石炭と水晶

小稲荷一照

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開戦

ゲリエ家地所内 山之オ花畑 共和国協定千四百三十七年早春

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 マジンは娘達と客を連れて機関車で山に狩りに出ていた。
 リザは車庫に停めてあった荷駄用にこしらえた六輪の機関車の出来に一万台でも欲しい。と言い出した。そうするためには千人近い工員とざっくり半リーグの土地。それとマジンの時間が二年必要になると言ったが、リザはその代金は一緒に来た女三人では足りないのかと尋ねた。
 その言い草はマジンの勘には触ったが、云われた女達の方にはそれほど衝撃があったわけではなさそうで、セラムはバカバカしそうにファラリエラは真剣な顔でリョウは居心地悪そうにしながら自分たちで改めて尋ねた。
「足りない。というより、彼女ら三人に馬車馬のように働いてもらうのは小銃の話の前提になっている。お前が口にした規模の話は軍の装備を一新して使い方を徹底して、備蓄を前線に手当するところまでやらないと、軍だって困るだろう。我が社の顧問指導員として各地の練兵場をめぐってもらうことになる。子供を作って休息配置とかそんな悠長なことを云わせている暇はないね。腹が膨らもうが子供に乳を与えていようがやるべきことをやらせるよ」
「あらそ。じゃ別の女をあてがってあげるわ」
「使えるなら男でもいいぞ」
「使える男は軍では貴重なのよ。それに女は退役して転職しても面倒が少ないわ」
 ひどく残酷な顔でリザは笑った。

 九シリカと二十五シリカの三種類の銃弾を使う銃と弾丸を詰めた箱を七両の機関車に積み込んで七人は山に入った。
 泊まりがけの狩りという名目ではあったが、事実上の小銃の試射と機関車の試乗であった。雪の山道は機関車の操縦に慣れたゲリエ家の者たちでもそれなりに苦労したし、客人たちはもちろん機械の操作に十分慣れていたというわけではないが、機関車自体もともとあまり重くないことと人手があることから道行はそれほどに苦労せず、とは云え馬で上るよりは苦労があったものの時間そのものは心配したより手早く峠の向こう側へ出ることが出来た。雪があったことで階段が埋まっていたことも都合が良かった。
 山地の北側はゲリエ家の土地ではあるものの、町の地図からは外れたところで人はいないはずの土地であったから、銃の野外での実射には都合が良いはずだった。
「エリス、面倒かけてないかしら」
 久しぶりに赤ん坊の世話から離れて急に気になったらしいリザが野営の支度をしながら言った。ゆるやかに開けている土地に切り倒した針葉樹の枝葉を敷き詰めた上に天幕を敷いて倒した木で簡単な風除けを積み木の枝を焚き付けにする。
「やっぱり贅沢だな」
 ノコギリとナタがあれば僅かな時間でできるマジンの何気ない行為にセラムは笑った。
「そのノコギリも百万丁ほしいわね」
 刃渡り半キュビットの薄い鋼でできたノコギリの切れ味を見てリザは言った。
「あの折りたためるスコップも欲しい」
 セラムも便乗するように言った。
「そんなに様々に窮乏している共和国軍の現状に心底不安を覚えるよ」
 マジンは世辞とも本気とも付かない女性士官たちの意見に嘆いてみせる。
「この双眼鏡もスゴいですねぇ。わたしが買いたいくらいです。こんなに明るくてはっきり見えるのに軽い。トナカイの親子発見。それを狙うオオカミの群れ発見。なんかいい感じに横槍入れて撃っちゃいたいけど、ちょっと遠いなぁ。一リーグ先に冬ごもりし損なったクマとかいないかなぁ」
 ファラリエラがのんびりとした雰囲気で言った。
「なんでももらえるならわたしは、こっちの火口かな」
 回転ヤスリと火打ち石を仕込んだオイルライターをリョウは気に入ったらしい。
「数打ち出来ているから、気に入ったならそれはあげるよ」
「作るの簡単なの?あれ」
「大きくないからね。部品で一万くらい作って、百ぐらいは組み立ててある。うちの連中は皆持ってるよ。隊商の土産にしたり、鉄道の工事の完成祝いに働いてくれた人足連中には上げた」
「安いの?」
「材料だけなら二タレルしないくらい。だと思った」
 曖昧にマジンが言った。
「一万個ぶん作って材料費は三千八百タレル。だけど機械が一万二千三百タレル。試し打ちとかで怪しいのもあるし、部品の管理が雑だからいくらかは高くなってるかも」
 リザの脇にいたアルジェンが説明した。
「金物だから大丈夫じゃないの」
「金物はちょっとしたことで曲がるから、油断なんない。前に空薬莢をまとめて作ったときも父様がそう言って油断してザラッと箱に入れておいたら、作りなおすほうが早いくらいダメになった。で、今はちゃんと並ぶような箱にしてる」
「どうやってるの」
「首が支えられるような升に立ててある。で、そのまま雷管を詰めて、板でおしり支えたままひっくり返して火薬詰める機械に入れて弾丸載せて圧入」
「お屋敷で何発あるの」
「だいたい十万発。でも年に一万発も撃たないから練習とか狩りとかで調整してる。一応二十年保つつもりで作っているけど、五年で区切りにしている、予定」
 雑談に気を散らしながらではあったが、現役の女士官は冬の道中を無事越えてきたくらいに野営には慣れていて、全く見事な手際の良さで簡単な馬用の風よけや雪崩よけを作る余裕さえ見せていた。
