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33話 甘酸っぱいレモンパイ
「体温は昨日と変わらず、っと」
あれからウェンディは、デクスターとともに、体調の記録を取り続けている。
そして本当にウェンディの中へ魔王の核が移動したのか、確認をするためにも最初の月のものを待っているのだが――。
「今日も元気そうで良かった」
体温をノートへ書き込むウェンディを、デクスターがそっと抱き締める。
ウェンディもこてんと、デクスターの胸へと頭を寄せる。
「でも、ずっと来ないなんて、想定外です」
「これまでは、周期が乱れたことがないと言っていたな。やはり、魔王の核のせいだろうか」
ふたりが見つめ合って悩んでいると、そこへ朗らかな声がかかる。
「ウェンディちゃん、レモンパイが焼けたそうよ。一緒に食べましょう」
ふわふわした茶色の髪をまとめて結い上げ、柔らかい笑みを浮かべてウェンディを呼びに来たのは、母バーバラだった。
美麗なメガネ枠だったダニング伯爵の隣に並ぶと、完全なるモブ顔なのが分かってしまうが、バーバラはダニング伯爵に溺愛されている。
「レモンパイ! すぐに行きます」
「ウェンディはレモンパイが好きなのか?」
「美味しいんですよ、うちのレモンパイ。デクスターさまも、気に入ってくれるといいんですけど」
「ウェンディの好きなものは、俺も好きになりたい」
可愛い恋人たちの会話に、バーバラは目じりを下げる。
「もう外はすっかり寒くなりましたからね、室内のティールームに用意しましたよ。さあ、足元に気をつけて行きましょう」
◇◆◇
暖炉には火が熾され、ティールームのすみずみまで暖気が行き渡っている。
「パパも呼びましたからね。すぐに来るでしょう」
ウェンディとデクスターは、丸いテーブルに仲良く隣り同士に座る。
それをバーバラはにこにこと眺めていた。
それぞれの前に皿がサーブされた頃、研究を切り上げてダニング伯爵がやってきた。
「遅くなってごめん」
すぐにバーバラに近寄り、両頬に口づけを落とす。
そして決まりきったように、バーバラの隣に着席する。
それを合図に、使用人たちがティーカップへ温かいお茶を注ぎ始めた。
「いただきましょう、今日もよい出来栄えだと聞きました」
バーバラの言葉に、ウェンディは嬉しそうにフォークを取る。
デクスターもフォークを手にしたが、レモンパイを小さくカットしているウェンディが可愛くて、視線がそこに釘付けだ。
「ん! とっても美味しいです。レモンの酸っぱさとメレンゲの甘さがちょうど良くて、いくらでも食べられそう」
ぱくぱくと食べ進むウェンディに促されるように、デクスターもやっと食べ始めた。
上品にカットされたレモンパイが、半分ほどなくなったとき、ダニング伯爵がウェンディに声をかける。
「今日も健康そうだね。異常はなかったかい?」
「ええ、熱もないし、これといって体調に変化はなかったわ。ただ、やっぱりまだ来なくて……」
食事をしている席なので、何がとは言わなかった。
だが事情を知っているダニング伯爵には伝わる。
「そうか……もう待たずに、何らかの実験を始めてみるかな」
頭の中で実験計画を立て始めたダニング伯爵だったが、その隣に座っているバーバラが爆弾発言をした。
「ウェンディちゃん、もしかして妊娠しているのではないの?」
ティーカップからお茶を飲もうとしていたウェンディは、ごふっと令嬢らしからぬ音を立ててしまう。
隣からデクスターが渡してくるハンカチを受け取り、慌てて口元を押さえた。
「お母さま、それは、どうして?」
「最近、頻繁にあくびをしているし、お料理だって、さっぱりしたものを選んで食べているでしょう? 自分では気がついてなかった?」
ウェンディはまったく気がついていなかった。
そして妊娠という可能性にも、思い至らなかった。
なにせデクスターと繋がったのは、一度だけなのだ。
まさかその一度で、種が結ばれるなんて。
ウェンディ自身、呆然としているが、男性陣の反応はより顕著だった。
