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12話 安住の地

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 本当ならお金を取ることはしたくないけれど、そうすることでエーヴァが家に滞在してくれるのなら、とディミトリスはルームシェア案を受け入れてくれた。



「やったわ! これでエーヴァさんと私はシェアメイトよ! 仲良くしましょうね!」



 マリトに手を差し出され、エーヴァは喜んで握手をした。

 どうなるか白紙だった未来が、少しずつ決まっていく。

 その安心感は、エーヴァに笑顔を取り戻させた。

 ディミトリスは、バックミラーに映るエーヴァの笑顔に、胸が高鳴るのを感じた。

 好きだ、と思った。

 車内に漂う、もぎたての果実の香りだけでなく、前を向いて一歩でも進もうとする、エーヴァのたくましい姿に惹かれる。

 か弱く、容易く折れそうな風情だった雨の日と違い、今のエーヴァはしっかりと地面に根を下ろし、力強く咲く野花のようだ。

 ただでは護らせてくれないエーヴァを、ディミトリスはますます恋い慕ってしまうのだった。



 ◇◆◇



 次の日までお休みをもらったエーヴァだったが、三日目は無事に小学校に出勤した。

 エーヴァが休んだ理由を、雨に濡れて体調を崩したのかもしれないと、校長先生がみんなに説明していたらしい。

 残業をして、大雨の中に帰ったことを知られているエーヴァは、それを否定できない。

 会うごとに、生徒や先生に、「もう体調は大丈夫なの?」と心配された。

 「すっかり回復しました」と答えるエーヴァは、自然に微笑むことが出来てホッとした。

 これも全て、温かく迎え入れてくれた、マリトやディミトリスのおかげだ。

 人生を立て直せる希望に力をもらって、エーヴァは張り切ってその日の授業をした。

 それを校長先生が優しい眼差しで見ていた。



 ◇◆◇



 エーヴァがそうして職場へ復帰している頃、ラーシュは重たい頭を抱え、上長へ侘びの連絡を入れていた。



「すみません、迷惑をかけます」

「運命の番と出会っちまったんじゃ、仕事を放り出すのも仕方ねえや。しばらくはリーダー職から外しとくからよ、働けるようになったら戻ってきな。日雇い枠でもいいなら、いつでも空いてるからな」



 ラーシュが電話を切ったあと、上長たちの間ではこんな会話がなされていた。



「ラーシュには、長く付き合ってた彼女がいただろう? もうすぐ結婚するかもしれないって、言ってなかったか? あのトナカイちゃん、今どうしてんだろうな?」

「雨の日に健気に傘さして、ラーシュを迎えに来てた子だろ? 運命の番に出会っちまうと、あんなに尽くしてくれる子でも、簡単に捨てちまうのかねえ?」

「俺は恐ろしいぜ、獣の性がよ。真面目なラーシュが、運命の番に狂って、連日の無断欠勤だと? 信じられねえ」

 

 3人の上長は、みな既婚者だ。

 自分たちが運命の番に出会わないことを、今は願っているだろう。

 それはすでにある家族との幸せを、護りたいからだ。

 

「ラーシュにとっては今が幸せなのかもしれんが、俺はトナカイちゃんの幸せを祈るね」



 ◇◆◇



 この三日間の記憶があいまいだ。

 ラーシュは電話を終えると、落ちていた服を拾い集め、丸めて洗濯機へ入れた。



(エーヴァを傷つけたことだけは、覚えている――)



 あの夜、雨から逃れた庇の下で、運命の番であるウサギ獣人アンネと出会った。

 強烈な香りにすぐさま発情し、アンネを抱えて雨の中、このアパートに駆け込んだ。

 ベッドまで待てず、濡れたままの体で、服も脱がずに貪るようにアンネを犯した。

 それを、最愛の人エーヴァに、見られてしまった。

 見られても、ラーシュはアンネを抱くことを止められなかった。

 ラーシュが腰を打ち付ける音と、アンネの喘ぎ声が響く玄関から、エーヴァは去った。

 あれから、エーヴァは帰ってこない。



(当たり前か。帰ってこられても、今は――)



