石炭と水晶

小稲荷一照

文字の大きさ
上 下
132 / 248
捕虜収容所

ローゼンヘン工業鉄道部本部

しおりを挟む
 付き従った部屋はこれまで道すがらにあった倉庫や工房施設のような一角ではなく、本社の奥まったところにあった。
 廊下からは駅と鉄道基地を見下ろせる位置にあり、室内は一面巨大なガラス窓になっていて、他の施設に向かう人々の流れがある中庭を見下ろせる明るく贅沢な部屋になっていた。
 とくに装飾というものが施されているわけではないが、毛足の長い絨毯と明るく天井に余裕のある部屋に作りの落ち着いた硬そうな塗の家具というだけで十分だったが、百人ばかりは並ばせられそうな部屋の左右には続き部屋があるようすだった。
 ゲリエは執務机の上に置かれていた黒と白の二台の電話の白い方を取り上げて、どこかに連絡をすると誰かを呼びつけた。
 そのあと彼は窓際に立っている外套掛けで制服を取ると着替えた。
 ゲリエは腰の段平は二本とも外したが、塹壕への突撃を控えた歩兵でもあるまいし、拳銃を四丁も下げているのは、趣味にしても流石にどうかとマルコニー中佐は思った。
 顔を伏せるようにして視線をやけに大きな応接机に向けるとそこには巨大なガラス板が共和国の地図を覆うようにして乗っていた。
 ひどくなめらかなガラスが贅沢に机に使われていることも驚いたが、軍人であるマルコニー中佐としては見慣れない地図に違和感と興味を覚えた。
 共和国内に敷設された鉄道線とその周辺の測量がおこなわれた部分だけが詳細で、デカートとアペルディラまでの地域、中佐が腕を広げて足りない大きさの地図の中で手のひらからはみ出すほどの大きさだけが、ひどく細かくギクシャクとした線がはっきりとした意図と確信を持って描かれていた。
 着替えたゲリエの格好は段平と拳銃がなくなって腰元が幾分腰掛けやすくなったものの、巧妙にゆとりをつけられた上着の内側に拳銃があることはやはり隠しようもなかった。
 着替えと前と後で余り雰囲気が変わらないものの、胸元に黒いフェルト地に黄色い糸で名前の刺繍があった。
 ゲリエマキシマジン。
 そこまで字面で並んでようやく、マルコニー中佐には目の前の歳若い人物が何者であるかについて思いが至った。
 どういう流れであっても兵隊を殴りつけるような言葉遣いにならないでよかった、とマルコニー中佐は思っていた。
 ゲリエ氏が応接机の席についたところで、右隣の部屋からマルコニー中佐と同じ年の頃の男性が茶道具を整えて応接机の三人に振る舞うと、三人には広すぎる部屋に芳ばしい苦味と甘味の混じった紅茶の葉の香りが広がった。デカートでは茶が育たないということはないのだが、大きく茶園として専門で扱っている農家はない。
 親帝国派と親共和国派が内戦を繰り広げ、しばしば独立そのものが怪しくなっている島国のサイロンの産という。元来、単なる通商条約の締結の議論だったものが、王の後継問題に絡み条約を口実に当時の駐留武官の安請け合いで共和国にとっても貴重な軍艦を海路の維持に回すことになった土地でもある。
 マルコニー中佐が茶を口にしている間に、ゲリエ氏は茶葉の産地から机の地図の説明を話題にした。
 背景として鉄道計画の上で精密測量は、水利開発と同程度の影響を工事計画に与える。そのために鉄道部門では、鉄道のデカート新港への接続が計画上確実になった段階、昨冬数百人の規模で測量技師の育成を開始した。
 その実習の成果が机に飾られた地図には反映されている。
 軍都までの経路のいくらかが百近くの班によって調査され報告されているが、あくまで実習であって、しばしば報告には矛盾も見られる。
 そういう中である程度にまとめたものが毎月作られ、最新版かそのひとつ前のものがここにある地図であるということだった。
 測量専門の技師が必要であったのも確かなのだが、山間部や人の多い農地や住宅地では登記や既存の地図があてにならないことも多く、現地で停止し是否の判断を待つことができるか否かがひとつの分かれ目でもあった。
 測量の矛盾も必ずしも技師の未熟や調査の不明という理由で起きるわけではなく、管理者の曖昧な土地で起きた事故に必要に応じて人の手が入り、或いはまたそれで別の変化が起きるという、ということが軟弱な土地ではしばしば起こっていた。それはそれで鉄道建設には困難な土地という情報であるので、矛盾そのものは天候等を含めた再調査ということになる。
 工事の進捗が遅れれば影響は多く出るが、それでも工事線を破棄するよりは影響が小さかった。測量員の先行的な派遣は、人員管理や経費管理を含めた予算上の問題や計画が面倒くさい厄介なものではあったが、事実上社主ひとりの財産によって運営されているローゼンヘン工業にとっては予算問題は気分の問題であって、今はまだ斟酌する話題ではなかった。
 マルコニー中佐としては豪快な茶飲み話を聞かされている気分ではあったが、目の前の歳若い人物がデカートから軍都までの輸送経路について真面目に考えたうえで事業化をおこなっている、という事情と状況はわかってきた。
