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《終章》
エピローグ──眩しい『これから』
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《エピローグ》
「遠くに見える湖面が、光る網をかけたみたい」と言い、助手席の相模は微笑む。そして「晴れて良かった」と、佐伯は素直に喜ぶ相模を見て目を細める。孝明は、後部座席で少し休むと言い、和也の膝を借りうつらうつらしている。和也はずっと外の景色を見たり、佐伯や相模の話に混じりながらも、膝の上の孝明の髪を優しい顔をしながら撫でていた。車で、孝明と和也を拾った時、「昨日の緊急オペが長引いて。着いたら起こしてくれ」と言っていた。昔は、そんな孝明を切なく見ていた自分がいたな、とバッグミラーを見て佐伯は思い返した。車に『四人』乗せていく、初めてのドライブ。晴れて心地の良い日だった。夏になりきれない、まだ湖水がひんやりしている日だった。けれど、陽射しは強い。山の蝉は鳴き声が違う。窓を開けると軽く爽やかな音がする。鳴くのが仕事のように沢山の蝉が鳴く。こだまのようだった。
「着いたよ、孝明」
「かずや?……おはようの…キスは?」
「ほら、寝ぼけちゃだめ!恥ずかしいでしょ!」
和也は顔を真っ赤にしながら孝明を揺り起こす。
「起きないね。ごめんね。でも、このまま置いておいたら熱中症になっちゃうから。まったくもう……ほら、起きて!孝明!」
相模は湖水浴が終わってからのバーベキューの下準備をしていた。佐伯は火の準備。相模は和也と孝明を見て寂しそうに微笑んだ。和也は相模が切なそうに見え「大丈夫?」と訊いた。
「気をつかわせてすみません。光宏さん、何で僕だったのかな。きっと僕は先輩の初恋じゃなかったら見向きもされなかった……」
すみません、愚痴って。と言い相模は笑う。相模はいつも笑っている。きっと、どうしようもなくつらいときも苦しくて切ない顔をしながら涙を流して笑うんだろうと和也は思う。
「僕、早川さん見てますから、光宏さんと泳いできてください。落ち着いたら合流しますんで」
相模の心なしか涙目で、ニッコリ笑う姿は、和也の胸に刺さる。暫くし、佐伯は水着に着替えた和也と一緒に、湖に浮かんでいた。眼鏡は古い、なくしても良い度が弱い眼鏡をしていた。
「……佐伯くん。この前カフェでたまたま会った時相模くん
『不安だ』って。飽きられて、捨てられるって。佐伯くん。相模くんは佐伯くんのこと…その…完全に信用してないんじゃないかな」
「何で……?毎日キスしてるし、抱きしめてるし……してるし。何で不安が消えないんだ?何が足りないんだ、相模……」
ため息をついて和也は言う。
「……ちゃんと『会話』してる?簡単に不安は中々消えないよ。相模くんは昔から独りだった。独りじゃないと思わせた初恋の人に『おいで』って言われたから必死で同じ大学の医学部に入ったら、気づきもされなかった……なんて言ったら、僕はその人を中々好きにはなれない。仮に好きになれたとしても何処か信用できない。まして浮気はないよ。何処かで許せてないと思うけど、でも、相模くんは思ったことを言う勇気はない。笑顔で誤魔化して。染み付いた劣等感で。僕は『言いたいことはた方が良い。いつか爆発する』何か『きっかけ』になるようなことがあれば、機会だと思って』って言ったよ。だからその時が来たら許容してあげて」
「ああ……ありがとな。和也。で、何でそんなに相模に詳しいんだ?たまたま会っただけじゃ相模はそんな話はしない」
中天の太陽と戯れる。和也の浮き輪に頭を乗せる。いきなりここまで蝉の声が聞こえ始める。
「街で偶然会って。それから。たまにランチしたりしてるよ。最初に会ったのは春まだ寒いときだった。僕はベージュのトレンチコートを着てた」
