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31・新たな幸せの先と、嵐の幕開け。
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一日の仕事が終わり、私以外は、建物自体がひっそりと寝静まった穏やかな深夜。
夜務めは相変わらず緊張はするけど、泣き出してしまうほど怖くなくなったのは、ここに来て一年たったからだろうか。
時計では日付がかわって2時間あまり。
今夜の夜当番を任されている私は、眠気覚ましの紅茶を飲みながら、静かにベビーサークルを片付けた絨毯の上に座り、お昼に取り込まんで山になっていた洗濯物を丁寧にたたんでいた。
大きなものから小さなものまでたくさんの可愛い肌着にお洋服。
「ふふ、おっきくなったわね。」
ずいぶん大きくなったバビーのお洋服をたたみ、立ち上がってみんなの衣類をそれぞれの整理籠に入れた私は、手元を明るくする火を少し大きくして、ポケットの中に入れていた分厚い手紙を取り出した。
すでに開封され、検閲済のハンコが大きく押された、ザナスリー公爵の紋章が入り、封蝋の押された封筒の中から手紙を取り出すと、分厚いはずだ、10枚もの紙が入っていた。
「毎回毎回、分厚過ぎだわ。 アイザック。」
ふふっと笑って手紙を開く。
『親愛なるお姉様へ』
そう言った書き出しの手紙は、いわゆる表向き(検閲)にはなんの変化もない穏やかな日々のお茶会をした、婚約者と会った、などの話が綴られていた。
しかし、それは本当に表向き用であり、公爵家の家のものしか知りえない方法を使うと、表向きの文章の間に、別のインクで認められた文字がしっかりと現れる。
「今回も長いお手紙ね。」
表向きの文間に書かれた文章に目を通すと、それはこの1年の報告書のようだった。
気配を察知した王家から第一王女をアイザックの元へ降嫁させてほしいと、遠回しの打診が入りそうになったが、そのタイミングでお父様が関わっていた職を全て辞した事で王宮内が混乱となった。 当たり前だ、主に外交だが、実は騎士団や財務部などにも役職のあったお父様である。
蜂の巣をつついたような混乱がおき、王家と王宮がその対応のため、我が家に構っていられなくなった隙をついて、我が家は王都の屋敷を売り払い、お父様は王国内の領地へ、お母様とアイザックは帝国内へ引っ越したようだ。
お父様がこちらに残った理由は私がアリア修道院にいることだけ。
2年後の私の修道院からの還俗と同時に、こちらの公爵領を親族に分配の手続きを完了させ、私と前公爵夫妻であるお祖父様お祖母様と4人で、帝国へ向かう手筈のようだ。
そして、帝国に無事到着したアイザックは、つい先日、帝国の王宮で行われた夜会にて、帝国の筆頭公爵家の令嬢との婚約発表を終えたらしい。
その夜会に招待されていたドルディット国王夫妻は国内の混乱を理由に欠席していた為どう思っているかは分からないと前置きがあった上で、代理として出席していた第一王女エルフィナ様と第二王子シャルル様は、自身の両親である国王夫妻と兄のしでかしたことへの謝罪と、既に修道院に身を寄せていたわたしとの婚約を申し出た事への、己の愚かさと、私とその家族への配慮のなさを、心より申し訳なく思う、と、謝罪したそうだ。
また、同時期に行われた帝国と王国の外交会談に出席したエルフィナ王女殿下が聡明さと外交手腕を発揮され、事実上、伯父様の嫌がらせからの発案であった、帝国・王国間の通行税の引き上げは延期されたという。
「まぁ、そうよね。」
そこまで読んで、私はうん、と納得した。
あの王家の中で、真面目で努力家ではあったが、自尊心が高く、甘やかされて育ち聖女に入れ込んでからは執務も勉強も放り出していた第一王子殿下は論外だが、他のご兄弟――特に第一王女殿下は、いずれ他国に嫁ぐものとして、王家に属する女性としての様々な厳しい教育を、私と共に幼い頃から受けていたのだ。
そんな中でも必死に食らいつき、息抜きのお茶会では、早くお姉様とお呼びしたいわ、と微笑んでくれた顔を思い出す。