 そういえばと今更ながらに思い出してみれば、ローゼンヘン工業からは機関小銃とその銃弾が戦況を覆すほどに出荷されている、という一般状況も既にある。
 基本的に鉄道建設は、ローゼンヘン工業の軍都を中心とした共和国各地への機関小銃をはじめとする資材の安定的な往来を目的としておこなわれていて、鉄道事業を産業として経路沿線の地元への副産物の提供として電灯事業と電話事業をおこなっている。という説明に至って、マルコニー中佐にも現状までの会社組織の展開と展望に理解が追い付いてきた。
 ともかく工事の流れとして土地の測量が進み、土地の買収が進んだ土地を鉄道工事がおこなわれる。そういう風にして工事はマシオンまでは確定。ミョルナへの計画が街道沿いであれば順当だが軍都までの経路も含めて考えると大鉱山地帯であるミョルナの周辺は地権者が入り組んでおり、結果として彼らは旅籠として街道客を歓迎しているが、鉄道のような必ずしもそこに止まらないモノを歓迎するかどうかは怪しいと見ていた。
 そうなればミョルナの山麓部南方の森林地帯を抜けるほうが経路設定上は面倒が少ないということになるが、共和国でも有数の豪雨帯で巨大な樹海は、これまでのミョルナの街道の設定経緯を考えれば多くの危険と困難が予想されていた。
 マシオンまでで軍都への道程の大雑把に四分の一、ミョルナまでで三分の一というところだが、ミョルナでこじれ街のそばを通れないとなると、ミョルナを避けて気候温暖で水が豊かな一方で森が人を食らうと噂される大森林に道を作る事業が必要になり、遅れが見込まれるものの経費そのものは抑えられる。
 現状での軍都での電話敷設工事で問題になるのはミョルナの街道の上り下りで一部馬車から人を降ろして空荷で通すような道にあった。単に急峻でうねった道で木の車輪に鉄のタガではひどく滑るというだけで、道そのものはゴムタイヤをはいた機関車であれば何事もない勾配ではあるが、積荷にとってはそうでもない。相応に手当している軍の輜重も道程にあたって山越えのために荷を散らし行李を増やし荷崩れを防ぐために手当をしている。
 元はもう少しマシな道があったのだが、崩落事故がありその修復をめぐって悶着があり、付け替えられた街道だった。ミョルナの産業上も大きな影響のある道だったので大議会でも取り上げられた結果の地元州議会の次善策だった。
 傍から良し悪しを論ずればバカバカしい、という種類の結果だが、ミョルナという土地が腕一本の山師に導かれている土地でもあり、外から口を挟むのも程度と限度があった。
 マシオンまで大雑把な目論見が建てられるようになったところでミョルナの土地についての調査を始めさせたところ、地権者が入り組んでいてこれまでのような千キュビット単位での土地の売買が難しかった。
 山の価値は開いてみる瞬間、廃鉱の瞬間までわからず、既に手のつけられた土地を譲る気は地権者にはなかった。
 共和国内の街道の整備は兵站本部の愁眉でもあって、しかしミョルナの街道の様々の問題は個人の地権にも関わることでもあり、軍が頭ごなしに何かをなせる根拠はなかったし、現在の兵站本部の対応はミョルナ通過の見積り日数を伸ばすことで満足していた。
 ローゼンヘン工業の鉄道建設はもうちょっと直接的にミョルナの事情に絡め取られ、人のいない土地を辿ってみればミョルナの町を遠巻きにすることになり、街道とも全く別の道をゆくことになりそうだった。
 それならばいっそミョルナを通ることは諦めたほうが早くて安いのではないかという意見が出てきているという。
 それぞれに意味のある意見であったが、ミョルナを通らないということはその先をどこに繋ぐかということでもあり、樹海一万リーグと云われているエンドア樹海のどこをどう抜けても少なくとも百リーグは幅のある地図のない未測量の森林地帯をどうやって抜けるかということでもあった。
「ただそうは云っても建設期間の見積りが一年二年伸びることで将来の話題としては問題になりません。計画可能な中期的な話題としては電話工事を大本営でおこなうことは工期見積り幅が大きくならざるを得ない、結果予算が大きくなることをご理解いただければ、可能です」
 ゲリエ氏の自信の根拠は不明だったが、上り調子に規模を拡大している組織の長としては当然の応えでもあった。
 だが、マルコニー中佐の興味は電話敷設工事の不可能性の程度の確認で、問題は軍都までの経路の確保の可能性だった。
 仮に軍がミョルナの旧街道の復旧を行った場合には予算計上後一年内外で電話敷設がおこなえる見込みは立つということだったが、その場合でも長距離陸路搬送上の問題もあり、金額については見積もり困難で、製品の値段と工事の経費を上回る輸送経費がかかることは間違いなかった。それ以前に実際の工事を軍がおこなうとして、ミョルナの議会や地元地権者を誰がどうやって納得させるのかの方法は最低限大元帥の職掌を必要としていた。
