妖精の園

華周夏

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【第1話】大切な人との別れ

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    昔々、深い迷い森の奥に妖精の国がありました。妖精の王の魔法で季節を通して美しい四季があり、春は花は咲き乱れ、妖精の子供は蝶を追いかけます。


    夏は明るい陽差しと澄んだ風が吹き、まるで高原のようです。


    秋の森には木々が色づき果実が実り、冬はとても寒いですが雪の華が大空から降りました。積もった雪はさらさらの粉雪で、まるで星の砂のようでした。



    豊かな妖精の国の噂を耳にし、目を付けたのは強欲な、ある国の王でした。

沢山の国を飽きることなく侵略し滅ぼした、残忍な王です。

    ある日、村八分にされていた粗末な家にその国王からの親書を携え、従者の将校が部下を連れやってきました。

珍しい娘の噂を嗅ぎ付けてきたのです。王の親書の中身を簡単に言えば、



『お前を妖精の王の献上品として、妖精の国へ送る。この国一番の美女を送ると妖精の王に書いてある』


    とのことでした。そして、

『お前より美しい娘は沢山いるが、金色の髪の娘はこの国の何処にもいない』


    と書いてありました。
    娘の髪のあまりの珍しさから、呪いと呼ばれ、娘の家族は村八分にされていました。そして今度は、人々から忌み嫌われた金色の髪が、物語にしかでてくることもない妖精の国への献上品に選ばれた理由でした。


    妖精は人工的に精製した金属には触れられず、火傷をするといわれています。特に金は妖精たちにとって猛毒です。王の従者の将校は、


『妖精たちにすれば、お前は触れられる黄金だ。隙を見て秘密裏にこれで妖精の王の胸を刺して殺せ』


    と渡された指輪には、金の仕掛け針がついていました。この一連の話を聞かされた以上、断るのは命と引き換えです。


今、目の前にいる将校に捕えられ殺されるでしょう。もちろん、戦場で怪我をした父。小さい弟と母も。


『私のこんな髪がなければ穏やかに暮らせたのに』



    娘は下を向いて歯を食い縛りました。









『いつも笑顔を絶やさずに、前を向いて。きっといいことがあるよ、可愛い子。お前はおばあちゃんの宝物』

    逝く前に右手で娘の頬に触れ、娘に言い残した祖母の言葉を必死に握りしめ、

娘は懸命に笑って生きてきました。



    思い出します。泣いては、駄目。
    毅然としていなければ駄目。

    娘が今までで泣いたのは、祖母のお葬式の夜。

 そして父が戦いから怪我をして帰って、足の怪我が炎症が酷く生死を彷徨ったとき。

    どの医者も門を閉ざし、看てくれるひとは誰もいませんでした。それでも父は泣きながら額のタオルを替える娘に言いました。



『恨んではいけない。憎んではいけない。醜い心を胸に飼うとつらいだけだ。意味が解るね?』

    娘が頷くと父は娘を抱きしめ、

『お前が愛するひとは、みんなお前を愛しているよ。それでいい。それに生命の命運はあるよ。ほら熱が、下がってきた』

    それでも村八分にされ、時に畑も荒らされました。
   
    父を雇ってくれる場所はありません。父は昔は大学の教授で植物学を教えていました。そして希少な植物が多い国の辺境のこの地域に居を構えました。

    母は絵本作家でした。今は家事、父のリハビリ、弟の子守り。

そして外へ出ては投げられる石や泥団子から娘を守り、髪を隠して馬車に乗り、

王立図書館でありとあらゆる分野の、物語の中の生き物の図鑑を見せました。


家では父が沢山のことを教えました。

読み聞かせました。読み書き、計算、それに家事など全て人並み以上に出来るように、

両親は『教育』を正しく娘に施しました。そして、溢れるほどの愛情を娘に注ぎました。





『母さん、父さん、もう私のことは思い出に変えてください。私は、幸せでした。今までありがとうございました』

    そう言い終わった瞬間、娘の頬に涙が止めどなく溢れました。
    娘は妖精の国へ見たことのない人数の花嫁行列と言う名の兵隊を連れて、『献上品』という名の『暗殺者』として旅立っていきました。








    娘は、妖精の王に謁見しました。妖精の国へは『迷い森』を越えなければなりませんでしたが、いつの間にか娘の護衛とは名ばかりの見張り達は、居なくなっていました。

花嫁行列もまた然りです。『迷い森』は娘以外の人間が妖精の国へ来ることを許しませんでした。

    美しい妖精の王は最初からこの娘がここに来た理由──娘が自分の暗殺のために送られてきたこと、そして娘にはそんなことをする気がなかったこと──を知っていました。
王様は娘に誠実に接し、娘を大切にしました。
    

