32 / 71
31・新たな幸せの先と、嵐の幕開け。
しおりを挟む
一日の仕事が終わり、私以外は、建物自体がひっそりと寝静まった穏やかな深夜。
夜務めは相変わらず緊張はするけど、泣き出してしまうほど怖くなくなったのは、ここに来て一年たったからだろうか。
時計では日付がかわって2時間あまり。
今夜の夜当番を任されている私は、眠気覚ましの紅茶を飲みながら、静かにベビーサークルを片付けた絨毯の上に座り、お昼に取り込まんで山になっていた洗濯物を丁寧にたたんでいた。
大きなものから小さなものまでたくさんの可愛い肌着にお洋服。
「ふふ、おっきくなったわね。」
ずいぶん大きくなったバビーのお洋服をたたみ、立ち上がってみんなの衣類をそれぞれの整理籠に入れた私は、手元を明るくする火を少し大きくして、ポケットの中に入れていた分厚い手紙を取り出した。
すでに開封され、検閲済のハンコが大きく押された、ザナスリー公爵の紋章が入り、封蝋の押された封筒の中から手紙を取り出すと、分厚いはずだ、10枚もの紙が入っていた。
「毎回毎回、分厚過ぎだわ。 アイザック。」
ふふっと笑って手紙を開く。
『親愛なるお姉様へ』
そう言った書き出しの手紙は、いわゆる表向き(検閲)にはなんの変化もない穏やかな日々のお茶会をした、婚約者と会った、などの話が綴られていた。
しかし、それは本当に表向き用であり、公爵家の家のものしか知りえない方法を使うと、表向きの文章の間に、別のインクで認められた文字がしっかりと現れる。
「今回も長いお手紙ね。」
表向きの文間に書かれた文章に目を通すと、それはこの1年の報告書のようだった。
気配を察知した王家から第一王女をアイザックの元へ降嫁させてほしいと、遠回しの打診が入りそうになったが、そのタイミングでお父様が関わっていた職を全て辞した事で王宮内が混乱となった。 当たり前だ、主に外交だが、実は騎士団や財務部などにも役職のあったお父様である。
蜂の巣をつついたような混乱がおき、王家と王宮がその対応のため、我が家に構っていられなくなった隙をついて、我が家は王都の屋敷を売り払い、お父様は王国内の領地へ、お母様とアイザックは帝国内へ引っ越したようだ。
お父様がこちらに残った理由は私がアリア修道院にいることだけ。
2年後の私の修道院からの還俗と同時に、こちらの公爵領を親族に分配の手続きを完了させ、私と前公爵夫妻であるお祖父様お祖母様と4人で、帝国へ向かう手筈のようだ。
そして、帝国に無事到着したアイザックは、つい先日、帝国の王宮で行われた夜会にて、帝国の筆頭公爵家の令嬢との婚約発表を終えたらしい。
その夜会に招待されていたドルディット国王夫妻は国内の混乱を理由に欠席していた為どう思っているかは分からないと前置きがあった上で、代理として出席していた第一王女エルフィナ様と第二王子シャルル様は、自身の両親である国王夫妻と兄のしでかしたことへの謝罪と、既に修道院に身を寄せていたわたしとの婚約を申し出た事への、己の愚かさと、私とその家族への配慮のなさを、心より申し訳なく思う、と、謝罪したそうだ。
また、同時期に行われた帝国と王国の外交会談に出席したエルフィナ王女殿下が聡明さと外交手腕を発揮され、事実上、伯父様の嫌がらせからの発案であった、帝国・王国間の通行税の引き上げは延期されたという。
「まぁ、そうよね。」
そこまで読んで、私はうん、と納得した。
あの王家の中で、真面目で努力家ではあったが、自尊心が高く、甘やかされて育ち聖女に入れ込んでからは執務も勉強も放り出していた第一王子殿下は論外だが、他のご兄弟――特に第一王女殿下は、いずれ他国に嫁ぐものとして、王家に属する女性としての様々な厳しい教育を、私と共に幼い頃から受けていたのだ。
そんな中でも必死に食らいつき、息抜きのお茶会では、早くお姉様とお呼びしたいわ、と微笑んでくれた顔を思い出す。
この国の王位は男子が優先されはするものの、女子が王位についてはいけないという事はない。
「シャルル王子殿下も聡明だけど少しせっかちなところがおありになるから、案外、エルフィナ殿下が女王になられた方がいいのではないかしら?」
うふふ、と笑いながら、続く手紙をよむ。
「あらあら、伯父様も伯母様も、かなり怒っていらっしゃったのね。」
手紙には、今回エルフィナ殿下がなんとか乗り切った通行税だけでなく、帝国領から輸入していた食料の関税の吊り上げや、取引の停止、もしくは、私が王太子の婚約者だったことで、王国が独占で輸出を行っていた天然資源の輸出停止なども示唆されたらしい。
「これはやりすぎだわ、伯父様。 全部やったら王国の国庫は火の車になってしまうもの。 ここからは本当に、外交手腕が問われるわね……」
(職を辞したお父様もいない中、陛下たちはあてにならない……官僚とエルフィナ様だけで太刀打ちするのはかなり厳しいのではないかしら? もしかして、王国を属国にするつもり?)