「エルベ川を遡れるなら、経費もかなり圧縮できるところですが、戦時下ではジューム藩王国の河川往来の制限も厳しいところでしょうか」
 ゲリエ氏の新たな可能性の提示に先ほどみた壁のような装置であれば陸揚げの問題だけどうにかできるなら、城壁の巨石を運ぶのと同じ手法で水運に頼るというのはひとつ現実的かもしれないとマルコニー中佐にも思えはした。
 そうしていると、部屋をノックする来訪者があり、制服姿の三人の男女が現れた。
 彼らはそれぞれ鉄道工事計画主任、電話局開設主任、輸送計画主計と名乗った。
 彼らがどういう立場の人間であるのかの詳細を知ることはできないが、マルコニー中佐よりは十かそこら一回りは若いだろう彼らが現場の実務上の主力であろうことは容易に想像がついた。
 それよりも虹彩の形や耳の形がタダビトとは異なっていて、鉄道計画主任と輸送計画主計とが亜人の男女であることが容易に見分けが付いたことにマルコニー中佐は気がついた。体格も表情も軍人であるマルコニー中佐にとっては威圧感を与えるものではないが、デカートはごく宥和的ではあるものの亜人排斥の一翼を担っていたと考えられていたから、社内とはいえ責任者に亜人種を充てることは冒険的であるとも感じられた。
 マルコニー中佐の感覚は間違いということはなかったが、しかし圧倒的な実生活に迫る驚異としてローゼンヘン工業はデカートで君臨することに成功していたから、その中核が亜人種であろうとなかろうと殆どの文脈では些細な事で、むしろ窓口や現場において亜人種がタダビトと混じって働いているのを見て、結局は他所者と自分たちの生活から一歩引いた様子で眺めたり或いは腐したりということで、新奇に過ぎる技術の出処を深く考えないままに利便を受け入れることに成功していた。
 ローゼンヘン工業は亜人種を確かに少なくない数を受け入れていたが、目立つ事を気にせず配置してはいたものの割合からすると半数にはだいぶ遠く、せいぜい三分の一、千五百人を超え二千人を割るほどだった。
 亜人種と言っても職務上の能力は特段タダビトと変わらず、優秀なものもいれば碌でなしもいて、会社に馴染めるか馴染めないかは宝くじのような割合であり、会社自体があまりに新奇に過ぎてせいぜいはなんとなくそれなりだから勤められる、という程度だったが、亜人のほうが全体に逼迫して真剣な態度で職務に向かっていた。
 ミカカカミカと名乗った電話局開設主任とハシサプレズと名乗った輸送計画主計はそういう雰囲気の二人で、ミカカもハシサも社主の前だから緊張しているという雰囲気ではない硬く精悍な感じの亜人だった。女性のハシサは新任少尉だった自分につけられた小隊曹長と同じ人種と思しき外見で長い耳の上の束になって集まった毛がピクピクとムチのようにしなり、現地で泣き言を溢すたびに叱られたことを思い出した。
 それに比べるとマスイチトカという名の鉄道工事計画主任は茶色い雪だるまか子供の作る土饅頭のような太った男で、他の三人と同じ制服を着ているはずなのにそうは思えない福々しい姿をしていた。
 三人が入室すると隣の部屋から先ほどの給仕をしてくれた人物が茶道具を片付けに訪れ、本題に入ることになった。
「マルコニー中佐は、軍都にある共和国軍大本営全棟での利用を前提にした電話設備とその施工についての見積りをお望みだ」
「現状では見積りに足る条件が不足しています。そもそも納期のお約束ができかねます」
 ハシサの言葉は素早かった。
「三年くらいは待てるということだ」
 ゲリエ氏がハシサの言葉に条件を示した。
「三年では軍都まで鉄道が敷けていないはずです。これまでの社主の手腕については敬服しますが、この先は単純な人員増という手法では工期を短縮できません。最悪、年明けのマシオン通過後の経路選定が終わらないという可能性もあります」
 ハシサが自分の言葉の鋭さを緩めるように言葉を増やしたがあまり効果はなかった。
「ワイルまでも無理かな」
 ゲリエ氏が現場を想像して譲歩するように尋ねた。
「まだ測量も買収も終わっていない状況でワイルのどこにという話になると思いますが」
 ハシサは問題の所在をはっきりさせるように言った言葉は机の場の流れを断ち切った。
「ああ、ええと、社主も軍都までの鉄道開通は五年目途という話で我々に現場を預けていただいていると理解しているのですが、よろしいでしょうか」
 座ったままでは少し窮屈そうに身を揺らしながら、マスが状況を確認するように手を上げながら言葉を発した。
「三年から五年と言ったはずだが」
 ゲリエ氏が確認をするように言ったが、太りすぎて落ち着きない雰囲気のマスがどう受けたのかはマルコニー中佐にはわからなかった。
