【完結】悪役令嬢だった僕は、蛮族の国で拳で人生を切り拓く(予定)

緑虫

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13 料理の腕前

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 大量の洗濯物を庭に干し終わってひと息ついていると。

 エンジがやってきて、「昼飯を食いに行こう」と声をかけてきた。

 支度を済ませ、四人揃って門を出る。僕の隣を歩くエンジの乱雑にまとめられたえんじ色の髪が少し濡れているところをみると、鍛錬の後風呂にでも入ったのかもしれない。後頭部から首に水滴が筋に沿って流れていくのを、うっとりしながら眺めた。

 くうー、水も滴る筋肉! 羨ましい!

 ちなみに、双子は僕たちの少し後ろを歩いている。サキョウ曰く「並んで歩くなんて畏れ多くてできないわよ!」ということだった。その相手にウキョウはとんでもない言い掛かりをつけたんだけどね……。

 ウキョウの無鉄砲のせいでいつかサキョウの胃に穴が開くんじゃないか、と僕は心配だ。

 そんな恐れ多いエンジの正体は、未だ僕にだけは隠されたまま。門番がいる広い屋敷に住んでいることや、王宮の宿舎に居を構えるミカゲさんを知っていたりと、エンジの身分がかなり高そうな気配がプンプン香ってきていて、大いに気になってはいる。

 だけど余計な詮索はするなと言われている以上、双子や本人に直接尋ねることもできないもんなあ。

 僕が余程ジロジロ見ていたのか、視線に気付いたエンジが「……なんだ?」とどこかおかしそうに尋ねてきた。

「えっ、あ、そのっ」

 貴方の正体はなんですか、なんて聞く訳にはいかない。慌てて何か質問しなくちゃ! と少し気になっていたことを尋ねてみた。

「あの、エンジってまさか毎食外食してるんですか?」

 今朝の朝食は、昨日帰り際に出店で買ったというおにぎりだった。――そう! この国、おにぎりがあるんだよ! 中はがっつり塊肉が入ってたけど、もうこれだけで逃亡先がゴウワン王国でよかったとしみじみ思う。

 食べ物が口に合うかどうかって本当に大事だよ。生きていく上でのモチベーションが格段に違うもんね。やっぱり僕は米の国の人なんだと思う。まあヘルム王国人なんだけど。

 僕の言葉を聞いた途端、エンジがブスッと膨れてしまった。

「そうだけど、悪いか」

 あまりにも素直な反応に、僕より絶対大人な筈のエンジがちょっと可愛いな、なんて思ってしまう。

「え、いや、悪いというか……。でもそうですね、栄養的には偏るとは思いますよ」
「栄養ねえ」

 エンジは責められたと思ったのか、分かりやすく更に顔を顰める。たった二日間一緒にいただけで、この謎めいた美丈夫は感情が顔と態度にとてもよく出ることが分かった。

 ヘルム王国で僕が見てきた偉い人たちとは全く違うから、何だか新鮮だ。

 ヘルム王国で僕が生きてきたのは、貴族のみが存在する世界だった。だからみんな、内心何を思っていようがアルカイックスマイルを浮かべて、強い感情は表に出さなかった。

 そんな中、ドジで不幸体質な天真爛漫キャラのパトリシアは目立った。実際はどうだかは知らないけど、小説上の設定では男爵が愛人に密かに産ませた庶子で、本妻が亡くなったことで男爵家入りした筈だ。

 それまではバリバリの平民として育ったから、貴族の仲間入りをした後も表情が豊かなまま――だったと思う。

 対照的に、僕は物心つく前から、王家が手配した教師たちによって感情を表に出してはならないと叩き込まれてきた。少しでも泣いたり怒ったりしたら腕を鞭で叩かれて、その度に少しずつ僕の顔から表情が消えていった。

 だから確かに、僕がこの見た目もあって「氷の令嬢」と言われたのはよく分かる。だって、僕が何の気負いもなく笑える時間なんてどこにもなかったから。

 フィアといる時も誰に見られているかなんて分からなかったし、そもそも楽しい気持ちなんてもうずっと忘れてた。

 義務、責任。そんなプレッシャーにずっと押し潰されそうになっていたから。

 それはアントン殿下も同じだった筈だ。だけど彼はパトリシアと出会い屈託のない笑顔を目にしたことで、変わってしまった。

 ――ねえ、僕が笑えなくなったのは僕のせいだったのかな。あんなに憎らしい目で睨まれるほど、僕の存在は邪魔だったのかな。もし僕がもっと早く今みたいに自然に笑えるようになっていたら、ひょっとしたら殿下は僕を……。

「……アーネス? どうした」

 それまでどこかふくれっ面になっていたエンジが、今度は心配そうな顔で僕の顔を覗き込む。

 わ、しまった! また考えちゃ駄目なやつを考えて負のループに陥りそうになってた! これは物語の強制力なんだ、落ち着け僕、冷静になるんだ……! あの国の人たちのことは、頭の中から追い出すんだよ!

