押し留められてしまった。
「覚えていないか。初めてリー家の宴会で出会った時、ユエは緊張した顔で二胡の練習をしていた」
「……そう、でしたか」
「泣きじゃくって宴会場に戻れない私を、こうして膝に乗せて優しい音色を聞かせてくれた」
そう言われても全く覚えていない。あの時、少しの間子どもを預かっていたような、彼が眠ったら迎えにきたような、という曖昧な記憶しか残っていなかった。
困って視線を彷徨わせていると、部屋からススッと侍女たちが出て行くのが見えた。ああ、待ってくれ。初対面のアルファと二人にしないで欲しい。
「曲は『雲霧の夢』だった」
「えーと……随分と陰鬱な曲を聴かせたようですみません」
「いや、好きな曲だ。また聞きたい」
雲霧とは、迷い惑って苦悩するという意味を持つ。そんな夢をみたという異国の歌が元になっている曲だ。高音の美しい旋律がどこか妖しく響く。二胡の音は人の歌声によく似ているから、選曲としては悪くない。
あの時は確か宴会の主賓が好きな曲だからと披露するように言われたんだ。父が敬意を払う方だから身分の高い人だったんだろうな。
何度も練習したから今でも奏でることは可能だろう。ただあの曲は気持ちが入っていないと酷く薄っぺらに聞こえるのだ。哀愁や切なさ、惑う気持ちというのを幼い頃の俺はなかなか理解できず、あの曲の解釈も中途半端だったように思う。
「……あまり期待はしないでください。宮廷の演奏家と比べたら素人ですから」
「私はユエの二胡が聞きたいんだから、いいんだよ」
楽器に触れてみるとよく手入れされた美しい黒檀が手に馴染んだ。ずっと昔から俺の物だったかのような、懐かしい感じがした。弦に触れてその弾力を確かめ弓で優しく振動させていく。
夜闇を震わせる二胡の歌声は長くか細く、窓の外へと流れていった。俺の膝に頬を乗せている殿下は、うるさくないのか? 見下ろすと、じっと目を瞑って旋律に耳を傾けているのが見えた。
奏でていた『雲霧の夢』はそんなに長い曲ではない。同じ旋律が一番二番と歌詞を変えて続いていく歌が主体の曲だった。だから止められるまではと、緩く、長く音を響かせ同じ曲をくり返し奏でる。弦の響きが空気を震わせ窓の外の虫の声も聞こえなくなった。
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