「はぁ、まぁ、ええと、経路選定に必要な地図製作とその後の買収や工事用の測量は順調にいっても二年かかります。これはその、各地の地図があまりになんと言いますか頼りなく古いので、街道を外れた輸送経路を選ぶことも出来ない有様です。地図がなかったヴィンゼ周辺とは全く違い、登記が悪いのか測量が悪いのか、測量の起点にしようと大農場の登記を追って現地に向かってみると全くの荒れ野で、農場は別の土地にあるということもしばしば起っています。どうも川が過去の氾濫でつけ変わり、それを追って農場が移動していたにも関わらず、登記の付け替えがおこなわれていない、一種の税逃れのような行為ですが、そういうことも起っています。
 ともかく測量班はよくやってくれているのですが、元がひどすぎてどうにもなりません。ああ、で、エンドア樹海も海といえるほどには平らでないことも報告で上がっているのはご存知と思いますが、もう今は測量班の皆が無事に軍都までの平らな土地を見つけてくれることを祈って止まないところです。ともかく、マシオンまでの路線開通までにエンドア樹海をわたしが踏破できる道を見つけてもらわないことには路線計画が厄介なことになります。マニグスまで線路を延ばすようならエンドア樹海へ戻るのに山を超える必要が出てしまいます。最悪でもデイリまではわたしが線を引けますが、その後はまた社主にすべてをお返しすることになります」
 マスは悲鳴か罵倒かという言葉を穏やかに口にした。
「エンドア樹海を通るようならマニグスは諦めることになるか」
「大きな町ですが山の口ですので、着いてしまうとしばらく道が限られます。戻るとして半端に戻るくらいなら、デイリまで戻るほうがマシでしょう」
「デイリに工事が至るのは」
「早くて次の秋の終わり、予定では冬、年が明けないうちに」
「測量班で樹海を踏破できた者達はいるのか」
「まぁいくつかは報告がありますが、途中渓谷があって鉄道経路の測量というより地図作成というところまでしか満足できていません。死亡報告や行方不明はまだいませんが、長期療養の怪我人は四名出ていて、その、まぁ、装備と班構成を充実させる必要があります」
「足りないのは人員か装備か」
「正直どちらもですが、測量以外の野外に強い人員が必要です。樹海のような暑く湿気った環境はデカート辺りにないので、そういう土地になれた人材がほしいところです」
 マスは来客を証人にするように予算を要求した。
「軍都側からの測量はどの程度進んでいる」
 ゲリエが確認するようにマスに尋ねた。
「買収を前提としない測量は鉄道経路にはあまり影響しないところですが、軍都からワイルまでは参考にできるくらいの地図ができています。この地図より二つ新しい物を今作っています。それに絡んでの現地の概況報告でワイルでも雲行き怪しげな噂がありまして、土地の売買に関する制限を求める動きがあるようです」
 マスがちらりとマルコニー中佐に目を向けてから答えた。
「どの程度確かなんだ」
「今のところは噂というか、以前から不定期に起っていた話題で幾度か議会に上がって否決され続けていたようなのですが、私達ではこれ以上には確認する手がありません。ただ、測量の参考に登記資料を調査しているときに軍都にある州の法務局で聞いた話だということで、それなりに根深いものがありそうです。ワイル本国の方はなんというかあちこちを盥回しにされて成果が得られないようなので」
 マスの言葉を聞いてゲリエが一旦口を開いて閉じて言葉を探し、地図をなぞった。
「ワイルの州を南に避けて樹海を抜けるとなると随分遠回りになるな」
「渓谷を避ける形になって、今作っている地図もそれなりに使えるようになりますが、工期も二三年伸びそうです」
「この話は週報には載せたのか」
「先々週に」
 ゲリエがミカカとハシサに目をやるとふたりとも軽く頷いた。
「稟議は」
「未確定の情報ですので、経過の報告がないと流石にどうしたものかと。それにその手前に問題がありますし」
 ゲリエの確認にマスが受け流すように答えた。
「わかった。それで、五年内に軍都に鉄道到着は可能か」
「今の段階では予算次第としか申せませんが、期限としては十分かと」
 奇妙に自信に満ちた表情でマスが答えた。
「三年でどこまで敷ける」
「それはわかりません。年内に決算いただけるように調査を急がせてはおりますが、実作業上来年夏頃にならないと決算いただける内容にまとまらないと考えています。その後用地買収の目処がつけば、後は一気に押し広げるだけです。とはいえ現場の人員も余るほどというわけではありませんし」
 マスは体をゆすりすぎて疲れたのか、大きく息をつくように言葉を切った。
「ミカカ。水運は可能だと思うかね」
「相手方にそれなりの受け入れ体制があれば、可能です」
 あっさりと茶と黒の斑の髪の男が答えた。体毛は薄いが耳と瞳に特徴がある顔だった。
「なければ」
「二グレノルの高性能計算機を壊さないように運べるなら方法は問いませんが、到着のその瞬間に壊れるのは避けたいところです。ただ、今のところ陸運よりは水運のほうが目はあると思います。どのみちフラムの開設の時より苦労するのは間違いないでしょうが、水運であれば海を超える苦労を差し引けば、期日を読むのは陸運よりは確実かと」