 そんな風に野営の準備がすむとアルジェンが皆の記念に光画を取ることにした。
 光画機も十二号機だか十三号機辺りになると露光の調整がだいぶ簡単になっていてある程度機械任せにできるようになったり、露光される像が事前に見えるようになったりして、マイノラでも操作ができるようになっていた。
 この最新機である十七号機はゼンマイ式の時計と露光窓とを連動させた機構が組み込まれていて、仕掛けを終えたあとヒトが離れても自動的に一枚光画が取れる様になっていた。
 現像は相変わらず薬剤を複数使う操作の都合、面倒だったが光画機を操作して撮るだけなら特殊な技能はほとんど要らなくなっていたし、覗き窓の中のグレースケールが光量を大雑把に示していたから、それを参考に時間や絞り量を調整できるようになっていた。映像を取る感光版がセルロイドの薄膜になり、暗幕を準備せずに光がある場所で扱えるように感光フィルムを巻物状に収めた小さな金属の筒にするなど、結像用の光画フィルムは多少の変化をしていた。
 現像印画はいずれ大量に扱うようになればそれなりの自動化機械化も考えられたが今のところは光に当てないようにフィルムを扱う器具や現像済みのフィルムを印画する器具が幾つかくらいだった。
 光画の技術は奇妙なもので高性能火薬の研究を行っていた際に雷管に雷銀を使えないかと様々に検討していた結果、雷銀の実用は面倒くさくなり諦めたものの、その際に感光剤としての銀塩が副産物として発見され、子供の写真箱の実験を経て実用に至った経緯がある。
 その経緯で雷管は水銀や鉛ではなく食塩を材料に作る方法に到達していた。
 今ではアルジェンは出かける際には最新型の光画機を持ち歩き、風景をほとんど選ばずに撮り、あるいは人や街を写して、偶に気に入ったものを焼き増してヒトの配ったりもしていた。彼女の部屋にはセルロイドの花の他に壁には光画写真がいくつも張られていた。
 今日の風景もそうなる已然の予定だった。
 マジンは切り倒した木を使って何本か杭を作り、機関車を走らせて少し離れたところに鉄の板で標的をいくつか立てた。
 近いもので五十キュビット一番遠いところで半リーグほどの標的を準備したところで午後の日が傾いていた。マジンが標的を設置する間にアルジェンとアウルムは小銃の説明を始め休暇中の士官達は小銃の試射をした。
 銃によって多少の癖はあるものの、どれも彼女たちの知っている銃に比べて扱いが軽やかでよく当たることに驚いていた。
 とくに操作らしい操作も無しで引き金を引くと一発弾が出る上に、飾りの刻みのような照門が単に自分が狙っている向きを示す以上に正確に的を目指して示していることにも驚いていた。
 銃自体の重みも握り以外は全部鋼で出来ていたが、それでも軍で扱う銃と同じくらいか軽いくらいの重さしかなかったことにも納得出来ないようでいた。
「単射しかさせなかったのか」
 途中で獲ったウサギを三羽ぶら下げて帰ってきたマジンはアルジェンに言った。
「ほかは慣れていないと危ない。ちゃんと慣れて握りと姿勢を作らないと横を撃つ」
「それで二百五十キュビットくらいは皆あたるようになったのか」
「リョウさんは五百キュビットでも結構あててた。かなり目と勘がいい。千キュビットは父様いたから狙わせなかったけどあたるかもしれない。二千はわかんない。私達も結構外す。その先は本気で色々やっても父様じゃないと当たんないと思う。普通は遠すぎて見えないよ」
「眼鏡つけたろ。大きいので撃って見せてやれ」
「風が吹くもん」
「今回は毛糸の幟をつけてきた」
 娘ふたりは渋った。
「やだなぁ。そんなこと言っても普通は当たんないよ」
「今日は大きな眼鏡も持ってきたし、弾も千発もあるから、やってみろ」
「うん。……やるだけなら」
 アルジェンとアウルムはマジンがいうのに渋っていたがマジンの乗っていた機関車から長く大きな銃身を持ったもはや小銃とは言えない銃をおもたげにおろし、半リーグ先の標的に向かう。
「なにさせるつもり」
「諸君らに模範射撃を見せてやろうと思うんだ」
「なに。まさかあの眼鏡で覗いて当てようって言うの?」
「標的の形は他のと一緒なんですよね。本当に半リーグぐらいありますよ」
 リザが言うのに双眼鏡を上げ下ろししながら確認してリョウが言った。
「あたるの?本当に?」
「これまでは十発に一発くらいかな」
「あなたもひどいことするわね」
 アウルムが射手でアルジェンが脇で双眼鏡を覗いている。
 アウルムは銃の眼鏡と双眼鏡とを交互に見比べて射撃姿勢に落ち着いた。
「ま、この辺が今のボクの限界かな」
 山間の風は全く読みにくく、身の回りでさえ風の止むタイミングがわからない。そういう中で撃った初弾は風のせいか銃か眼鏡のせいかアウルムが悪いのかわからないまま的を外れた。
「眼鏡の外だった。アルジェン見えてた?」
「見えてた。もう一回同じで撃って」
 外れ。
「二つ上げて三つ左に」
 外れ。
「あ、見えた。いきすぎてたね」
「五千百二十キュビット。くらい」
 弾丸の理論速度とおよその時間感覚でアルジェンは距離を予測した。
「アルジェンがそう言うならそうだと思う」
 ふたりの会話を聞きながら大人たちは遠眼鏡を覗いている。
「二人の会話、砲兵みたいね」
「やっていることは同じだよ」
 リザの言葉にマジンが応えた。
「一つ下げてひとつ右にしてみる」
 アウルムが言った。
 外れ。
