石炭と水晶

小稲荷一照

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ローゼンヘン工業

セラム二十一才

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 最初に出産したセラムの子供は男の子だった。
 ルミナスと名づけられた彼は菫色の目をした子供だった。
 セラムともマジンとも違う瞳の色にセラムは驚きうろたえていたが、それは義眼の瞳の色だった。
「ん。ああ。まぁ、これだけ馴染むとあるのかもしれませんねぇ」
 ローゼンヘン館でほとんど唯一魔法の素養のあるマリールがセラムの左目を覗きこみながら言った。
 セラムの義眼は見えるということまでは流石になかったが、無事な右目で凝視をするとそれを追って動くようになっていた。
 痛み痒みというものは本人がまるで感じなかったので、全く気がついておらず、普段は眼帯で隠していたので、尚の事、気が付かなかった。
 館で過ごすにわざわざ隠す必要がなくなり眼帯はかけていなかったが、朝起きて位置を直す必要が無いことに気がついたのも、腹の膨らみに階段の登り降りに支障が出て、一階に産室が決まってからだった。
 戦場では目玉を洗うほどの綺麗な水に余裕はなかったし、幸い痛みも感じなかったので義眼を抜こうとも考えなかったという。
 義眼が収まっていたことで、瞼がきちんと閉じ、涙が定期的にこぼれていたので痛み痒みがないことにセラムは感謝の言葉を述べた。
 暫くセラムの目の上にかがみ込むようにしていたマリールが、如何にも重たげになってきた腹を気にするように腰を伸ばした。
「旦那様の魔力が意外と強いということだと思いますね」
 マリールの簡素の言葉はその場の誰にも要点を得ないものだった。
「問題はあるだろうか」
 マジンは改めるように尋ねた。
「わかるわけがありません。動くくらい張り付いているものを抜くってことは、つまり相当痛い。だろうと云うことくらいしか」
 マリールはマジンの物分りの悪さに困ったように少し説明を変えた。
「ただ母体に影響が出るほどの魔力っていうのは……」
 どういうことなのだ、と問おうとしたマジンにマリールは手を振ってみせ言葉を重ねた。
「よくあること。って言うと言い過ぎですけど、慌ててもしょうがないと思います。むしろ、この先左目が見えるようになったときに、ラッキー、と思うくらいに気軽に構えていたほうがいいと思います。強いてあげれば、逓信院に事例を確認してもらうくらいでしょうか。アレでしたら、郷の者に訊ねてみてもいいですが、こういった繊細な細工物に強い土地ではないので、どれほど役に立つかはわかりません」
 マリールの言葉は期待が薄いという印象だったが、それもしかたのないことだった。
「すまない。少しばかり調子に乗っていたようだ」
 マジンとしては、セラムになんと云っていいやらという気分だった。
「とんでもない。あなた以外の胤の子かと思って、自分で動転しただけ。故あってのことであればいいの」
 セラムが膝に置かれたマジンの手に手を重ねて慰めるように云った。
「ところで、材料はどんなものだったのですか」
 空気を読まずマリールが尋ねた。
「見せたらなにかわかるかな」
「さぁ。なんとも。ただ、危ないほど強いものならわかる、と思いますけど、お屋敷はそんな風じゃありません。土地に力を感じますけど、何かをどう、という感じではないと思います」
 マリールの言葉は全く頼りない、というよりはいい加減な雰囲気もあるが、魔法なる左道とはそういうものなのかもしれない。
「ふむ。母材は大きいが使ったのは瞳の像を作るだけだから、だいぶ小さい。見てみるか」
 地下に今もあるはずの光る大樹を見せたらなにを云うだろうか、とふと考えなくもなかったが、マリールが前に言ったとおりどこかでマジンとつながっているなら、或いはとうに気がついていてもおかしくはなかった。
 マリールはマジンが材料精錬のために結晶母材を作っている工房の一角の部屋に案内され、入浴散水や着替えやらとそのひどく厳重な様子に驚いた様子だった。
「私そんなに汚いですか」
 マリールは手の爪を確かめるようにしながら尋ねた。
「後でぼくらについていた塵埃の量を見せる。それを拡大して見せてあげる。きっと痒くなるはずだ。だが問題はそういうものがあると結晶がきちんと育たないということにある」