「オゥロゥは当面使えないが、プリマベラで積荷は大丈夫かな」
「積載そのものはヒツジサルのほうがいいと思います。が、搬送そのものはどちらでも可能かと。海を超える前提の梱包までと荷受は準備ができますが、その間の調整は私には読めません」
 堅い響きでミカカは自分の職掌の範疇と違うということを告げた。
「高性能計算機というのはどういうことかね」
 割りこむようにマルコニー中佐が尋ねた。
「交換機の中核部分は数万の数値を一時預かりして計算をつなげる計算機で、必要な結果を特定座標に届ける機械です。ああ、アレです。相手の紙に書いた何桁かの秘密の数字を幾段かの手がかりで効率よくあてるための計算式が自動電話交換のひとつの機能でもあります。――ん。ああ、まぁ、算盤の珠のようなもので接続先の切替をしていると考えていただいて原理上は間違いありません」
 ゲリエは一旦おこなった説明をマルコニー中佐の理解を促すように噛み砕いた。
「そういう精緻なものであれば海の潮も大敵なのでは」
 今更に荷車の跳ねを気にする意味を理解してマルコニー中佐が尋ねた。
「大敵ですよ。ですから電話設備の普及は鉄道沿線の展張を中心に計画をしていました。それに電話設備の長距離の相互的な乗り入れが可能であることも将来的には要点になります。ですので、規格や管理者が乱立するような状況は避けたいと考えています」
 ゲリエがマルコニー中佐の問に答えるように別の問題を口にした。
「どういうことだろう」
「現状、共和国全土に電話設備を普及をすすめている段階では、たとえ軍であっても電話機設備の管理や権利をお譲りできないということです。小銃や機関車のように勝手に中身を分解されて模造品の生産を試みられるようなことは許しがたいと考えています」
 様々な理由から軍需品における製造権利関係は、特許という制度があるにも関わらず有名無実化が進んでいた。ローゼンヘン工業の製品材料は単純な鉄鋼というわけではなく、そのために構造上の採寸から実用に足る製品を作ることは困難を極めていたが、軍は現地修理や必要に迫られての小改造をおこなうために納入した装備を分解調査をおこない、別の工房業者に代替部品や製品まるごとの製造を委託していた。
 後装小銃のややこしい権利関係や銃弾の実生産量に比して小銃の普及が急速だったのも、軍が率先して権利を踏みにじっていたからでもあったし、それが常態化された結果として疑獄事件は大きくなっていた。戦地の思いつきじみた犯罪と異なり、制度や軍法にまで食い込んだ膿となった後装小銃導入に関わる大疑獄事件は既に現役退役部門所属に関わらず千人近い将校を大小の関係者として弾劾していた。
 そういった大事件を横目で見ながらも、足掛け三年丸一年余りの期間と潤沢な銃弾に支えられる形で各地で新型小銃弾をつかった九シリカ後装銃の開発が推められている。
 また、より大口径大威力の二十五シリカ銃弾についても大型小銃の開発が推められていた。
 今のところ連発機構に耐えられるほどの工作はおこなえないままに単発銃の開発で止まっていたし、幾つかの新型銃の試作品は射手や立会の幾人かを殺してもいたが、それであってもときに薬室内で薬莢が裂けることで小銃そのものが使えなくなるこれまでの薬莢とは違って動作は安定していた。何よりマスケットに比べてさえ銃弾自体が軽くなったことで荷物が軽くなることは、重要な事だった。
 今のところ、銃弾の供給を統括するローゼンヘン工業では共和国軍大本営と各州政庁以外との取引をおこなっていないことが各地の工房にとっての懸念だったが、共和国軍が必要としているなら、それは国益だった。
 新しい技術には新しい商売、というわけで軍の機関小銃装備計画を妨害している者は軍の内部にもおり、そういう者の暗躍もあって昨年頭の機関小銃の導入計画の半減もあった。
 マルコニー中佐も後装小銃に関わる一連の不正汚職や権利の侵害とその慰撫のための違法な見返りの授受があったことは部内旬報などでも承知していた。
 また機関車修理や取扱いに関する研究会がおこなわれていることも公然のものと受け入れていたが、それがローゼンヘン工業なりゲリエ氏の承認を得ない種類の権利の侵害を伴った内容に踏み込んでいることを想像はできるものの事実までは知らなかった。
「つまり、電話機設備を軍に預けることはできないと」
「そうではありません。電話交換機に関する権利はローゼンヘン工業を通じて私にあるという専売契約を厳密かつ明確にしたいだけです。今のところ電話交換機製造を扱えるのは私どもだけです。が将来にわたってそうであるとは考えていません。しかし、私達が共和国内で電話機を普及させるにあたって、同種かつ細目の異なった規格が登場することは広範な作業上の障害になります。最低限共和国の津々浦々に電話機が普及するまでは私達の一元管理のもとでおこないたいと考えています」
「なにを言っているかわかってのことか」
 ゲリエの言葉は曖昧だったが、なにを指しているかは明白だった。