「あれ。見えない」
「戻して。たぶんさっき行き過ぎたのは風のせい」
 外れ。
「見えた」
「一つ上げてひとつ左に」
「さっきからアルジェンが背中撫でてるのなに?」
「多分風の指示だと思う。手前の稜線の何かを見ているんだろう」
 外れ。
「これ、あとは、わたしが調整したほうがいいんだよね」
「そだね。交代したら最初からんなっちゃうし、眼鏡の中はわかんないよ」
 発射。
「あ」
「あ」
 射手ふたりが声を上げた。
「惜しい。支柱だ」
「すごい威力だ。あの距離なのにかすめた生木があれだけえぐれるのか」
 セラムが驚いたようにいう。
 遠眼鏡の中で支柱が傾いていた。
「気をつけて。近くに外すと多分倒れる」
「大丈夫。大体合ってた」
 外れ。
「ゴメン。風吹いてた」
「もういっちょ」
 アルジェンが指示の失敗に謝るのにアウルムがそう応えて放たれた弾丸は遠眼鏡の中で倒れかけていた支柱をのけぞらせるように押し倒した。
 やがてたっぷり二呼吸して金槌のような音が聞こえてきた。
「九発だった。いいメガネ。ちゃんと同じように動くし明るい」
 アウルムがちょっとホッとしたように言った。
「どういうふうに見えるの?」
 アウルムが離れたせいで風景も見え方も変わってしまった照準鏡をリザは覗き込み、重たい銃に苦労して標的を探す。
「父様。照準眼鏡。横から指すのダメだよ。やっぱり。どうしてもずれる」
 アルジェンが使ってみての感想を述べた。
「そっか。直すか」
「今みたいな距離で使うつもりならちょっとずれると眼鏡の外いっちゃう」
 リザが照準鏡から離れて戻ってきた。
「アレ、どうやって使うの?」
「二十五シリカの小銃弾はどう思った」
「なんか威力ありげだけど、九シリカの銃のほうが打ちやすい」
「薬莢はみたか」
「九シリカのほうがキュッとくびれてドレスみたいだったけど、二十五シリカの薬莢は寸胴だった。少しとんがりも緩かったし」
「アルジェン。あの銃の弾を見せてやれ」
 そう言って手渡された銃弾は手のひらからあふれる長さの薬莢だった。外見は九シリカの銃弾をそのまま大きくしたような姿で、何かの工具と説明しても信じそうな握りやすげな大きさと精悍さだった。
「あなたの一物くらいあるのかしら」
 そう言ってリザが握りこんで上下させるのをセラムは困ったように笑う。
「バカ言え。ボクのは倍くらいあるだろ」
「そうかしら。どれくらい長いの」
 リザは知らん顔で尋ねた。
「薬室の長さは二百五十シリカ。装填状態の全長で三百二十シリカ。弾丸の直径は二十五シリカで共通だけど、薬莢の一番太いところは四十シリカある」
「あっちの小銃とは全然別物ってことね」
「向こうのは薬莢の長さは百二十シリカしかない」
「九シリカ銃の方は」
 マジンの説明に用がないとばかりに次のことをリザは尋ねた。
「薬莢の長さは百シリカ。それでも倍くらい二十五シリカ小銃弾のほうが火薬は詰まっているけど弾丸も重たいからね」
「どっちがいいのよ。結局」
「どういう距離で戦いたいかということだろう」
 セラムが引き受けるように言った。
「一発しかない五タレルの鉛弾を千キュビット先にどうしても届けたいということであればボクなら二十五シリカ銃弾を使う。が、弾数に余裕があってわずかでもいいってことであれば一タレル半の九シリカ銃弾を使う。二千キュビット先ってことであれば、自動的に二十五シリカ弾を使うよ」
 セラムの言葉に頷いてマジンが言った。
「ちなみにこの大きな二十五シリカ銃弾はいかほどの重さの弾丸使っているの」
 リザが市場の店先で品定めをする口調で尋ねた。
「十タレル。あの距離で支柱が怪しげだったから多分弾かれたけど、そこら辺の柱にかかっている奴をあれで撃ったら二枚がくっつくほどの大穴が空くよ」
「父様。ちゃんと一枚目は抜けてた。二枚目は陰でわかんないけど抜けてた音だと思う」
 マジンの言葉にアルジェンが報告して補足した。
「あの標的、厚み何シリカあるの」
「どっちも十シリカの鋼板だ」
「ふうん。ちなみに胸甲の厚みは」
 マジンの説明にリザはセラムに尋ねた。
「うちの騎兵のこと言ってるなら八シリカかな。背中は薄いけど胸だけは厚いんだ」
「二百キュビットで穴が空くのかぁって言ってたけど、今の話を聞く限りもうちょっと遠くでも抜けちゃうってことでしょ」
 リザはセラムの気楽さを心配するように言った。 
「八シリカなら五百キュビットでも多分抜ける」
「あの命中率でそんな話を聞かされると騎兵商売も上がったりだな」
 マジンの言葉にセラムは苦々し気に嘆いてみせた。
「なに言ってるの。さっき自分で不穏の兆候を見つけていたでしょ」
「なんのことだ」
 マジンがセラムとリザの会話の流れをアルジェンに確認した。
「安全装置。さっき説明しなかったのをセラム様が気がついて質問した」
 アルジェンが説明した。
「零の次が一で次が三でその次が四十なのはどうしてかなって質問したんだけど、取り合ってもらえず流された」
 セラムの言葉にリザが続きを促すように顎で示した。
「あの銃が連発式だからね。扱いに慣れるまでは説明も待っててもらったんだ」
 マジンが軽く言った中でセラムは不思議そうな顔をした。
「それはそうだろ。引き金引くだけで弾が出るなんて驚いたけどさ」
「わたしの想像通りなら、覚悟しておいたほうがいいわよ。マークス騎兵大尉殿」
「アルジェン。説明してあげていいよ。気を使わせたな」