*
『和也さん!』
グレーのハーフの薄地のダッフルコートを着た相模くんが、僕に駆け寄った。
『お買い物?』
『ううん、病院の帰り。佐伯くんにかかってるんだ』
苦笑いしながら、僕が言うと
『あ、ご飯一緒にどうですか?お暇でしたら、ですが。僕、昼休みで』
と、眉を下げ相模くんは困ったように笑った。大きな目だなと、僕は見とれた。街中の鏡みたいに磨きあげられたガラスに映る相模くんは、俯いていた。周りが怖いみたいに。彼の襟元まできっちり隠すようにしめられたシャツと趣味の良い、ネクタイ。何となく佐伯くんが選んだのかなって思った。上手くいってるって思った。でも、何処か淋しそうに見えた。首を隠すのは外からの『防御』のサインだよね。イタリアンのお店で、二人でパスタを食べた。相模くんは食べ上手だった。
相模くんは食後のデザートのガトーショコラと珈琲を飲みながら、
『変な言い方ですけど、和也さんみたいな人が、家族にいたら……僕、変われてたって思うんです。和也さん、優しくて寄りかかりたくなります……何かすみません。変ですよね………』
僕は、相模くんは家庭内で寄りかかれる人は誰も居なかったんだと思った。後からいじめの話も聞いた。そんな中、傷だらけの相模くんに恋して全肯定したのは佐伯くんだけだった。
『相模くんは良い子だね。でも、もう一生懸命「良い子」にならなくていいよ。仕事も、プライベートも充実してる。これ僕のメールアドレス。僕で良いなら話はいつでもきくよ。相模くん。佐伯くんは、相模くんが好きだよ。安心して』
そう言ったら、急にあの大きな目からポロポロって涙を流して
『先輩が怖い。飽きられて、捨てられたら?僕には先輩しかいないのに』
って言ってた。そのあと泣きながら『すみません。恥ずかしいですね』って笑って見せた。
*
「佐伯くん、泣きながら、あの子は笑うんだね……誰も傷つけないように………」
佐伯は眼鏡を和也に渡し、佐伯は軽く湖に潜った。終わりに怯えてるのは自分なのにと佐伯は思う。湖水から顔をだし、前髪をかきあげて、和也に眼鏡を返してもらう。和也は、浮き輪を枕に湖水に横になりながら言った。
「それに、言いにくいけど、例の件か解らないけどね、泣きながら『僕はコンビニで売ってるガムと同じなんです』って言ってた『何処で買ったかも解らない。そんなもの。あの人にとって僕はきっと。ストックもコンビニで買える』って。踏ん張りどころだよ、佐伯くん。相模くんを逃がしちゃダメだよ?幸せになって欲しいんだ。一番は相模くんの信頼だよ」
「……ありがとな。和也」
『おーい』と、遠くから間の抜けた声がする。
「あれ?お前、肌赤くなるんじゃなかったのか?」
遅れてきた孝明が、合流する。
「そうだったか?」
佐伯は鼻白んで言う。孝明の鈍さには辟易する。鈍いを通り越して馬鹿なのかと佐伯は思う。屋上から飛び降りた日、全部伝わったと思ったのに。腹が立って仕様がない。
「明彦は?」
「泳げないから波打ち際で遊んでるって」
孝明の言葉に佐伯は急いで陸へと戻る。独りで淋しい思いをさせたくないと佐伯は思った。
「光宏さん?あ、眼鏡は?」
「あ、ああ。持ってる。潜った時以外、外してない。これは古い眼鏡だから。いつもの眼鏡は車だよ」
相模はじっと、手の中の眼鏡を凝視する。古い丸みを帯びた燻したブラウンの眼鏡。
「……か、かけてくれませんか?」
「良いけど、どうした?着替えてからで良いか?悪いけど、眼鏡を頼む」
「……はい」
すぐにテントから、佐伯が、相模の前に顔を出す。佐伯が眼鏡をかけると相模の瞳は潤む。佐伯は解らない。どうして相模が涙を零すのか。
「僕が悲しくなる理由も……先輩は解らない……ずっと、ずっとあなたを追いかけて。大学でお洒落なその眼鏡に映るのは、早川さんしかいなかった」