 商品は売るが自由にはさせない、と言っているのと違いはない。
「生まれたばかりの機械を守りたい。そう言っているのです。先程も見ての通り、交換機そのものは操作する人員を必要としていません。それは通話の内容が他人に記録管理される必要がないということでもあります。通話の回線については記録が残りますが、それは利用者個人や内容を確認特定する意味はでありません。犬猫であっても電話口で操作することはできますし既にそういう事件は起っています。通話の内容が覗見されることはありません」
「そういう改造は可能ではないのか」
 マルコニー中佐は疑うように言った。
「そういう機能はありません。局間の接続を確認する意味合いで交換機同士を接続する回線はありますが、一般回線には接続できないようになっています」
「疑わしい、信用ならないといえば」
「納品自体をお断りせざるを得ません。信用に足らない相手と取引を行うことは本意でないでしょう」
 ゲリエの言葉はあっさりしたものだったが、当然に予想される内容だった。
「電話機設備から会話の内容が漏れる可能性は本当にないのか」
 マルコニー中佐は話を少し戻すようにして尋ねた。
「会話の内容漏洩を心配されるというのであれば、電話機端末のすり替えという方法もありますが、壁や床天井に穴を開けたり人を潜ませたりという電話口を監視する方がよほど可能性が大きいでしょう。博物館にあった要人監視用の本棚や長椅子のようなものを気にされる方がよろしいかと思いますし、人払いの徹底が重要だと思います。電話専用室のようなところを敢えて作って監視させるのも効果的でしょう」
「私は電話機設備からの盗聴の可能性について尋ねているのだが」
 マルコニー中佐は少し苛立って見せて改めた。
「バカバカしいとはいいませんが、機構上断線や側線の取り付けなども考慮しています。非破壊的な信号検出からの盗聴も理論的には可能ですが、改変がおこった段階で検出は可能です。いずれにせよ今後数年で実用するとすれば、電話線や電話設備本体を狙うよりは電話機端末や通話利用者本人を狙ったほうが簡単確実でしょう」
「電話敷設工事の過程で不正が起こる可能性は。たとえば電話機に穴を作るような行為について」
 マルコニー中佐が改めて確認した。
「会社と取引先の関係を破壊しようとする行為には、事実関係の発覚があれば私刑にて極刑が与えられます」
「可能性はあるということか」
「起っていない不正や犯罪の可能性については、既存の人間関係や利害関係の存在する準備期間を考慮すれば、内部の体制が常に疑わしいはずですが、それでも敢えて外部に責を求めるということであれば可能性そのものは否定しません。無論そういった場合には物的な証拠と動機を求めることになります。言いがかり以上の意味が無いと私が判断すれば人物の引き渡しにも協力はしません。信頼関係のない相手との取引はおこなえません」
 単純な見積りというよりは体制について露骨な探りを入れているマルコニー中佐に対してゲリエは軍との取引破棄絶縁も考慮するように言った。
「既存の軍組織の複雑さを理解あるなら、そこに新しい要素が加わることに危険性については予め理解は頂きたい」
 マルコニー中佐は取引破断という一種の脅し文句をはねつけるように言った。
「そういうことでしたら、電話網敷設については兵站本部でなく逓信院を窓口にさせていただきたいと思います」
「なんだって」
 話が思わぬ方向に飛んだことにマルコニー中佐は驚いた。
「機械機構的な閉塞性完結性をご理解いただいたうえで、あくまで我々が痛くもない腹を探られるのが軍組織の都合であるならということですが」
「私は兵站本部の者だということは理解の上でか」
 訝しげにマルコニー中佐が言った。
「鉄道や電話というこの瞬間も監督業務進行中の重要計画を深く理解している社内責任者複数に時間を割かせているのは、計画の困難さはさておきそれでも見積りを必要としている中佐の立場も理解しているうえでのこととご承知いただければ幸いです。ですが、それでも尚、金額見積りとは別に実運用管理上の将来構想や可能性として参考にと言うことであれば、解説自体は吝かではありません」
 そう言ってゲリエは言葉を切った。
「――既に中佐のお話の求める内容は単なる見積りを終え、設置の後の運用の段の話に変わっています。電話網運営にあたっては、お話の通り既存の軍組織が電話網の欠陥について注目調査することは避けられないことでしょう。その前段に予め欠陥を仕込んでおこうと工事に妨害をおこなうことは予想されることです。究極的には数に勝り地の利のある大本営勤務の方々を、我々が手玉に取ることはできませんし、大本営の方々が我々を手玉に取ることはさほど難しいことではありません。