 そう言ってマジンが離れていた三人にも説明の続きをすることを告げた。
 二人の少尉は威力と精度の高さは十分に理解納得していたが、ひとまず説明を聞くことに異はなく戻ってきた。
「今日持ってきた小銃は一丁で複数の使い方ができます。基本的には使い方は一緒ですが、弾丸の出方が違います」
 アルジェンが普段と違うよそ行きの言葉遣いで説明をの続きを始めた。
「まず、先ほどからやっていた、単射。それから、短時間に三発撃つことで動く目標を捉えやすくする散射。それから最後に弾倉のありったけを撃つ全射です」
「どういうことかしら。撃ち方の技術の話なのかな」
 セラムが不思議そうに言った。
 アルジェンは百キュビットの標的にむかった。
 アルジェンが肩帯を使った姿勢で構え撃つ。
 標的が命中音を立てた。
「散射」
 綺麗な姿勢のアルジェンが少し振れた。
 標的から小銭を巻いたような音がした。
「全射」
 アルジェンが軽く肩で息を整えて腰を改めて落ち着けて引き金を引くと、長い連続的な銃声と機械の音が、命中の音を確かめることを許さないようにたっぷり三呼吸分ほども続き、断ち切られるように止んだ。
 最初の説明で射手の脇に広場を開けるように指示された理由が足元の湯気の立つ薬莢が舞い散った範囲でわかった。
 そんなことよりも重大なことが百キュビット先の標的では起こっていた。
 二枚の鋼板を重ねて吊るした的は穴というのも無残な残骸になっていた。
「これを百万丁。全軍に配るというのがキミの計画の本筋か。ゴルデベルグ猟兵中尉」
 喘ぐようにセラムは憤るように尋ねた。
「そうよ。わたしもこれ程とは思っていなかったけど、そういうこと。しかも、アルジェンは説明のために敢えて的を一つに絞ってみせたけど、騎兵みたいな柔らかな目標にはそんな必要はないわ。散射は多分動きの早い鎧の兵士を確実に仕留めるためね。まさに騎兵個人を始末するための仕掛けだわ」
 苦いものを飲み込んだ怖い笑いでリザは応えた。
「まるで小さな大砲だな」
 友人の構想に呆れたようにセラムは言った。
「それでも小銃よ。歩兵の杖にして輩」
「この技術で大砲を作ったらどうなる」
 敢えてというようにセラムは尋ねた。
「そういうのは彼に聞いてみましょ。でも、多分その答えは用意してきてくれているみたいよ」
 マジンが機関車から下ろした小さな大砲は、どことなく縁日で出てくるオルゴールのような雰囲気でもあった。だがその本体から長く銃身を伸ばしたそれがそんな長閑なものでないことはここにいる女達のだれも重々承知していた。
 背の低い三脚の上に据えられたそれは、帯かすだれのように連ねた銃弾を吸い込むように機関車に数倍する騒音を撒き散らしながら手近な森に弾丸を吐き散らした。
「もうやめて。わかったわ。もういい。やめて」
 バキバキと銃弾に耐えられずに木々が倒れてゆく光景を前にファラリエラが悲鳴を上げる。
「なんだ。レンゾ歩兵少尉。だらしないわよ。これは貴様が望んだ通り、これからの歩兵には必要になる装備だ。そしてこれをかいくぐる方法を考えるのも歩兵の仕事になる」
 リザがことさら冷たく叱るように言った。
 僅かな時間で持ってきた弾丸を使い果たし、連射を専門に作られた銃はとまった。
「面白半分の所業にしてはなかなか贅沢な光景だな」
 裂かれ倒れた木々とそのへし折られた残骸といったほうがおそらく正しい撃ち倒された木の根方が並ぶ割かれた林の風景を眺めて、ため息のようにセラムが言った。
「それでも、これがあってもあの塹壕で埋まった者たちを救うことは出来なかったわ」
 硬く確信を持った声でリザが言った。
「それはそうだが」
 困ったような声でセラムが言葉を切った。
「ゴルデベルグ中尉殿」
 幾分硬い声でリョウがリザに呼びかけた。
「軍務に関わることか。バールマン少尉」
「いえ、あ、ちがいます」
「では階級で呼ぶのはよしてちょうだい。リョウ」
「あ、それでは、先輩」
「なにかしら。リョウ」
「先輩がその、ご主人の、こういう工作の成果を戦争と結びつけようとしているのはわかります。ですが、それと私達をどう結びつけるつもりなのですか。その、あの、もし、本当に妊娠して後方配置になったとして、その期間で出来るような事なのでしょうか」
 リョウの言葉は三人の友人たちの代弁でもあった。
「今は特段。だけど、そのうち実際を知る信用できる人物が必要になると思っている。場合によってはそのために退役したほうがいいかもしれない。とも。或いは軍での栄達を望むなら、今みた森の光景が自分の目の前で千倍万倍で起こる、その事態を当然として受け入れ利用する方策を考えなさい。我々が使えば当然いずれ敵も対抗策を手に入れるでしょう。戦略的奇襲効果はいずれやがて戦略的奇襲によって覆されるわ」
 リザは籠城での指揮で幾度か口にした決死の命令の様に言った。
「先輩は何か既に考えられているのですか」
「考えている。けど、今は小娘の妄想でしかないわ。この人の暴力の具象に比べればお伽話みたいな平和なものよ」
 リザの言い草は当然に圧倒的な不穏を想起させてマジンとしては鼻で笑うしかなかった。
「ボクのために何かができるというなら、ボクの娘が軍学校にいる間の便宜を図ってほしいくらいかな」
「それはわたしがなんとかするわ。約束はできないけど努力はする。過保護な父君が軍学校をひっくり返すような騒動を起こさないように気をつけるわ。三人はこのヒトがなんとかするだろう算段を周りがひっくり返さないように協力してほしいの」