「今は違う!相模だけだ……何をしたら信じてもらえる?何をして欲しい?いや、もしあのときなら……相模は何を望んだ?」
「笑って抱きしめて欲しかった。待ってたって。そう言って、やっと一緒に居られるなって、胸の中で泣かせて欲しかった。家に居場所が無くて、独りは慣れているはずなのに。霧降高原の写真ばかり見ていました。色んな所で言われましたね、釣り合わないって。解っているんです。でも、好きでした。好きだったんですよ。ずっと先輩だけ。あなたの背中を追いかけました」
「相模」
佐伯の呼ぶ声一つで相模は色々な気持ちになった。佐伯は、手を広げる。
「おいで、相模」
抱きしめると相模は泣いた。いつもの静かな泣き方ではなく、千切れてしまいそうな泣き方。
「寂しかった!寂しかった!ずっと、あなたが好きだったんです。苦しくて堪らなかった。もう叶わないと思っていました。留学前、先輩と話すことも、もう無いと思っていました」
「好きなだけ泣いていい。誰も居ない。大丈夫。ずっと一緒だ。…相模、愛してる……ほら、いつも通りだ。こっちをみてくれ。涙は引っ込んだか?明彦に泣かれると辛いし、どうして良いかわからなくなる……お茶を、飲もうか。マイボトルにカモミールティーが入ってる。少し寒い。テントで飲まないか?」
サラサラの砂漠の様な砂。白っぽい。スニーカーに入ってくる。
「長袖……暑くないですか?」
「傷痕が目立って。情けないな」
「そう、でしたね。見ているはずなのに。僕、見ないふりしてました。手の甲にも……深い」
相模は佐伯の手をとり、甲の傷痕に口づけた。相模の座高だと、どうしても上目遣いになる。
「痛い、ですか?」
「痛く………ないよ」
「神谷くんも、同じこと、した?」
「してないよ」
相模は大きな黒目を涙で滲ませしがみつくみたいに佐伯を抱きしめて言った。
「光宏さん、もう僕以外に触れないで。あの時、本当はつらかった。でも、納得しないと面倒だって嫌われる。光宏さんに抱かれるのは、身体的には満たされますが、心を切り売りしているみたい。でも、僕、バカみたいに『好き』が消えない。消えてくれないんです……独占欲で、真っ黒な自分がいます。光宏さん。光宏さん……傷痕を僕以外に触れさせないで……」
お願い……と言い、縋るように胸に顔を埋める相模を佐伯は抱き締める。相模が、顔をあげる。笑うこともなく、佐伯だけを見つめる。相模は言葉を繋いだ
「ずっと、僕のことだけ好きでいてくれますか?傍にいてくれますか?僕のこと、忘れないでいてくれますか?」
「俺はずっと、明彦だけだよ。ずっと一緒だ」
「誓えますか?」
左手を持ち上げ佐伯は相模の薬指の細い指輪に口づけた。
「何て言って欲しい?」
「……愛してるって、独りにしないよって」
「愛してるよ。独りになんかしないよ。ずっと一緒にいるから。もう泣きながら笑うな、笑うな。笑わなくて良いんだ」
悲しい笑顔を無理やり胸に埋めた。それしか出来ない。見つめ合うにはつらすぎる。
「大声で泣いていい。誰もいない。俺以外いないから」
背に手を回し、慰めるように背を撫でる。胸のなかで泣きじゃくる相模が、愛しい。いたいけな、かけがえのないの、失えないもの。佐伯は、相模が堪らなく愛しくてたまらない。
大きなテントの中、ごろごろしながら、キスをしたり抱きしめたり、頬に触れたりして、時間を過ごす。
「明彦、連休何処に行きたい?」
「水族館に」
「どうして?」
「今度はもう、光宏さんは、僕しか見ないでしょう?手も、繋ぎたい。でも、もう、たこ焼きとシロクマはいいです。お揃いの煙草ケース。嬉しかった。僕は独りじゃない。大切な人は、光宏さんはもちろん、和也さんや早川さんもいます。それに光宏さんがまたケンカしたら大変だし。神谷くんみたいに研修医と浮気したらもっと大変です。僕、英国に行かなきゃならない」