 もし前から記憶が戻っていたとしたって、あの時の僕に感情を素直に表に出す機会もなければその勇気もなかった。だから絶対、もしもなんてことはないんだから――。

 パッと笑顔をエンジに向けた。

「あ、いえ! そういえば出店ではあまり野菜料理は見かけないなあと思って、えへへ!」

 僕の誤魔化し笑いには気付いたのか気付いていないのか、ふむ、とエンジが首を傾げる。

「まあ、出店で売ってるのは基本すぐ腹に溜まるようなもんが主だからな。野菜となると、市場で買ってきて家庭で――がやはり主流だろうな」
「へえ」

 出店ってそうなんだ。そんな気はしてた。だって大抵が肉、肉、肉なんだもん。美味しいけど、ああも肉だらけだと僕の胃は保たない。だからしょっちゅうお腹を壊してはサキョウが用意した胃薬にお世話になっていたんだけどね。

「じゃあ市場で買ってきて調理とか」

 僕の提案に、エンジがまたムスッとして首を横に振る。ふは、ころころ表情が変わって面白い。

「無理だな。そもそも俺の料理の腕は壊滅的だ」
「え、そんなに壊滅的なんですか?」
「ああ、そんなにだな」

 エンジがキッパリ頷いた。迷いは一切ないように見えた。

 壊滅的。なかなか簡単には出てこない単語だ。ちょっと興味があるけど、もしかしたらできることなら遭遇しない方がいいレベルのやつかもしれない。

 エンジが器用に肩を竦める。

「自分の作った飯で腹を壊したり嘔吐するのはもううんざりだからな。ここのところは大体その辺でパッと食べて済ましている」
「そうなんですか」

 お腹を壊すは辛うじて理解できるけど、嘔吐ってどんな料理を作ったら発生するんだろう……。

 これまで理想のヒーロー像そのものとして見ていたエンジの思いもよらない面に、どことなく人間臭い温かみを感じて、自然と笑顔が溢れた。

 あれ、と唐突に気付く。

 もしかして、殿下もパトリシアといる時はこんな気持ちだったんじゃないのかな? と。

 そう考えたら、はまっていなかったパズルのピースがピッタリとはまったような感覚に陥った。

 ……そうか、そうだったんだ。殿下は彼の太陽に出会ったんだ。笑わない氷の令嬢の僕では溶かせなかった心の氷を、太陽であるパトリシアが笑顔で溶かしたんだ。だから彼は、氷である僕を排除しようとしたんだ。

 初めて、殿下の気持ちに寄り添えた気がした。

 たとえ王族だからって、殿下も人間だ。笑わない人の隣にいるよりも、いつも笑顔の人が隣にいる方が断然いいに決まってる。そりゃ仕方ないよな――とようやく思えたのは、憧れそのものの理想の漢像を体現するエンジが、意外なほどの素直な感情を見せてくれたお陰かもしれない。

 だから僕もはっきりと認識できたんだと思う。今の僕もきっと殿下と同じ気持ち、つまり温かみを感じる人の隣にいたいと思っているんだって。

 こうして自分の中で納得できたことで――僕の心の奥底にドロドロとこごっていたおりのようなものが、浄化されていく気がした。同時に、殿下の幸せを、ようやく心から願えた。やっと、決別できた瞬間だった。

 まあ正直なところ、王太子妃教育以前に貴族としての礼儀も分かってない彼女が王太子妃候補になるには、相当な苦労があるとは思う。だけどそこは頑張ってね、としか僕からは言えない。敵である僕からの言葉なんて、彼らは絶対いらないだろうけど。

 どこか晴れた気持ちに浸っていた僕の意識を瞬時に引き戻したのは、エンジの次の言葉だった。
 
「俺だって前は野菜も取っていたぞ? 以前は通いの料理人がいたんだが、毒を仕込まれてからはもう面倒で雇うのをやめたんだ」
「は? 毒!?」

 エンジは、おかしい話じゃないのに真っ青な瞳を愉快そうに緩ませて頷く。

「そう、毒だ。俺は色んな物を食ってきたから香りで大抵は分かるんだが、最後のは無味無臭のやつを仕込まれて三日三晩生死を彷徨った」
「え……っ、え、ええっ!?」

 毒って、力が正義なこの国にそんな卑怯な手を使う人がいるってこと!? ていうかそんなあっさり語っちゃうもんじゃないよね!?

「まあ他にも色々面倒なことがあってな。最終的に下働きの人間は全員屋敷から追い出して、ひとりになったって訳だ」

 あっけらかんと語るエンジの笑顔が何故か寂しそうな子供のように思えてしまい、気が付けば僕はエンジの太い腕に手を乗せていた。

 エンジが不思議そうに目を開いて僕を見下ろす。

「アーネス? どうした?」
「――僕がっ、僕がエンジの為に美味しい毒なし料理を作りますから! だから、そんな風に無理して笑わないで下さい……っ!」
「は? お前が?」

 信じていないような目つきのエンジに、必死に食い下がった。

「これまでずっと侍女と二人で自分が食べる分は作ってきましたから! 任せて下さい!」

 ドン! と胸を拳で叩いてみせると、エンジは目をまん丸くした後――。

「クハッ、分かった。じゃあ頼むかな」

 と破顔したのだった。
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