眠らない傷痕─孝明の場合・佐伯の場合

カシューナッツ

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《後編》

佐伯の場合⑥──研修医・神谷俊介

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 一人何処かで見た顔がいるな。佐伯は三人の研修医を見る。二週間様子を見て『神谷俊介』という研修医が気になった。好意の問題ではなく、視線だ。窺い見るような。そんな、あまり心地のよいものではない目線。そう思いきやじっと、見つめるだけの時もある。種類の違う二つの視線。研修医として腕と知識、勘。全ていい。良いどころじゃない。完璧だ。勤務態度、真面目。だから余計に何かひっかかる。仕事が一段落ついた後、カウンセリングルームに誰もいないことを確認し神谷を呼んだ。内鍵を閉める。
「神谷君、俺に何か用があるのか?困っていることがあったら話していいよ。秘密は厳守する。楽にしていい」
 机を挟んで向かい合わせに座る。ストッパーつきの窓が一つ。ベージュ色の暖かさ演出する。
「佐伯先生は、何か格闘技やってたの?」
 楽にして、の途端にくだけて喋る。若いな、と思う。
「どうしてそう思うのかな?」
 顔には出さずに、にこやかにかわす。やはり今も同性愛者への偏見は強い。喧嘩までとなると立場がある。神谷は小さくなり頭を下げた。
「あの時はどうもすみませんでした。全部軽い打撲傷で済ますって、佐伯先生すげえ」
 じっと見つめてくる神谷を横目に佐伯は微笑む。
「意味がわからないな。誰かと間違えてるんじゃないかい?」
「その薄気味悪い丁寧な口調、声………やっぱり佐伯先生だ。ぬいぐるみの奴の彼氏なんでしょ。あいつ喧嘩弱いしつまんなかった」
 佐伯は神谷の衿元を掴み耳元で低く言った。
「二度と彼のことを侮辱するな。次はない」
 神谷はカラカラと笑いながら言う。
「やっぱり佐伯先生だったんだ。本気で好きなんすね。声違いすぎ。あと、彼氏って相模先生でしょ。可愛い顔してますよね。あれでアラフォーって詐欺っすよ。インターンでとおりますって。親切だし。優しいし。俺と、真逆………」
 不思議に神谷にはセクシャル・マイノリティに対する偏見がまるでないようだった。さりげなく神谷自身について穏やかに訊いてみると、
「多分どっちも」
 と口ごもりながら、真っ赤な顔をして言った。
「多分?」
 と訊くと、男性はプラトニックしかないとのことだった。佐伯が少し笑うと、
「でも、先生だってそうでしょ?俺、変なの?」
 と必死な様子で言った。少し涙目になっていた。
「変じゃないよ。色んな人がいる」
「お、男はプラトニックだし、それに最近で、初めてなんだ」
 と言い俯いた。でもどうして相模とのことを気がついたのか。そんな佐伯を見て神谷は、
「今、先生。相模先生のこと考えてたでしょ。あと何でばれたんだって思いませんでした?俺、ずっと見てた。すぐ解ったよ。視線の先にいつも相模先生がいた。あと、シャンプーと煙草が同じって中々ない」
 と言った。神谷は少し寂しそうに、「いいなあ」と瞼を伏せた。窓から夕暮れの光。佐伯は何がいいのかと、次の言葉を待った。
「俺、あのときやけっぱちで。八年付き合った彼女に財布の中身、持ち逃げされて。先生にはフルボッコにされるし。最悪。喧嘩なんてしなきゃよかった。……本当にバカみてぇ。家族も」
 神谷は俯いた。あまりの間の長さと雰囲気の重さに耐えかねて佐伯は口を開く。
「家族がどうかしたのかい?」
「全員、事故って死んで、だーれも居なくなっちった。神様も五人もいっぺんに持ってくことねぇじゃねえか。医者になったら……母さんと父さんと妹と弟たち…。弟、双子なんですけど、普段すっげぇうるさくて。本当に相手すんの大変だった。勉強すんのに、邪険にした。こんなことになるならもっと優しくしてやればよかった。早く医者になりたかった。みんなに贅沢させてやれた。一回で良いからA五ランクの牛肉死ぬほど食わせてやりたかった。そこであのぬいぐるみ抱きしめて嬉しそうにしてる相模先生見たら、すんげぇ苛々して。腹立って。すみませんでした。相模先生にも言っておいてください。後悔してる。バカだったよ……で、でも、佐伯先生、俺、普段喧嘩なんてしないよ。本当だよ。本当に。クマごと佐伯先生に抱きしめられる相模先生、羨ましかった。幸せそうで。俺、惨めだった」
