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35 心残り
アルフォンスが苦々しげな表情を浮かべる。
「頼みですか……? 私に何をさせようとしてるんですか」
冷たい返しに、ディーウィットの心がツキリと痛んだ。だが、怯んでいる場合ではない。
デアーグは今、見目麗しいと噂の皇帝の皇配になれると浮かれているだけなのだろうと思う。そもそもアルフォンスを召そうとしたのも、見目麗しい男を侍らせたかったのが目的だ。
それに以前、国王が「気になる貴族令嬢はいないのか」とデアーグに尋ねたことがあった。その時デアーグは「女ってちやほやしてあげないといけないんでしょ? 面倒くさいから興味ないかな」と真顔で答えていたのだ。
デアーグが元来の男好きかどうかまでは不明だ。だが少なくとも、デアーグの中で尽くされ傅かれるのはデアーグであって、相手を労り慈しむことなど微塵たりとも考えていないことがその言葉からは推測できた。
ここで出てくるのが、皇帝と皇配の関係性の問題だ。万が一皇后のいる皇帝が、美しくても男で子も産めないデアーグに惚れたとしても、果たして傅くことなどあるだろうか。
相手は天下の皇帝だ。皇帝に皇配として大切にされたければ傅かねばならないのは自分の方だとアルフォンスに懇々と諭されれば、考え直してくれる余地はあるのではないか。
何故なら、デアーグは常に一番でないと耐えられないからだ。そのように周囲に育てられてきた人間だからだ。
ディーウィットが家族を恨んでないと言えば嘘になる。ほんの僅かでも家族としての親愛の情を分けてもらえていたら、自分も家族をきちんと愛すことができたのではないかとは、幾度も考えた。
だがないものねだりはもう終わりだ。むしろ、愛情をかけられずにいたからこそ己の価値観を歪められず公正でいられたのだと感謝すべきだろう。
ディーウィットは恩人たち、ひいては国の益となることを第一に考え行動し、以降は彼らの安寧を祈りつつこの地で骨を埋める。ディーウィットの存在は、アーべラインにとっては禁忌だ。忌むべき王子は、ここで舞台から捌けるのが誰にとってもいいだろうから。
ディーウィットは覚悟を決めると、改めてできるだけ穏やかに始めた。
「アルフォンス。まずは誤解を解かせてはもらえないだろうか」
「誤解? 何が誤解なのでしょう」
アルフォンスの返しはやはり冷たいものだ。思わず怯んでしまい無意識の内に隣を見る。目が合うと、キーニの口角がほんの僅かだけだが上がるのが見えた。途端、温かなものがディーウィットの中に満ちてくる。
勇気を与えてもらえたディーウィットは、心の中で自分を鼓舞し再びアルフォンスに向き直った。
「まず、僕は逃げてはいないんだ」
「それをどのように証明するのでしょうか」
アルフォンスに言い返されたディーウィットは、小さく微笑む。もう怖くはなかった。進むべき道は見えたから。
だが、唯一の心残りはキーニだ。キーニにだけは、未だ恩を返せていない。むしろ最後まで頼りっ放しで、甘やかされたままの状態だ。
更には先程、もう既に明日の謁見が決まったとキーニに告げられた。至れり尽せりとしか言いようがない。
いつの間に手配したのか不思議だったが、これまでの周囲の反応を見る限りキーニは帝国でかなり上の立場にいることは間違いない。誰かしらがキーニの指示の下、掛け合ってくれたのだろうと思い、深く感謝した。
これまで人を愛することを知らなかったディーウィットに愛することの楽しさを教えてくれたのは、キーニだ。愛情とも見紛うキーニの献身が、擦り減ってもう削るところなどなくなりかけていたディーウィットの心を癒してくれた。
キーニの父は現首長で、息子のキーニが次期首長だと聞いた時。そして先程ジュ・アルズの男にとって性欲が強いのは褒め言葉だと聞いたことで、キーニのこれはやはり単に庇護の延長であると悟った。
キーニは後継だ。後継には子を育む必要がある。そして彼もそれを望んでいる口ぶりだったからだ。
ディーウィットの見た目はあまり男臭くはない自覚はあったが、それでも男であることに変わりはない。ディーウィットはどうひっくり返ろうがキーニの子を産める存在になることはできない故に、キーニがディーウィットを愛する対象として見る筈がなかったのだ。
……それでも、幸せな夢を見させてもらえた。人を愛する嬉しさを教えてもらえた。
だからもう他の人間に嫌われようが、ディーウィットは怖くない。事実とほんの少しの沈黙とをアルフォンスに告げ、幸せになれと背中を押すのだ。
例えアルフォンスがもう自分を信頼しておらずとも。
ディーウィットは腹に力を込めると、凛として言った。
「アルフォンス。僕が定期船から落ちたのは逃げようとしたからじゃない。嵐の日に護衛に襲われて、操舵室に逃げ込もうとして運悪く波に攫われてしまったからなんだ」