 マジンが割りこむように言うのをピシャリとリザが言った。
「警護ということか。だが一年で休暇は終わってしまうぞ」
 セラムが言った。
「警護ってことだけじゃないけど、まぁだから妊娠しちゃって後方の休息配置で目と手を開けてくれると嬉しいのよ」
「また身勝手なことを」
 マジンが呆れたように言う。
「この人に一年あげればその後の一年二年で帝国軍を圧し戻せるわ。そしてさらに三年で何かの均衡点に達することができる」
「その数年で騎兵はなくなるな。この小銃と、なんというべきか動作音からすると機関銃かな、この大砲と云うには小さな砲で歩兵の前に出た敵は、弾丸の雨をくらうことになる」
「その代わり新しい兵科ができるわ。この機関車とその、機関銃いい響きね、機関銃で戦争のための車輌部隊ができる。戦車って言うんじゃない」
 明るい話題を見つけたようにリザは言った。
「戦車か。帝国は歩兵を荷駄に乗せて迅速に展開してそう称していると聞くが、こちらのほうがよほどそれらしいな」
 セラムが笑うように言った。
「ねえ、あなた。その連発銃も数打ちできるから持ってきて見せびらかせてくれたんでしょう。おいくら」
「先に食事にしよう。日が落ちてからでは準備も片付けも面倒くさい」
 マジンは話題を切り上げるようにそう言った。
 兵隊たちはゲリエ家の娘達の職人のようなウサギの解体の手早さと内蔵の中身を肉にこぼさない技術に驚いていた。
「ちょっと沢で濯いでくる。泉も知ってる」
 そう言ってアウルムが山肌を下るとしばらくして銃声がした。
 マジンが見にゆくとウサギの内蔵を洗っているアウルムとその脇に倒れたイノシシに出くわした。
「よかった。父様だ。アルジェンだったらどうしようと思った。結構大物だった」
 沢を駆けている間にイノシシに出くわしたらしい。仕留めたはいいが道の悪いところを上るのは苦労しそうで困っていた。
 マジンは内蔵洗いを手伝って、イノシシを抱えると皆のところに戻った。
 イノシシは吊るして喉を裂き、そのまま一晩血抜きをすることにして食事を始めた。
「うさぎさん。ごちそうさまでした。軍の野営食もこうやって食べると美味しいですね。覚えておこう」
 伸びをするようにファラリエラが言った。
 塩漬け肉をラードで固めたような軍の副食で塩味をつけたスープはウサギのツミレと館から持ってきたちょっとの香辛料と野菜で野外で食べる料理としては破格に贅沢なものになっていた。元来はラードをこそいでバターの代わりにパンに塗りつけるとか、そのまま齧るようにして食べるしかないものだが、火をかけ香辛料を炒め、野菜に軽く味を染み込ませたところでツミレを蒸し、水を注いでスープにすると、全く美味な出汁を提供してくれた。
 食事の後、娘達はセラムとリザが一緒に寝ると引き取り、マジンは二人の少尉とともに天幕で寝ることになった。向かいの天幕から笑い声が聞こえる中、奇妙な緊張があった。
「大きなイノシシでしたね」
 話を探すようにリョウが口にした。
「この辺だと、驚くほどじゃないけど小さくはなかったな」
 荒れ野には様々な動物がいるが、数は少なく餌のせいか小さいものが多く、例外的に極端に大きなものがいる。それに比べればこの山地の生き物は全体に大きさが整えるぐらいには肥え豊かに過ごしている。山の北側には鹿や野牛などの大きな草食獣の他にもサルやオオカミもわずかばかりの群れをなしていたし、山猫というには少々大きな小さな豹のたぐいもいた。山の南側は町の猟師が偶に山に入るせいか、肉食獣の話はあまりないがクマの糞を見かけることはあるのでやはりいるらしい。
 リョウの祖父も畑をいじりつつ猟師をやっていたという。
 父と母は早くに亡くなり、祖父と畑仕事を手伝いつつ山歩きをしていた。
 兵隊だった祖父は死ぬ前に軍都に行けば浮浪児にならないですむ、とほとんど遺言のように話し、リョウは軍都にたどり着いた。
 そこで、軍学校に入校するためには九歳以上十二歳以下であることがほとんど唯一の資格であることを知ったリョウはまだ八歳だった。
 結局リョウはその場で九歳と嘘をつき、その場で初めて与えられた公式の身分証明や一連の公文書はリョウ・バールマンという人物を九歳と認めた。
 実のところ彼女はそれと定まった誕生日を知らなかったから、その些細なウソは全く良心に咎めることはなかった。しかし後年、一旦入学を諦めた生徒や一度学校を中退し復帰した生徒の苦労話を聞く機会があったことで幸運を知った。
 軍都は一般に子供たちには甘いが、当然にそれは共和国の他の地域に比べれば、というだけの話で子供たちが自分で生きるのに都合が良いというわけではなかった。
 実のところ軍都にはたちの悪い自警団まがいの連中が、入校や入営に失敗した子供を狙った子供狩りをおこなっていて、しばしば憲兵による匪賊退治まがいの活動もおこなわれているという。
 リョウは最優秀という学生ではなく平均的な学生であったが、全く不思議なめぐり合わせで行軍演習はすべて成功した強者であった。同僚であるべき下級生がそのまま重荷になる行軍演習は単に個人の体力という問題では対処できない運命じみた試練でもある。
 なるほど、幸運と呼べるものに愛された女性であるらしい。
 ファラリエラはカラカンというペイテルにほど近い街の出身であるという。人口二三千の大きくも小さくもない町だったが、共和国軍の補給連絡線の影響下でかなり豊かであったらしい。