そんな時だった。
『佐伯!相模!いちゃついてないで、でてこいよー!バーベキュー準備始めるぞー!』
はっと夢から覚めるように飛び起きた相模を佐伯は抱きとめる。
「光宏さん?」
「明彦。キス、させて」
キスをした。深く甘いキス。チョコのような煙草、ピースの香り。相模の甘い声がテントに溢れていく。弛緩した相模の表情に佐伯の火がつく。繰り返し何度も深く深く口づけた。首に回す相模の手がほどけるくらいの甘いキスを重ねた。煙草だけでもお揃いにしたくて無理やり吸っているピース。外用の服に着替えるのに服を脱ぐ。佐伯は相模の病的に白い肌に目が行く。
「……傷、見せて。光宏さん」
佐伯はボタンをはずす。相模は、はだけた佐伯の縫い傷を指先でなぞる。
「痛そう。本当に痛くないですか?」
「もう、なんともないよ。相模の傷は?どうやって治せばいい?して欲しいこと、言って」
「僕の傷は、さっき先輩に治してもらいました」
遠くに聞こえる孝明と和也の声。辛辣な和也の声に笑ってしまいそうになる。
『孝明バカなの?デリカシーを持ちなよ!そんなんでよく仕事できるね!火くらいなんてことないでしょ!面倒ばっかり佐伯くんに押しつけて!』
『わ、悪かったから、怒るなよ、和也』
『……ごめん、ちょっと言い過ぎたかも。あの二人は、不器用だから………』
『あの二人?腹減ったから起こして来るか?』
『今はダメ!………孝明、いい加減空気読みなよ。あとバーベキューはもう少ししてからにして、一緒に泳がない?天気も良いし。孝明とあんまり泳いでないから、一緒に泳ぎたいな』
『そうだな。いくか!』
和也はやっと伝えられた相模の声を聞いた。和也の表情がほどける。
「良かった。相模くん、佐伯くん幸せになって」
『光宏さん。僕幸せだよ。好きだよ。ずっと、あなただけ。これからも、ずっと』
《完》
「遠くに見える湖面が、光る網をかけたみたい」と言い、助手席の相模は微笑む。そして「晴れて良かった」と、佐伯は素直に喜ぶ相模を見て目を細める。孝明は、後部座席で少し休むと言い、和也の膝を借りうつらうつらしている。和也はずっと外の景色を見たり、佐伯や相模の話に混じりながらも、膝の上の孝明の髪を優しい顔をしながら撫でていた。車で、孝明と和也を拾った時、「昨日の緊急オペが長引いて。着いたら起こしてくれ」と言っていた。昔は、そんな孝明を切なく見ていた自分がいたな、とバッグミラーを見て佐伯は思い返した。車に『四人』乗せていく、初めてのドライブ。晴れて心地の良い日だった。夏になりきれない、まだ湖水がひんやりしている日だった。けれど、陽射しは強い。山の蝉は鳴き声が違う。窓を開けると軽く爽やかな音がする。鳴くのが仕事のように沢山の蝉が鳴く。こだまのようだった。
「着いたよ、孝明」
「かずや?……おはようの…キスは?」
「ほら、寝ぼけちゃだめ!恥ずかしいでしょ!」
和也は顔を真っ赤にしながら孝明を揺り起こす。
「起きないね。ごめんね。でも、このまま置いておいたら熱中症になっちゃうから。まったくもう……ほら、起きて!孝明!」
相模は湖水浴が終わってからのバーベキューの下準備をしていた。佐伯は火の準備。相模は和也と孝明を見て寂しそうに微笑んだ。和也は相模が切なそうに見え「大丈夫?」と訊いた。
「気をつかわせてすみません。光宏さん、何で僕だったのかな。きっと僕は先輩の初恋じゃなかったら見向きもされなかった……」
すみません、愚痴って。と言い相模は笑う。相模はいつも笑っている。きっと、どうしようもなくつらいときも苦しくて切ない顔をしながら涙を流して笑うんだろうと和也は思う。
「僕、早川さん見てますから、光宏さんと泳いできてください。落ち着いたら合流しますんで」