そんなことを考えながら、次を読もうとして、私の手が止まった。
「あら、これは。」
その手紙の内容に、私は背筋を伸ばした。
(マーガレッタ様の近況、ね……調べてくれたのね。)
同じようにして、私は本来の内容に目を走らせる。
マーガレッタ様はここをお出になられ自領に戻られた。 そして、つい最近、婚約式を無事に終え、婚約者である方の元に子爵夫人見習い、ということで居を移した、ということまでは彼女からの手紙で知っていた。
婚約者様もそのご両親も、今回のことを酷く憤り、そして、マーガレッタ様を暖かく迎えてくれたらしい。
下手に隠されたり、腫れ物に触るように扱われるより、そうして言い、暖かく迎えてもらえ、逆にすっきりしました、と書いてあった。
新しい居は、辺境の地なのでもう王都に行くこともありませんが、こちらで幸せになれるよう、努めたいと思います、とも。
王国に属する全ての貴族には、王家より年に一度、王宮がその一切を取り仕切って行う立国記念式典に出なければならないという義務があるが、辺境に住まう貴族には、辺境の抱える防衛や自然災害などの事情を申告すれば、出席を断ることも出来る。
昔、そんな事情を田舎者とバカにする貴族もいたが、逆に辺境の地が盾となって王都を守り、辺境で育った作物や畜産物を食べているのを知らないのですか? と、やり込めたことがあった。
身も心も傷ついたマーガレッタ様は、その傷が癒えるまで、社交界から離れられるのだ。
彼女も、そんな穏やかな辺境で守られて生きていくのだろう。 そう、彼女をこれ以上傷つけるものが居ないといい。
そう思いながら手紙を読み進めると、あらあら、と声を出しそうになり、私は口元を押えた。
「アイザックったら……やってくれたのね。」
書き記してあったのは、彼らのその後。
社交界で流れていた噂を、商人や使用人を使って上手く『婚約者の浮気癖が原因で気鬱になり領地に静養に出た令嬢を、これみよがしに捨てた伯爵令息と、その令息に恋慕し、親を使って社交界に令嬢を貶める嘘の噂を広めた侯爵令嬢』として噂とすり替えて広めた。
それと同時に、公爵家が行っている事業に関わっていた伯爵家、侯爵家に対し噂を言及、そんなことをする家は信用出来ないと取引を停止した。
ここまでが、アイザックのやった事だ。
その後は想像に難くない。
貴族社会では、家格と信用は重要視される。
公爵家が取引を停止したとあっという間に噂は広まれば、そんな家と取引したがる家は減る。
しかも、愛妻家で有名な、今話題の公爵家が、不貞を働いた伯爵令息と侯爵令嬢に酷く嫌悪したという尾びれと背鰭も着いてくる。
ふたつの家は、各取引相手からも取引を停止され、既に両家とも家計は火の車で没落寸前だという。
原因となった伯爵令息は、廃嫡された後、とある子爵家の下男として雇われ、侯爵令嬢は金の工面のため、自身の3倍は年上の裕福な商人の後妻に入ったそうだ。
「……因果応報、ね。」
それを読んだ私は、くすっと笑いながら、ベビーベッドですやすやと眠る、ここでいま最も小さな赤ちゃんであるダリルを見た。
金褐色の巻き毛に、ペリドットグリーンの瞳の赤ちゃん・ダリルは傷ついて、泣いて、苦しんで……そこから這い上がるようにして、ここを去ったマーガレッタ嬢の産んだ子供だ。
ここに来る前、彼女とは親しい間柄などではなかった。 しかし、ここに来て、彼女を見届けた3ヶ月は、それに匹敵するほどに大きな関係性となった。
これからの彼女の人生に、せめて彼らが関わらないようにして欲しい、と、身勝手なお願いをアイザックに託した。
どこまで彼がわかってくれるか分からないまでも、彼女をここまで傷つけておいて何も無かったかのように幸せになろうとする彼らが許せなかったのだ。