 結晶工房の検査室で保管していた結晶母材を作業台の上に置いた。
 マリールは緋色や朱色というほどに鋭くない柔らかな紅色をした、長さで二キュビット直径で半キュビットほどの杭のような宝玉の結晶にマリールは目を見開いた。
「大きい。それに綺麗な色」
 マリールの素直な言葉にマジンは微笑んだ。
「もうちょっと長さがあったんだけど、この手の結晶は真ん中辺のほうが質が安定しているから少し切った。短い方は作業工房にあるが、そっちの方が良かったかな」
「お姉さまがたに魔法を軽々に使うなと言われているので、こっそり使うには大きい方が」
 いたずらっぽくマリールは云った。
「爆発したり暴れたりはしないだろうね」
 マリールのこれまでの所業を少し思い出してマジンは不安げに改めた。
「触ってみるだけですよ」
 マリールは不思議そうに宝玉の棒杭を撫でさすっていたが、やがて満足したような顔になった。
「なにかわかったかな」
「工房にゆきましょう」
 マリールは出口の脇にある洗濯乾燥機の仕組みに興味津々だったが、反対側が入り口につながっていることでひとまず納得したようだった。
「工房に入るのにいきなり服を脱ぐのってどうかと思うんですけど、面白いですね」
「ここは限られた人間しか入らないからね。女性が入ったのは今日が初めてだ」
「わたしが!はじめて!」
 妙にいきいきとした笑顔でマリールが改めるように言った。
「ちなみにキミが着ていたのは普段ウェッソンが着ている」
「筆頭助手の!」
 マリールの顔が意外なほどに喜びに満ちているのにマジンは不思議そうな顔になった。
「なんだ、ウェッソン好きなのか」
「あんまり話したことないですけど、工房でおじいちゃんたちに怒鳴り散らしているヒトですよね。機関小銃の組み立てとかで変更点があると説明してくれるヒト。そういえば新しくなった機関小銃の銃口のアレ。なんかいいですね。夜とか目の前に火がのぼらなくて。現場で別部隊と仲良くなった兵隊たちが銃身だけ交換できるか確かめて、そのままってことが結構ありました」
 基本的に機構部は変更がないが、幾らかの部品は面のとり方やかみ合わせの深さなどが多少変わっている。
「基本本体は変わっていない。ただガス抜きや水抜きなんかの切欠きが位置や大きさが変わったり、滑り止めの刻みが変わったりってことはあるかな」
「私は知っている。重大な変更点があったことを」
「なんだっけ」
「二脚の開き方が変わりました。そのせいで銃口の高さがちょっと変わりました。二百キュビットくらいで射撃すると射撃姿勢が変わるくらいには影響がありましたよ。前のほうが良かったとかこっちが好きとかそういう感じですけど」
「邪魔なら外せばいいのに」
「アレ結構評判いいんですよ。事前に陣地の射線を標定しやすいし。一人二人の野営でも泥に銃を転がさないで済むし」
「銃床折りたためるのはどうだった」
「うちは、びっくり箱中隊だったんで、折りたためないと車内でちょっとダメだったかも。警察軍の人たち載せた時にそんな話になりました。銃剣羨ましいなぁって話もあったんですけど、着剣する機会は警察軍にはないよって」
「きみは本部付きじゃなかったのか」
 マリールは貨物車の車内に兵隊と一緒に乗り込んで戦場に出ていたらしい。
「原則そうですけど、連絡参謀って消耗が激しいから、余裕が無い時はそうも言ってられません。それにほら。お姉さま、大事なところでは私を頼ってくださるから。グフフ」
 気味の悪い笑みを浮かべながらマリールは得意気に言った。
「さっきので何か思いつくところがあったのか」
「ああ。ええ。まぁ。ただちょっと工房の端材のほうが説明にはわかりやすいかなと」
 マリールは工房の様子を興味深く眺めた。
 ここでも帽子と眼鏡と作業服ということでちょっと驚いていたが、シャワーはないということで扱いの違いは理解したようだった。
「ここは精密組立工房。外で作った部品を組み立てるのが基本。あんまり大きなものを作ることはなくて試験用の真空管とか一品物の精密時計とかを作っている。腕くらいある端材もあるけど、多分レンズを切り出した方が見たいんだろう。一緒に作った予備も保管しているよ」
 マジンの言葉にマリールは頷いた。
「これだ。まぁだいたい同じに作ってあるんだけど、それでもほんのちょっとのスジとか欠けとかで収まりが違うからね」
「お宝!発見!これ別に義眼にしないでも、宝飾品だって言って売ったら、うちの母、山いくつで交換してくれますか。宝剣とかのほうがいいですかって言うと思いますよ」