相模の心なしか涙目で、ニッコリ笑う姿は、和也の胸に刺さる。暫くし、佐伯は水着に着替えた和也と一緒に、湖に浮かんでいた。眼鏡は古い、なくしても良い度が弱い眼鏡をしていた。
「……佐伯くん。この前カフェでたまたま会った時相模くん
『不安だ』って。飽きられて、捨てられるって。佐伯くん。相模くんは佐伯くんのこと…その…完全に信用してないんじゃないかな」
「何で……?毎日キスしてるし、抱きしめてるし……してるし。何で不安が消えないんだ?何が足りないんだ、相模……」
ため息をついて和也は言う。
「……ちゃんと『会話』してる?簡単に不安は中々消えないよ。相模くんは昔から独りだった。独りじゃないと思わせた初恋の人に『おいで』って言われたから必死で同じ大学の医学部に入ったら、気づきもされなかった……なんて言ったら、僕はその人を中々好きにはなれない。仮に好きになれたとしても何処か信用できない。まして浮気はないよ。何処かで許せてないと思うけど、でも、相模くんは思ったことを言う勇気はない。笑顔で誤魔化して。染み付いた劣等感で。僕は『言いたいことはた方が良い。いつか爆発する』何か『きっかけ』になるようなことがあれば、機会だと思って』って言ったよ。だからその時が来たら許容してあげて」
「ああ……ありがとな。和也。で、何でそんなに相模に詳しいんだ?たまたま会っただけじゃ相模はそんな話はしない」
中天の太陽と戯れる。和也の浮き輪に頭を乗せる。いきなりここまで蝉の声が聞こえ始める。
「街で偶然会って。それから。たまにランチしたりしてるよ。最初に会ったのは春まだ寒いときだった。僕はベージュのトレンチコートを着てた」
*
『和也さん!』
グレーのハーフの薄地のダッフルコートを着た相模くんが、僕に駆け寄った。
『お買い物?』
『ううん、病院の帰り。佐伯くんにかかってるんだ』
苦笑いしながら、僕が言うと
『あ、ご飯一緒にどうですか?お暇でしたら、ですが。僕、昼休みで』
と、眉を下げ相模くんは困ったように笑った。大きな目だなと、僕は見とれた。街中の鏡みたいに磨きあげられたガラスに映る相模くんは、俯いていた。周りが怖いみたいに。彼の襟元まできっちり隠すようにしめられたシャツと趣味の良い、ネクタイ。何となく佐伯くんが選んだのかなって思った。上手くいってるって思った。でも、何処か淋しそうに見えた。首を隠すのは外からの『防御』のサインだよね。イタリアンのお店で、二人でパスタを食べた。相模くんは食べ上手だった。
相模くんは食後のデザートのガトーショコラと珈琲を飲みながら、
『変な言い方ですけど、和也さんみたいな人が、家族にいたら……僕、変われてたって思うんです。和也さん、優しくて寄りかかりたくなります……何かすみません。変ですよね………』
僕は、相模くんは家庭内で寄りかかれる人は誰も居なかったんだと思った。後からいじめの話も聞いた。そんな中、傷だらけの相模くんに恋して全肯定したのは佐伯くんだけだった。
『相模くんは良い子だね。でも、もう一生懸命「良い子」にならなくていいよ。仕事も、プライベートも充実してる。これ僕のメールアドレス。僕で良いなら話はいつでもきくよ。相模くん。佐伯くんは、相模くんが好きだよ。安心して』
そう言ったら、急にあの大きな目からポロポロって涙を流して
『先輩が怖い。飽きられて、捨てられたら?僕には先輩しかいないのに』
って言ってた。そのあと泣きながら『すみません。恥ずかしいですね』って笑って見せた。
*
「佐伯くん、泣きながら、あの子は笑うんだね……誰も傷つけないように………」
佐伯は眼鏡を和也に渡し、佐伯は軽く湖に潜った。終わりに怯えてるのは自分なのにと佐伯は思う。湖水から顔をだし、前髪をかきあげて、和也に眼鏡を返してもらう。和也は、浮き輪を枕に湖水に横になりながら言った。