「ウェンディが? 俺の子を?」
「ちょ、ちょっと待って、バーバラ。私の記憶では、妊娠すると体温が上がる。そうだったよね?」
感動して涙目になっているデクスターと、自分の知識の正確性を疑いだしたダニング伯爵。
「妊娠する前とくらべて少し上がる程度だから、妊娠前からこまめに体温を記録していないと、変化に気づかないわよ」
朗らかな顔でダニング伯爵を一刀両断するバーバラ。
あああ、と頭を抱えてダニング伯爵は撃沈した。
「本当に? 私が妊娠?」
「あなたたちは錬金術士なのだから、お得意のポーションで調べたらいいじゃない。私の勘が的を射たかどうか、すぐ分かるでしょうよ」
微笑むバーバラに言われて、ダニング伯爵は研究室へ走っていった。
妊娠検査薬のようなポーションを、作ってくるに違いない。
ウェンディはそれを、放心状態で見送るしかなかった。
「ここに? 赤ちゃんが?」
ぺたんこなお腹を触ってみても、実感はない。
隣からデクスターも手を伸ばしてきた。
しかし伸ばしたものの、触っていいのか躊躇っていたので、ウェンディはデクスターの手を取り腹に押し付ける。
ウェンディの腹に、ぺたりと手のひらをつけたデクスターはやがて、ふるふると震えだす。
「ウェンディ、どうしよう、とても嬉しい」
「うふふ、気が早いですね。でも、もしそうなら、私も嬉しいです」
「だが、そうなると魔王の核を排出する実験は、難しくなるだろうか?」
「お父さまとも相談しますが、赤ちゃんの安全を優先しましょう。ポーションにも、妊婦さん用のものがあるんですよ」
すっかり若夫婦の会話をしていた二人のもとへ、ダニング伯爵が駆け戻ってきたのはすぐだった。
そしてその手に握りしめられた検査用ポーションを使用した結果、確かにウェンディは妊娠していたのだった。
◇◆◇
コンコンコン――。
もう寝ようとしていたウェンディの部屋の扉を、誰かがノックする。
相手に思い当たったウェンディは、ためらうことなく訪問者を迎え入れた。
「どうしたんですか、デクスターさま?」
違うことなく、扉の向こうには、緊張した面持ちのデクスターが立っていた。
「懐かしいですね。この時間、以前はベランダから、会いに来てくれましたよね」
デクスターを中へ招き入れ、ウェンディたちはソファへ隣り合って腰かける。
ウェンディの妊娠が発覚したあと、デクスターはダニング伯爵と話をしていた。
きっと、その内容を伝えに来てくれたのだろう。
「夜遅くに、すまない」
デクスターは内ポケットから、小さな箱を取り出し、それをウェンディへ差し出した。
「本当は、爵位をもらってからプロポーズをしようと思っていた。そうしないと、俺はただの平民で、ウェンディの身分につり合わない。それに……立派な結婚指輪も贈れない」
デクスターはそう言って、箱のふたを開ける。
「だが、ウェンディの中に俺の子がいる以上、いつまでもウェンディを未婚のままにはしておけない。――ウェンディ、結婚して欲しい。これが今の俺の精一杯だ」
ウェンディの目の前で開かれた木箱には、よく磨かれた銀の指輪が入っていた。
飾りとなる輝石も彫りもなく、シンプルな指輪だが、ウェンディはそれに温かみを感じる。
「デクスターさま、この指輪、とても大切な物なのではないですか?」
「……両親の形見だ。俺の持ち物で、唯一、価値のあるものだ」
ウェンディがそっと左手を伸ばすと、デクスターが箱から取り出した指輪を、ウェンディの薬指にはめてくれる。
白く細い指に、細い銀の指輪がきらりと光った。
「受け取ってくれて、ありがとう。きっと、両親も喜んでくれるだろう」
「デクスターさまのご両親のお話を、聞いてもいいですか?」
これまで、ゲームの中でも、デクスターの出生は詳しく語られていない。
ただ、貧しい家の平民だった、としかウェンディも知らないのだ。
「父も母も、どちらも貧しい農家の出身で、先祖代々受け継がれている小さな畑を耕して、その日の糧を得ていた。それだけなら、よくある平民の姿なんだが、20歳になる息子が、ある日突然、勇者として聖剣に選ばれてしまった」