「キミのお母上も義眼なのか」
「そういうわけじゃないですけど。こういう細工物好きなんです」
「で、なにかわかったか」
「呪い、っていうかまじないっていうか。むう。説明が難しいな。わかったんだけどなんとなく、言葉にしにくい。むう。ああ。ええむう。そこの端材の方、みんなのところに持って行っていいですか。なんかちょっと星みたいですよね」
 マリールは思いついたところはあるようだったが、説明が難しいらしく歯切れ悪く応えた。


 工房から戻ってきたマリールが、セラムにわかったことを報告するのかと思っていたが、彼女はリザに話を振った。
「リザ姉様。光魔法得意ですよね」
 開口尋ねられリザは戸惑った。
「得意っていうか、使えたりダメだったりアレだけど。セラムの目の話じゃなかったの」
 困ったように応えるリザにマリールは満足気な顔をした。
「ああ。ええ。アレはですね。なんというか、多分魔法ですけど、多分悪いものじゃありません」
「なによ。それ。多分、多分って。結局わかんなかったってならそれでもいいわよ」
 リザが要領を得ないマリールの言葉に少し焦れたように言った。
「リザ姉様がバッチリ光魔法使えるアイテムを持ってきました。じゃぁ~ん」
 マリールはそう言うと丸く部材を切り出した三方の尖った端材を示した。
「なにそれ」
「もう一つ、じゃぁ~ん。こうやってずらして重ねると赤い星みたいじゃありませんか」
「んん。まぁそうね。見えなくもないかな。六芒星の亜種だものね」
「なんか燃えないお皿ありませんか」
「準備悪いわね。支えられるならカップの上でもいいんでしょ」
 そう言うとリザは手元のカップを押しやるように示した。
「これは素敵」
 そう言ってマリールはカップの中に端材を重ねて歪んだ六芒星を作った。
「――お姉さま。おねがいします」
「なにどういうこと。これでなんかやれっていうの」
 マリールは笑顔のまま頷いた。
「――装具も触媒もなしに魔法って。あたし三等よ」
「多分。大丈夫です」
「多分、って。これが触媒になるってこと、なのね。まあいいわ」
 そう言って、リザがカップに手をかざし、何事かを口の中で唱え意識を集中する素振りを見せるやカップから部屋中を真っ白にするほどの光が溢れた。
 自分で何事かやっていたはずのリザが飛びのくようにしてカップから離れると、光は失せた。
「お姉さま。お見事です」
「お見事、じゃないわよ。どういうこと」
「つまり、これと同じものが私の義眼に使われているということかな」
 興味深げにセラムが確認をした。
「流石です。セラム姉様。そして魔力の主は工房の主であられる旦那様」
「ボクは魔法なんか知らないよ」
「魔法っていうか、錬金術っていうか、呪いとか詛いの類って言ってもいいんですけど。材料の宝玉がひどく魔法をなじませやすい性質があるのは間違いありません。うちの母とか兄とかに渡すときっと山ひとつ燃やすくらいしてから、宝玉の素性に納得すると思います」
「結構危なさそうな説明だな」
 マジンには今ひとつ流れがわからないまま言葉をつなぐ。
「つまりなんだい。瞳の位置が動いて見えるのは、ご主人がそういう風に設計して願ったからということかい」
 セラムがマリールの推測の説明を延長するように確認した。
「多分、正解。セラム姉様のご快癒も合わせて願われたかと思います」
「知って日が浅いとはいえ、若い女性が目を失うってのは気の毒だしね」
「愛人への贈り物にちょうどいいと思ったんでしょ」
 マジンが常識論としてマリールの言葉を受けた応えにリザが混ぜ返すように言った。
「工作の課題がでるというのは楽しいと思ったが、愛人がどうこうという戯言は別だ」
 マジンが弁解するように言葉を重ねた。
「そういうわけで、多分多分、多分ですが、セラム姉様の義眼が何かの問題になることはありません」
 マリールは名推理に胸を張るように言った。
「なるほど。マリール。キミの論旨はわかった。ご主人が私に害意を抱いていなかったのであれば、問題ないだろう。とそういう流れだな」
 セラムの言葉にマリールが大きく頷いた。
「そのとぉりです」
「だが、ルミナスの瞳が紫色なのはなぜだ」
 流石に説明になっていない説明にマジンがマリールに尋ねた。
「それはそう望まれて生まれたからとしか」
 マリールはマジンの問いに答えた。
「で、あたしの魔法があんな派手になったのはどうして」