「それに、言いにくいけど、例の件か解らないけどね、泣きながら『僕はコンビニで売ってるガムと同じなんです』って言ってた『何処で買ったかも解らない。そんなもの。あの人にとって僕はきっと。ストックもコンビニで買える』って。踏ん張りどころだよ、佐伯くん。相模くんを逃がしちゃダメだよ?幸せになって欲しいんだ。一番は相模くんの信頼だよ」
「……ありがとな。和也」
『おーい』と、遠くから間の抜けた声がする。
「あれ?お前、肌赤くなるんじゃなかったのか?」
遅れてきた孝明が、合流する。
「そうだったか?」
佐伯は鼻白んで言う。孝明の鈍さには辟易する。鈍いを通り越して馬鹿なのかと佐伯は思う。屋上から飛び降りた日、全部伝わったと思ったのに。腹が立って仕様がない。
「明彦は?」
「泳げないから波打ち際で遊んでるって」
孝明の言葉に佐伯は急いで陸へと戻る。独りで淋しい思いをさせたくないと佐伯は思った。
「光宏さん?あ、眼鏡は?」
「あ、ああ。持ってる。潜った時以外、外してない。これは古い眼鏡だから。いつもの眼鏡は車だよ」
相模はじっと、手の中の眼鏡を凝視する。古い丸みを帯びた燻したブラウンの眼鏡。
「……か、かけてくれませんか?」
「良いけど、どうした?着替えてからで良いか?悪いけど、眼鏡を頼む」
「……はい」
すぐにテントから、佐伯が、相模の前に顔を出す。佐伯が眼鏡をかけると相模の瞳は潤む。佐伯は解らない。どうして相模が涙を零すのか。
「僕が悲しくなる理由も……先輩は解らない……ずっと、ずっとあなたを追いかけて。大学でお洒落なその眼鏡に映るのは、早川さんしかいなかった」
「今は違う!相模だけだ……何をしたら信じてもらえる?何をして欲しい?いや、もしあのときなら……相模は何を望んだ?」
「笑って抱きしめて欲しかった。待ってたって。そう言って、やっと一緒に居られるなって、胸の中で泣かせて欲しかった。家に居場所が無くて、独りは慣れているはずなのに。霧降高原の写真ばかり見ていました。色んな所で言われましたね、釣り合わないって。解っているんです。でも、好きでした。好きだったんですよ。ずっと先輩だけ。あなたの背中を追いかけました」
「相模」
佐伯の呼ぶ声一つで相模は色々な気持ちになった。佐伯は、手を広げる。
「おいで、相模」
抱きしめると相模は泣いた。いつもの静かな泣き方ではなく、千切れてしまいそうな泣き方。
「寂しかった!寂しかった!ずっと、あなたが好きだったんです。苦しくて堪らなかった。もう叶わないと思っていました。留学前、先輩と話すことも、もう無いと思っていました」
「好きなだけ泣いていい。誰も居ない。大丈夫。ずっと一緒だ。…相模、愛してる……ほら、いつも通りだ。こっちをみてくれ。涙は引っ込んだか?明彦に泣かれると辛いし、どうして良いかわからなくなる……お茶を、飲もうか。マイボトルにカモミールティーが入ってる。少し寒い。テントで飲まないか?」
サラサラの砂漠の様な砂。白っぽい。スニーカーに入ってくる。
「長袖……暑くないですか?」
「傷痕が目立って。情けないな」
「そう、でしたね。見ているはずなのに。僕、見ないふりしてました。手の甲にも……深い」
相模は佐伯の手をとり、甲の傷痕に口づけた。相模の座高だと、どうしても上目遣いになる。
「痛い、ですか?」
「痛く………ないよ」
「神谷くんも、同じこと、した?」
「してないよ」
相模は大きな黒目を涙で滲ませしがみつくみたいに佐伯を抱きしめて言った。
「光宏さん、もう僕以外に触れないで。あの時、本当はつらかった。でも、納得しないと面倒だって嫌われる。光宏さんに抱かれるのは、身体的には満たされますが、心を切り売りしているみたい。でも、僕、バカみたいに『好き』が消えない。消えてくれないんです……独占欲で、真っ黒な自分がいます。光宏さん。光宏さん……傷痕を僕以外に触れさせないで……」