娘は動物に好かれ、植物を育てることが得意で、尚且つ娘は不思議なことに、唄を歌い動物や植物を喜ばせることが出来ました。

全て娘が幼い頃祖母に教わったものでした。そして、人間には珍しいことに少しの魔力をもっていました。

    そんな、娘と呼ぶにはまだ少し早い、少女のあどけなさを残す、
花開く前の可憐な薔薇のような娘を、
妖精の王は大切にしました。花を育てるように愛しました。

娘も美しく穏やかな『賢王』とよばれる妖精の王に心惹かれ、恋に落ちました。


    時は流れ、娘は美しく教養もあり、心豊かな女性へと成長しました。しかし、王妃になる日、民に宣言する日が近づく日から娘は泣き暮らすようになりました。

    王様はやさしく尋ねますが、娘は酸欠の金魚の様に声が出ません。理由を言おうとすると、声がでなくなるのです。


まるで呪いのようでした。娘に出来るのは、ただ涙を流し王様にしがみつくだけでした。
    王室が娘を妖精の国の王妃として迎えることを民に宣言する日、

王様は、娘が捨てられずにいた金の指輪の仕掛け針で自らの胸を刺してしまいました。


『ルト…可愛いルト…。すまなかった。お前は私との結婚に悩み苦しんでいたんだね。婚姻すればもう確実に外の世界には出られない。






お前の苦しみを分かち合えないことがつらかった。ルト…そなたを、愛していた。

離したくなかった。

全て私の、我儘だね……。


今まで、夢を見せてくれて…ありがとう。人間の世界へお帰り……』
    そう言い、力なく腕を伸ばし王様に縋るように蹲る娘の頬を撫で、微笑んで。夢を見させて貰ったのは自分だと、眠ったように動かなくなった妖精の王に娘はしがみついて泣きました。
    
何故か今頃になり声が出ました。娘は咽びながら王様に声をかけました。段々と調度品も、部屋も、王様の薔薇の寝台もすべて音を立てて凍りついていきます。


    みるみるうちにそこは氷の世界になりました。美しい花も、河も、妖精たちでさえも、時が止まったかのように氷に覆われていました。

娘は痩せ細りながら、眠ったように動かない妖精の王に縋り咽び泣き、
凍った薔薇の寝台に横たわる妖精の王から離れようとしません。
    

誰もいなくなった、花も音もない氷に閉ざされた妖精の園。

『違うのです、王様。全て私の我儘なのです。私はここで死ぬ覚悟はできていました。
ただ、人間として老いて、弱くなる、
貴方とは違う時の流れの速さの残酷さと、
あなたと共に生きられない未来が怖かった。
それに、皺だらけのおばあさんになり、
王様の気持ちが離れてしまうのが、
私を想ってくださる御心を失うのが怖かった。こんな汚い気持ちが自分の中にあるなんて、がっかりなさいましたでしょう?
でも、……幸せだったんですよ?
王様と過ごした時間は幸せでした。
夢を見させて貰ったのは私です』
    
そう言い娘は泣きました。伝えたかった言葉はもう届きません。娘の存在も忘れられたある日、
娘は心身共に弱り果て、妖精の国から迷い森を抜けて自分の家へと帰ってきました。
    
誰もいない、あばら屋の廃墟と化した家。裏庭に粗末なお墓がありました。
娘が泣いていると、
誰かが声をかけました。振り返ると男性が竪琴を持ち、
微笑んでいました。そのひとは、娘に言いました。
『美しい髪ですね。春の日差しのようだ』
    同じ言葉でした。白銀の髪の美しい妖精の王に最初に微笑みを浮かべながら言われた言葉。
そして、その竪琴を持ったひとは言いました。三年前流行り病が蔓延し、
この家の独りで暮らす老人を看取ったとそのひとは言いました。
娘が話を詳しく聞くとあの頃幼かった弟のことでした。
    そのあと村に帰った娘の風の噂を聞いた人間の王は、
妖精の国を侵略しようと兵を出しましたが妖精の国は見つかりませんでした。
氷の中の妖精の国。妖精の王と共に眠りについたのです……。

「おばあちゃん、妖精の国の話をして」

「お前は妖精の話が好きだね、フィル」
    
昔、幼い頃そう言いおばあちゃんにフィルは眠れないとき、
甘えたいとき、この話をねだった。
おばあちゃんの膝に鼻をこすりつけると甘いミルクティーの匂いがした。
おばあちゃんは『あまえんぼさんだね』と微笑んで髪を撫でてくれた。フィルはおばあちゃんの笑った顔と優しい手がとても好きだった。
    フィルには両親はいない。母はフィルのお産で亡くし、父は、フィルが物心つく前に兵隊にとられ戦死した。おばあちゃんがフィルの母であり父だった。