「それはどうしてって言われても。お姉さまがノリノリだったからとしか。光れって命じられたのはお姉様でしょう」
 リザの言葉に全く無責任にマリールは答えた。
「あたしがやり過ぎたってこと?」
「やり過ぎっていうか、まぁ初めての環境で最初の術式できっちりやってみせるのは、普通に難しいですよ。向こう側に突っ込んでって落ちちゃう人もいるわけですし」
 マリールは少し真面目に言い直した。
「もっかいやってみる」
 少し納得いかない様子でリザがカップに手をかざし、何事か唱え始めたが、先ほどの倍の時間でもなにも起こらなかった。
「アレですが、気を抜きすぎではないですか」
「そんなこと言っても、そんな調整できるなら三等魔導資格とか危険物扱いされないわよ」
「あ」
 リザが文句を口にした瞬間にカップが光り出し部屋を白く染めリザが慌てて離れると消えた。
「なにこれ手順とか術式とかないわけ」
「逓信院に見せたら同じものを千でも万でも作ってくれって言うと思いますよ。これはアレですよ。純粋な世界の穴ってヤツです」
「アレって概念上のものでしょ」
「概念っていうか、魔法を使うための術式とか触媒とかそういうものを説明するための理解の基礎ですね。概念というかその輪郭みたいな感じの説明です」
「で、なんでアンタはやって見せないわけよ。マリール」
「だって、私妊娠してますから」
「ムカつくわね。こいつ」
 リザがマリールの言葉に歯噛みする。
「私たちは魔導の基礎について学ぶ機会がなかったわけだが、つまりなんだね。この宝玉は、形を作って切ってやるとその形に応じた、純粋な世界の穴、とやらを啓いてそれに応じた魔法の力を発揮するというわけかね」
 少し落ち着いた様子でセラムがマリールに説明を求めた。
「ああ、いえ。形は多分どうでもいいんです。魔法自体は結局術者の想像空想や願望希望を支えにして成り立つものですから」
「じゃぁ、さっきの光ったり光らなかったりは」
「リザ姉様の気分だと思います。ごちゃごちゃ言ったので気が散ったのでしょう。話しかけられて手紙の文言間違えるようなものです」
「で、なに。これが魔法の触媒だってのはわかったけど、害がなさそうだってのはいいけど、大したものなの?これは」
 自分の不手際をあげつらわれているような気がしてリザが唇を尖らかす。
「大したものだと思いますよ。普通はなんかしらの形に組み込んで、導師役が先導式たててウニャウニャやって繋がる種類のものじゃないですか。連絡参謀が持っている印章みたいなああいう感じの細工物。アレ、数打が出来るように作っている安物ではあるんですけど、逓信院の偉い人達が現場で使いやすいように知恵使って作られてて、ちゃんと使えば間違いなく繋がるようにいろいろ苦労して定期的に配って交換しているんですよ」
「寿命があるって聞いていたけど」
「寿命もそうですけど、前線でどうしても幾つか失われちゃうじゃないですか。拾われたり盗まれたりとか。あと、術式も地味に更新されたり整理されたりしていますし。まぁともかく逓信院では連絡参謀の印章を定期的に作りなおして交換しているんですよ。ときに前線まで人を送ったりして。……ああ、でも、そっちはどうでもいいんです。
――つまりですね~。あんなガラスのかけらを見せられて、お星様みたいですよねぇ。とかいって白いカップの中に入れただけでお姉さまが白い光を煌々と湛えられるっていうことが、もうすでに大したものだと思うんです。もちろんそれだけでその気になっちゃうお姉様の素養が凄いってのもあるんですけど、ともかく大した術式の連環も作っていないのに術者を純粋な世界の穴に導いてしまう触媒って、ちょっとすごいと思いませんか」
 ニコニコとマリールは説明してくれたが、凄さを理解できるほどに魔導に通じた者はいなかった。
「つまりどういうことだ。前準備がなくて魔法に使える宝玉ってのは相当に高価だってことか」
 マジンが自分の分かった範囲でマリールに尋ねてみるのに、あからさまに彼女はがっかりしたような顔になった。
「高価っていうかですね。なにに使えるのか使えないのかわからないと、魔法左道曲学の徒に逓信院みたいな絶対確実を求めるようなお堅いところに納得させるのは難しいでしょうけど、たとえば、この尖った枝のところを割って部隊の三等魔導資格の人たちに迷子にならない指南のお守りです。困ったら互いを呼んでくださいって持たせていたら、それだけで多分お互いどこにいるかわかるようになると思いますよ。同じ穴を経由しているから大した術式もなくすぐ繋がると思います。今みたいに誰々ー助けてーとか名指しにする必要がないから、たまに起こる呼び出し間違いや、ちょっと待って回すから~ってのがなくなると思います」