この国の王位は男子が優先されはするものの、女子が王位についてはいけないという事はない。
「シャルル王子殿下も聡明だけど少しせっかちなところがおありになるから、案外、エルフィナ殿下が女王になられた方がいいのではないかしら?」
うふふ、と笑いながら、続く手紙をよむ。
「あらあら、伯父様も伯母様も、かなり怒っていらっしゃったのね。」
手紙には、今回エルフィナ殿下がなんとか乗り切った通行税だけでなく、帝国領から輸入していた食料の関税の吊り上げや、取引の停止、もしくは、私が王太子の婚約者だったことで、王国が独占で輸出を行っていた天然資源の輸出停止なども示唆されたらしい。
「これはやりすぎだわ、伯父様。 全部やったら王国の国庫は火の車になってしまうもの。 ここからは本当に、外交手腕が問われるわね……」
(職を辞したお父様もいない中、陛下たちはあてにならない……官僚とエルフィナ様だけで太刀打ちするのはかなり厳しいのではないかしら? もしかして、王国を属国にするつもり?)
そんなことを考えながら、次を読もうとして、私の手が止まった。
「あら、これは。」
その手紙の内容に、私は背筋を伸ばした。
(マーガレッタ様の近況、ね……調べてくれたのね。)
同じようにして、私は本来の内容に目を走らせる。
マーガレッタ様はここをお出になられ自領に戻られた。 そして、つい最近、婚約式を無事に終え、婚約者である方の元に子爵夫人見習い、ということで居を移した、ということまでは彼女からの手紙で知っていた。
婚約者様もそのご両親も、今回のことを酷く憤り、そして、マーガレッタ様を暖かく迎えてくれたらしい。
下手に隠されたり、腫れ物に触るように扱われるより、そうして言い、暖かく迎えてもらえ、逆にすっきりしました、と書いてあった。
新しい居は、辺境の地なのでもう王都に行くこともありませんが、こちらで幸せになれるよう、努めたいと思います、とも。
王国に属する全ての貴族には、王家より年に一度、王宮がその一切を取り仕切って行う立国記念式典に出なければならないという義務があるが、辺境に住まう貴族には、辺境の抱える防衛や自然災害などの事情を申告すれば、出席を断ることも出来る。
昔、そんな事情を田舎者とバカにする貴族もいたが、逆に辺境の地が盾となって王都を守り、辺境で育った作物や畜産物を食べているのを知らないのですか? と、やり込めたことがあった。
身も心も傷ついたマーガレッタ様は、その傷が癒えるまで、社交界から離れられるのだ。
彼女も、そんな穏やかな辺境で守られて生きていくのだろう。 そう、彼女をこれ以上傷つけるものが居ないといい。
そう思いながら手紙を読み進めると、あらあら、と声を出しそうになり、私は口元を押えた。
「アイザックったら……やってくれたのね。」
書き記してあったのは、彼らのその後。
社交界で流れていた噂を、商人や使用人を使って上手く『婚約者の浮気癖が原因で気鬱になり領地に静養に出た令嬢を、これみよがしに捨てた伯爵令息と、その令息に恋慕し、親を使って社交界に令嬢を貶める嘘の噂を広めた侯爵令嬢』として噂とすり替えて広めた。
それと同時に、公爵家が行っている事業に関わっていた伯爵家、侯爵家に対し噂を言及、そんなことをする家は信用出来ないと取引を停止した。
ここまでが、アイザックのやった事だ。
その後は想像に難くない。
貴族社会では、家格と信用は重要視される。
公爵家が取引を停止したとあっという間に噂は広まれば、そんな家と取引したがる家は減る。
しかも、愛妻家で有名な、今話題の公爵家が、不貞を働いた伯爵令息と侯爵令嬢に酷く嫌悪したという尾びれと背鰭も着いてくる。
ふたつの家は、各取引相手からも取引を停止され、既に両家とも家計は火の車で没落寸前だという。
原因となった伯爵令息は、廃嫡された後、とある子爵家の下男として雇われ、侯爵令嬢は金の工面のため、自身の3倍は年上の裕福な商人の後妻に入ったそうだ。
「……因果応報、ね。」
それを読んだ私は、くすっと笑いながら、ベビーベッドですやすやと眠る、ここでいま最も小さな赤ちゃんであるダリルを見た。