お願い……と言い、縋るように胸に顔を埋める相模を佐伯は抱き締める。相模が、顔をあげる。笑うこともなく、佐伯だけを見つめる。相模は言葉を繋いだ
「ずっと、僕のことだけ好きでいてくれますか?傍にいてくれますか?僕のこと、忘れないでいてくれますか?」
「俺はずっと、明彦だけだよ。ずっと一緒だ」
「誓えますか?」
左手を持ち上げ佐伯は相模の薬指の細い指輪に口づけた。
「何て言って欲しい?」
「……愛してるって、独りにしないよって」
「愛してるよ。独りになんかしないよ。ずっと一緒にいるから。もう泣きながら笑うな、笑うな。笑わなくて良いんだ」
悲しい笑顔を無理やり胸に埋めた。それしか出来ない。見つめ合うにはつらすぎる。
「大声で泣いていい。誰もいない。俺以外いないから」
背に手を回し、慰めるように背を撫でる。胸のなかで泣きじゃくる相模が、愛しい。いたいけな、かけがえのないの、失えないもの。佐伯は、相模が堪らなく愛しくてたまらない。
大きなテントの中、ごろごろしながら、キスをしたり抱きしめたり、頬に触れたりして、時間を過ごす。
「明彦、連休何処に行きたい?」
「水族館に」
「どうして?」
「今度はもう、光宏さんは、僕しか見ないでしょう?手も、繋ぎたい。でも、もう、たこ焼きとシロクマはいいです。お揃いの煙草ケース。嬉しかった。僕は独りじゃない。大切な人は、光宏さんはもちろん、和也さんや早川さんもいます。それに光宏さんがまたケンカしたら大変だし。神谷くんみたいに研修医と浮気したらもっと大変です。僕、英国に行かなきゃならない」
そんな時だった。
『佐伯!相模!いちゃついてないで、でてこいよー!バーベキュー準備始めるぞー!』
はっと夢から覚めるように飛び起きた相模を佐伯は抱きとめる。
「光宏さん?」
「明彦。キス、させて」
キスをした。深く甘いキス。チョコのような煙草、ピースの香り。相模の甘い声がテントに溢れていく。弛緩した相模の表情に佐伯の火がつく。繰り返し何度も深く深く口づけた。首に回す相模の手がほどけるくらいの甘いキスを重ねた。煙草だけでもお揃いにしたくて無理やり吸っているピース。外用の服に着替えるのに服を脱ぐ。佐伯は相模の病的に白い肌に目が行く。
「……傷、見せて。光宏さん」
佐伯はボタンをはずす。相模は、はだけた佐伯の縫い傷を指先でなぞる。
「痛そう。本当に痛くないですか?」
「もう、なんともないよ。相模の傷は?どうやって治せばいい?して欲しいこと、言って」
「僕の傷は、さっき先輩に治してもらいました」
遠くに聞こえる孝明と和也の声。辛辣な和也の声に笑ってしまいそうになる。
『孝明バカなの?デリカシーを持ちなよ!そんなんでよく仕事できるね!火くらいなんてことないでしょ!面倒ばっかり佐伯くんに押しつけて!』
『わ、悪かったから、怒るなよ、和也』
『……ごめん、ちょっと言い過ぎたかも。あの二人は、不器用だから………』
『あの二人?腹減ったから起こして来るか?』
『今はダメ!………孝明、いい加減空気読みなよ。あとバーベキューはもう少ししてからにして、一緒に泳がない?天気も良いし。孝明とあんまり泳いでないから、一緒に泳ぎたいな』
『そうだな。いくか!』
和也はやっと伝えられた相模の声を聞いた。和也の表情がほどける。
「良かった。相模くん、佐伯くん幸せになって」
『光宏さん。僕幸せだよ。好きだよ。ずっと、あなただけ。これからも、ずっと』
《完》
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地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
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