 ラーシュはうつろな視線を寝室にやった。

 ラーシュが、エーヴァを抱いて眠っていたダブルベッドには、疲れたように全裸のアンネが横たわっている。

 お互いの体液でドロドロに汚れているシーツ、用をなさずに床へ落ちたままの上掛け、引きちぎられたアンネの下着と服、ここで起きたことが如実に分かる事実たち。

 少し前までは、この小さなアパートが、ラーシュとエーヴァの愛の巣だった。

 エーヴァがいた場所に、アンネがいることに、ラーシュはひどい吐き気を感じた。

 

(どうして……こんなことに)



 ラーシュは浴室に入ると、頭から冷たいシャワーを浴びる。

 体中にまといつく、アンネの匂いを消したかった。

 エーヴァが選んだ石けんとシャンプーを使って、ごしごしと泡立て、耳や尻尾の毛の一本一本まで洗った。

 すべてを無かったことにしたかった。

 それが出来ないと分かっていても。

 体を振るわせ水を飛ばし浴室から出ると、途端に部屋にこもった情事の残り香がラーシュを襲う。

 眉をひそめて窓を開けて回り、部屋中の空気を入れ替えると、財布を持ってアパートを出た。

 罪の場所に、居たくなかった。

 

 ◇◆◇



 ラーシュが玄関から出て行った音で、アンネは目覚めた。



「ラーシュ……?」



 少ない睦言の中で、アンネが聞きだした運命の番の名前を呼ぶが、応答がない。

 起き上がり、破れてズタボロになった服を着るのを諦め、上掛けを体に巻きつけるアンネ。

 寝室からリビングへ出れば、キッチンも見渡せるような狭い部屋だ。

 浴室やトイレも覗くが、そこにもラーシュの姿はなかった。

 脱衣所ではごろんごろんと洗濯機が回っている。

 ラーシュが部屋を出て行ったのは、つい先ほどなのだろう。

 

「きっと、食べるものを買いに行ったのね。もう冷蔵庫の中も空っぽだったし」

 

 アンネはキッチンへ向かい、冷蔵庫を通り過ぎてパントリーの中を見る。

 もとは整理整頓されていたが、今は隙間だらけだ。

 この三日間で、食べられそうなものは、だいたい食べつくした。

 セックスをして、寝て、食べて、セックスをして、寝て、食べて――。

 それの繰り返しだったのだ。

 物が片付けられていない乱雑なシンクには、中身が空けられた缶詰や瓶詰、使用済みの大量の皿とカトラリーの横に、煮汁の残った大きな鍋。

 この鍋の中には、柔らかく煮られた豚の塊肉が入っていた。

 お腹を空かせたラーシュが、切り分けることなくそれに噛り付いたのを、アンネは目撃した。

 日常的にこの料理を食べているらしいラーシュに、この料理を作ったのは誰だ?

 ラーシュ本人ではない。

 なぜなら、ラーシュはてんで料理が出来なかったからだ。

 ただ茹でるだけのパスタも、失敗した。

 そんなラーシュが、あの鍋の中にあった料理を、作れるわけがない。

 アンネは大きな鍋をつかむと、透き通っていた煮汁をシンクにぶちまけた。

 女の影がチラついたことが、癪に障った。



 アンネは寝室に引き返すと、備え付けのクローゼットを開けた。

 明らかにラーシュのものと分かる服の隣に、白いシンプルなブラウスが並ぶ。

 男女どちらでも通用するデザインだが、ラーシュにしてはサイズが小さい。

 ハンガーを手繰り寄せ、もっと奥にある服を探す。

 すると女物のスカートが出てきた。



「やっぱり……彼女がいるんだ」



 アンネはそれから徹底的に家探しをした。

 そしてエーヴァの写真だったり、銀行の預かり証だったり、下着だったりを見つけた。



「トナカイ獣人のエーヴァ――小学校の先生だから、頭が良く見えるように眼鏡してるの? ラーシュとの付き合いの長さは、どれくらいなんだろう」



 ラーシュとエーヴァが同郷の幼馴染で、子どものころから仲が良かったことを、アンネが知るはずはない。

 アンネは、手にぶら下げたエーヴァのブラジャーを見て、ふふふと笑う。



「こんな薄い胸じゃ、ラーシュの立派なものは挟めないよね」



 アンネには運命の番という強みだけでなく、年中発情して男を惹きつける、ウサギ獣人ならではのフェロモンがある。

 そこいらの下手な女に負けるとは思えない。

 

「それでも、徹底的に排除してやる。ラーシュの隣が、私の安住の地なんだから」
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