金褐色の巻き毛に、ペリドットグリーンの瞳の赤ちゃん・ダリルは傷ついて、泣いて、苦しんで……そこから這い上がるようにして、ここを去ったマーガレッタ嬢の産んだ子供だ。
ここに来る前、彼女とは親しい間柄などではなかった。 しかし、ここに来て、彼女を見届けた3ヶ月は、それに匹敵するほどに大きな関係性となった。
これからの彼女の人生に、せめて彼らが関わらないようにして欲しい、と、身勝手なお願いをアイザックに託した。
どこまで彼がわかってくれるか分からないまでも、彼女をここまで傷つけておいて何も無かったかのように幸せになろうとする彼らが許せなかったのだ。
まさかここまで本格的にやるとは思っていなかったが、願った私はそれを受け止めなければならない。
「ダリル……ごめんなさいね。」
あなたの父親である人間を、追い詰めたことを謝罪する。
これは私刑だ。 私のただの我儘な感情で起こした権力の行使で、自己満足だ。 王太子の婚約者時代ならば、こんなことはしなかっただろう。
神にお仕えする立場でありながらこのようなことをするのは間違っているのだろう。 ただそれでも、このまま彼女とその子供だけが、悲しみを抱えたまま生きていくのは許せなかった。
「神様、罪深い私を、どうぞお許しください。」
ギュッと手を組み、祈りを捧げてから、再びすやすやと眠るダリルの頬をそっと触れた。
「ふふ、可愛い。 どうか幸せになってね……。」
父親の伯爵家が没落したら、もしかしたら母親の腕に再び抱かれることが許されるようになるかもしれない。
最初に抱っこした日からすでに半年たち、寝返りを打ちながら積み木に向かってはいはいしようと日々、格闘している元気な子だ。
「そうなるといいわね。 ……あなたも。」
そう言って彼の元を離れると、今度は上掛けを蹴り飛ばして寝ているバビーの傍に近づき、上掛けを直してやってからそっと頭を撫でた。
「明日はもう、お別れだもの。 どうか幸せになってね、バビー。」
ぎゅうっと感じる胸の痛みを抑えて、私は涙がこぼれおちそうになるのを耐え、笑う。
ここに来て一年。 日々成長を見続けていたバビーは、明日、とある侯爵家の若夫婦に引き取られることが決まっていた。
話を聞いた時には、母親の元に帰るわけではないことで大丈夫だろうかと心配した。 勿論、院長先生がその家の経済状況や、家庭環境、その他その家にまつわる様々なことを調べ尽したうえで養子に出すと言うのだから、私たちは安心しても良いのだろう。
しかし、ここに来て一年。 ずっと成長を見続けてきた可愛い子だ。 万が一にも不幸になるようなことになったら辛い。
そんな私の表情を読み取ったのだろう。 少しずつではあるが、院長先生の仕事を手伝っている私は、今回の養子縁組についての書類を見せていただいた時に、新しい両親となる侯爵家の若夫婦の名を知った。
清廉潔白であり不正などには決して近寄らないと有名な、司法に携わる侯爵家の次期当主となる若夫婦が両親になるのであれば、厳しい教育が待っているだろうが、大丈夫だろう、と安心した。
「あなたたちにも、良い縁があるといいわね。」
すやすやと眠るアニーも、シンシアも、みんな可愛い。 みんな幸せになってもらいたい。
夜明けが近い。
そう願いながら、私は手紙を封筒に入れると、そっと、火にくべて燃やしてしまった。
その大きな物音がしたのは、空がしらみ始めたばかりの頃だった。
そろそろ起き出す子供たちのために、養育室の床にカーペットと清潔なシーツを引き、ベビーサークルを静かに組み立てながら、バビーの着る一張羅のシワを伸ばしていた。
がたんがたんと、大きな音が養育棟の外から聞こえた。
「何かしら?」
慌てて飛び出し、聖堂の入口の方へ向かった私は、そこで、女性しか入ることの許されない敷地内では珍しい、騎士たちの姿を見つけたのだ。
しかも、あの鎧には見覚えがあった。
(王宮騎士?! なぜこんなところに。)
サッと柱の影に身を隠し、様子を窺いみていると、寄宿棟からはシスター・サリア、聖堂からは院長先生がやってきた。
「それ以上手荒な真似はやめなさい、その子は子を抱えた少女ですよ。」
(新しい子なんだわ……でも、騎士がなぜ?!)
