眠らない傷痕─孝明の場合・佐伯の場合

カシューナッツ

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《前編》

孝明の場合⑪──佐伯の悲しい告白

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「雨の降りが強いな」
「悲しいことを思い出す。雨は……嫌だな」
 佐伯も独り言のように、ポツリと呟いた。久しぶりの佐伯と偶々の当直。佐伯は酷い風邪を推して当直に出ていたが、暫くし熱が三十八度を過ぎていたので点滴をし横にならせた。孝明はぐったりする佐伯の頭を昔、佐伯がしてくれたようにポンポンと叩いた。
「早く良くなれよ。あと、訊きたいことがある。お前、あの頃の和也にアルコールと相性悪いって知っていてあの睡眠薬だしたんじゃねぇよな?」
 いきなり声のトーンが落ちる孝明に佐伯は顔に『?』マークを出しながら言った。
「普通お薬表に書いてあるだろ?運転注意とか、ふらつく、とか。眠剤でも何でもアルコールと相性が良い薬なんてない。まあ、とにかく和也は知ってたよ。薬剤師からも言うんじゃないかな」
 俺は佐伯の言葉に逆上した。あの時のことなんて、全て忘れていた。ただあるのは、『知ってたから飲んだ。確実に死ぬために。佐伯お墨付きの薬だったから』和也は酒は飲まない。薬剤師なんか佐伯が処方しなきゃ薬は出せない。佐伯ほどの医者が気づかなかったはずはない。あの頃の和也にとってあの睡眠薬は和也自身を救う唯一の助け船だったはずだ。それとも……少し冷静になる。和也が死んだら特をするのは佐伯だ。和也を失い俺を慰めるふりをして、掠め取ろうとする考えか?そんなことまで考えた。自意識過剰の汚い考えすら浮かんでくる。
「何でそんな薬出したりしたんだ!あの薬がなければ、なければ!和也が死のうとすることも、病気になることも、俺の三年間の人生を無駄にすることはなかった。お前なら予測はついただろ?自殺企図するくらい!お前が、あんな薬出したから!お前が!お前が!あんな薬だしたから和也は自殺しようなんて思ったんだ!じゃなきゃ和也は睡眠薬自殺なんてしなかった!現にあの時あいつは薬を貯めてた!今……やっと、やっとまた会えて……昔みたいになれると、思ったのに!幸せになれるって、幸せになれるって思っていたのに!」
 それまで孝明は、自分が和也に何をして来たか。和也に対してどんな扱いをしてきたか。そんなことは何処かにいっていた。そして三年前の佐伯が和也に『生きるための』治療を行ってきたことも。
 闇に怯え、泣き叫ぶ和也を抱きしめる。身体を震わす和也を見る度、頓服薬を飲ませる度、つらくてつらくて、仕方なくなる。抱きしめるしか出来ない。
 和也の苦しみを見てきた三ヶ月。頭の中は三年前。悪者は佐伯一人。この時、孝明自身、常軌を逸していた。二十年も三ヶ月も混在して、ただ、歪んだ佐伯への憎しみしかなかった。佐伯は何も言わない。いつもの寂しそうな微笑を口の端に浮かべるだけだ。
「何が可笑しいんだよ!」
「笑って……いるように見えるのか」
 孝明の声に佐伯はそう言い、瞳を閉じた。全ての感情が佐伯から消えた。
「全部、全部お前のせいだ!……殺してやる!」
 孝明が椅子から音を立てて立ち上がりそう言うと、
「好きにすれば良い」
と言った。俺は“認めた”としか考えてなかった『和也』が邪魔だったんだ”と。
「もう疲れたんだ。お前なら良いよ。好きにしろ……いざとなると駄目か。意気地がないなあ」
 カッときた俺は佐伯のベッドに馬乗りになって佐伯の首を絞めた。
『人殺し!』『殺してやる!』『お前のせいだ!』
 思い付くばかりの罵声を浴びせ、ぎりぎり力を込めているのに、佐伯の顔は安らかで、微笑んでいるように見えた。孝明の指に触れられて殺されることを望むような、穏やかな顔。そんな佐伯に対して真っ黒な鏡のような窓に映る孝明は化け物みたいな恐ろしく醜い顔をしていた。
我に返り反射的に手を離す。首にはくっきり指の痕がついていた。苦しそうに激しく咳き込む背中に触れようとしたら手を振り払われた。謝ろうと話しかけようと口を開こうと声を発しようとしても苦し気な顔をした、睨むような視線で制される。身体にも、心にも触れることが、できない。暫く沈黙が流れる。呼気にヒューという雑音交じりで佐伯は小さく言った。