「――は……?」
アルフォンスの目が、歪に見開かれた。
「頼みですか……? 私に何をさせようとしてるんですか」
冷たい返しに、ディーウィットの心がツキリと痛んだ。だが、怯んでいる場合ではない。
デアーグは今、見目麗しいと噂の皇帝の皇配になれると浮かれているだけなのだろうと思う。そもそもアルフォンスを召そうとしたのも、見目麗しい男を侍らせたかったのが目的だ。
それに以前、国王が「気になる貴族令嬢はいないのか」とデアーグに尋ねたことがあった。その時デアーグは「女ってちやほやしてあげないといけないんでしょ? 面倒くさいから興味ないかな」と真顔で答えていたのだ。
デアーグが元来の男好きかどうかまでは不明だ。だが少なくとも、デアーグの中で尽くされ傅かれるのはデアーグであって、相手を労り慈しむことなど微塵たりとも考えていないことがその言葉からは推測できた。
ここで出てくるのが、皇帝と皇配の関係性の問題だ。万が一皇后のいる皇帝が、美しくても男で子も産めないデアーグに惚れたとしても、果たして傅くことなどあるだろうか。
相手は天下の皇帝だ。皇帝に皇配として大切にされたければ傅かねばならないのは自分の方だとアルフォンスに懇々と諭されれば、考え直してくれる余地はあるのではないか。
何故なら、デアーグは常に一番でないと耐えられないからだ。そのように周囲に育てられてきた人間だからだ。
ディーウィットが家族を恨んでないと言えば嘘になる。ほんの僅かでも家族としての親愛の情を分けてもらえていたら、自分も家族をきちんと愛すことができたのではないかとは、幾度も考えた。
だがないものねだりはもう終わりだ。むしろ、愛情をかけられずにいたからこそ己の価値観を歪められず公正でいられたのだと感謝すべきだろう。
ディーウィットは恩人たち、ひいては国の益となることを第一に考え行動し、以降は彼らの安寧を祈りつつこの地で骨を埋める。ディーウィットの存在は、アーべラインにとっては禁忌だ。忌むべき王子は、ここで舞台から捌けるのが誰にとってもいいだろうから。
ディーウィットは覚悟を決めると、改めてできるだけ穏やかに始めた。
「アルフォンス。まずは誤解を解かせてはもらえないだろうか」
「誤解? 何が誤解なのでしょう」
アルフォンスの返しはやはり冷たいものだ。思わず怯んでしまい無意識の内に隣を見る。目が合うと、キーニの口角がほんの僅かだけだが上がるのが見えた。途端、温かなものがディーウィットの中に満ちてくる。
勇気を与えてもらえたディーウィットは、心の中で自分を鼓舞し再びアルフォンスに向き直った。
「まず、僕は逃げてはいないんだ」
「それをどのように証明するのでしょうか」
アルフォンスに言い返されたディーウィットは、小さく微笑む。もう怖くはなかった。進むべき道は見えたから。
だが、唯一の心残りはキーニだ。キーニにだけは、未だ恩を返せていない。むしろ最後まで頼りっ放しで、甘やかされたままの状態だ。
更には先程、もう既に明日の謁見が決まったとキーニに告げられた。至れり尽せりとしか言いようがない。
いつの間に手配したのか不思議だったが、これまでの周囲の反応を見る限りキーニは帝国でかなり上の立場にいることは間違いない。誰かしらがキーニの指示の下、掛け合ってくれたのだろうと思い、深く感謝した。
これまで人を愛することを知らなかったディーウィットに愛することの楽しさを教えてくれたのは、キーニだ。愛情とも見紛うキーニの献身が、擦り減ってもう削るところなどなくなりかけていたディーウィットの心を癒してくれた。
キーニの父は現首長で、息子のキーニが次期首長だと聞いた時。そして先程ジュ・アルズの男にとって性欲が強いのは褒め言葉だと聞いたことで、キーニのこれはやはり単に庇護の延長であると悟った。
キーニは後継だ。後継には子を育む必要がある。そして彼もそれを望んでいる口ぶりだったからだ。
ディーウィットの見た目はあまり男臭くはない自覚はあったが、それでも男であることに変わりはない。ディーウィットはどうひっくり返ろうがキーニの子を産める存在になることはできない故に、キーニがディーウィットを愛する対象として見る筈がなかったのだ。
……それでも、幸せな夢を見させてもらえた。人を愛する嬉しさを教えてもらえた。
だからもう他の人間に嫌われようが、ディーウィットは怖くない。事実とほんの少しの沈黙とをアルフォンスに告げ、幸せになれと背中を押すのだ。
例えアルフォンスがもう自分を信頼しておらずとも。
ディーウィットは腹に力を込めると、凛として言った。
「アルフォンス。僕が定期船から落ちたのは逃げようとしたからじゃない。嵐の日に護衛に襲われて、操舵室に逃げ込もうとして運悪く波に攫われてしまったからなんだ」
「――は……?」
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