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〖第8話〗貴方の待つ人──プラチナのひと。
しおりを挟む見えない相手への、穢い嫉妬。クシャリと目尻を下げた無防備な笑い方。
低いけれど温かい『咲也くん』と自分を呼ぶ声。
知らない同じプラチナをつけるひとにも、同じように笑って、同じ声でそのひとを呼ぶんだと思うと、悔しくてたまらなくなる。
結局、巌には待つ人がいる。そう思うと、なにもかもが虚しくなる気持ちが咲也を支配する。
飼い慣らした感情の糸を握る手は、想いの全てを打ち明けてしまいたい衝動にかられる。けれど、そうしたら、もう、二度とこの関係に戻れないのは、充分咲也は解っている。
今更独りが寂しいわけではない。けれど稀に悲しい過去は古い知り合いのようにやって来る。苦しみは昇華させたはずなのに、悲しくてたまらなくさせる。
『俊一のこと、忘れられたら楽になるのかな。でも、苦しい。思い出すのは楽しいことばかりだ。喧嘩してばかりだったはずなのに。覚えているのが苦しい。ひとは都合良く出来てる。いいことしか思い出さない』
随分前に何がきっかけかは解らないけれど酔って泣きながらそんな事を巌に言ったことがあった。巌は、
『記憶は悲しいけれど風化してしまう。仕方がないことだよ。でもね、だから、ひとは生きていけるんだよ。咲也くんは正直だね。よく、独りでずっと頑張ってきたね。でも、咲也くんの記憶に楽しいことが残っていて良かった』
そう巌は片手にあったビールをテーブルに置き眉を下げ、咲也が泣ききるまでずっと手を握っていてくれた。その暖かさに、やさしさに、中々涙が止まらなかったことを覚えている。
やさしい人だと思う。そしてこれ以上もなく残酷な人だ。
だって、巌さんと自分の2人で未来を描くのは不可能なのに。
何か巌にできること。そう考えるが自分は何もできない。何も望まれていない。
巌には悲しさや苦しさを癒す場所がある。自分は、ただ火曜日と金曜日、夕ご飯を用意するだけだ。
『美味しい、咲也くん』
と笑った顔が見たくて。喜んでくれたらそれでいい。巌の笑顔だけで嬉しかったのに。いつしかひねくれて、巌を困らせて、挙句見えない相手に嫉妬する始末だ。
疼く痛みに、咲也は左の親指に目をやる。あんな顔をさせたくなかった。つらそうな瞳や悲しい顔なんてさせたくないのに。
素直に
『好きだ』と、
『抱きしめて欲しい』と、
伝えられたらどんなに楽だろう。幸せだろう。けれど、そんな想いは巌に会うと切なく消える。
この関係を続けること、それが咲也にとっての幸せの時間だ。
素直なこと、正直なことだけが正解ではない。今のままでいい。
誰かを好きになることはこんなにも苦しいことだったろうか。
ただ、待っていた金曜日。巌が来なかった金曜日。火曜日から深酒をして勝手に抱いた、ありとあらゆる負の感情を隠して、この前のことを謝まろうと思った。
仲直りといったら、おかしいかもしれないけれど、巌はうどんが好きだから、温かいうどんを作ろうと思った。餡掛けの油揚げと九条ねぎの。
けれど、巌は来なかった。『来れない日は必ずするよ』と言っていた、来るはずのメールの連絡も、なかった。
ずっと待っていた。全て終わってしまったのではないか。巌に嫌われたと、だから巌は来なかったと咲也は思った。
悲しくなると同時に、勝手に盛り上がっていた自分が滑稽に思えた。惨めになる。たまらなかった。
「馬鹿みたいだ。だったら、言えばよかった………好きだって。ずっと好きだったって。巌さんが来るのを楽しみに待ってたって………」
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