少し身を乗り出したところで、院長先生と目が合うと、隠れるようにと目配せされた。
頷き、柱の影にかくれたところで、騎士に抑え込まれながら、暴れている白い神殿服の女の姿がみえた。
(……神官? まさか……?)
そんなことはありえない。
ふと浮かんだ言葉に首を振り、隠れるようにして窺っていた私に、一瞬、王宮騎士から逃れた女性の姿が見えた。
(そんな……)
けして自分でやったのではないような、ざんばらに切り刻まれた黒髪を振り乱し、助けを求めるような女性の姿。
(聖女マミ?! なぜこんなところに?!)
叫び出しそうになる口を咄嗟に押えた私は、隠れたまま、彼女の姿を凝視するしかなかった。
夜務めは相変わらず緊張はするけど、泣き出してしまうほど怖くなくなったのは、ここに来て一年たったからだろうか。
時計では日付がかわって2時間あまり。
今夜の夜当番を任されている私は、眠気覚ましの紅茶を飲みながら、静かにベビーサークルを片付けた絨毯の上に座り、お昼に取り込まんで山になっていた洗濯物を丁寧にたたんでいた。
大きなものから小さなものまでたくさんの可愛い肌着にお洋服。
「ふふ、おっきくなったわね。」
ずいぶん大きくなったバビーのお洋服をたたみ、立ち上がってみんなの衣類をそれぞれの整理籠に入れた私は、手元を明るくする火を少し大きくして、ポケットの中に入れていた分厚い手紙を取り出した。
すでに開封され、検閲済のハンコが大きく押された、ザナスリー公爵の紋章が入り、封蝋の押された封筒の中から手紙を取り出すと、分厚いはずだ、10枚もの紙が入っていた。
「毎回毎回、分厚過ぎだわ。 アイザック。」
ふふっと笑って手紙を開く。
『親愛なるお姉様へ』
そう言った書き出しの手紙は、いわゆる表向き(検閲)にはなんの変化もない穏やかな日々のお茶会をした、婚約者と会った、などの話が綴られていた。
しかし、それは本当に表向き用であり、公爵家の家のものしか知りえない方法を使うと、表向きの文章の間に、別のインクで認められた文字がしっかりと現れる。
「今回も長いお手紙ね。」
表向きの文間に書かれた文章に目を通すと、それはこの1年の報告書のようだった。
気配を察知した王家から第一王女をアイザックの元へ降嫁させてほしいと、遠回しの打診が入りそうになったが、そのタイミングでお父様が関わっていた職を全て辞した事で王宮内が混乱となった。 当たり前だ、主に外交だが、実は騎士団や財務部などにも役職のあったお父様である。
蜂の巣をつついたような混乱がおき、王家と王宮がその対応のため、我が家に構っていられなくなった隙をついて、我が家は王都の屋敷を売り払い、お父様は王国内の領地へ、お母様とアイザックは帝国内へ引っ越したようだ。