あれからウェンディは、デクスターとともに、体調の記録を取り続けている。
そして本当にウェンディの中へ魔王の核が移動したのか、確認をするためにも最初の月のものを待っているのだが――。
「今日も元気そうで良かった」
体温をノートへ書き込むウェンディを、デクスターがそっと抱き締める。
ウェンディもこてんと、デクスターの胸へと頭を寄せる。
「でも、ずっと来ないなんて、想定外です」
「これまでは、周期が乱れたことがないと言っていたな。やはり、魔王の核のせいだろうか」
ふたりが見つめ合って悩んでいると、そこへ朗らかな声がかかる。
「ウェンディちゃん、レモンパイが焼けたそうよ。一緒に食べましょう」
ふわふわした茶色の髪をまとめて結い上げ、柔らかい笑みを浮かべてウェンディを呼びに来たのは、母バーバラだった。
美麗なメガネ枠だったダニング伯爵の隣に並ぶと、完全なるモブ顔なのが分かってしまうが、バーバラはダニング伯爵に溺愛されている。
「レモンパイ! すぐに行きます」
「ウェンディはレモンパイが好きなのか?」
「美味しいんですよ、うちのレモンパイ。デクスターさまも、気に入ってくれるといいんですけど」
「ウェンディの好きなものは、俺も好きになりたい」
可愛い恋人たちの会話に、バーバラは目じりを下げる。
「もう外はすっかり寒くなりましたからね、室内のティールームに用意しましたよ。さあ、足元に気をつけて行きましょう」
◇◆◇
暖炉には火が熾され、ティールームのすみずみまで暖気が行き渡っている。
「パパも呼びましたからね。すぐに来るでしょう」
ウェンディとデクスターは、丸いテーブルに仲良く隣り同士に座る。
それをバーバラはにこにこと眺めていた。
それぞれの前に皿がサーブされた頃、研究を切り上げてダニング伯爵がやってきた。
「遅くなってごめん」
すぐにバーバラに近寄り、両頬に口づけを落とす。
そして決まりきったように、バーバラの隣に着席する。
それを合図に、使用人たちがティーカップへ温かいお茶を注ぎ始めた。
「いただきましょう、今日もよい出来栄えだと聞きました」
バーバラの言葉に、ウェンディは嬉しそうにフォークを取る。
デクスターもフォークを手にしたが、レモンパイを小さくカットしているウェンディが可愛くて、視線がそこに釘付けだ。
「ん! とっても美味しいです。レモンの酸っぱさとメレンゲの甘さがちょうど良くて、いくらでも食べられそう」
ぱくぱくと食べ進むウェンディに促されるように、デクスターもやっと食べ始めた。
上品にカットされたレモンパイが、半分ほどなくなったとき、ダニング伯爵がウェンディに声をかける。
「今日も健康そうだね。異常はなかったかい?」
「ええ、熱もないし、これといって体調に変化はなかったわ。ただ、やっぱりまだ来なくて……」
食事をしている席なので、何がとは言わなかった。
だが事情を知っているダニング伯爵には伝わる。
「そうか……もう待たずに、何らかの実験を始めてみるかな」
頭の中で実験計画を立て始めたダニング伯爵だったが、その隣に座っているバーバラが爆弾発言をした。
「ウェンディちゃん、もしかして妊娠しているのではないの?」
ティーカップからお茶を飲もうとしていたウェンディは、ごふっと令嬢らしからぬ音を立ててしまう。
隣からデクスターが渡してくるハンカチを受け取り、慌てて口元を押さえた。
「お母さま、それは、どうして?」
「最近、頻繁にあくびをしているし、お料理だって、さっぱりしたものを選んで食べているでしょう? 自分では気がついてなかった?」
ウェンディはまったく気がついていなかった。
そして妊娠という可能性にも、思い至らなかった。
なにせデクスターと繋がったのは、一度だけなのだ。
まさかその一度で、種が結ばれるなんて。
ウェンディ自身、呆然としているが、男性陣の反応はより顕著だった。
「ウェンディが? 俺の子を?」
「ちょ、ちょっと待って、バーバラ。私の記憶では、妊娠すると体温が上がる。そうだったよね?」