 相応に共和国軍の影響下にあったカラカンの町の子供は軍学校に進むこともあり、そんな遠くに行くこともなくギゼンヌやペイテルの募兵で兵務に就くこともあり、もちろんそうしないものも多かったが、割と普通に農民か兵隊かを気軽に選ぶようなそういう町で、そうならない者は手に職があるか家に職があるかというそれなりに裕福な家だったという。
 ファラリエラの家は農具を叩く鍛冶屋の家で、家に職があるクチであったが、職人としてそれなりに顔であった父母は嫁入り前の娘の箔と学として学問をつけようと思い、軍学校に入ることを薦めた。
 貧しくはない家だったが、既に息子が嫁を取り跡を継ぐべく切磋している今、嫁ぐことを求められる娘にそれなりの将来を与えてやりたいという親心だった。
 もちろん親の心の中はわからないが、軍に入ってよさ気な男性を見つけて、適当に退役して子どもと一家をなせばいい、というつもりだったのだろうという。
 実のところ軍隊兵隊はそこそこに人付き合いができ体力があるなら、小さな土地を持って一人で畑にしがみつくよりは遥かに楽で、彼らにとってはヴィンゼのような広くとも痩せ枯れた土地に張り付いている家族の方がよほど不思議ということであるらしく、おそらく実際にそうなのだろう。
 リョウもファラリエラも新品士官であったが、それでも部隊に帯同して訓練と偵察をおこないつつ軍都からギゼンヌへの二百三十リーグを自分の足で歩き、更に十五リーグ先の本隊に全四十日で到着する予定だった。ふたりとも行程に余裕を感じてさえいた。
 多少余裕の見られた配属計画によってギゼンヌで余った数日の余裕を休暇として過ごしていた結果として、彼ら両名は前線の破砕に巻き込まれることなくここにいた。
 破砕した戦線を突破した帝国騎兵二個聯隊によってギゼンヌ間を遊弋移動中だった殆どの共和国軍は奇襲的な帝国軍の攻勢に壊滅したが、その後立て直した共和国軍の予備戦力とギゼンヌ周辺に駐留していた後備戦力によって、ギゼンヌの陥落は辛くも食い止められた。しかし幾つかの町は飲み込まれペイテル・アタンズの包囲のための拠点になっている。カラカンもそういう町の一つだった。
 帝国は魔族殲滅を誓う唯一の人類の守護者を任じていた。共和国での実態として魔族の組織だった暴虐というものは巷間に上ることもない。帝国が共和国の人類と戦うのは矛盾もあるが、帝国にとっては周辺他国は魔族との戦いに協力しない日和見主義の反乱者共ということであるらしく、まともな外交の経緯も殆どない。
 正直あまり平和的な接点は見つけられない相手国だった。
 幸いにも険しい山々を自然国境として人口地帯を直接接する部分が少なかったので、それなりにしていればよかったものを、どこかのおせっかいなバカが戦況を突き崩す方策を発見し、リザール湿地帯を押し渡って帝国が攻めてきた。そういうことであるらしい。
 そんな風に夜話で聞いた二人の身の上の説明をマジンが大雑把に要約を確認してみせるとファラリエラはコロコロと笑った。

 夜が明けて一行は食事をすると、少し試射をして山をおりた。制動機がいくらか凍った下りは多少慎重さを要するものであったが、ともかくも人手があることで乗り切り、日が赤く傾く前には下山していた。
 女性士官にとってはアウルムが不意に遭遇したイノシシとの話もそれを全く予定通りの機能でさばいた拳銃もひとつの話の種であったが、獲物の解体検分も興味の対象だった。
 アウルムはイノシシに正面から四発頭部に発砲し全弾命中させたものの一発は頭蓋に弾かれ、一発は打ち下ろしで鼻先を顎にむかって貫通していた。
 ほとんど抜き打ちで四発を集めてみせた技量もそれを当たり前になした拳銃も大したものだったが、今更ながらにイノシシの野生の命の力に驚いていた。
「拳銃の弾なんて鉛の塊だと思ってたけど、ちがうのね」
「ウチのはちょっと違う。太いところの重心取りに鉛も使っているけど、大部分は鋼だ。骨の傷の入り口に張り付いているのは銅と炭だな。二十五シリカ弾は硬鉛を使っているけど、九シリカ弾は硬いままあたって抜けたあとの空間でバランスを崩し腹の中でそのまま踊ることを期待している」
「鋼はわかるけど、銅と炭ってのはなに」
 セラムが骨を覗きこむように尋ねた。
「銅は柔らかいから施条にひっかかけて弾丸にひねりを加える事で安定を期待しているんだ。どんぐりをひねって回して立てたことはないか。ああいう感じなんだが」
「ああ、アタシどんぐり回しのどんぐり選ぶの得意です」
 ファラリエラが明るい声で手を挙げた。
「――でも流石にこんな細いのを上手く回す自身はありませんね」
 そう言いながらファラリエラはイノシシの頭蓋から取り出された椎の実に串を挿したような形状の銃弾をつまみ回そうとする。
「ふん。よくわからないが銅がそのコマ回しのために必要ってのはわかったが、炭ってのはなんだい」
 セラムが腑分けの手元を覗きこむようにして尋ねた。
「ま、琺瑯の釉薬みたいにして鋼の周りを覆っているんだ。作り方としては逆だがね。が、つまる所は滑らせて鋼の弾丸を食い込みやすくするためにと骨みたいな硬いものに弾丸が引っかかって割れたり明後日に跳ね返らないようにを期待している殻みたいなものだよ」
「ないといけないものなの?」
 リザは不思議そうに聞いた。