    そんなおばあちゃんも、年を取り、心の臓を病み、あまり動けない。今は、おばあちゃんがベッドで寂しそうにしている時にフィルはおばあちゃんの手を握り
「妖精の話をして」と言う。
    

夜、この家には、草原の草が風になびく音と、ケトルが火にくべられシュンシュンと湯気を立てる音しかしない。

後は、たまに強風に煽られ森の木の葉擦れの音が聞こえるくらいだ。フィルが傍らで林檎を剥く音を聞きながら、ベッドに凭れるおばあちゃんはフィルに向かってまるで少女のような顔をして昔話を語る。
    
おばあちゃんは、大きな羽根を持つ美しい妖精達や、
甘くて美味しい果物。
果ては優しい妖精の王様の話まで、
なんでも教えてくれた。
    

今、誰も妖精を知らない。
信じない。
氷に閉ざされてしまったように忘れ去られている。フィルがおばあちゃんが話してくれる妖精の話が好きなのは、
これらの話に出てくる娘と同じ髪……金色をしているからかもしれない。
    妖精の王様と娘との話をするとき、必ずおばあちゃんは泣く。

「年寄りは涙の蛇口が弱いのさ」

とか言って。
泣きながらニッコリ苦しそうに笑う。
   
 おばあちゃんは何でも知っている。
フィルは色んなことを小さな頃からおばあちゃんから教わった。


……独りでも、生きていけるように。
    
フィルには子供の時から不思議な特技があった。
フィルが歌を口ずさむと花は喜ぶように花を咲かし、
どんな動物もフィルの歌を聞くと、まるで聞き入るように集まり、なついた。
成長すると共に花や動物の声を聞き、話が出来るようになった。
    フィルが十歳になった誕生日、おばあちゃんは、

「フィルはおばあちゃんに似たんだね。お前のお母さんにはこの力はなかった」
    
決して花や動物と人前で唄ったり、喋ったりしてはいけないよ。そうきつく言われた後、
フィルはおばあちゃんから不思議な唄をたくさん教わった。
    野菜を育てるのも料理も得意だ。けれど、心ない村人の嫌がらせに畑は荒らされ、いつも残るのはイモばかり。


肩を落としながら、毎日フィルはイモを育て、行商人に足元を見られながら多く採れたイモとお米を交換する。
フィルもおばあちゃんも、動物は食べない。
「フィルの作る蜂蜜ミルク粥は美味しいね」
「おばあちゃんに比べればまだまだ」

    痛む腕や脇腹を隠し、フィルは笑って、ベッドから身体を起こしたおばあちゃんに、椅子に腰掛け蜂蜜ミルク粥を食べさせる。

「お前には苦労ばかり。ごめんよ」
 
 フィルは心の臓を病んだおばあちゃんに早く元気になって欲しくて、おばあちゃんの
『夕方からは森には行っては行けないよ』

深い迷い森に惑ってしまうから……との言いつけを破り、前の日の夕方、
森の入り口に生えている、ポポの実を取りに行った。
    
たまたま鹿狩りに来ていた、柄の悪い男女のグループに
『呪いの子のくせに』
と言われ、殴られたり蹴られたりして、一生懸命取ったポポの実を半分以上取られた。でも、これだけあれば、

おばあちゃんが食べる分は充分だ。
たまたま、運が悪かっただけだ。
   

 フィルはそう、懸命に自分を慰めた。惨めじゃない。泣くな。けれど、胸に渦巻くやるせない悔しさと悲しさに飲み込まれフィルは、ポホの実が入った籠を抱きしめて泣いた。声をあげて泣いた。
  
  誰も見ていない、聞いていない。フィルの泣き場所は誰の腕の中でもない、森の入り口の草原だった。

 毎日家事をして、おばあちゃんの看病をして、本を読み、歌を口ずさみながら花を、畑のイモを育てる。

フィルのご飯は三食イモ料理だ。
  

  飽きないように調理法を変える。ただ、

それだけの毎日。誰も来ない、今にも崩れそうなあばら屋。それでもいい。小さな幸せを拾うだけでいい。

そういつも思っているはずなのに、フィルは夜、独り椅子にかけイモを剥きながら、声を出さずに台所とも呼べない場所で肩を震わせる。


    自分の無力さが悔しい。せめてお金があったら、おばあちゃんを良いお医者さんに連れていってあげられる、

食べたいものを食べさせてあげられる。

元気になったおばあちゃんと、沢山お花に唄を歌って花とお喋りできる。

楽しい思い出を作ってあげられる。お金が欲しい。
けれどフィルを雇ってくれる所は何処にもない。

「ごめんね。フィル」

 いつの間にか後ろに立っていたおばあちゃんは椅子に座るフィルに小さく言った。

「ごめんね……」
 
 フィルの涙はとまらなかった。

「おばあちゃん!おばあちゃん!」
 
 イモも、皮剥き器も、ザルも投げ出し、フィルはおばあちゃんにしがみつき声をあげて泣いた。

いつのまにか、自分より小さくなったおばあちゃんから、淡く甘いミルクティーの匂いが香った。

そして、おばあちゃんはベッドサイドの棚から木製のロケットペンダントを取り出した。

『持っておいてね。失くさないように気をつけて、首から下げておいて。珍しいでしょ。全部蒼薔薇の木で出来ているんだよ。──駄目なおばあちゃんだね。こんな可愛い孫を泣かせて、ねぇ』