「なあ、三年間、本当に、お前にとって全て無駄だったのか。要らないものだったのか?」
「良いことなんて一つもない!後悔しかなかった!」
 孝明は金切り声をあげるように叫んだ。佐伯は「そうか」と静かに言い言葉を繋いだ。
「俺は、お前が必死で働いたのが認められてお前が副センター長になって嬉しかった。それとカシミヤのベージュのマフラーをいまだに使ってもらえてるのも。迷って迷って、散々迷って……店員が困るくらいに悩んで買った。配属が変わって、お前と同じ病院で働けて、俺は精神科の部長に昇進して。二人で昼飯食べ歩いて、幸せだった。笑いかけてくれる相手が違うとは解っていても俺はいつもお前と二人で過ごす時間は、幸せだったんだけどなあ………」
 仰向けの佐伯のこめかみに涙の線が伝った。
「佐伯、なあお前……やっぱり……俺なのか?」
 佐伯が笑う。これ以上愉快なことはないと言わんばかりの笑い方をして左手で目を覆う。隠しきれず伝う涙が痛い。胸が抉られるような泣き方をする。
「……お前が俺にそれを言うのかよ。俺がずっと、しまってきたことを、それをお前が今言うのかよ。しかも俺を『人殺し』『殺してやる』『死ね』って言った直後にそう言うとはね。何だ?その顔は。ずっと自分に好意を寄せている人間だから、何を言っても構わないと思ったか?傷つかないとでも思ったか?何でもいつもみたいに、にっこり笑って簡単に許してくれるとでも思ってるのか?残酷だな。孝明。お前は残酷だよ。ずっと好だった奴だから、これまで隠し通してきたからこそ、その言葉は聴きたくなかったな。早くしろよ。殺したいんだろ。憎いんだろ。さっきみたいに首しめてみろよ」
 自分の両手を見つめる。カタカタ震えている。
「出来ない。殺したくなんかない、憎くなんかない、ごめん。佐伯。佐伯。こんなことするつもりじゃなかったんだ。本当だよ。ごめん。和也のこと思い出して、頭に血が上って……ごめん。和也が自殺しようとした時、あれだけ手を尽くしてくれたのに……ごめん。許し……」
「そんな顔すんなよ。そんなに俺は可哀想か。そんなに惨めに見えるのか」
佐伯は孝明の言葉を遮り冷めた目で孝明を見て、ハハッと笑ってから大きな息を吐く。『そんなんじゃない、可哀想なんて……』と言おうとするより早く、佐伯は言う。
「なあ、違和感を覚えたのはいつだ?」
「……マ、フラーを、マフラーをもらったとき。ただ、お前が切なそうで、哀しそうで。『誕生日おめでとう』っ言って、心臓の辺りをポンっと押したのを覚えてる。あと……冷凍蜜柑」
 佐伯は笑った。大笑いした。点滴を引きちぎるように佐伯は抜いた。腕から血が出ていた。
「佐伯、血が出てる、止血しないと……」
「うるさい!」
 ピシャリと言葉を遮られ、孝明は何も言えない。薄暗い、当直室の半分壊れている蛍光灯が、佐伯の点滴の逆流した血液を、管を通り逆流し、赤くしていく様子を照らす。佐伯が『煙草吸いに行ってくる』と言って、似合わない、がま口の煙草入れを乱暴に掴んで部屋を出た。
 昔、佐伯と和也と孝明で水族館に行った時に佐伯に買ってプレゼントした煙草入れ。色違いのお揃いだった。贈った孝明はもう、とうの昔になくしてしまっていた。遠くにエレベーターの音がした。
 ここは一階だ。喫煙ルームは一階、もしくは屋上だ。走って追いかける。エレベーターの数字が次々に加算されてく。『R』で止まった。肌が粟立つ。エレベーターより階段の方が速い。夢中で追いかけた。緑地になっている屋上。いつも明るいうちに来ていた。ベンチに腰掛け孝明は佐伯とたくさんの時間を過ごした。一緒に夏場散々アイスを奢らされた。
『副センター長は給料いいんだろ』
 二人で、日差しに負けて溶けていくカップアイスに苦戦し、食べ終わると必ず、
『口、べたつくだろ』
 と孝明が好きな烏龍茶をいつの間にか買ってきてくれていた。和也を探し続けた三年間、いつも一緒にいた。佐伯はたくさん新しい思い出を作ってくれようとした。ソフトウェアを更新するみたいに。担当患者が亡くなると孝明は佐伯の肩を借りて泣いた。
 佐伯はずっと、笑いながら、苦しんでいた。笑いながら、泣いてきたんだと思う。ずっと、隠し通そうと必死だった。多分、一生懸命終わりにしようとしていた。ひたすらいい友人を演じながら。 
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