まさかここまで本格的にやるとは思っていなかったが、願った私はそれを受け止めなければならない。
「ダリル……ごめんなさいね。」
あなたの父親である人間を、追い詰めたことを謝罪する。
これは私刑だ。 私のただの我儘な感情で起こした権力の行使で、自己満足だ。 王太子の婚約者時代ならば、こんなことはしなかっただろう。
神にお仕えする立場でありながらこのようなことをするのは間違っているのだろう。 ただそれでも、このまま彼女とその子供だけが、悲しみを抱えたまま生きていくのは許せなかった。
「神様、罪深い私を、どうぞお許しください。」
ギュッと手を組み、祈りを捧げてから、再びすやすやと眠るダリルの頬をそっと触れた。
「ふふ、可愛い。 どうか幸せになってね……。」
父親の伯爵家が没落したら、もしかしたら母親の腕に再び抱かれることが許されるようになるかもしれない。
最初に抱っこした日からすでに半年たち、寝返りを打ちながら積み木に向かってはいはいしようと日々、格闘している元気な子だ。
「そうなるといいわね。 ……あなたも。」
そう言って彼の元を離れると、今度は上掛けを蹴り飛ばして寝ているバビーの傍に近づき、上掛けを直してやってからそっと頭を撫でた。
「明日はもう、お別れだもの。 どうか幸せになってね、バビー。」
ぎゅうっと感じる胸の痛みを抑えて、私は涙がこぼれおちそうになるのを耐え、笑う。
ここに来て一年。 日々成長を見続けていたバビーは、明日、とある侯爵家の若夫婦に引き取られることが決まっていた。
話を聞いた時には、母親の元に帰るわけではないことで大丈夫だろうかと心配した。 勿論、院長先生がその家の経済状況や、家庭環境、その他その家にまつわる様々なことを調べ尽したうえで養子に出すと言うのだから、私たちは安心しても良いのだろう。
しかし、ここに来て一年。 ずっと成長を見続けてきた可愛い子だ。 万が一にも不幸になるようなことになったら辛い。
そんな私の表情を読み取ったのだろう。 少しずつではあるが、院長先生の仕事を手伝っている私は、今回の養子縁組についての書類を見せていただいた時に、新しい両親となる侯爵家の若夫婦の名を知った。
清廉潔白であり不正などには決して近寄らないと有名な、司法に携わる侯爵家の次期当主となる若夫婦が両親になるのであれば、厳しい教育が待っているだろうが、大丈夫だろう、と安心した。
「あなたたちにも、良い縁があるといいわね。」
すやすやと眠るアニーも、シンシアも、みんな可愛い。 みんな幸せになってもらいたい。
夜明けが近い。
そう願いながら、私は手紙を封筒に入れると、そっと、火にくべて燃やしてしまった。
その大きな物音がしたのは、空がしらみ始めたばかりの頃だった。
そろそろ起き出す子供たちのために、養育室の床にカーペットと清潔なシーツを引き、ベビーサークルを静かに組み立てながら、バビーの着る一張羅のシワを伸ばしていた。
がたんがたんと、大きな音が養育棟の外から聞こえた。
「何かしら?」
慌てて飛び出し、聖堂の入口の方へ向かった私は、そこで、女性しか入ることの許されない敷地内では珍しい、騎士たちの姿を見つけたのだ。
しかも、あの鎧には見覚えがあった。
(王宮騎士?! なぜこんなところに。)
サッと柱の影に身を隠し、様子を窺いみていると、寄宿棟からはシスター・サリア、聖堂からは院長先生がやってきた。
「それ以上手荒な真似はやめなさい、その子は子を抱えた少女ですよ。」
(新しい子なんだわ……でも、騎士がなぜ?!)
少し身を乗り出したところで、院長先生と目が合うと、隠れるようにと目配せされた。
頷き、柱の影にかくれたところで、騎士に抑え込まれながら、暴れている白い神殿服の女の姿がみえた。
(……神官? まさか……?)