お父様がこちらに残った理由は私がアリア修道院にいることだけ。
2年後の私の修道院からの還俗と同時に、こちらの公爵領を親族に分配の手続きを完了させ、私と前公爵夫妻であるお祖父様お祖母様と4人で、帝国へ向かう手筈のようだ。
そして、帝国に無事到着したアイザックは、つい先日、帝国の王宮で行われた夜会にて、帝国の筆頭公爵家の令嬢との婚約発表を終えたらしい。
その夜会に招待されていたドルディット国王夫妻は国内の混乱を理由に欠席していた為どう思っているかは分からないと前置きがあった上で、代理として出席していた第一王女エルフィナ様と第二王子シャルル様は、自身の両親である国王夫妻と兄のしでかしたことへの謝罪と、既に修道院に身を寄せていたわたしとの婚約を申し出た事への、己の愚かさと、私とその家族への配慮のなさを、心より申し訳なく思う、と、謝罪したそうだ。
また、同時期に行われた帝国と王国の外交会談に出席したエルフィナ王女殿下が聡明さと外交手腕を発揮され、事実上、伯父様の嫌がらせからの発案であった、帝国・王国間の通行税の引き上げは延期されたという。
「まぁ、そうよね。」
そこまで読んで、私はうん、と納得した。
あの王家の中で、真面目で努力家ではあったが、自尊心が高く、甘やかされて育ち聖女に入れ込んでからは執務も勉強も放り出していた第一王子殿下は論外だが、他のご兄弟――特に第一王女殿下は、いずれ他国に嫁ぐものとして、王家に属する女性としての様々な厳しい教育を、私と共に幼い頃から受けていたのだ。
そんな中でも必死に食らいつき、息抜きのお茶会では、早くお姉様とお呼びしたいわ、と微笑んでくれた顔を思い出す。
この国の王位は男子が優先されはするものの、女子が王位についてはいけないという事はない。
「シャルル王子殿下も聡明だけど少しせっかちなところがおありになるから、案外、エルフィナ殿下が女王になられた方がいいのではないかしら?」
うふふ、と笑いながら、続く手紙をよむ。
「あらあら、伯父様も伯母様も、かなり怒っていらっしゃったのね。」
手紙には、今回エルフィナ殿下がなんとか乗り切った通行税だけでなく、帝国領から輸入していた食料の関税の吊り上げや、取引の停止、もしくは、私が王太子の婚約者だったことで、王国が独占で輸出を行っていた天然資源の輸出停止なども示唆されたらしい。
「これはやりすぎだわ、伯父様。 全部やったら王国の国庫は火の車になってしまうもの。 ここからは本当に、外交手腕が問われるわね……」
(職を辞したお父様もいない中、陛下たちはあてにならない……官僚とエルフィナ様だけで太刀打ちするのはかなり厳しいのではないかしら? もしかして、王国を属国にするつもり?)