「わからん。というか、それを言ったら鉛の弾でもいいだろうと言われそうだけど、銅と炭の殻をつけているおかげで銃身の手入れは銅の張り付きをたまに酸で洗うだけでケリがつく。というのは、密かな自慢だ。銃身もメッキはしてあるが鋼だから鋼の無垢の弾丸は何かあると致命的に張り付くだろうしね。それに、新型の施条銃は鉛が原因でひどく寿命が短いってことはないか」
「……聞いてみる」
 なにやら屈託と心当たりがあったらしいリザはそう言って黙った。
 そのまま、マジンはイノシシを解体していった。歯の断面や蹄、頭骨の傷などからマジンはこのイノシシが過ごしただろう年月をいくらか説明してみせた。
 見てきたようなウソというべき物語の迫真は驚くべきものだったが、よどみない雑談が滞る間の手早さでマジンはイノシシを鮮やかに解体解体を終えていた。そして腿や肩の筋肉質を保存用に、その日のうちに内蔵を料理に仕立てていた。
 夕食の席で少し先に軍都に出かけることと、アルジェンとアウルムが軍学校を受験すること、それにセントーラが同行すること、リザは同行して軍に戻るが三人の客はこのまま一年来年の春まで滞在することなどを家人に説明した。
 アルジェンとアウルムの軍学校入校は家人にとっても意外だったようで反応は様々だったが当のふたりが落ち着いているのですぐに収まった。
 ただひとりセントーラは納得できなかったようで食後、計算工房で作業をしているところに珍しくやってきた。
「私、聞いていませんが」
 久しぶりにはっきりと不満を感情に露わに示してセントーラが意見した。
 彼女は計算工房に入るや、いきなり背中手に鍵をかけた。
「しょうがない。お前しかいないんだもの」
「私、お願いするときに申し上げたはずです。ヒトの多いところにいくのはイヤです」
 確かにスジが悪いことを認めた上でのマジンの弁明にならない弁明にセントーラは重ねていった。
「しょうがないだろ。ボクは本当に田舎者だし、あさっての方から突っかかってくるかもしれないような連中がいる都会じゃひとりで歩くのも怖い」
「片端から返り討ちにして差し上げればよろしいと思います」
 道理で言い返すことを諦めたマジンの言葉を鼻で笑いながらセントーラは言った。
「そうして共和国軍の中枢を恐怖と狂乱に突き落とすのかい。ボクをなんだと思っているんだ」
「私のご主人様です」
「そうだね。ボクの娘のハレの日でもあるんだよ。少しは父親らしい見栄で娘を送ってやりたいと思うんだ。ロゼッタはお前の代わりをするには少々可愛らしすぎる。リザは推薦人だから箔のひとつだけど他人すぎる。所詮ただの中尉だしね」
 マジンは理由を述べた。
「お子様までなしておいてなにを今更」
「まぁ、そう思うが、彼女は彼女の仕事がある。基本的には彼女には頼めない。それに彼女はそういう意味じゃ信用ならない人間だ」
「ふん。それで軍都で私になにをさせたいのですか」
 セントーラは一通り満足したらしく少し落ち着いた様子で尋ねた。
「娘二人の身の回りの世話と軍学校の様子を見て欲しい」
「それと」
「リザが話の相手に頼んでいるワージン将軍の人となりと周辺の動きが知りたい」
「それと」
「帝国との戦いの様子と動きが知りたい」
「それと」
「まだあるかな」
「一度皆と離れたところできちんと今後のご主人様のご予定について打ち合わせたいと思います。ヴィンゼの鉄道事業やら発電やら電話やらとやりたいことが多いようですが、口約束での行き当たりばったりが過ぎます」
「はい。反省しています」
「結構です。ところで、経路はどうされるかお考えですか」
「今のところはリザに任せるつもりでいるが、それじゃあ拙いかな」
「陸路を機関車でですか」
「まぁそうするつもりでいる」
「無線機は持ってゆかれますか」
「実験はしてみたいから持ってはゆくがアテにできるほどは使えないだろう」
 無線機はアルジェンとアウルムが熱心に調整をしているおかげでジリジリと改善はされているが、ローゼンヘン館と春風荘の間の通信も天候や些細な調子でしばしば怪しいことになっている。
「アルジェン様とアウルム様の荷物のほかは」
「小銃のサンプルを数種類と例の連射銃と野戦銃それぞれの弾薬を千ってところかな」
 セントーラは首をひねるような仕草をした。
「貨車でゆくおつもりですか」
「いや、乗用車だ」
 セントーラは一息ついた。
「着の身着のままの旅や、デカートまでの日帰りであればそれもよろしいですが、私を軍都まで引っ張りだす理由をお忘れというわけではありませんよね」
「荷物が載り切らないかな」
「馬でいらして荷物が少ないリザ様はともかく、アルジェン様とアウルム様、私と旦那様はそれぞれ立場を示す必要がございます。アルジェン様とアウルム様は行李三つづつ旦那様と私も二つづつというところでしょう。とくにアルジェン様とアウルム様はこれから八年、親元を離れられることになります。被服の類は数年で合わなくなるのは仕方ないとしてそれでも相応に必要な物は準備し持参させてさし上げる必要があります。毎年ご主人様がどれほど服を仕立てられたか、どれほどが袖を通せなくなったかを思い出してください。軍服については生地のこともありますし現地で仕立てるにしても相応が必要と思います」
「つまり今合うものと少し大きい物とを用意して、更に身の回りの雑貨の分を考えろとそういうことか」
「当然に私服もお招きにあっても恥ずかしくないものを一組は用意すべきです」