おばあちゃんは首をかしげ微笑みながら泣いていた。
 
 ある秋の小春日和、暖かな日、おばあちゃんが、空へ旅立った。朝だった。一緒に洗濯物を干しているとき。

心の臓の発作で、突然だった。

    フィルの家はあの物語のように村八分、それ以上のものがあった。独りでおばあちゃんを埋葬し、
お祈りをした。
沢山の花を一緒に埋めた。

ここにいても、嫌がらせを受けるだけ。

何処かに行こう。何処へ行こう。妖精の国へ行こう。
    


どうせ自分一人じゃこの冬は越せない。なら、ここじゃない何処かで死にたい。

なら妖精の国がいい。

どうせ寒くても。
たどり着けなくても。
夢のように美しい妖精の園を、
永遠の眠りにつく前に思い描きながら死ねるなら幸せだ。



    妖精の国は、
深い迷い森の奥。
凍りついた花園は、
今の自分にはお似合いだとフィルは思う。
    

もう誰も居ない。
信頼する人も、
大切な人も、
何に変えても守りたいひとも、


もうここには居ない。



おばあちゃんが、フィルが十五歳の誕生日を迎えたときにくれた指輪に口づける。 

「絶対に外してはいけないよ」
 
 と、言い指にはめてくれた、もうすっかり指になじんだ翡翠の指輪。
売ればかなりのお金になる。
でも売る気はない。


「幸福の扉を開けてくれたおばあちゃんの思い出の指輪だよ」 

 と言い、お前を守ってくれると、少し切なげに少女のような顔をしてフィルに託した、おばあちゃんの形見。

フィルはありったけのイモを鞄に積めた。あとは火起こし、
ランプ、ナイフ、
生きていくうえで必要なもの。

そして綺麗な細工のおばあちゃんの宝物のロケット。
おばあちゃんの遺髪をいれた。





 
 雲間から、沈む陽が差す。
空の使いがおばあちゃんを迎えに着たようだった。

おばあちゃんのお葬式では涙がでなかったのに、今、何故だろう。涙がとまらない。

空に溢れる光に包まれて滲んだ視界に色々な思い出が蘇る。






一緒に沢山唄を歌った。
毎日お喋りしながら、
小さな声で、大きく育てと、
畑の傍の石に腰かけて二人で歌った。



フィルは消え入るような声で、呟くように言った。

「おばあちゃん、僕、ひとりぼっちになっちゃった。誰も、いない………おばあちゃん……」

 
 力が抜け、草原の中、膝をついてフィルは静かに泣いた。

ポタポタと涙が地面に吸い込まれていく。嗚咽が咽び泣きになり、

いつしか泣き喚いた。
    陽が落ちる。残照が焼けるように空を焦がす。



「行ってくるね、おばあちゃん」
   

 おばあちゃんの名前はアルト……ルト。おばあちゃんの豊かな髪には金色の髪が白髪に変わった跡があった。


    フィルは空を見上げる。陽が落ちて、溶けるように辺りを暗く濡らす闇が近づいてくる。
綺麗な昔話の中に消えてしまった妖精の園。フィルの金色の髪はおばあちゃん譲りだった。


    あの話は、全ておばあちゃんの話だ。フィルはおばあちゃんから貰った思い出の左手の薬指の指輪をやさしく撫でる。



出来るなら、辿り着けたら、妖精の王様に翡翠の指輪を供えたい。

おばあちゃんは、妖精の王様を……ずっと愛していたから。

婚約のときにさりげなく渡された翡翠の指輪。幼い想いには指が少し小さくて、落としてしまいそうで怖かったとおばあちゃんは言っていた。


「おばあちゃんの気持ちを伝えられたら………」

    少女の顔に戻り悲しく懐かしく、晩年には妖精の王様の話をしたあと、

ひっそりと涙を流すおばあちゃんの顔が浮かぶ。

せめてロケットを眠る妖精の王の首にかけてあげたい。


「あなたの愛したひとです」


    そうおばあちゃんの想いを伝えたい。妖精の王様へ橋渡しが出来ればいい。
おばあちゃんみたいに、恋をしてみたかった。


小さな喜びを共有するような、穏やかな恋でいいから。

──────────続
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