――これは電話の仕組みがどういったものであっても変わりありません。不正に対して体制機構で対抗することは王道ではありますが、構築の段において将来予測は万全ではありえません。組織は大小様々な不正の温床ですが、組織の運用を思えば無視可能な適度な不正が発生することは必然ですし、不正を糺すための懲罰がおこなわれる努力の限りにおいて健全でもあります」
「なにが言いたいのかな」
 マルコニー中佐はゲリエの言葉に全く納得いかないことを告げた。
「先程も言いましたとおり、軍の独自の運用について拒否せざるを得ませんが、運用上における組織的な抵抗をおこなわれれば、単なる出先窓口である我々の電話局は容易に業務が破綻するだろうということです。そういった事態に対して協力者として元々逓信を監督する立場にある連絡参謀を管理する逓信院の協力を得られることは、単なる予算的な措置よりも遥かに有意義だろうと考えています」
「憲兵本部ではなくかね」
 マルコニー中佐の声の響きは説明を求めていた。
「憲兵本部はなんと言いますか、先頭に立って電話機を突き回す側の人々でしょう。あまり仲良くできると思えません。一方で逓信院は謂わば商売敵です。電話機そのものはひどく便利なものですが、様々に制限もあります。うまく折り合いがつけられれば、彼らと面と向かって罵り叩き合うような事態は避けられると思います」
「逓信院が電話敷設工事に反対するとそういうことか」
 マルコニー中佐は示唆するところを改めるように尋ねた。
「何万人だかの伝令を配置換えすることになるわけですから、電話敷設工事に反対賛成それぞれ抵抗しそうなところを考えると、大本営内の伝令に使われている人員を管理している部署と新人士官の配属を決めている部署でしょうか。そう云うところを憲兵本部が煽るんじゃないかと云うのがひとつです。不和と不穏があると内部調査は捗りますから。もう一つ別に鉄道事業が完成しないと長距離電話網は完成しませんが、軍都市内全域の大本営施設をくまなく結ぶということであれば、逓信院はすぐに将来を察して抵抗するでしょう。時流や寿命はさておき今日の共和国軍を支えてきた彼らと争う気はありません」
 全く不愉快な予想にマルコニー中佐は眉を顰めた。
「なにを言っているのか分かっているのか」
「僭越ながら導入見積りと全く関係ない運用についての予想です。――三人とも見積もりに必要な条件状況についておおまかに理解できたか」
「屋舎はすべて新築でいいですか」
 ミカカが確認するように質問をした。
「そのようにしてくれ。後は」
「陸運二本と水運一本という輸送構想でいいですね」
 ハシサが念を押した。
「基本はそれでいい。別案や条件案があるならそれもつけておけ。お渡しは明後日だ。明日いっぱい、日付が変わるまで使ってよろしい。ボクは明後日夜まで春風荘にいる。用があればそちらに連絡をしたまえ。明々後日からはしばらく連絡が取れない。長期計画担当者である君たちには余り関係がないが、念のため改めて伝えておく」
 ゲリエがそう言うと三人は立ち上がり軽く会釈をして出て行った。
「中佐には申し訳ありませんが、二日ほどお待ちいただきます」
「それは結構。ところで電話機導入に際して権利の譲渡を拒否するというのはどういうことだろう」
「概ね文字通りです。少なくとも共和国全土に普及を果たすまでは譲渡の意志はありません」
「たとえば一部でもということかね」
「塹壕陣地などで使えるような臨時の電話機設備というものがお求めであれば、そちらを別途用意する気はありますが、少なくとも市街での長期間広範囲の通話接続に耐えるような交換機網を構築できる機器について販売譲渡する意志はありません」
 マルコニー中佐はどうも二人の間に電話機設備の規模についての想定が大きく異なるのではないかと思えてきた。
「電話機設備の規模をどういう風にお考えか」
「端末台数でざっと十万を目処に考えています。ですが、一万でも百万でも交換機一台の容量を超えてしまうので、基本的な問題は変わりありません。電話機交換設備同士の連携が必要になります」
 マルコニー中佐には問題の要点が全くわからなかった。
「それはどういう意味だろう」
「単純に交換機同士を接続することで一億台までは同じように電話機を増やせるといえばお分かりになりますか。或いは私どもの想定では上位交換機を準備して一兆台までは研究をおこなっています」
 億とか兆とか云う数字の単位は統計上の金額としては扱ったこともあるが、実際の物品としてはせいぜいが食料備蓄量などの話題で兆ともなるとよほどの長期統計でしか見ることもなかった。
「どういうことだ」
 ほんとうに意味がわからない様子でマルコニー中佐は傍らのゴルデベルグ少佐に目を向けて改めて尋ねた。
「世界中に電話機を配っても大丈夫なように仕組み自体は作られています。最終的には周辺国にも接続したいと考えています。そういうものを軍にまるごとおあずけできると思ってはいません。政争の具にされるのも本意ではありません。元来、鉄道事業にご協力いただいた地域の方へのおすそ分けと考えています。多くの鉄道沿線では鉄道は通過するだけの騒がしい物になりがちですから」