感動して涙目になっているデクスターと、自分の知識の正確性を疑いだしたダニング伯爵。
「妊娠する前とくらべて少し上がる程度だから、妊娠前からこまめに体温を記録していないと、変化に気づかないわよ」
朗らかな顔でダニング伯爵を一刀両断するバーバラ。
あああ、と頭を抱えてダニング伯爵は撃沈した。
「本当に? 私が妊娠?」
「あなたたちは錬金術士なのだから、お得意のポーションで調べたらいいじゃない。私の勘が的を射たかどうか、すぐ分かるでしょうよ」
微笑むバーバラに言われて、ダニング伯爵は研究室へ走っていった。
妊娠検査薬のようなポーションを、作ってくるに違いない。
ウェンディはそれを、放心状態で見送るしかなかった。
「ここに? 赤ちゃんが?」
ぺたんこなお腹を触ってみても、実感はない。
隣からデクスターも手を伸ばしてきた。
しかし伸ばしたものの、触っていいのか躊躇っていたので、ウェンディはデクスターの手を取り腹に押し付ける。
ウェンディの腹に、ぺたりと手のひらをつけたデクスターはやがて、ふるふると震えだす。
「ウェンディ、どうしよう、とても嬉しい」
「うふふ、気が早いですね。でも、もしそうなら、私も嬉しいです」
「だが、そうなると魔王の核を排出する実験は、難しくなるだろうか?」
「お父さまとも相談しますが、赤ちゃんの安全を優先しましょう。ポーションにも、妊婦さん用のものがあるんですよ」
すっかり若夫婦の会話をしていた二人のもとへ、ダニング伯爵が駆け戻ってきたのはすぐだった。
そしてその手に握りしめられた検査用ポーションを使用した結果、確かにウェンディは妊娠していたのだった。
◇◆◇
コンコンコン――。
もう寝ようとしていたウェンディの部屋の扉を、誰かがノックする。
相手に思い当たったウェンディは、ためらうことなく訪問者を迎え入れた。
「どうしたんですか、デクスターさま?」
違うことなく、扉の向こうには、緊張した面持ちのデクスターが立っていた。
「懐かしいですね。この時間、以前はベランダから、会いに来てくれましたよね」
デクスターを中へ招き入れ、ウェンディたちはソファへ隣り合って腰かける。
ウェンディの妊娠が発覚したあと、デクスターはダニング伯爵と話をしていた。
きっと、その内容を伝えに来てくれたのだろう。
「夜遅くに、すまない」
デクスターは内ポケットから、小さな箱を取り出し、それをウェンディへ差し出した。
「本当は、爵位をもらってからプロポーズをしようと思っていた。そうしないと、俺はただの平民で、ウェンディの身分につり合わない。それに……立派な結婚指輪も贈れない」
デクスターはそう言って、箱のふたを開ける。
「だが、ウェンディの中に俺の子がいる以上、いつまでもウェンディを未婚のままにはしておけない。――ウェンディ、結婚して欲しい。これが今の俺の精一杯だ」
ウェンディの目の前で開かれた木箱には、よく磨かれた銀の指輪が入っていた。
飾りとなる輝石も彫りもなく、シンプルな指輪だが、ウェンディはそれに温かみを感じる。
「デクスターさま、この指輪、とても大切な物なのではないですか?」
「……両親の形見だ。俺の持ち物で、唯一、価値のあるものだ」
ウェンディがそっと左手を伸ばすと、デクスターが箱から取り出した指輪を、ウェンディの薬指にはめてくれる。
白く細い指に、細い銀の指輪がきらりと光った。
「受け取ってくれて、ありがとう。きっと、両親も喜んでくれるだろう」
「デクスターさまのご両親のお話を、聞いてもいいですか?」
これまで、ゲームの中でも、デクスターの出生は詳しく語られていない。
ただ、貧しい家の平民だった、としかウェンディも知らないのだ。
「父も母も、どちらも貧しい農家の出身で、先祖代々受け継がれている小さな畑を耕して、その日の糧を得ていた。それだけなら、よくある平民の姿なんだが、20歳になる息子が、ある日突然、勇者として聖剣に選ばれてしまった」
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