そんなことはありえない。
ふと浮かんだ言葉に首を振り、隠れるようにして窺っていた私に、一瞬、王宮騎士から逃れた女性の姿が見えた。
(そんな……)
けして自分でやったのではないような、ざんばらに切り刻まれた黒髪を振り乱し、助けを求めるような女性の姿。
(聖女マミ?! なぜこんなところに?!)
叫び出しそうになる口を咄嗟に押えた私は、隠れたまま、彼女の姿を凝視するしかなかった。
夜務めは相変わらず緊張はするけど、泣き出してしまうほど怖くなくなったのは、ここに来て一年たったからだろうか。
時計では日付がかわって2時間あまり。
今夜の夜当番を任されている私は、眠気覚ましの紅茶を飲みながら、静かにベビーサークルを片付けた絨毯の上に座り、お昼に取り込まんで山になっていた洗濯物を丁寧にたたんでいた。
大きなものから小さなものまでたくさんの可愛い肌着にお洋服。
「ふふ、おっきくなったわね。」
ずいぶん大きくなったバビーのお洋服をたたみ、立ち上がってみんなの衣類をそれぞれの整理籠に入れた私は、手元を明るくする火を少し大きくして、ポケットの中に入れていた分厚い手紙を取り出した。
すでに開封され、検閲済のハンコが大きく押された、ザナスリー公爵の紋章が入り、封蝋の押された封筒の中から手紙を取り出すと、分厚いはずだ、10枚もの紙が入っていた。
「毎回毎回、分厚過ぎだわ。 アイザック。」
ふふっと笑って手紙を開く。
『親愛なるお姉様へ』
そう言った書き出しの手紙は、いわゆる表向き(検閲)にはなんの変化もない穏やかな日々のお茶会をした、婚約者と会った、などの話が綴られていた。
しかし、それは本当に表向き用であり、公爵家の家のものしか知りえない方法を使うと、表向きの文章の間に、別のインクで認められた文字がしっかりと現れる。
「今回も長いお手紙ね。」
表向きの文間に書かれた文章に目を通すと、それはこの1年の報告書のようだった。
気配を察知した王家から第一王女をアイザックの元へ降嫁させてほしいと、遠回しの打診が入りそうになったが、そのタイミングでお父様が関わっていた職を全て辞した事で王宮内が混乱となった。 当たり前だ、主に外交だが、実は騎士団や財務部などにも役職のあったお父様である。
蜂の巣をつついたような混乱がおき、王家と王宮がその対応のため、我が家に構っていられなくなった隙をついて、我が家は王都の屋敷を売り払い、お父様は王国内の領地へ、お母様とアイザックは帝国内へ引っ越したようだ。
お父様がこちらに残った理由は私がアリア修道院にいることだけ。
2年後の私の修道院からの還俗と同時に、こちらの公爵領を親族に分配の手続きを完了させ、私と前公爵夫妻であるお祖父様お祖母様と4人で、帝国へ向かう手筈のようだ。
そして、帝国に無事到着したアイザックは、つい先日、帝国の王宮で行われた夜会にて、帝国の筆頭公爵家の令嬢との婚約発表を終えたらしい。
その夜会に招待されていたドルディット国王夫妻は国内の混乱を理由に欠席していた為どう思っているかは分からないと前置きがあった上で、代理として出席していた第一王女エルフィナ様と第二王子シャルル様は、自身の両親である国王夫妻と兄のしでかしたことへの謝罪と、既に修道院に身を寄せていたわたしとの婚約を申し出た事への、己の愚かさと、私とその家族への配慮のなさを、心より申し訳なく思う、と、謝罪したそうだ。
また、同時期に行われた帝国と王国の外交会談に出席したエルフィナ王女殿下が聡明さと外交手腕を発揮され、事実上、伯父様の嫌がらせからの発案であった、帝国・王国間の通行税の引き上げは延期されたという。
「まぁ、そうよね。」
そこまで読んで、私はうん、と納得した。
あの王家の中で、真面目で努力家ではあったが、自尊心が高く、甘やかされて育ち聖女に入れ込んでからは執務も勉強も放り出していた第一王子殿下は論外だが、他のご兄弟――特に第一王女殿下は、いずれ他国に嫁ぐものとして、王家に属する女性としての様々な厳しい教育を、私と共に幼い頃から受けていたのだ。
そんな中でも必死に食らいつき、息抜きのお茶会では、早くお姉様とお呼びしたいわ、と微笑んでくれた顔を思い出す。
この国の王位は男子が優先されはするものの、女子が王位についてはいけないという事はない。
「シャルル王子殿下も聡明だけど少しせっかちなところがおありになるから、案外、エルフィナ殿下が女王になられた方がいいのではないかしら?」
うふふ、と笑いながら、続く手紙をよむ。
「あらあら、伯父様も伯母様も、かなり怒っていらっしゃったのね。」
手紙には、今回エルフィナ殿下がなんとか乗り切った通行税だけでなく、帝国領から輸入していた食料の関税の吊り上げや、取引の停止、もしくは、私が王太子の婚約者だったことで、王国が独占で輸出を行っていた天然資源の輸出停止なども示唆されたらしい。
「これはやりすぎだわ、伯父様。 全部やったら王国の国庫は火の車になってしまうもの。 ここからは本当に、外交手腕が問われるわね……」
(職を辞したお父様もいない中、陛下たちはあてにならない……官僚とエルフィナ様だけで太刀打ちするのはかなり厳しいのではないかしら? もしかして、王国を属国にするつもり?)