 理解から逃げるようなマルコニー中佐にゲリエが改めて言葉を重ねた。
「共和国にどれだけ人がいるか分かっているのか」
「まだ億に遠く足りないだろうということはわかっています。ですが、電話機を使えばすぐに分かることですが、寝室玄関口居間等と電話の置き所が自宅内にもいくつかあります。デカートのちょっと大きな家では複数の電話を求めるお家が多いようですし、旅籠に堪えるような大きめの宿などでは客室毎に置き始めています。密談や密会の都合に便利ということのようです。商会の番台では手代ひとりで二つの電話機ということも珍しくなくなっているようです。デカート州内の幾つかの街を拠点に繋いだだけだというのにこの有様であれば、軍都でも大本営内部だけに電話を敷くということの意味の虚しさにすぐに至り、軍都全域に接続をおこないたくなるでしょう。住民一人当たり一台という需要見積りが正しければ、億はともかく数千万という電話機が必要になります。先ほどの話の流れで、小銃や機関車のような軽い気持ちで品質劣悪な複製を作られては迷惑極まりないことになります。デカートでも既に電話機端末を狙った盗難やその無稼働の模造品を販売する詐欺が横行し始めました。正規の利用者には注意を呼びかけていますが、市井に正規の電話機が普及するまでしばらくは手がありません」
 積極的なのか消極的なのかわからないゲリエの言葉にマルコニー中佐は戸惑った。
 ともかくヘタをすると自分の子供と云われかねないような年齢の人物が、途方も無く大きな話題を手のひらで転がしていることだけは理解できた。
「権利を譲渡するということでなければ、貸借ということになるのか」
「概ねそうなります。とは言え軍都には電源設備もありませんし、そういうモノの収容に適した建物もありません。もとより輸送の問題がなかなかの難物ですし、工事に関わるほとんどの物品を輸送する必要もあります」
 マルコニー中佐は手のひらを目の前で白旗のようにはためかせた。
「それは散々聞いた。概ね話の流れも理解できていると思う。このあと電話設備を引き入れるとして急ぐならば水路の利用が可能なようにジューム藩王国と折衝の必要があるということだな」
「そうなるでしょう。いずれにせよ、かなりの大荷物であることは間違いありませんし、一便で完了というわけにもいかないでしょう」
「先ほどの大きな機械が何台ほどということになるんだろうか。例えば十万台の電話機を使うとして」
「大本営内での基地局の配置にもよりますが、新しい方で二十基から二十五基。保守用の予備機を考えるなら三十基くらいでしょうか。それだと運用上ほとんど一杯いっぱいなので仮に本当に三十万の軍都の人々を見込んで置くとなると七十から九十ということになります。この辺のさじ加減は建物や地区地域を睨んだ基地局の配置にもよって難しいところですが、見積りは基数というか、たたき台として見ていただいて実用上は多めに丸めていただいたほうがいいと思います」
「金額は」
「原型機には十億以上、その次の初号機も十億以上かかっていますが、機械はお貸しするということで進めているはずですので、実際に高いのは輸送と設置に関わる資材あとは端末に係る工事となるはずです。鉄道工事を並行しておこなっていると土地や電源が連結的に鉄道事業に組み込めるのでお安いのですが、独立して出てしまうとそれなりに纏まった金額になるはずです」
「十億以上ということか」
「水路が使えるとしてもそのくらいはゆうに超えると思います。あわせて百から二百グレノルの壊れ物の資材を運ぶとなると相応に手間がかかります。あの大荷物を馬で牽かせていたら幾月かかってもミョルナの街道を越えられません」
 ようやく話の流れが見えてきたマルコニー中佐は渋い顔になった。
「今更だが、運用に関して設備配置後に必要になるものは何だ」
「設備維持の人員配置、回線利用記録の報告と屋外回線の保守点検、というところでしょうか」
「設備維持と回線というのは違うのか」
 ゲリエの言葉をマルコニー中佐が改めた。
「意味合いは似ているのですが、屋外の電線を切られる事件がデカートでは起きています。中の銅線や設備を狙っての窃盗や回線不通を狙っての犯行で、ときにその補修を口実に本来の目的の犯行をおこなう例もあります。そういうわけで回線補修の巡回要員と資材を各基地局には配置しています。軍が電話機の完全性を疑う以上は当然に対策が必要になるはずです。憲兵隊とは別に」
「何の権限があって」
「私財を守るのに何の権限が必要だというのですか。別に必ずしも武装を必要とするわけではないです。単に屋外回線をいち早く修復するための作業の準備が必要ということです」
 ようやくにマルコニー中佐は目の前の青年が酷く武張った人物であるということに思い至った。
 マルコニー中佐は山師ズレという言葉を胸の内で抑えこんで、明後日の面会の打ち合わせを進め、辻馬車を玄関先の中庭で拾い会社の敷地を出て行った。
しおりを挟む

処理中です...