「靴や帽子を考えれば行李三つですまないじゃないか」
「御賢察恐れいります」
「わかったよ。荷台を屋根につけよう。それで多少は積めるだろう。持たせる荷物の内容についてはリザと相談してくれ。アイツは多少偏ったところもあるが、兵学校では一目置かれていたらしい。寮の様子も聞けるだろう」
「かしこまりました」
 セントーラは一礼した。
「ほかに軍都に行くにあたって聞くことはあるか」
「軍都でどなたかお知り合いか定宿は」
「そんなものがあればお前を引っ張り出しはしないよ。嫌がることくらいは想像しているし、断られると困るが、それもまぁアレだ。しょうがない」
 そう言ったマジンの顔を見てセントーラは微笑んだ。
「仕方がありません。ご主人様のたっての頼みとあれば。ここまで聞けば断りませんよ。宿の予約をしておきましょう。万事金に糸目はつけませんがよろしいですね」
「任せるよ」
「あと、例の石の端材を幾つか、いただけますか」
「路銀にでも必要か」
「まぁ、路銀というか、用心金みたいなものですか」
「あんなもので役に立つなら、幾らでもまた作るさ。いいよ。任せる」
「それとご主人様は以前、太陽金貨の使い所についてボヤいてらっしゃいましたよね」
 ふといたずらを思いついた顔でセントーラが言った。
「ん。ああ。口座を作るのにデカートで揉めたからな。まさかまたもあんなところでメラスさんに助けられるとは思わなかった。ま、そうは云っても数える面倒も少ないし、かさばらないしな。ボクは好きだよ。アレ」
「アレの気の利いた使い方を教えて差し上げますわ。お出かけの折、忘れず一枚お持ちになってください」
 そういうとセントーラは計算工房を出て行った。
 そのままセントーラは春風荘のロゼッタを電話で呼び出し、ロゼッタが公章をなくしていないことを確認すると、手紙を代筆させ早飛脚で幾通か出させた。
 夜であることからロゼッタはボヤいたが、セントーラは手持ちの金貨があることを確認すると、天候だけ確認して晴れていることを正直に告げたロゼッタに、有無をいわさぬ口調で一等速達で手紙を出すことを命じた。一等速達はデカートから軍都まで金貨七枚半で三通も出せば二十二枚半になり、ロゼッタの預かり金貨を危うく使い潰す金額だったが、かろうじて足りた。
 風呂あがりにセントーラに捕まったリザは、自分の呑気さに呆れるようにセントーラと協力して物品の洗い出しと寮の生活の説明を始めた。
 入校当初は男子寮は六人部屋、女子寮は四人部屋で同級生同士で生活するが、五回生士官生からは男女ともに二回離れた先輩後輩で二人部屋になる。
 私物については手荷物で三つ。まとめてひとりで運べることを上限にとくに制限はないが、大部屋の間は部屋の片隅に全員分が積み重ねられるので、荷物が多ければ面倒もある。二人部屋に移ってからは事実上の士官待遇で私物の制限はない。
 いわゆる余所行きのドレスは儀礼やダンスの授業が加わる五回生までは必要ない。軍都には五回生の任給で買える手頃な仕立屋が何軒かあり、それぞれに好みや緩やかな派閥をなしている。
 だが、男女で首席次席は年次の謝恩会に出席する用があり、仮に成績優秀であれば一回生から四回生までのいわゆる従卒生であっても相応の服装を求められる。一般にその年の行軍演習の士官生の責任で衣装が準備されるが、無論自前で用意しても構わない。
 制服は従卒生の間は貸与されるものを使っても良いが、士官生からは自弁する。洗濯は自弁で自由だが月に一回服装検査があり、シラミや汚損は減点、著しい場合は罰則もある。
 面倒が少ないのは三着用意しておいて一着は外の洗濯屋に預け、一着は隠しておくという。割といたずらなどで汚される。
 消耗品日用品の類は町への出入りが制限される従卒生の間は様々に面倒で、購買部内で入手できない物品については行軍演習の同班になる士官生に頼ることになるが、彼らも資金や時間・物品知識に余裕が有るわけではない。
 いくらかの話の流れからセントーラの描く想像とは少し離れていたが、それでも実用的な意味を無視しても大げさな荷物を入学のときに持ち込むのは悪く無いとリザは言った。当然にそれは教官たちの注目を浴び、概ね苛烈な指導を招くが、一方でそれは教官たちの注目を引くことになり、生徒間での揉め事に巻き込まれる暇が少なくなるということを期待できた。それは学生間での孤立の可能性もあるが、もともと亜人というひどく差別の対象になりやすい彼女たちにとってはよりマシな逆境であるはずだった。
 強いてあげれば共和国には断耳派・断尾・断角派という差別主義者の存在があり、そういう連中が極僅かながらいるという事実はリザも耳にしていた。正直なところ校長や教官の亜人に対する見解や主義については不明なところも多く、入校の席で話を聞いて対処するしかなかった。
「亜人の外見を変えても亜人であることは変わらないんだが、もし学校関係者にそんな単純な事実をわからない愚劣な連中がいるなら、綺麗サッパリ根切りにしてやるよ」
 断耳断尾を勝手におこなうことを良しとするそんな連中は主義主張以前に単なる無法者であるというマジンの感覚はリザもセントーラも同意できるものだったが、それを上回る暴力を使いかねないマジンの発言は不穏なものだった。そんな事態はリザはもちろん軍都にいる間はセントーラも勘弁願いたかった。
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