そんなことを考えながら、次を読もうとして、私の手が止まった。
「あら、これは。」
その手紙の内容に、私は背筋を伸ばした。
(マーガレッタ様の近況、ね……調べてくれたのね。)
同じようにして、私は本来の内容に目を走らせる。
マーガレッタ様はここをお出になられ自領に戻られた。 そして、つい最近、婚約式を無事に終え、婚約者である方の元に子爵夫人見習い、ということで居を移した、ということまでは彼女からの手紙で知っていた。
婚約者様もそのご両親も、今回のことを酷く憤り、そして、マーガレッタ様を暖かく迎えてくれたらしい。
下手に隠されたり、腫れ物に触るように扱われるより、そうして言い、暖かく迎えてもらえ、逆にすっきりしました、と書いてあった。
新しい居は、辺境の地なのでもう王都に行くこともありませんが、こちらで幸せになれるよう、努めたいと思います、とも。
王国に属する全ての貴族には、王家より年に一度、王宮がその一切を取り仕切って行う立国記念式典に出なければならないという義務があるが、辺境に住まう貴族には、辺境の抱える防衛や自然災害などの事情を申告すれば、出席を断ることも出来る。
昔、そんな事情を田舎者とバカにする貴族もいたが、逆に辺境の地が盾となって王都を守り、辺境で育った作物や畜産物を食べているのを知らないのですか? と、やり込めたことがあった。
身も心も傷ついたマーガレッタ様は、その傷が癒えるまで、社交界から離れられるのだ。
彼女も、そんな穏やかな辺境で守られて生きていくのだろう。 そう、彼女をこれ以上傷つけるものが居ないといい。
そう思いながら手紙を読み進めると、あらあら、と声を出しそうになり、私は口元を押えた。
「アイザックったら……やってくれたのね。」
書き記してあったのは、彼らのその後。
社交界で流れていた噂を、商人や使用人を使って上手く『婚約者の浮気癖が原因で気鬱になり領地に静養に出た令嬢を、これみよがしに捨てた伯爵令息と、その令息に恋慕し、親を使って社交界に令嬢を貶める嘘の噂を広めた侯爵令嬢』として噂とすり替えて広めた。
それと同時に、公爵家が行っている事業に関わっていた伯爵家、侯爵家に対し噂を言及、そんなことをする家は信用出来ないと取引を停止した。
ここまでが、アイザックのやった事だ。
その後は想像に難くない。
貴族社会では、家格と信用は重要視される。
公爵家が取引を停止したとあっという間に噂は広まれば、そんな家と取引したがる家は減る。
しかも、愛妻家で有名な、今話題の公爵家が、不貞を働いた伯爵令息と侯爵令嬢に酷く嫌悪したという尾びれと背鰭も着いてくる。
ふたつの家は、各取引相手からも取引を停止され、既に両家とも家計は火の車で没落寸前だという。
原因となった伯爵令息は、廃嫡された後、とある子爵家の下男として雇われ、侯爵令嬢は金の工面のため、自身の3倍は年上の裕福な商人の後妻に入ったそうだ。
「……因果応報、ね。」
それを読んだ私は、くすっと笑いながら、ベビーベッドですやすやと眠る、ここでいま最も小さな赤ちゃんであるダリルを見た。
金褐色の巻き毛に、ペリドットグリーンの瞳の赤ちゃん・ダリルは傷ついて、泣いて、苦しんで……そこから這い上がるようにして、ここを去ったマーガレッタ嬢の産んだ子供だ。
ここに来る前、彼女とは親しい間柄などではなかった。 しかし、ここに来て、彼女を見届けた3ヶ月は、それに匹敵するほどに大きな関係性となった。
これからの彼女の人生に、せめて彼らが関わらないようにして欲しい、と、身勝手なお願いをアイザックに託した。