 神谷の言うことを信じたくなかった。少しづつ、また話を重ねていく。あまりにも過去の自分と重なる。父と母を亡くした自分を。あの頃の佐伯には孝明がいた。けれど神谷にはいない。同情する気持ちがないわけでもない。けれど、神谷は相模を傷つけた。あの時を思いだすと、とてつもなく不快な気持ちになる。今ここで、もっとぶん殴ってやるという気がしなくもない。話を切り上げ帰ろうかとも思った。けれど今の自分は指導医の立場だ。それに同じようなことを経験した佐伯の前でうなだれる神谷は傷ついていて、あまりにも憐れだ。感情が交差する。神谷の淡いブルーのテーブルクロスをポタポタと涙で濡らす様が切ない。沈黙の後、後者が勝った。一瞬あの頃の自分の影を見た気がした。佐伯は神谷の頭を二回ポンポンと優しく叩いた。
「頑張りなさい。医者になるんだろ?自棄になってはいけない。少し落ち着くよ。ほら」
 そう言って、売店で買ったビターのチョコレートの個包装の箱をポケットから差し出した。金色の包み紙を取り、チョコレートを口に含む神谷は『うまいっす』とでも言うのかと思ったら『美味しい』と静かに言い、泣きながらチョコレートを食べた。佐伯は左手で頬杖をついて、はなを啜りながら口を動かす神谷を見ていた。
「ねぇ、佐伯先生」
 涙目で見上げられる。最初の勢いが全くない。
「何かな?」
「先生は浮気はしないの?」
 思わず吹き出した。笑って端的に答える。
「しない」
「何で?遊びなら良いじゃん」
「相模が悲しむ。それに俺は相模しかいらない」
「そっか」
 神谷は俯いて、そっか、そうだよな。と繰り返す。
「ねえ先生は、俺のこと嫌い?」
 怯えた、涙をためた目で神谷は訊いた。
「あまり好きではないね」
 研修医としては優秀だと思うよ。とても、と言う言葉を神谷は聴いていないかのようだった。
「………相模先生の件?」
「まあ、そうだね。俺は相模が絡むと血がのぼる。この前のことは謝るつもりはないよ」
 正直だね、と小さく神谷は言った。
「ねえ、佐伯先生。相模先生と付き合う前なら、喧嘩なんか………し、しなかったら、俺と友達になってくれた?今でも、間に合わない?だめ?話を聴いて欲しいんだ」
 顔を涙か、はな水で解らないくらい顔を汚しながら、縋るように神谷は佐伯を見つめる。佐伯は一つ息を吐いて『空き時間、話を聞いてあげるよ。明日もこの時間に来なさい。これ。返さなくていい』俺はハンカチを手渡す。神谷は交互に瞳を拭く。まだ涙が止まらないみたいだ。
 それから数日色々話を聞いた。神谷は張りつめた糸のようだった。弛むと泣く。感情のコントロールができなくなる。どうやら神谷の家は家族の繋がりが強いようだった。その家族を失って情緒不安定になるのは当たり前だ。ただ切ないのは、この全身で『悲しい』と佐伯に訴えるこの研修医を慰めて癒してくれる人が、感情を吐露する相手がいないことだ。小雨が降ってきた。ずっと神谷は頭痛を訴えていたので、市販薬を分けてあげた。佐伯自身、頭痛持ちだったから頭痛薬は持ち歩いている。特に雨の日は苦しい。
「先生、寂しくて、寂しくて堪らないんです。遺影と遺骨が並んだ家に帰ると頭おかしくなりそうになる!俺だけ置いていかれた!誰もいない!」
 ボタボタっと大粒の涙を勢い良く神谷は落とす。暫くの沈黙の後、
「恥ずかしいですね、自分。良い年して泣いてばっかりで……」
「神谷、俺しかいないから泣きたいなら泣きなさい。ほら、チョコレート。もっと食べるか?」
 軽く頷き、神谷はチョコレートを口に運ぶ。顔をグシャグシャになるほど泣きながら神谷はチョコレートを食べながら笑う。
「佐伯先生だけだよ。優しくしてくれたの。みんな金目当て。保険金が………入ったから。話を聞いてくれた人は……チョコレートをくれた人は佐伯先生が初めてだよ。お願いだよ。明々後日、四十九日の法要なんだ。。母さんと父さん駆け落ちみたいなもんだったから。佐伯先生、一緒に、一緒にいて下さい」
 お願いします。と言い神谷は頭を下げた。暫くの後、
「解った」
 としか言えなかった。窓からオレンジ色の夕暮れの光が差し込む。何故か怖いと思った。 
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