そんなことを考えながら、次を読もうとして、私の手が止まった。
「あら、これは。」
その手紙の内容に、私は背筋を伸ばした。
(マーガレッタ様の近況、ね……調べてくれたのね。)
同じようにして、私は本来の内容に目を走らせる。
マーガレッタ様はここをお出になられ自領に戻られた。 そして、つい最近、婚約式を無事に終え、婚約者である方の元に子爵夫人見習い、ということで居を移した、ということまでは彼女からの手紙で知っていた。
婚約者様もそのご両親も、今回のことを酷く憤り、そして、マーガレッタ様を暖かく迎えてくれたらしい。
下手に隠されたり、腫れ物に触るように扱われるより、そうして言い、暖かく迎えてもらえ、逆にすっきりしました、と書いてあった。
新しい居は、辺境の地なのでもう王都に行くこともありませんが、こちらで幸せになれるよう、努めたいと思います、とも。
王国に属する全ての貴族には、王家より年に一度、王宮がその一切を取り仕切って行う立国記念式典に出なければならないという義務があるが、辺境に住まう貴族には、辺境の抱える防衛や自然災害などの事情を申告すれば、出席を断ることも出来る。
昔、そんな事情を田舎者とバカにする貴族もいたが、逆に辺境の地が盾となって王都を守り、辺境で育った作物や畜産物を食べているのを知らないのですか? と、やり込めたことがあった。
身も心も傷ついたマーガレッタ様は、その傷が癒えるまで、社交界から離れられるのだ。
彼女も、そんな穏やかな辺境で守られて生きていくのだろう。 そう、彼女をこれ以上傷つけるものが居ないといい。
そう思いながら手紙を読み進めると、あらあら、と声を出しそうになり、私は口元を押えた。
「アイザックったら……やってくれたのね。」
書き記してあったのは、彼らのその後。
社交界で流れていた噂を、商人や使用人を使って上手く『婚約者の浮気癖が原因で気鬱になり領地に静養に出た令嬢を、これみよがしに捨てた伯爵令息と、その令息に恋慕し、親を使って社交界に令嬢を貶める嘘の噂を広めた侯爵令嬢』として噂とすり替えて広めた。
それと同時に、公爵家が行っている事業に関わっていた伯爵家、侯爵家に対し噂を言及、そんなことをする家は信用出来ないと取引を停止した。
ここまでが、アイザックのやった事だ。
その後は想像に難くない。
貴族社会では、家格と信用は重要視される。
公爵家が取引を停止したとあっという間に噂は広まれば、そんな家と取引したがる家は減る。
しかも、愛妻家で有名な、今話題の公爵家が、不貞を働いた伯爵令息と侯爵令嬢に酷く嫌悪したという尾びれと背鰭も着いてくる。
ふたつの家は、各取引相手からも取引を停止され、既に両家とも家計は火の車で没落寸前だという。
原因となった伯爵令息は、廃嫡された後、とある子爵家の下男として雇われ、侯爵令嬢は金の工面のため、自身の3倍は年上の裕福な商人の後妻に入ったそうだ。
「……因果応報、ね。」
それを読んだ私は、くすっと笑いながら、ベビーベッドですやすやと眠る、ここでいま最も小さな赤ちゃんであるダリルを見た。
金褐色の巻き毛に、ペリドットグリーンの瞳の赤ちゃん・ダリルは傷ついて、泣いて、苦しんで……そこから這い上がるようにして、ここを去ったマーガレッタ嬢の産んだ子供だ。
ここに来る前、彼女とは親しい間柄などではなかった。 しかし、ここに来て、彼女を見届けた3ヶ月は、それに匹敵するほどに大きな関係性となった。
これからの彼女の人生に、せめて彼らが関わらないようにして欲しい、と、身勝手なお願いをアイザックに託した。
どこまで彼がわかってくれるか分からないまでも、彼女をここまで傷つけておいて何も無かったかのように幸せになろうとする彼らが許せなかったのだ。
まさかここまで本格的にやるとは思っていなかったが、願った私はそれを受け止めなければならない。
「ダリル……ごめんなさいね。」
あなたの父親である人間を、追い詰めたことを謝罪する。
これは私刑だ。 私のただの我儘な感情で起こした権力の行使で、自己満足だ。 王太子の婚約者時代ならば、こんなことはしなかっただろう。
神にお仕えする立場でありながらこのようなことをするのは間違っているのだろう。 ただそれでも、このまま彼女とその子供だけが、悲しみを抱えたまま生きていくのは許せなかった。
「神様、罪深い私を、どうぞお許しください。」
ギュッと手を組み、祈りを捧げてから、再びすやすやと眠るダリルの頬をそっと触れた。