どこまで彼がわかってくれるか分からないまでも、彼女をここまで傷つけておいて何も無かったかのように幸せになろうとする彼らが許せなかったのだ。
まさかここまで本格的にやるとは思っていなかったが、願った私はそれを受け止めなければならない。
「ダリル……ごめんなさいね。」
あなたの父親である人間を、追い詰めたことを謝罪する。
これは私刑だ。 私のただの我儘な感情で起こした権力の行使で、自己満足だ。 王太子の婚約者時代ならば、こんなことはしなかっただろう。
神にお仕えする立場でありながらこのようなことをするのは間違っているのだろう。 ただそれでも、このまま彼女とその子供だけが、悲しみを抱えたまま生きていくのは許せなかった。
「神様、罪深い私を、どうぞお許しください。」
ギュッと手を組み、祈りを捧げてから、再びすやすやと眠るダリルの頬をそっと触れた。
「ふふ、可愛い。 どうか幸せになってね……。」
父親の伯爵家が没落したら、もしかしたら母親の腕に再び抱かれることが許されるようになるかもしれない。
最初に抱っこした日からすでに半年たち、寝返りを打ちながら積み木に向かってはいはいしようと日々、格闘している元気な子だ。
「そうなるといいわね。 ……あなたも。」
そう言って彼の元を離れると、今度は上掛けを蹴り飛ばして寝ているバビーの傍に近づき、上掛けを直してやってからそっと頭を撫でた。
「明日はもう、お別れだもの。 どうか幸せになってね、バビー。」
ぎゅうっと感じる胸の痛みを抑えて、私は涙がこぼれおちそうになるのを耐え、笑う。
ここに来て一年。 日々成長を見続けていたバビーは、明日、とある侯爵家の若夫婦に引き取られることが決まっていた。
話を聞いた時には、母親の元に帰るわけではないことで大丈夫だろうかと心配した。 勿論、院長先生がその家の経済状況や、家庭環境、その他その家にまつわる様々なことを調べ尽したうえで養子に出すと言うのだから、私たちは安心しても良いのだろう。
しかし、ここに来て一年。 ずっと成長を見続けてきた可愛い子だ。 万が一にも不幸になるようなことになったら辛い。
そんな私の表情を読み取ったのだろう。 少しずつではあるが、院長先生の仕事を手伝っている私は、今回の養子縁組についての書類を見せていただいた時に、新しい両親となる侯爵家の若夫婦の名を知った。
清廉潔白であり不正などには決して近寄らないと有名な、司法に携わる侯爵家の次期当主となる若夫婦が両親になるのであれば、厳しい教育が待っているだろうが、大丈夫だろう、と安心した。
「あなたたちにも、良い縁があるといいわね。」
すやすやと眠るアニーも、シンシアも、みんな可愛い。 みんな幸せになってもらいたい。
夜明けが近い。
そう願いながら、私は手紙を封筒に入れると、そっと、火にくべて燃やしてしまった。
その大きな物音がしたのは、空がしらみ始めたばかりの頃だった。
そろそろ起き出す子供たちのために、養育室の床にカーペットと清潔なシーツを引き、ベビーサークルを静かに組み立てながら、バビーの着る一張羅のシワを伸ばしていた。
がたんがたんと、大きな音が養育棟の外から聞こえた。
「何かしら?」
慌てて飛び出し、聖堂の入口の方へ向かった私は、そこで、女性しか入ることの許されない敷地内では珍しい、騎士たちの姿を見つけたのだ。
しかも、あの鎧には見覚えがあった。
(王宮騎士?! なぜこんなところに。)
サッと柱の影に身を隠し、様子を窺いみていると、寄宿棟からはシスター・サリア、聖堂からは院長先生がやってきた。
「それ以上手荒な真似はやめなさい、その子は子を抱えた少女ですよ。」
(新しい子なんだわ……でも、騎士がなぜ?!)