 困ったように曖昧にマリールが説明した。
「じゃぁ、なに。例えば私が、その欠片持ってたら、欠片持っている相手と念話がつながりやすくなるってこと?遠話が超苦手でって泣きながら頼んだら、参謀はともかく敵をやっつける方法だけ考えてください。景気よくドカーっとすっきり恨みがはらせる感じで。とか言われて、もう少し具体的に金巻きのやたら高そうな細巻き加えている敵の司令官のすかした笑顔とかに恨みがある感じがいいです。とか無茶振りされてた私ももうちょっとまともな魔導連絡ができるってこと? 」
 リザの説明にマリールが怪訝な顔を浮かべた。
「三等連絡参謀を軸にした検索遠話では相手の伝えたい事が具体的な方がはっきりするからまぁそうですけど、誰です。そんなこと言ったの」
「あなたを拾う前に助けてくれたスパイナル中尉。あちこちにあたしを探すように伝えてくれて、あたしが接敵しているときの色をあちこちに伝えてくれた」
「ああ。スパイナル中尉殿。ですか。あの方なら言いそうですね。予備退役申請するそうです。本部作戦戦域の連絡予備確認で応答がありました。体は動かないけど咒式は使えるから予備では期待してくれって」
 納得したようなマリールの言葉にリザは別の意味でホッとした様子だった。
「ああ。よかった。生きてたんだ」
「ペイテルの病室で重看護対象だそうですけど、とりあえず予備少佐になれば逓信院を追い出されることもありませんし」
 あまり大丈夫そうにも思えない内容だったが、戦場で消耗した兵士の生死など所詮は本人の体力次第だった。
「で、大尉殿の目がピカーッと光ったり火を吹いたりってことはないんですか」
「ファラ。子供も同じ種なんだし休暇中だし、不本意かもしれないが義理の姉妹になったわけだ。セラムでいい。お姉様って呼ばれる自分が意外と喜んでいることにも気がついたし、お姉さまでもいいよ」
 セラムがいたずらっぽくファラリエラに笑いかけると、しばらく困惑したように目を瞬かせてファラリエラは笑った。
「どうなの。お姉様の目。そんなふうに作ったわけじゃないんでしょうね」
 意地悪く混ぜっ返すようにリザが尋ねた。
「宝石のカットと同じだから、基本的にはほんの僅かな時間光を閉じ込められるように計算して作ってはあるよ。もちろん暗闇を照らすようなものじゃない。そのせいで瞳が動いているような錯覚をしているんだと思っていた」
「どういうこと」
「迷路みたいにちょっと複雑な経路をとって、計算と違う像が結ばれているだけだと思っていたんだ。陽炎みたいに。瞳の虹彩の像は実際にそうなるようにして作っているけど、求めた計算の範囲は狭いからね。ここまで複雑なことになっているとはボクも思わなかった。せいぜい入れっぱなしでも痛みが出ないつくりならいいと思って作っただけのものだ」
「迂闊ね。らしくないって言ってあげたいけど、私の大切な相棒をひどい目に合わせることになったら恨むわよ」
「面目ない。すまない事になった。セラム。危ないと思ったら義眼は抜いてくれ。そこまで張り付いていては痛むかもしれないが。アレならボクが手ずから責任を持って抜く。後のことも当然にボクが責任を持つ」
 深刻そうな空気にセラムは流石に少し腰が引けた様子であった。
「ああ。いや。もういいんだ。いいのよ。結局ルミナスの瞳の色が二人のそれと違うから驚いてしまっただけ。それに今のお話を繋いで都合がいいところだけさらって繋いでゆくと、そのうちこっちの目でも物が見えるようになるわけでしょ」
 話を切り替えるようにセラムが言った。
「そういうことも有り得ますね。旦那様の細工次第ですが」
 マリールがセラムの言葉を受けるように軽く言った。
「これまで幾多の驚きを経験させてくれたご主人が、これだけ話題を提供してくれたのだから、いずれそうなるだろうと楽しみにしておきましょう。それに大した視力にならないとしても、このお屋敷ではあつらえの眼鏡も作れるからね。多少は先に期待が持てる」
 セラムが切り替えるように明るく言うと、今それ以上に何かができるというわけではなかった。
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