「ふふ、可愛い。 どうか幸せになってね……。」
父親の伯爵家が没落したら、もしかしたら母親の腕に再び抱かれることが許されるようになるかもしれない。
最初に抱っこした日からすでに半年たち、寝返りを打ちながら積み木に向かってはいはいしようと日々、格闘している元気な子だ。
「そうなるといいわね。 ……あなたも。」
そう言って彼の元を離れると、今度は上掛けを蹴り飛ばして寝ているバビーの傍に近づき、上掛けを直してやってからそっと頭を撫でた。
「明日はもう、お別れだもの。 どうか幸せになってね、バビー。」
ぎゅうっと感じる胸の痛みを抑えて、私は涙がこぼれおちそうになるのを耐え、笑う。
ここに来て一年。 日々成長を見続けていたバビーは、明日、とある侯爵家の若夫婦に引き取られることが決まっていた。
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しかし、ここに来て一年。 ずっと成長を見続けてきた可愛い子だ。 万が一にも不幸になるようなことになったら辛い。
そんな私の表情を読み取ったのだろう。 少しずつではあるが、院長先生の仕事を手伝っている私は、今回の養子縁組についての書類を見せていただいた時に、新しい両親となる侯爵家の若夫婦の名を知った。
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「あなたたちにも、良い縁があるといいわね。」
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夜明けが近い。
そう願いながら、私は手紙を封筒に入れると、そっと、火にくべて燃やしてしまった。
その大きな物音がしたのは、空がしらみ始めたばかりの頃だった。
そろそろ起き出す子供たちのために、養育室の床にカーペットと清潔なシーツを引き、ベビーサークルを静かに組み立てながら、バビーの着る一張羅のシワを伸ばしていた。
がたんがたんと、大きな音が養育棟の外から聞こえた。
「何かしら?」
慌てて飛び出し、聖堂の入口の方へ向かった私は、そこで、女性しか入ることの許されない敷地内では珍しい、騎士たちの姿を見つけたのだ。
しかも、あの鎧には見覚えがあった。
(王宮騎士?! なぜこんなところに。)
サッと柱の影に身を隠し、様子を窺いみていると、寄宿棟からはシスター・サリア、聖堂からは院長先生がやってきた。
「それ以上手荒な真似はやめなさい、その子は子を抱えた少女ですよ。」
(新しい子なんだわ……でも、騎士がなぜ?!)
少し身を乗り出したところで、院長先生と目が合うと、隠れるようにと目配せされた。
頷き、柱の影にかくれたところで、騎士に抑え込まれながら、暴れている白い神殿服の女の姿がみえた。
(……神官? まさか……?)
そんなことはありえない。
ふと浮かんだ言葉に首を振り、隠れるようにして窺っていた私に、一瞬、王宮騎士から逃れた女性の姿が見えた。
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しかし、領地の国境を越えた彼女を待っていたのは、驚くべき光景だった。
迎えに来たのは何百もの領民、兄、彼女の帰還に歓喜する侍女たち。
かつて王宮で軽んじられ続けたアデリアの政策は、故郷では“奇跡”として受け継がれ、領地を繁栄へ導いていたのだ。実際は薬学・医療・農政・内政の天才で、治癒魔法まで操る超有能王妃だった。
故郷の温かさに癒やされ、彼女の有能さが改めて証明されると、その評判は瞬く間に近隣諸国へ広がり──
“冷徹の皇帝”と恐れられる隣国の若き皇帝・カリオンが現れる。
皇帝は彼女の才覚と優しさに心を奪われ、「私はあなたを守りたい」と静かに誓う。
冷徹と恐れられる彼が、なぜかターヴァ領に何度も通うようになり――「君の価値を、誰よりも私が知っている」「アデリア・ターヴァ。君の全てを、私のものにしたい」
一方その頃――アデリアを失った王国は急速に荒れ、疫病、飢饉、魔物被害が連鎖し、内政は崩壊。国王はようやく“失ったものの価値”を理解し始めるが、もう遅い。
追放された王妃は、故郷で神と崇められ、最強の溺愛皇帝に娶られる!「あなたが望むなら、帝国も全部君のものだ」――これは、誰からも理解されなかった“本物の聖女”が、
ようやく正当に愛され、報われる物語。
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