少し身を乗り出したところで、院長先生と目が合うと、隠れるようにと目配せされた。
頷き、柱の影にかくれたところで、騎士に抑え込まれながら、暴れている白い神殿服の女の姿がみえた。
(……神官? まさか……?)
そんなことはありえない。
ふと浮かんだ言葉に首を振り、隠れるようにして窺っていた私に、一瞬、王宮騎士から逃れた女性の姿が見えた。
(そんな……)
けして自分でやったのではないような、ざんばらに切り刻まれた黒髪を振り乱し、助けを求めるような女性の姿。
(聖女マミ?! なぜこんなところに?!)
叫び出しそうになる口を咄嗟に押えた私は、隠れたまま、彼女の姿を凝視するしかなかった。
50
あなたにおすすめの小説
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』
鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」
公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。
だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。
――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの?
何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。
しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。
それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。
そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。
温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。
そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。
「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」
「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」
離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。
そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』
放浪人
恋愛
「もう、余計なことは喋りません(処刑されたくないので!)」
王太子の婚約者エリスは、無実の罪を着せられた際、必死に弁解しようと叫び散らした結果「見苦しい」と断罪され、処刑されてしまった。 死に戻った彼女は悟る。「口は災いの元。二度目の人生は、何があっても口を閉ざして生き延びよう」と。
しかし、断罪の場で恐怖のあまり沈黙を貫いた結果、その姿は「弁解せず耐え忍ぶ高潔な令嬢」として称賛されてしまう。 さらに、人間嫌いの冷徹宰相クラウスに「私の静寂を理解する唯一の女性」と盛大な勘違いをされ、求婚されてしまい……!?
「君の沈黙は、愛の肯定だね?」(違います、怖くて固まっているだけです!) 「この国の危機を、一目で見抜くとは」(ただ臭かったから鼻を押さえただけです!)
怯えて黙っているだけの元悪役令嬢と、彼女の沈黙を「深遠な知性」と解釈して溺愛する最強宰相。 転生ヒロインの妨害も、隣国の陰謀も、全て「無言」で解決(?)していく、すれ違いロマンティック・コメディ! 最後はちゃんと言葉で愛を伝えて、最高のハッピーエンドを迎えます。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
婚約破棄をしておけば
あんど もあ
ファンタジー
王太子アントワーヌの婚約者のレアリゼは、アントワーヌに嫌われていた。男を立てぬ女らしくないレアリゼが悪い、と皆に思われて孤立無援なレアリゼ。彼女は報われぬままひたすら国のために働いた……と思われていたが実は……。
婚約者が聖女を選ぶことくらい分かっていたので、先に婚約破棄します。
黒蜜きな粉
恋愛
魔王討伐を終え、王都に凱旋した英雄たち。
その中心には、異世界から来た聖女と、彼女に寄り添う王太子の姿があった。
王太子の婚約者として壇上に立ちながらも、私は自分が選ばれない側だと理解していた。
だから、泣かない。縋らない。
私は自分から婚約破棄を願い出る。
選ばれなかった人生を終わらせるために。
そして、私自身の人生を始めるために。
短いお話です。
母は何処? 父はだぁれ?
穂村満月
ファンタジー
うちは、父3人母2人妹1人の7人家族だ。
産みの母は誰だかわかるが、実父は誰だかわからない。
妹も、実妹なのか不明だ。
そんなよくわからない家族の中で暮らしていたが、ある日突然、実母がいなくなってしまった。
父たちに聞いても、母のことを教えてはくれない。
母は、どこへ行ってしまったんだろう!
というところからスタートする、
さて、実父は誰でしょう? というクイズ小説です。
変な家族に揉まれて、主人公が成長する物語でもなく、
家族とのふれあいを描くヒューマンドラマでもありません。
意味のわからない展開から、誰の子なのか想像してもらえたらいいなぁ、と思っております。
前作「死んでないのに異世界転生? 三重苦だけど頑張ります」の完結記念ssの「誰の子産むの?」のアンサーストーリーになります。
もう伏線は回収しきっているので、変なことは起きても謎は何もありません。
単体でも楽しめるように書けたらいいな、と思っておりますが、前作の設定とキャラクターが意味不明すぎて、説明するのが難しすぎました。嫁の夫をお父さんお母さん呼びするのを諦めたり、いろんな変更を行っております。設定全ては持ってこれないことを先にお詫びします。
また、先にこちらを読むと、1話目から前作のネタバレが大量に飛び出すことも、お詫び致します。
「小説家になろう」で連載していたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる